ーはじめにー
初めまして!矢作祥馬と申します!
現在は2025年1月のトライアウトに行くためにFC PHOENIX(都2部)でプレーしながら飲食店とサッカースクールのアルバイトをして生活をしています。
皆さんに自分をもっと知ってもらうためにこれまでのサッカー人生を紹介しようと思います!
ーこれまでのサッカー人生ー
ー小学時代ー
スポルティフ秋田というクラブチームでサッカーをはじめました。秋田では有名なクラブチームで毎年県大会優勝するようなチームでした。秋田県選抜に入ることができ、日韓遠征や北関東選抜大会など様々な経験をしました。
ー中学時代ー
チームはそのままスポルティフ秋田U 15に所属。一時期はスタメンを外されて悔しい思いもしました。その悔しさから自主練をするようになりました。中学校に行く前に早起きをしてラダーやマーカードリブル、練習から帰ってきてもドリブル練習。クリロナをお手本に学校に持っていくリュックに10キロのダンベルを入れて登下校する時もありました笑。ガチャガチャというリュックからの音が友達にバレた。
ー高校時代ー
高校は宮城県の強豪校聖和学園に入学しました。知る人ぞ知る東北のドリブル軍団。小学生の頃から憧れていて選手権に出るのが目標でした。聖和は部員数が多く、その分カテゴリーもたくさんあります。A、B、C、その中にもまたA1A2、B1B2などそして1年生は1年生でABCチームとあり、自分は1番下のCチームからのスタートでした。ここにいる誰よりも練習すれば1番になれると思っていたので、毎朝4時半から夜は0時まで練習しました。そのおかげか2年生に上がるタイミングでBチームに入ることができました。
ー海外への意識が強くなったブラジル遠征ー
これも2年生に上がるタイミングで行ったブラジル遠征。サッカー王国の厳しさ、サッカーに対する気持ち、熱量、全てが違うことを見せつけられました。相手はサントスやコリンチャンス。自分にさらなる刺激を与えてくれました。
2年生になっても変わらず自主練は続けていました。お昼休みもダッシュで食堂に向かい、大好きなカレーうどんを食べ部室で着替えて室内練習場でドリブル練習。そんな姿を先輩たちから馬鹿にされたこともあります。そしてついたあだ名は「コンドリ障害」笑。コーンを使ってずっとドリブル練習していたからです笑。
そして3年生。Bチームのキャプテンを任されました。聖和に入学してから初の公式戦を経験。色々な重圧や緊張感がある中でプレーしたのはとても久しぶりだったので緊張しました。このあと選手権前最後のチャンスでもある、Aチームの遠征にも行きましたがそれに見合う活躍はできずトップチームに加わることはできませんでした。選手権も県大会の決勝で敗れ、自分の高校サッカーは幕を閉じました。
ー海外でプロサッカー選手になるために大学ではなくスペインへー
自分がなぜ、大学ではなく海外を選んだか。それは高校の時に行ったブラジル遠征での経験です。やっぱり日本は裕福な国なので海外ならではのハングリーさがある中でサッカーをした方が絶対に成長できると思い海外に行こうと決意しました。まあ本当に上に行く人はどの環境でも関係なく、自分にベクトルを向けてできますけどね。
しかしここで悲劇が起こりました。チームの練習参加中に腰に激痛が走りプレーできなくなりました。診断の結果は2箇所の椎間板ヘルニア。病院に行ってMRIを撮ってもらい診断してもらうまで約2ヶ月かかりました。日本だとスムーズに終わるはずなのに。。本当に2〜3週間痛くて何もできずベットに寝たきりでサッカーをしにきたのにできないもどかしさ、どこにもぶつけることが出来ない怒り、今思えばこの時間が1番苦しかったです。自分はもうサッカーを諦めようと思い、親に泣きながら連絡しました。両親は小さい頃から自分の選択を常に尊重してくれる人でした。コロナが流行っていたこともあり、なかなかすぐには帰国はできず、もう1ヶ月ほどスペインに居ることになりその期間で自分は本場のスタジアムに足を運び、生でクラシコやチャンピオンズリーグを観戦しました。その衝撃的な光景に純粋に自分も「このピッチに立ってプレーしたい」と思い、もう辞めようと思っていたサッカーに対する熱が再び出てきました。
ー帰国して始まった地道なリハビリー
帰国してすぐにリハビリを開始します。何をするにも本当に痛かったのでストレッチや軽い器具を使った物からスタート。病院の先生には半年で良くなると言われていました。しかし痛みは取れず、なかなか思うようには動けませんでした。この時も精神的にきつかったのを覚えています。そんな中始めたのがYouTube活動。ここから自分が這い上がる姿を見てもらい、今の自分と似たような境遇の人たちにも何か影響を与えられるのではないかと思い始めました。
半年以上経ってもなかなか良くならないのと、サッカーの練習がたくさんできる環境を求め東京に上京。YouTubeを続けていたおかげで高校時代の監督や視聴者の繋がりで整形外科や接骨院、ジムに通うようになりそこでのトレーニングのおかげで今では痛みなくプレーできるところまで回復することが出来ました!そして今はFC FHOENIXというチームに所属し、そこが提携している飲食店、サッカースクールで働かせてもらっています
↑1日の生活vlog
ー目標ー
ーなぜフィンランドなのかー
自分がトライアウトに行く時期(2025年の1月)、春〜秋にかけてシーズンが始まる国が主にフィンランド、リトアニア、エストニアがありその中でフィンランドは1〜3部がプロリーグになっていて市場に乗るリーグでもあり、ビザもワーホリを活用することで少しでもチームと契約しやすくなるというメリットがあるからです。あとはエージェントとの話し合いで決めました。まず今は、どんな手を使ってでも必ず契約を勝ち取りチームに入ることが目標です。そしてチームで結果を出しステップアップして行きます。
ーなぜ資金が必要なのかー
現在バイトを掛け持ちして生活していますが家賃、光熱費、水道費、食費、交通費、ジム費、サッカーにかかる費用でカツカツで、正直厳しい生活をしています。最初は働く仕事を変えて、もっと収入を増やそうと考えたのですが、そうするとメインの、サッカーの練習時間やジムでのトレーニングが十分に行えなくなってしまい、今の自分の実力を考えた時にまだまだトライアウトに行くまでにもっと成長しておく必要があると考え、そこでクラウドファンディングというものを知りました。そして皆さんのお力をお貸しいただけますと幸いです。
ー資金の使い道ー
・エージェント費 40万
・渡航費 15万
・宿泊費(契約するまでの期間)10万
・雑費 5万
・ビザ申請費 6万
・掲載手数料15% 150,180円
合計 910,180円
ー最後にー
この挑戦を通じて皆さんに少しでも何かきっかけや影響を与えられたらなと思います。自分のことを少しでも応援してくれる人がいたら嬉しいです。チームしょうまとして一緒に挑戦してもらえませんか?。ここで一つ名言を紹介します。「守るものが多い人の方が自分は強いと思う、失うものがないやつは別に負けても失うものがないからいいやって本当に追い込めない。極限まで追求できない。心のどっかで負けても失うものがないっていう言い訳が絶対どこかで生まれる。でも自分みたいに1つのミスがこの10年以上の積み上げてきたものが一瞬にして崩れ落ちるっていう極限のプレッシャーの中で戦っている奴の方が絶対強い。」by井上尚弥選手。そして自分が通っているジムの師匠にも言われましたが「覚悟とは自分の目標に対して自分がどれだけやるかとかそんな当たり前なことではなくて、お前らが成長するためにご両親、一緒に練習してくれる人、励ましてくれる人、応援してくれる人、いろんな人がいて初めて成長できる。そういう事も全部理解して、それも自分の中に入れ込んで初めて覚悟なんだよ。」自分が今からする挑戦は当然1人でできることではありません。一人一人に感謝の気持ちを忘れず、自分に関わってくれている全ての人の想いも背負って挑戦してきます!
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
これからも応援よろしくお願いします。
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