自己紹介
手書き看板の時代から奈良県で小さな看板屋を営んでますシティアートの西村と申します。
15歳からこの業界に入り21歳で独立後約37年にわたり多業種のお客様の看板作りに励んで参りました。
店舗に想いのこもった看板が掲げられた時のお客様の笑顔が希望に満ちていて、心からご商売の繁栄を願い、感謝してきました。
時代と共に看板も手書きからマーキングシートやインクジェット印刷に置き換わり、職人さんの質も変わってきました。
現在も多才な技術を駆使て看板作りに励んでいます。
よろしくお願い致します。
このプロジェクトで実現したいこと
能登半島地震から半年が過ぎ、未だ手付かずの輪島市朝市の火災現場。
家や店舗が倒壊し仮設住宅で暮らす人びと。
9月の21日22日にかけては台風14号の温帯低気圧が秋雨前線を刺激して能登半島北部に線状降水帯が発生し豪雨となりました。輪島市や珠洲市に洪水や土砂崩れで復興も儘ならぬ中追い討ちをかけるような災害となりました。
そんな中でもご商売を再開されて頑張っておられる被災地の様々な店舗様に私が心を込めて作った行燈看板を5台(私から+1台)計6台を取り付けて応援したい。
6台の行燈看板を取付、配線工事まで行ってきます。
私一人では1台しか応援できませんが皆様のご好意があればあと5台を現地に贈ることが出来ます。
制作から施工まで支援者様と共にプロジェクト最後まで頑張らせて頂きたく所存です。
能登応援の為に私に汗をかかせてください。
よろしくお願い致します。
設置イメージ
当社の製品は電気用品安全法に準ずる適合検査の受験に合格しておりますので
安心してご使用いただけます。
看板寄贈のご店舗様
◾️輪島市 柚餅子総本家 中浦屋 マリンタウン店 様
石川県輪島市河井町2-52
8月初旬にお伺いさせて頂きました。
私の想像を絶する程の輪島の街の状況に言葉もありませんでした。
復興どころか復旧の目処も立っていない現状でご商売されている柚餅子総本家 中浦屋の中浦社長様と出会いました。
創業は明治43年で113年も受け継がれている和菓子銘菓店です。
輪島市で工場を含む4店舗経営されており、今回の朝市の大火災で1店舗は全焼、残りの店舗も甚大な被害にあわれました。
そのような状況下でも震災直後から街の人々にお菓子を配ったり炊き出しのお手伝いをされておられる姿を拝見し感銘を受けました。そして今回の私のプロジェクトも快く引き受けてくださり看板を設置させていただく運びとなりました。
※追記 9月の21日22日の能登豪雨ではようやく再開した店舗が浸水したとの事でした。
心よりお見舞い申し上げます。
◾️柚餅子総本家 中浦屋 マリンタウン店 様 1台
◾️7月に工房兼店舗の稼働も始められました。輪島朝市むすびも始められます。どちらかの店舗様に1台看板の設置のご依頼も受けております。
輪島市に計2台の看板の設置が決まりました。
どうぞ皆様のお気持ちと一緒に寄贈できれば嬉しく思います。
MBS NEWS
NAKAURAYA ONLINE SHOP
共有させて頂いています。
◾️七尾市 自家焙煎珈琲 中央茶廊 様
石川県七尾市一本杉町100-2
一本杉通り仮設商店街 令和6年8月16日オープン
(能登半島地震の被災地で仮設商店街のオープンは初めて)
9月12日に七尾市一本杉通り仮設商店街にお伺いさせて頂きました。
アポなしの訪問の緊張を抑える為にアイスコーヒーを注文し、しばし店主さんとお客さんの話を横目に聞いていました。話に隙間ができたので背の高いダンディな店主の窪さんに話しかけるとFacebook能登応援団「そうだ、看板を贈ろう!」プロジェクトをご存知でした。と言いますか当初から私のメッセンジャー宛にメッセージを入れていただいていたのを私が気づかずにいました。震災で店舗が損壊し、壁に取り付けていた電飾看板が落下したので再建出来ないか?と言うメッセージでした。今頃気がついた私は大バカものです。すみませんでした。その様な方に偶然にお会い出来たなんてご縁を感じざるお得ませんでした。
七尾市を舞台に描かれたご当地漫画「君は放課後インソムニア」の聖地としてファンが訪れる中央茶廊さん。この日も遠く東京からファンの方が訪れていました。
アニメの中には嘗ての七尾市の風景や場所が描かれていますがあの日無くなってしまった場所も数多くあります。しかしそこに暮らす人々は震災前と同じ心を胸に生きています。
中央茶廊さんの店舗復活を願って看板を作りたいと思います。
そして、一本杉通りにあかりを灯しに参ります。
どうぞ皆様のお気持ちと一緒に寄贈できれば嬉しく思います。
ぽにきゃん-Anime PONY CANYON
共有させて頂いています。
◾️七尾市 美容室 イコマ様
石川県七尾市一本杉町100-2
一本杉通り仮設商店街 令和6年8月16日オープン
(能登半島地震の被災地で仮設商店街のオープンは初めて)
9月12日に七尾市一本杉通り仮設商店街にお伺いさせて頂きました。
同じ仮設店舗の中央茶廊の窪様にご紹介していただきました。
Facebook 能登応援団に「そうだ、看板を贈ろう!」プロジェクトのお願い当初から
興味を持っておられたそうですが良くわからなかった様でお会い出来てすぐにご応募いただきました。
前店舗兼住宅は震災により全壊されたとの事でした。公費解体が始まってはいるもののいつになるかは分からないそうです。
素敵な美容室です。笑顔のやさしいご夫婦二人で頑張られています。
一本杉通りにあかりを灯しに参ります。
どうぞ皆様のお気持ちと一緒に寄贈できれば嬉しく思います。
【公式】テレビ金沢 共有させて頂いています。
◾️七尾市 台湾伝統美食 様
石川県七尾市石崎町ワ部13-4
9月13日に七尾市のお店にお伺いさせて頂きました。
Facebook 能登応援団に「そうだ、看板を贈ろう!」プロジェクトを投げかけた当初に逸早くご応募いただきましたご店舗様です。
突然の訪問に驚かれていましたが、お店の被害状況など細かく説明してくれました。
外見は大丈夫そうに見えましたが、店舗が裏側に沈んで傾いており至る所に亀裂が入りひどい状態でした。
厨房にも入れていただいたのですが立っているだけで傾いているのが分かりました。
地震直後はこの様な状態から立ち上がれず涙されたそうです。私も胸が痛みました。
でも少しづつ、ご自身一人でお店の修復に励まれ営業再開されていました。
店舗の周囲もセメントを練って埋めたり、店内の壁の修復やクロス貼りもご自身でされたそうです。
ドアの復旧や大きな所は業者にお願いしたとの事ですが費用が大きいのでコツコツこれから直せるところは直していくと話されていました。補助金なども後から3割程度の補助しか受けられない状況に言葉が出ませんでした。
日が暮れるとお店の周りが暗いそうなのでほのかな看板の明かりをお届けしたいと思います。
どうぞ皆様のお気持ちと一緒に寄贈できれば嬉しく思います。
◾️七尾市 手作りパン パパン様
石川県七尾市小島町139-1
9月13日に七尾市のお店にお伺いさせて頂きました。
七尾駅から和倉方面へ向かう県道1号七尾輪島線通りに面したかわいいパン屋さんです。
飛び込みで店主の藤岡様にお話をさせて頂きました。
震災ではガラス張りのショーウインドウが全て割れてしまい店舗内がメチャメチャになったそうです。
自費で再建され営業されています。コロッケパンやカレーパンをいただきました。とても美味しかったです。
プロジェクトにも賛同いただき看板の設置のご希望をいただきました
県道1号線に小さなあかりを灯せればと思います。
どうぞ皆様のお気持ちと一緒に寄贈できれば嬉しく思います。
プロジェクト立ち上げの背景
地震列島 日本
毎日と言っていいほど日本各地で地震が発生しています。
私の暮らす地域でもいつ大きな地震が発生するかは誰も予測できません。南海トラフ地震も秒読みかと警鐘が鳴らされています。
一番身近で発生したのが阪神淡路大震災。1995年(平成7年)1月17日 5時46分52秒
当時私は29歳、高速道路の倒壊や多くの地域で火災が発生しました。
近くに住みながら何も出来ず、わずかな支援金を募金するだけで状況を見守る事しかできませんでした。
次に発生したのが津波や原発破壊で甚大な被害が起こった東日本大震災。2011年(平成23年)3月11日午後4時10分
当時45歳、日本全体が暗く落ち込み町の灯りも節電の影響で無駄な灯りが消されていきました。
この頃は看板業界の仲間たちが寄り添う看板仕事人と称するチームが立ち上がっており私もその一員で、同じ仲間たちが現地に入り活動する資金として支援金を募り後方支援しました。
熊本地震。2016年(平成28年)4月14日午後21時26分
激しい揺れに見舞われた地域 では、多くの建物が倒壊したほか、道路、電気、通 信設備等のインフラ施設にも多大な被害が生じました。
そして、今回の石川県能登半島地震。2024年(令和6年)1月1日午後4時10分
家族みんなでお正月を祝っている最中、突然発生した大地震。沿岸では一瞬で地面が4mも隆起し津波の被害も出ました。多くの家屋が倒壊しインフラは切断されました。
輪島の朝市地域では大火災が起き未だ手付かずの状態です。
ご家族を失った方々、お住まいを追われた方々に心からお見舞い申し上げます。
私に出来る事。
それはやはり看板業に携わって来た人間として、そこに住み暮らす人々の為に働く商売人さんを応援する事が使命だと感じました。
被災地で復興に向けて頑張るお店の方々に私の手作りの看板をお届けしたいと思いました。
小さなともし火だけど皆が灯せば、明るく笑顔になれると信じてこのプロジェクトを立ち上げた次第です。
どうぞ少しでも多くのご支援、ご協力を承ります様、よろしくお願い申し上げます
リターンについて
基本的には贈る看板の制作や現地取付経費に支援金は使いたいと思っていますのでリターン品は主にお礼のメールと看板製作工程のお知らせや写真。当社ホームページにプロジェクト支援者お名前掲載になります。
◾️【お礼のメッセージ】リターン品¥1.000 リターン品¥3.000
感謝の気持ちを込めて、お礼のメッセージをお送りします。
リターン品¥1.000 リターン品¥3.000 同じ内容となります。
◾️【お礼のメッセージ 活動の報告と写真】リターン品¥5.000
感謝の気持ちを込めて、お礼のメッセージをお送りします。活動の報告と写真の添付(数枚)
◾️【能登応援ステッカー】1枚 リターン品¥10.000
ステッカーにご支援者様のお名前を印刷してお送り致します。
A.能登のためにステッカー B.能登を応援ステッカー C.オリジナルデザインステッカー
上記の3種類からお選びください。
感謝の気持ちを込めて、お礼のメッセージをお送りします。活動の報告と写真の添付(数枚)
◾️【看板側面(道路側)お名前掲載15名連名×75名様まで】リターン品¥18.000
看板側面(道路側)に支援者様のお名前、会社名(ニックネーム)を掲載します。
お名前掲載店舗さんの指定はできません。
【掲載枠サイズ】 H28.5cm×W12.5cm【掲載サイズ】 1名当たりの文字サイズ H6cm×W1.5cm
(限定15名様に達しない場合でも 文字サイズの変更はありません。)
※目標金額に達成しなくともリターンは当社負担で実行致します。
感謝の気持ちを込めて、お礼のメッセージをお送りします。活動の報告と写真の添付(数枚)
◾️【グッズ】アンティークネームプレートキット リターン品¥30.000
(商品の説明)ご自身でアンティーク調に仕上げて作るネームプレート製作キット作る楽しさ体験!
感謝の気持ちを込めて、お礼のメッセージをお送りします。活動の報告と写真の添付(数枚)
◾️【グッズ】アンティークネーム表札キット リターン品¥50.000
(商品の説明)ご自身でアンティーク調に仕上げて作る表札製作キット作る楽しさ体験!
※カッティングシートのデザインやロゴの変更していただけます。
感謝の気持ちを込めて、お礼のメッセージをお送りします。活動の報告と写真の添付(数枚)
※アンティークエイジング塗装 プレート 表札 製作の方法
◾️【看板側面(道路側)お名前掲載1名様限定】リターン品¥150.000
高額の支援者様には看板の側面(道路側)に能登応援マークと大きくお名前の印刷を掲載させていただきます。【掲載枠サイズ】H28.5cm×W12.5cm【掲載サイズ】1名当たりの文字サイズ H18cm×W4cm
お名前掲載店舗さんをお選びいただけます。
感謝の気持ちを込めて、お礼のメッセージをお送りします。活動の報告と写真の添付(数枚)当社ホームページにプロジェクト支援者お名前掲載
◾️【リーターンは良いから】リターン品¥200.000
リターンはいらないから頑張って来いと背中を叩いていただける神のようなご支援者様の為のリターンになります。心を共に行動に移します。
感謝の気持ちを込めて、お礼のメッセージをお送りします。活動の報告と写真の添付(数枚)
スケジュール
【記載例】
◾️8月、9月 ファンディング開始までのLP作成 支援品納品先募集
◾️10月 クラウドファンディング開始
◾️11月下旬 クラウドファンディング終了
◾️24年12月から25年1月 看板製作期間
◾️25年2月 被災地にて施工取付実行
◾️25年3月から 御礼並びにリターン品発送
◾️25年4月 プロジェクト終了
プロジェクト費用内訳
◾️看板制作費 ¥180.000×5台 ¥900.000
◾️取付工事費 ¥80.000×5台 ¥400.000
◾️配線工事部材費 ¥30.000×5台 ¥150.000
◾️出張費 ¥70.000×5台 ¥350.000
◾️リターン品費用 ¥250.000
◾️広告宣伝費 ¥250.000
◾️諸経費 ¥200.000
※費用内訳にはクラウドファンディング手数料及び消費税が含まれています。
最後に
私事ですが少し書かせていただきます。
1966年7月、7人兄弟の末子として性を享け、3年後母は病気で他界しました。
のち姉たちのお陰で幼少期を過ごしました。父親はあまり家にいた記憶がありません。
小学生低学年になった頃、父が再婚し、歳が上の兄弟達は家元を去って行きました。
最初は優しかった継母でしたが、事あるごとに私に対し手をあげる様になりました。
しつけだと言っていましたが虐待は日常になり身体の至る所には傷跡が絶えない日はありませんでした。
凍てつく様な冬の夜に全裸で柵に縛られ放置されたり、長い竹尺で何十回も打たれたり、首を締めあげられるなど小学生の幼い私には死を覚えるほどの恐怖の日々がありました。
小学高学年の真夏のある日、畑仕事を手伝っていたのですが手際が悪いと、鉄の棒で頭を何度も強打され流血。生ぬるい液体が目や頬をつたいシャツに滴り落ちるのを両手で拭いました。
流石に身の危険を察した私はご近所さんに助けを請いましたが、日常を見ていて関わりたくないのかピシャリと扉を閉ざされ二度と開くことはありませんでした。
この頃から私は大人や人間嫌いになっていきました。実父に訴えましたが継母の行いが収まる事もなく、尚気付かれない様に虐待は行われました。
誰も信じられなくなった私は自身の身を守る為、逃げ出すように家を出ました。ひと月あまり家を出て、行方不明になっていても捜索や報道もされずでした。
今の時代では考えられません。
そして補導され連れ戻され殴られ、また逃れるように家を出る、そんな小学6年、中学1年を過ごしました。
何度か警察のお世話になった私は児童相談所に入所することになり、精神や心理鑑定など受けさせられました、どうやら私の方が異常な子だと判断されていたのかも知れません。大人はいつも都合の良い事しか話さないものですから。
その後私は養護施設へ入所、ようやく虐待の日々から解放されましたが、約1年間の施設での暮らしの中では心を病んだ少年少女が多くいました。
当然、私もその中の一人でした。当時は校内暴力や暴走族が社会問題になっていた時代です。同じように社会に迷惑をかけ非行に走った私は懲りもせず警察のお世話になりました。
14歳未満であった事から少年教護院(現在は児童自立支援施設)に送られ、中学生時代は閉鎖された環境で教育を受けました。
そして中学の過程を修了したとみなされ15歳で社会人として世に出されました。
振り返ってみるとそこには児童福祉という保護がありその保護のもと私を更生させていただき今があります。幼い頃からの人間不信も人と関わる事によって年齢と共に少しずつ解消されていきました。
人はひとりでは生きてはいけません。誰かの力が誰かを救い、救われた誰かが、また誰かを救うものだと私は思います。
今回は救うなどと言う大それた行動ではございませんが、看板屋として出来るお返しを能登で踏ん張る方々のお力になれれば嬉しく思います。
上記のような形での能登応援しか出来ませんが温かいご支援をいただけます様、よろしくお願い申し上げます。
最後までお読み頂き誠にありがとうございました。
シティアート 西村 和融
コメント
もっと見る