目標金額の変更について
クラウドファンディング開始後に僕が参加する予定のプログラム(鳥取県教育委員会関連事務所)の主催者と僕の間で参加費用に関して大きな誤解があったことが分かりました。
渡航費の中の航空券は自己負担だと思っていましたが、主催者が負担だということが分かりました。よって、目標金額を50万円から15万円に下げます。(キャンプファイヤーの規律上、掲載ページの目標金額は変更できません。)
15万円以上のご支援を頂けた場合、帰国後”Vermont Day”というイベントを企画して、応援してくれたみなさんをご招待しようと思っています。このイベントでは、僕がバーモント州での研修で学んだこと、そしてこれからその経験や知識をどのように生かしていくかの報告に加えて、現地で出会った友達やホストの方を地元の皆さんとオンラインで繋げて異文化交流をしたいと思います。また僕には岡山市在住のバーモント州出身の友達がいるので、彼とそのパートナーの方をそのイベントに招待し、英語でコミュニケーションを楽しむ機会を提供したいと思います。僕とそのアメリカ人の友達、また一緒に今回研修に行く仲間に協力してもらいバーモント州の魅力を地元の皆さんに伝えることで長期的な草の根レベルの友好関係が築けると思います。このような海外との繋がりは僕が住む村のみんなに刺激を与え、活性化に貢献する一つの手段だと考えます。そして、僕のアメリカ人の友人はプロの動画クリエーターでもあるので、僕の現地での体験動画やVermont Dayの様子をまとめて記録に残してもらい、僕の地元とバーモント州の文化交流宣伝ツールとして活用していきたいと思っています。
急な変更になって申し訳ありません。
それでは本文へどうぞ!!
”I want to go to Vermont! “
「🇺🇸バーモント州へ行きたい!!」
この想いを胸に活動を始めた高校1年生15歳のチャールズ義伸波音レオです。
①そもそもバーモント州はどこにあり、どんな州なのか。
②なぜバーモント州に行きたいのか。
この2点について簡単に説明したいと思います。
バーモント州ってどんなとこ?
北はカナダに接し、アメリカ北東部に位置する小さな州です。ボストンから車で約4時間、ニューヨークから約6時間のところに位置しています。
バーモント州の位置
バーモント州の特徴は、なんと言っても紅葉。夏は暑く、冬は寒いので、四季がはっきりしています。そのため、1年を通してさまざまなアクティビティが盛んに行われており、夏は湖での海水浴やキャンプ、冬はスキーやスノーモービルなどが楽しめます。
バーモント州の紅葉
バーモント州の特産物はメープルシロップとリンゴ。メープルシロップの生産量は全米1を誇ります。またリンゴの栽培も盛んで、夏にはリンゴ狩りなども行っています。そして、日本でも有名な、バーモントカレー。リンゴとはちみつを使用していますよね。名前の由来はバーモント州に伝わるりんごとはちみつによる健康法だそうです(なぜメープルシロップがはちみつになったかはわかりませんが 笑)。
次になぜバーモント州に行きたいのか聞いてください。
バーモント州に行きたい理由
僕が通う高校がある鳥取県には、鳥取県・バーモント州青少年交流事業というプロジェクトがあります。僕はもともと地球環境問題について興味があったので、迷わず応募しました。まず校内選考を通過し、その後、県全体での最終面接選考があり、無事合格を勝ち取りました。
書類審査の際の文章
僕が着目した点は、全米1を誇るメープルシロップの生産量が地球温暖化のために減ってきている、ということです。
なぜ減ってきているのかというと、メープルシロップを収穫できるサトウカエデという樹木は気温にとても敏感だから、だそうです。地球温暖化により気温が上昇してしまうとメープルシロップが収穫できなくなります。このことが原因で、収穫量が減少し、メープルシロップの価格が上がっています。
この状況に危機感を感じたのは、メープルシロップは僕の家庭では必要不可欠な食材だからです。僕は毎朝オートミールにメープルシロップをかけて食べます。また僕が大好きな両親が作ってくれるグラノーラもメープルシロップを使います。僕の家族が大切にしている食生活にも実際に影響を与え始めている、、、。地球温暖化の危機をこれほど直接感じたことはなかったかもしれません。自分も何かしないと、と考え始めやっと海外研修参加のチケットを手に入れました。
大袈裟だな、気候変動の問題なんてそんなに簡単に解決できるもんじゃない。
そう思った人がいると思います。
確かに地球環境問題はこの「奇跡の惑星」の生存を脅かす深刻な地球問題ですし、たかが田舎の高校1年生ができるわけない。
そう思うと思います。
僕の夢は漠然すぎるかもしれないし非現実かもしれません。だけどこのチャンスをモノにして一生懸命取り組んでみたいと本気で考えています。
中学校卒業前に英語の時間に勉強したアップル社の設立者スティーブ・ジョブズの言葉があります。スタンフォード大学の卒業生のために行ったスピーチの要約の一部です。
スティーブ・ジョブズの言葉
“The dots of my life were connected, from my college interest to Apple computers.
So here’s my advice to you. Trust that the dots will somehow connect in your future. Trust yourself. It makes all the difference.” (p110 New Horizon 3)
「(将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることはできない。)振り返ると、大学時代からアップルコンピューターまで僕の人生は見事につながっていた。だから、我々は今やっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。この生き方のおかげで今の自分がある。」
とりあえず今の自分の気持ちに正直に前に進んで行こうと思います。将来大学生になり、その後社会に出て過去を振り返った時、この秋バーモント州で学んだことが必ず生きてくることを信じて。
チャールズ義伸波音レオの人生を知ってください
僕の生い立ち
イギリスで日本人の母、カリブ海のフランス海外県グアドループという島出身の父のもと2008年12月27日に生まれました。2歳上の兄との4人家族で生後9ヶ月までのわずかな期間をロンドンで過ごしました。その後2009年10月に岡山県西粟倉村に移住しました。ロンドンの都会の喧騒から一転してその当時人口1,650人(現在1350人)の小さな小さな村への引越しでした。
スペイン旅行中の写真(生後6ヶ月)
自然に囲まれすくすくと育っていく中、3歳の頃に父の仕事の関係でインドに1ヶ月半行くことになりました。
4歳のころ。母とポン酢と一緒に
インドに行って学んだこと
ロンドンの記憶はなかったこともあり、初めての海外経験は新鮮なものだらけでした。ゾウに乗って、本場のナンを食べて本当に楽しかったです。そして日本に帰国し、冬休みになったらインドへ行き、春休みが終わる頃に帰ってくるという生活を8歳、小学2年生の3学期まで続けました。インドでは地元のインターナショナルスクールに通い、クリスマス、僕の誕生日、正月はインドで過ごすというなかなかすごいことをしていたな、と感じています。また、学校で友達を作っていく中で、いろんなバックグラウンドや文化を持っている人々がこの世界にいることを自然と理解できたように感じます。
インド・ゴアにて(ヘェイスペインティング)
ソフトボールとの出会い
また、小学校の2年生になったばかりの春に地元のスポーツ少年団に入団しソフトボールを始めました。小さなことのようですが、振り返ると人生を大きく左右した決断でした。火曜日、金曜日の放課後と土曜日の午前中をソフトボールの練習に費やしました。火曜日、金曜日には帰りの会の「さようなら」の挨拶が終わると同時にダッシュで階段をおり、トイレに駆け込み、1分で出てきて、グラウンドを突っ走るのがいつもの流れでした。バットを握るたびに、ボールを投げるたびに、上手になるのを感じ、どんどんソフトボールにのめり込んで行きました。
西粟倉スポーツ少年団での試合での一場面
そして、1年後には岡山県北では数少ないクラブチームである、美作ソフトボールクラブに入団しました。そして、練習が月曜日、火曜日、金曜日、土曜日の午前、午後、日曜日は試合というように放課後と休日の予定が次々と埋まっていきました。月曜日にクラブチームの練習に行くのがとても大変だったのを覚えています。練習グラウンドがある美咲町まで車で1時間20分。小学3年生の僕にとっては遠足のようなものでした。6時開始の練習に間に合うよう到着するために4時の下校時に親に迎えにきてもらい、そのまま直行するというスケジュールでした。宿題をする時間がなかった為、担任の先生に宿題を学校の休み時間にやっていいか聞くのにとても勇気がいったのを覚えています。昼休みになるとグラウンドで遊ぶ友達を片目にひたすら漢字ノートのマスを埋めていました。放課後、車に乗るや否や着替えて目を閉じ、目を開けるとグラウンドの駐車場だった、というのが当たり前でした。その後クラブチームでの練習をみっちりとこなし、練習が終わる頃にはクタクタでした。帰り道も夜ご飯をかき込み、目を閉じて、目を開けると家に着いていました。家に着くのは9時半くらいで次の朝起きるのがめちゃくちゃ辛かったです。でも、ソフトボールを嫌いになったことはなかったし、練習も行きたくないと思ったことはなかったです。その理由はソフトボールが好きだったから。好きなことをとことんやる楽しさ、大切さを学びました。クラブチームに所属している間に全国大会3回、西日本大会に1回出場し、トップレベルのプレーを見る度に本気度が増していき、いつしか、将来の夢はプロ野球選手が口癖になっていました。埼玉で開催予定だった小学校最後の全国大会がコロナのため中止になった時はただただ泣き崩れたのを覚えています。
美作ソフトボールクラブでの試合での一場面
中学生になってからの野球
中学生になってからは硬式野球を始めました。兄もやっていたこともあり、やらない選択肢は自分の中でなかったと思います。
美作ボーイズに所属し、火曜日と木曜日の夜2時間、土曜日と日曜日には8時間ずつ、合計週20時間も野球に費やしてきたことになります。それを3年間続けました。3年生になるとキャプテンに任命されて、チームを中四国大会まで導きました。だけど、この3年間は決して順風満帆ではありませんでした。
度重なる怪我とリハビリ
1年生の頃に骨端線障害という肩の怪我をしました。そして、2年生では野球肘に2回なりました。この怪我で1番きつかったのは自分ではなく母だったと思います。特に2年生になる頃に野球肘と診断された時は2時間半もかかる岡山市内の病院にわざわざ1時間のリハビリのために通院しました。往復5時間に1時間のリハビリ。本当に感謝しかありません。
リハビリではないが、鍼治療での一場面(鍼処 IRIE ~アイリー~にて)
しかし卒団する時、大きな大きな決断をしました。僕は野球を辞めることにしました。この決断を下すのに、とてつもない時間を要しました。起きてすぐ、学校でも、野球をするときでも、寝る前も四六時中考えていました。それにはいくつかの理由がありましたが、家庭の理由が1番だったと思います。野球をすれば家を出て寮生活を送ることになります。家族に会えるのはお盆と正月だけです。もう一つの選択肢は兄と同じ高校に通うことでした。登校に片道1時間半かかるものの、勉強に集中できる環境があり、家族とも毎日会えます。どっちを取るのが自分にとってベストなのか真剣に考えました。しかし、冷静に考えてみると答えは至ってシンプルでした。野球をやめ、家族と過ごすことができる道を選びました。僕の一番の理解者であり、応援してくれる家族ほど大事なものはないと思います。だけど、野球をやめるのはやっぱり辛かったです。休日は何をしていいかわからなかったし、もうグラウンドに立つことはない、バッターサークルに立つことはない、と思うとただただ呆然としてしまいます。
美作ボーイズでの野球の試合
オーストラリアでの経験
それから次の目標を探り始めた時、中学3年生の夏にオーストラリアに2週間行った時のことを思い出しました。ホームステイを体験して気づいたことがありました。それは僕が新しい考え方、文化、人に会うことが大好きなことです。インドに行った時は幼かったので自覚していませんでしたが、オーストラリアではいろんな人に会って、いろんなところに行って学んだことは大きく、自分のフィールドは世界だと実感した機会になりました。
オーストラリアの友達と一緒に
挑戦と挫折
それから自分の英語力を磨くため、英検準1級取得に向けて勉強を開始しました。また同時期に海外に行けるチャンスや新たな人に会えるプログラムを探し、ECC×大谷翔平 共同プロジェクト「SHOW YOUR DREAMS」とU18 EDUTAINMENT CAMPに応募しましたが、どちらもことごとく落選しました。さらに学校主催の海外研修でオーストラリアとマレーシアに行く機会がこの秋あることを知りました。しかし、5日間だけで30万円以上、、、。これは無理だと母に言われました。2歳上の兄がアメリカの大学に進学しようと考えており、多額のお金がかかります。これには僕もしょうがないと思いました。英検準一級の対策も思うように進まず悶々とする日々が続きました。
準1級合格時
気がつくと7月の初め。何とか英検準1級の筆記は合格してほっとしたものの、まだ落ち込んでいる自分に学校の先生が紹介してくれたのが鳥取県と姉妹都市関係にあるアメリカバーモント州へ短期留学プログラム。鳥取県から8名のみが参加でき、環境について探求するプログラム。面白そう!しかし、条件をよく調べるとこれにも資金面のハードルがありました。プログラム参加費6万円は自己負担。*追加で渡航費は30万円はかかりそう、、、。(ストーリーの前に8/27現在の状況を説明した文を挿入しましたが、航空券の負担は無くなった為、代わりに村内で支援者を集めたイベント(Vermont day)を開催しようと思っています。)これもちょっと厳しいかな、だけど行きたい、、、と考えていたところ周りの人に相談して辿り着いた方法はクラウドファンディングでした。新しいことに挑戦することが好き。かつ、渡航費も自分で得ることができる、というこのチャンスに食いつきました。野球を辞めてからやっと自分の好きなことに気づくことができました。
父と一緒に
最後に皆さんにお願いです
僕が小さい頃、父が僕に言いました。「君にお金をあげているのではない。君に投資をしているのだ。タダでもらえるお金なんてない。」
みなさんの支援で可能になるこのチャンスを無駄にせず、必ず自分の人生において意味を持つ経験とし、自分の住む西粟倉村をはじめ、さらに勉学に励み実力をつけて社会貢献をしていく覚悟です。
ぜひ僕の可能性を信じてください。
よろしくお願いします!
スケジュール
7/2 鳥取県・バーモント州青少年交流事業(派遣生徒募集)に応募
7/23 英検準1級合格
7/30 校内選考通過
8/9 最終選考(面接)
8/13 最終選考(面接)に合格
10/4〜15 アメリカ・バーモント州での海外研修
10/16〜 リターン開始
※海外研修費用15万円(参加費6万円と渡航費6万円)は現時点では家族に建て替えてもらいますが、支援金が集まり次第期限付きで返済します。
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