こんにちは!いつも応援ありがとうございます!いいかねPaletteクラウドファンディングも残すところ11日。8月17日から毎日欠かさず活動報告を書いてきました。この活動報告を担当している私、タカキと申します。自分のことを少しだけ紹介させて頂くと、私は2023年3月31日まで田川地域の自治体で地方公務員をしていました。いわゆる町役場の職員でした。樋口会長と当時代表だった大井さんは高校の先輩、そして、青柳社長と当時スタッフだった城戸くんは高校の同級生になります。町役場では地方創生関係の仕事や教育委員会で行政事務をしながら、高校の先輩たちと、高校の同級生でもあり友人でもある青柳と城戸が運営する「いいかねPalette」のことを応援していました。2018年夏のある夜、青柳から電話がかかってきました。「会社がやばいかもしれん」僕は、その時、その深刻さを理解しておらず「マジか・・・」くらいしか言うことができませんでしたが、それからすぐに、いいかねPaletteを運営する株式会社BOOKは、当時働いていたスタッフ全員が雇えなくなりました。再びかかってきた電話で青柳はこう言いました。「雇えなくなったスタッフの再就職先、どこかないだろうか?誰か一人でもいいき、どこか就職できないだろうか・・・」自分自身が失業しているにも関わらず、青柳は他のスタッフの再就職のために動いていたのです。そして、一人でもいいかねPaletteを続けていく決断をした樋口会長のもとに、青柳はスーパーボランティアとして残りました。また、青柳以外のスタッフも8月いっぱいまでは、予約してくれていたお客さんを迎えるため、ボランティアで対応してくれたのだそうです。スタッフの中で、現おいとま食堂マネージャーである山野は、再就職先を見つけることはせず、「いいかねPaletteを続けていく」という決断をし、業務をこなしつつも、どうにか株式会社BOOKに残る方法はないか模索していました。そして、ある企業さまの支援を受けることで、山野は派遣社員として、いいかねPaletteのスタッフを続けることができるようになり、いいかねPaletteは樋口、青柳、山野の3人体制で、どうにか運営を続けていきました。僕は、それをずっと見てきました。応援はしていたものの、あの夏、何もできなかったこと。青柳の声に応えられなかったこと。当時のことを、僕は今でもありありと思い出すことができます。そして、今でも、悔しい気持ちでいっぱいになります。その時から僕は「いつか、何か、貢献したい」そう思っていました。その後、いいかねPaletteでコテンラジオが生まれます。「【やりたいことをやる】それしかないんだよ」深井さんのこの言葉に僕は動かされました。『結果がどうなるか分からないことは歴史が示している。でも、エネルギーを爆発させた人が、歴史にインパクトを与えていっている。だから、やりたいことをやる。それしかないんだよ』正確ではありませんが、深井さんが話すその言葉は真実だと感じたし、僕はその言葉に勇気をもらいました。色んな準備をした後の2023年春、僕は11年間務めた町役場を退職し、いいかねPaletteで働くことになりました。今は、このクラウドファンディングに関わると同時に、いいかねPalette公式noteの管理人もしています。詳しくはこちらのnoteに書いていますので、是非読んでみてください。いいかねPalette公式noteには、いいかねPaletteに関わる様々な人たちの記事をまとめたマガジンやいいかねPalette界隈の紹介記事もあります。クラウドファンディングが終わっても、いいかねPaletteの物語は続いていきます。ですので、みなさまにお願いです。クラウドファンディング以降、いいかねPaletteについての報告は、こちらのnoteでさせて頂きますので、どうか、いいかねPalette公式noteをフォローしてください。何卒よろしくお願い致します!そして、あと11日間、いいかねPaletteクラウドファンディングを何卒よろしくお願い致します!