日本語版序文より
"私はこの序文が書けることを光栄に感じるとともに嬉しく思います。そしてまた、日本の読者にこの本を届けてくれた翻訳者たちと出版社に感謝します。ここでは日本の読者の皆さんに向けて、本書と自分の他の著作の関連について、いくつかの考えを伝えてみたいと思います。
『仏教は科学なのか(Why I Am Not a Buddhist)』は、西洋の歴史家が「仏教モダニズム」と呼ぶものに対する哲学的な批判の書です。仏教モダニズムは特に西洋において支配的な仏教の流れで、伝統的なアジア仏教の形而上学的・儀式的要素を軽視する代わりに、個人的な瞑想体験を強調し、仏教がキリスト教、イスラーム、ヒンドゥー教など他の有神論的な宗教とは違って合理的で経験的なものだという考え方を喧伝しています。西洋における多くの仏教指導者たちは、現代版の仏教徒の瞑想実践を教えることで仏教を紹介し、「仏教はもっとも科学に親和的(science-friendly)な宗教である」と語ったり、「実際のところ仏教はまったく宗教ではなく、むしろ哲学であり、生き方であり、あるいは特別な内観による心の科学に基づいたセラピーなのだ」などと語っています。私はこうした態度を「仏教例外主義(Buddhist exceptionalism)」と呼び、それが神話であると主張しています。仏教例外主義は、仏教についての誤った考えと、宗教と科学についての誤った考えに基づいているのです。この主張を示すことが、本書の最大の目的となっています。
私の関心は現代の西洋世界における仏教モダニズムにあるのですが、仏教モダニズムの起源は十九世紀・二十世紀のアジアに存在するということを理解するのは重要です。つまり仏教モダニズムは、奇異な西洋版の仏教というわけではないのです。私は主に、その起源がスリランカとビルマにおける現代のヴィパッサナー瞑想運動の形式のなかにあったと論じています。それらの運動は仏教を合理的で経験的な心理学の一種として提示する傾向があるのです。しかしまた、日本も仏教モダニズムの形成において重要で独特の役割を果たしてきました。日本の役割は、一八九三年にシカゴで開かれた世界宗教会議での釈宗演による禅仏教の紹介に始まり、一九五二年から一九五七年までコロンビア大学で教鞭を執っていた鈴木大拙による影響力のある二十世紀の著作にまで続いています。彼の翻訳やエッセイ、また哲学的な著作は、西洋において今なお大変な人気です。ヨーロッパのロマン主義とアメリカの超絶主義に影響を受けた彼の著作は、禅仏教を一種の合理的神秘主義として、またすべての宗教の真髄であると提示しています。鈴木大拙については、第一章で簡単に論じています。
本書では、仏教を科学と両立させようとする上で、仏教モダニズムがしばしば見過ごし、軽視する問題について論じています。"
クラウドファンディング残り3週間となりました
ご支援・メッセージありがとうございます。仏教哲学やマインドフルネスに関心をお持ちの方々にとって、このプロジェクトは新たな地平を開くものになると思います。
この特別リターンは本書を10倍楽しめると同時に理解を10倍深めるものです。特別動画はこのプロジェクト限定でのご提供となりますので、どうかこの貴重な機会をお見逃しなくご参加ください。仏教と科学の対話が織りなす最先端の知的冒険に皆さまをご招待し、ともに仏教と科学の新たな探求の旅に出発できることを願っています。
特別リターンで得た感動と興奮を周りの方々とも分かち合い、さらなる学びや議論の糧としていただければ幸いです。どうかお知り合いの方々にもおすすめ頂ければと思います。