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天然痘と闘い多くの命を救った笠原白翁の廟所を改修し、勇気を与える聖地に!

疫病から多くの命を救うため激動の幕末を駆け抜けた医者『笠原良策(白翁)』の廟所(墓)を改修します。熱い使命感と勇気、そして困難を乗り越える行動力で成し遂げた彼の功績を後世に残し、次世代に繋げるための聖地づくりプロジェクトです。応援、ご支援宜しくお願いします。

現在の支援総額

5,716,000

114%

目標金額は5,000,000円

支援者数

79

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/01/24に募集を開始し、 79人の支援により 5,716,000円の資金を集め、 2025/04/12に募集を終了しました

天然痘と闘い多くの命を救った笠原白翁の廟所を改修し、勇気を与える聖地に!

現在の支援総額

5,716,000

114%達成

終了

目標金額5,000,000

支援者数79

このプロジェクトは、2025/01/24に募集を開始し、 79人の支援により 5,716,000円の資金を集め、 2025/04/12に募集を終了しました

疫病から多くの命を救うため激動の幕末を駆け抜けた医者『笠原良策(白翁)』の廟所(墓)を改修します。熱い使命感と勇気、そして困難を乗り越える行動力で成し遂げた彼の功績を後世に残し、次世代に繋げるための聖地づくりプロジェクトです。応援、ご支援宜しくお願いします。

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ご祈祷と現地調査動画

2025.2.14 

ネクストゴールへの挑戦 

皆様の温かいご支援を賜り、目標金額500万円を達成致しました。廟所改修に向けた第一歩を大きく踏み出すことができました。心から感謝申し上げます。

今後は、廟所自体の改修計画をブラッシュアップしながら、廟所へ続く参道の整備にも取り組みたいと考えています。手すりの設置なども考えています。参拝者の皆様が安全に歩ける環境を整えたいです。ネクストゴールを750万円に設定させて頂いております。4/12まで引き続き、よろしくお願い申し上げます。

そして、歌碑建立についてのお知らせです。写真は、歌碑の建立に際しての現段階の案です。現段階で歌碑にお名前を刻むスペースが数名分残っています。30万円以上の御支援で歌碑にお名前を刻ませて頂きます。詳しくは「リターンを選ぶ」からご確認願います。

歌碑建立は、今回限りの特別な取り組みとなります。永く、笠原白翁の廟所にお名前が刻まれます。高額な御支援プランとなりますが、是非、ご検討をよろしくお願い申し上げます。


福井市立郷土歴史博物館所蔵


幕末の福井藩で天然痘(疱瘡、痘瘡)#1の予防法である牛痘種痘を普及させ、あらゆる辛酸をなめながらも多数の人命を救いました。名は良、字は小馬。後年、牛痘のラテン名「ハクシーネ白神痘」になぞらえ、白翁と号しました。別号に鉄仏、無涯堂、桂窓、天香楼があります。京都の日野鼎哉のもとで西洋医術を学び、後に福井における蘭学研究の代表者とも言われるようになりました。

#1天然痘(疱瘡、痘瘡)とは(国立感染症研究所HP)

https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/445-smallpox-intro.html 

当時、全国的に天然痘(疱瘡、痘瘡)が流行し人々がもがき苦しむ様を診て、医者として「天然痘から多くの命を救いたい」と感じ、もともと漢方医でしたが、西洋医学を学び、種痘について知りました。清国(中国)から牛痘苗を輸入しようと福井藩16代藩主松平春嶽に自分の考えを伝えるべく「飢餓、戦争と疫病は国家の三大難事であり、中でも疫病はもっとも国力を弱めるものである」と何度も役人に取り合いましたが、なしのつぶてでした。鎖国中の当時、外国のものは国禁です。それでもあきらめず、江戸にいる松平春嶽の側近の中根雪江に助言を求め、ついに藩主から牛痘苗の輸入許可を得ることに成功しました。

嘉永2年(1849年)、長崎に輸入されたとの知らせを受け、長崎へ出発する際に詠んだ歌です。

福井市立郷土歴史博物館所蔵
「たとえわれ いのちしぬとも死なましき人は しなさぬ道ひらきせむ」良

自分が死んだとしても、死なずに済む人を救う道を開く

※この詠歌は、笠原良策(白翁)が藩命により嘉永2年(1849年)9月30日に長崎へ痘苗入手を目的として旅立った際の作品と見られていますが、この時の歌は、なぜか下句が「人を生かす道ひらきせむ」と作り、本短冊とは異同があります。このことから、本短冊は後日、白翁が改作清書したものと思われています。

いずれにしても大業をなさんとする笠原良策(白翁)の誠実な医者としての自覚と責任が、非常な気迫となって伝わってきます。

その後、京都で日野鼎哉と協力して、苦心の末に奇跡的に1例の種痘に成功しました。

京都から、いざ福井へ

笠原良策(白翁)は、どんな困難をおかしても、確かな7日毎に植え継いでいく方法で福井藩への復命を果たしたかったようです。たとえ難所を越えてでも、最短コースで行軍しなければならない時間的な制約がここにあったという事です。

子どもたちを連れての積雪2メートル以上の雪中行軍は想像を絶するものがあったと考えられます。

京都を11月19日に出発。11月25日、接種を施した子どもたちを連れて、難所である雪の栃ノ木峠#2を越え、同日午後、福井に到着したのです。5日目の雪の栃ノ木峠越えでは、一行16名が行きつ、まろびつ(倒れころがり)、互いの名を呼びながらの行軍で一時は、離ればなれになって安否を気づかった事もあったと言い伝えられています。

植え継ぎながら牛痘苗が運ばれた福井への道順

11月19日京都発→米原経由(湖北)→22日天川(天野川)→長浜→虎姫→木之本→余呉→23日柳ヶ瀬→栃ノ木峠(難所)→虎杖(板取)→今庄(名だたる積雪地帯)→24日府中(武生)→鯖江→11月25日福井着 

当時の様子を記した白翁直筆の日記「戦兢録」より抜粋(福井市立郷土歴史博物館蔵)

現代語訳

二十三日 雪により馬の歩みが止まったため、馬から人足に代えて柳ケ瀬に至った。雪は四尺(一二〇㎝)ほどで、雨と雪が多く甚だしい。椿嶺(椿坂峠)に至ると、北風が雪を巻き上げて路の一面に広がっており、路に迷ってしまうところだった。寒気がことさら甚だしい。午後に峠の嶺に至った。

昨日の風と雪で谷あいはさえぎ塞がれており、今朝になって僅かに新開の道が開かれた。その路の苦労は言葉にもできないほどであり、婦人や子供にとっては言わずもがなだろう。前夜に盃を挙げてお互いを励まし合って次のように言った。「明日に谷あいを越えなければ、雪でさえぎ塞がれて何日の足止めになるかさえ分からない。明朝は是非とも鶏が鳴く夜明けには出発し、おのおの死力を振り絞って前に進まねばならない」。五更(午前三時ごろ)に寝床で食事を済ませた。二日分の食料を持ち、おのおのが早口で激しく呼び合いながら狂ったかのように登り、午後三時ごろには(中)河内に至った。駅長に急ぎ命じて成年の人足を増やし、運賃を追加して進み、夕暮れ後には栃嶺(栃ノ木峠)に至った。この間に雪は六~七尺(一八〇~二一〇㎝)にもなり、左右の断崖には雪の塊が転々と転がっている。下の方にはところどころに岩山が隆起しており、この時にもし一陣に疾風が吹けば、転がり落ちる雪と共に埋没してしまっただろう。幸いにも谷あいを出て越前との国境に入ることができた。ちょうど日は暮れて路はますます暗くなり、一丁(一〇〇m)の間でもことごとく道を間違えてしまい、およそ五~六回は倒れ伏してしまった。その時、虎杖駅(板取宿)の駅長で寺田某という人が成年二人を寄越し、たいまつを照らして迎えてくれた。従者は大いに喜び、自軍が潰乱した後に援軍を得たかのごとくであった。初更(午後八時前後)に寺田宅で宿泊し、命があったことを酒で喜び祝った。

二十四日 晴、五左衛門を先発させ、帰郷の時期を知らせるため福井に帰らせた。
今庄は雪二尺(六〇㎝)、湯尾一尺(三〇㎝)、今宿より北は四~五寸(一二~一五㎝)。
○栃嶺より北は宿場に着くごとに人を発して雪の様子をうかがった。
黄昏時に府中の畳屋に宿泊し、斎藤・生駒・渡辺が訪ねて来た。

二十五日 鶏が鳴く夜明けごろに迎えの輿が到着した(乙吉・弥兵衛・清兵衛・小右衛門)。夜明け頃に寝床で食事を済ませたが、突風でみぞれが吹き荒れたためにほとんど進むことが出来なかった。柳原(一里塚)に至り、理三郎・元蔵・久二郎が迎えに来てくれた。荒井(一里塚)に至り、勝木魚で休息していると、畳屋久兵衛などが来てくれた。浅水に至り橘屋で休み、午後に福井へ入った。まず秋田君・細井君に入福を告げ、家に入った。午後に種痘を行う。この日に生駒氏が追って来訪し、種痘の様子を観察した。


#2 栃ノ木峠とは (ウィキペディア)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%83%E3%83%8E%E6%9C%A8%E5%B3%A0"

雪の栃ノ木峠 写真提供 南越前町教育委員会


牛の膿(海)を植え付けるというので反対も多く「牛になる」「本当の天然痘になる」「牛の角が生える」などと恐れる庶民もいました。自分がお金を出して、貧しい農家の子どもを集めて、種痘を行ったほどだったそうです。

種痘を理解しない人々から蔑まれながらも、私財を投げ打って懸命に種痘を続け、その必要性を説き続けました。嘉永2年(1849年)に福井市浜町の自宅横に空き家を間借りして仮の除痘館を自分で開設しました。その結果、牛痘種痘は少しずつ広まっていきました。

嘉永4年(1851年)には、ついに公立の種痘所「徐痘館」が城下に開設され、その後は急速に普及しました。また、緒方洪庵へもワクチンを分苗するなどして、日本の種痘の道を開きました。


笠原良策肖像写真福井市立郷土歴史博物館所蔵

疾病から多くの命を救うため激動の幕末を駆け抜けた医者『笠原良策(白翁)かさはらりょうさく(はくおう)』の廟所(墓)を改修します。

熱い使命感と勇気、そして困難を乗り越える行動力で、成し遂げた彼の功績を後世に残し、次世代につなげるためのプロジェクトです。

笠原良策(白翁)のお墓は、生前の願い通り刎頸(ふんけい)の友、歌人で国学者の橘曙覧と同じく、福井県福井市の福井藩松平家の菩提所である大安禅寺#3の境内の裏山中腹にあります。山中ゆえに大雪や倒木などによる被害が絶えず、そのたびに部分修理を行ってきたものの、平成30年の豪雪被害や大木の根による墓石の傾斜が目立つようになりました。正直、一人では修理護持するのが困難な状況にあります。また、墓石は福井の名石・笏谷石(しゃくだにいし)で造られており、現在は採掘が許されていない特別な石です。別名・越前青石とも呼ばれ、北前船で東北・北海道を中心に流通した歴史のある貴重な石です。故に、これら歴史背景を十分に考慮し、幽玄なる雰囲気を損なわないように配慮しつつ、墓石自体の修繕や傾きの補正を中心に、頂いたご支援の規模に応じて、周辺の保存修理、案内看板や歌碑の建立・参道整備などを行いたいと考えています。廟所を訪れる人々が、墓前で心地良く手を合わせられる環境を整備したいと考えています。


#3 大安禅寺 https://daianzenji.jp/

万治元年(1658年)第4代福井藩主松平光通公が、時の名僧大愚宗築禅師に深く帰依され両親、及び祖先の恩を忘れないために、福井藩主松平家の永代菩提所として建立されました。臨済宗妙心寺派の禅寺で、福井の名刹として知られています。



こんにちは。私は笠原良策(白翁)の実弟養子の笠原健蔵(彊)の玄孫(やしゃご)で、笠原良策(白翁)の墓守をしております笠原健と申します。本プロジェクトのチームリーダーを務めさせて頂いております。

私は小児救急看護認定看護師として大阪のある大学病院の小児病棟で勤務しております。先般、新型コロナウイルス感染症が世界で猛威を振るいました。私自身も直接、新型コロナウイルス感染症の罹患患者の看病にあたり、また色んな施設や組織の感染対策管理の最前線で業務に就きました。感染症によって人々やその家族の健康や、日常生活が脅かされる姿を観て参りました。時には、感染症による「死」を目の当たりにして来ました。さらに、令和6年元旦の能登半島地震の際は、DMAT隊員として現地に派遣され、その被災地でも感染症の対応に追われました。そのため、私個人としても、人々が感染症の蔓延に対峙する意味を、身をもって感じたことが記憶に新しいです。

また、私は普段は小児病棟で勤務しております。子どもたちやその家族の感染予防の大切さや、感染管理の難しさを日々感じながら看護を実践しています。

笠原良策(白翁)は生前、我々笠原家代々子孫に訓戒の言葉を残しています。

 一、保健 健康を保つ事

 一、孝道 親に、よく仕えるみち

 一、学問 学び、習う、繰り返す

私は、特にこの訓戒の中の学問を大切にしています。今の看護師という仕事にも、このプロジェクトにも活きている事です。祖父から学び、習ったことを繰り返していきたいと思います。ちなみに私の長男は笠原良介(中学1年生)です。彼もまた、私の墓参りに必ずついて来ます。良介の「良」は良策の「良」です。私の名前は祖父がつけたと母親から聞いたことがありますが、もしかすると、私が息子の名前をそうしたように、祖父も同様、良策(白翁)が家督を継がせた実弟養子の彊(健蔵)から、文字をもらい健とつけたのかも知れません。

私は良策(白翁)の笠原家代々子孫への訓戒や祖父から学んだ遺志を継ぎながら、彼の功績を顕彰し後世に伝えて行きたいです。そして、墓守として、責任を持って彼の廟所(墓)を守り続けたいと考えています。

ご賛同頂ける皆様のご支援を、お願い申し上げます。


プロジェクトチームメンバーからのメッセージ



笠原良策(白翁)は、福井藩の医師として多くの人々を救い、その功績は今も語り継がれています。私は、子どもの頃から祖父に連れられて、大安禅寺を訪れ、笠原良策(白翁)のそういったことをよく教えてもらい育ちました幼少の頃から「白翁さんはすごい人だよ。お墓を大事にしなさい」と祖父に繰り返し習いました。他の家族もいるのに、なぜか祖父はいつも私を連れて墓参りに行っていたことを回想します。祖父が亡くなり、後を継いで自然と墓守をさせて頂いております。

私は笠原良策(白翁)の実弟養子の笠原健蔵(彊 きょう)の玄孫(やしゃご)です。笠原良策(白翁)の嫡男の元直は、21歳で亡くなられています。その後、20歳年下の弟である健蔵(彊)に家督を継いでいます。実弟養子であり家督を継いだ健蔵(彊)の子孫の中でも、大安禅寺を訪れ墓守をしている方は私ども以外にいらっしゃらないとの事です。ちなみに私の祖父は健蔵(彊)の三男である笠原環の四男です。その孫が私になります。

笠原良策(白翁)のお墓は、静かな山中にひっそりとあります。草木が生い茂り、冬は積雪があり、保全が難しいです。最近、お墓参りをする度に墓石の劣化が目立ち、また背面側に傾き始めています。これでは、先祖や墓前に訪れる方々に申し訳なく、モヤモヤしていました。

笠原良策(白翁)が主人公で、作家吉村昭先生の作品「雪の花」が映画化され、2025年1月24日に劇場公開予定になっている事を知りました。世間からの注目が集まり、墓前に訪れる方がいらっしゃるかも知れません。廟所が改修され、皆様のお気持ちによって、笠原良策(白翁)とその家族が供養されれば幸いです。

 廟所には笠原良策(白翁)のお墓の他、妻の千穂、長男の元直や3人の娘、実弟養子の建蔵(彊)のお墓、良策の父親の龍斎の功績を良策が讃えた石碑もあります。

御支援頂いた規模に応じて、笠原良策(白翁)の墓石自体の修繕を最優先として、墓前・墓周辺の整備を行いたいと考えております。


外枠が大きくずれています。また墓石が傾いています。倒壊の恐れがあります

左から良策(白翁)と彊の両親、良策(白翁)、実弟養子の彊、親族(千穂含む)、嫡男の元直のお墓です。外枠と地面の間に空洞ができ地盤が不安定になっています。
後方への傾きが年々大きくなっています。このままでは倒れそうです。

良策(白翁)の墓石が一部劣化で破損しはじめています。画面奥の良策(白翁)が父龍斎(松雨亭)の功績を崇めた文章が彫られた石碑の文字は、風雨に晒され、文字が削れています。またこの写真からも墓石が後方に傾いていることがわかります。


綺麗になり過ぎないようにできる限り風情を損なわずに「ありのままの廟所の保全」に留意し修繕を行います。写真はあくまでイメージです。

修繕は苔むしている箇所は、苔むしているままに。傾いている箇所はこれ以上倒れないよう、傾きが目立たないように修繕したいと考えています。福井の風雪に耐え、30年程度は立っていられるだろうという程度に、新しくなり過ぎないよう配慮する所存です。また笏谷石(しゃくだにいし)の修繕には、その歴史価値に配慮しながら修繕したいと考えております。

その他、良策(白翁)が父親の龍斎(松雨)の功績を崇めた文章が彫られた石碑の文字の掘り直し、丸に桔梗の家紋の入った手桶台と手桶の設置、お寺の境内に案内看板の設置などを検討しています。


笠原良策(白翁)を題材にした「雪の花」の著者、吉村昭先生の奥様で芥川賞受賞作家の津村節子先生より本プロジェクトへの直筆の応援メッセージを頂きました。

津村 節子先生からの直筆のメッセージ原文

 この度「吉村作品 雪の花」が映画になる。私は試写会に行って素晴らしい映画になっていると思った。私はこの作品が好きだった。町医者であった笠原の奮闘をあらためて想った。笠原の墓は大安禅寺にあるが改修が必要だと知った。私は福井出身の人間として寄付をさせてもらおうと想うし、多くの方々の賛同が得られれば嬉しいと思う              

 私は、現在、大阪大学で感染症の診療、教育、研究に取り組んでいます。新型コロナ感染症の流行時には、ワクチンの正しい知識と接種の重要性について説明してきましたが、その際に誹謗中傷の言葉を浴びることも少なくありませんでした。映画「雪の花‐ともに在りて‐」では、笠原良策先生が種痘を日本国内で広めるために苦労されながらも決して諦めない姿が描かれていました。今の日本の感染症対策の礎を築かれた笠原良策先生がされた苦労に比べたら、現代の我々の医療者の苦労なんか大したことない、とたくさんの元気をいただきました(医療従事者は必見の映画です!)。笠原良策先生のお墓が、倒壊する危険があるとのことで、ぜひ私もできる限りの協力をさせていただきたいと思います!

こんにちは。そしてはじめまして。普段は「内科医たけお」として活動している大武陽一と申します。小説「雪の花」そして映画「雪の花‐ともに在りて‐」の作中に描かれている、笠原良策先生が西洋医学に転じるきっかけとなった大聖寺藩の蘭方医の町医者、大武了玄との山中温泉での出会い…この大武了玄は私の先祖にあたります。本プロジェクトのチームリーダーの笠原健さんとは以前、偶然に同じ職場で働いておりました。今回の笠原良策先生の廟所の件を知り、是非多くの方々に応援頂き、このプロジェクトを成功に導いて頂きたいと思います。一人でも多くの方のご支援を宜しくお願い申し上げます。

  KMバイオロジクスは熊本にある製薬会社で、国内で唯一、天然痘(痘そう)ワクチンを製造しています。痘そうワクチンの普及により1980年に天然痘が根絶されたことは広く知られていますが、笠原良策先生が日本国内で種痘を広められた功績なくしては実現できなかったのかもしれません。現在、弊社のワクチンがアフリカ諸国を中心に流行しているエムポックス(旧名称:サル痘)にも有効性があり、2022年8月にエムポックスの予防についても適用拡大の承認を取得しました。 人々の健康に貢献するという笠原先生の想いは弊社の企業理念と相通じるものがあると感じています。笠原先生の想いを広く後世に語り継げるよう、多くの皆様のご支援により本プロジェクトが成功することを祈念いたします。


 適塾は幕末の蘭医学者・緒方洪庵が大阪に開いた蘭学塾です。適塾には全国各地から志ある若者が集い、橋本左内・福沢諭吉・長与専斎といった日本の近代化に貢献する人材が輩出しました。このように、洪庵は教育者としての側面が注目されがちではありますが、蘭医学研究と医業、とりわけ感染症対策に尽力したことを忘れてはなりません。

 洪庵は大阪の除痘館を拠点に天然痘予防のワクチン接種である牛痘種痘法の普及に努め、種痘の実施と分苗(ワクチン頒布)、種痘医の育成を行いました。洪庵の除痘館での活動は、笠原良策の存在抜きには実現し得ませんでした。洪庵は福井藩が入手した牛痘苗(ワクチン)を、良策を介して入手しています。

 良策と洪庵。この二人の病に苦しむ人を救いたいとの思いが、「種痘を受ければ牛になる」との俗説を乗り越えて新技術たる牛痘種痘法を定着させ、人類史上初めて感染症を克服する偉業につながっていきました。

 良策と洪庵のつながりを踏まえ、本プロジェクトを応援します。


 白翁会は福井大学医学部(旧福井医科大学)の同窓会組織です。1985年に最初の卒業生を輩出しました。医学部は同窓会でのまとまりが強く、卒業後も助け合いながら患者さんの治療にあたります。全国の医学部同窓会はどこも由緒ある名前を冠しており、それを説明する時には胸を張ることができます。福井で医療を学び始めた大学1年生の時、医史学で笠原良策の人生と業績を学びました。その後、福井医科大学と福井大学との統合を契機に、同窓会名には笠原良策の号である白翁をいただこうと決めました。福井大学医学部に綿々と続く地域医療への奉仕の精神は白翁先生の志と同じです。医師にはヒポクラテスの誓い、看護師にはナイチンゲール誓詞がありますが、笠原の「たとえわれ~」の句もそれに匹敵する高邁な精神を有しています。是非とも墓所を整備し未来永劫、この精神を引きついでいただきたいと思います。



令和7年1月24日 

プロジェクトページ公開開始 

令和7年4月12日 

プロジェクトページ公開終了

令和7年5月 廟所修繕開始

令和7年6月 廟所修繕完了

令和7年7月6日(日)除幕・供養式 

令和7年7月 リターン実施

令和7年8月 リターン完了

令和7年 秋 プロジェクトの総括と報告

・感謝の気持ちを込めたお礼のメッセージを本ページ内で、お送りさせて頂きます。(全て)


・福井の名刹大安禅寺の芳名帳に御記名させて頂きます。(5千円以上)

【掲載期間】大安禅寺の仏壇に芳名帳として永く納めさせていただきます。

【掲載方法】大安禅寺にて、ご支援協力者様のお名前を芳名帳に記帳し、仏壇に納めさせていただきます。

【注意事項】 ご支援時に備考欄に、芳名帳への掲載を希望されるお名前(フルネームなど)をご記入ください。匿名をご希望の場合は、その旨もご記入ください。



・本プロジェクト限定の特別御朱印を限定数準備しております。(1万円以上)



・笠原家の家紋の桔梗の花をあしらった、地元福井のやきもの屋が1つ1つ粘土をこねて手づくりした磁器製の箸置きを限定数準備しております。(3万円と10万円)


・工事完了後に行う除幕式(令和7年7月6日 日曜日に開催)に御招待(10万円以上)



・30万円以上ご支援頂いた方へは、上記に加えて「たとえわれ死ぬとも死なましき人はし(死)なさぬ道を   ひらきせむ」と刻んだ歌碑を建立し、御芳名の刻名をさせて頂きます。(30万円以上)

↓2025/2/27現在の歌碑建立のイメージ

 NEW


プロジェクト開始当時の歌碑建立のイメージ↓


以上、リターン品についての詳細は「リターンを選ぶ」欄をご参照願います。


写真は新型コロナウイルス感染症のクラスターが発生した福祉施設へのDMAT派遣での個人防護具着用時の私です。このような個人防護具着用中は1時間もしないうちに全身汗だくになります。専用のマスクを着用するため息がしにくいです。そして、フェイスガードによって、視点が歪んで見える。また内と外の温度差でフェイスガードが曇り、断続して視界が遮られる事もあります。2重に手袋を着用しますので、指先の感覚が遮られます。そのため注射針を刺したり、文字を書くのが難しくなります。また共に働く方も同じ様な個人防護具を着用している場合、マスクのお陰で声が伝わりにくく、いつもより大きな声ではっきりと話さなければコミュニケーションが図りにくいです。医療者は五感を大切にし患者を観察します。しかし、その五感が遮断されます。それはそれは大変です。

天然痘はウイルス感染症です。感染経路は飛沫感染が主。衣類などを通した接触感染や、まれに空気感染もありえます。感染力、罹患した場合の重篤性からみた危険性が極めて高い感染症です。ふと、こんな疑問が浮かびます。

その時代、笠原良策(白翁)は、天然痘からどのようにして自分の身を守っていたのか?

医療従事者の観点で、先祖の現場での医療活動はどういうものだったのか思いを馳せます。自分の危険も顧みず、天然痘ウイルスと対峙していたのかも知れません。地域医療のために、いや日本の国のために奔走していたんだなぁ・・・と。これは、もちろん同じ時代に、世界で天然痘と闘った他の方々も同じだと想像します。現代のような個人防護具も、確立した手指衛生の方法も無い時代に・・・。

その勇ましさに「かっこいい」と直感的に感じ、想像すればするほど、心が震えます。おそらく、相当怖かったはずだと。

私はコロナ渦後も、笠原良策(白翁)の墓前で手を合わせ、目をつぶり、只々尊敬の念を唱えています。そして、普段の自身を振り返り、襟を正しています。「嫌な事から自分は逃げていないか」「やるべき事はなんだ?もう一度考えてみよう。行動しよう」と自問自答します。そして「頑張るので勇気を下さい」と伝え、開眼します。笠原良策(白翁)の墓前で心を整理し、勇気をもらっています。皆様にとっても同じような場所にしたいと考えています。

廟所付近からの大安禅寺と福井市周辺

このプロジェクトは笠原良策(白翁)の聖地づくりです。厳しい寒さや苦難の中でも、世の中のために熱い思いを秘めながら、遥か遠くの一筋の光を真っ直ぐに目指すような笠原良策(白翁)の生き様を後世に伝えるべく、お墓の修繕や環境整備を皆様と共に行っていく所存です。

2025年の夏にはお墓が綺麗になり、人生の困難に向き合っている方、何かにチャレンジしたい方、苦難を乗り越えたい方、現状を打破したい方、これからの日本を良くしたい方が良策(白翁)の墓前で合掌し、彼から勇気をもらう情景を夢見ています。

プロジェクトを成功させるために、皆さまの御支援をよろしくお願いします。興味を持って頂き嬉しく思います。心から、感謝申し上げます。



笠原白翁筆 山水画下絵

支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 設備費

  • 人件費

  • 広報/宣伝費

  • リターン仕入れ費

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

支援に関するよくある質問

ヘルプページを見る

このプロジェクトの問題報告はこちらよりお問い合わせください

最新の活動報告

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  • 皆様、こんにちは。昨日、お盆を控えた廟所の清掃を行わせて頂きました。2025/08/08、昨日の廟所の様子をお届けします。朝早くは前日の雨で蒸し暑かったですが、お昼からは爽やかな風が抜けて、ひぐらしが鳴いていました。皆様に、修繕され綺麗になった廟所のその後の様子をお届けしたく動画を撮影させて頂きました。改めて墓石の傾きがなくなり、お墓が整然と佇む姿に皆様への感謝の気持ちが込み上げて来ました。  もっと見る
  • 修繕内容について

    2025/07/10 21:01
    皆様修繕の施工業者の村上代理石店様のホームページのURLです。修繕の内容についてまとめて下さっています。下記URLからご確認をお願い申し上げます。https://murakami-dairiseki.co.jp/%e7%ac%a0%e5%8e%9f%e7%99%bd%e7%bf%81%e3%80%80%e5%bb%9f%e6%89%80%e6%94%b9%e4%bf%ae%e5%b7%a5%e4%ba%8b/">https://murakami-dairiseki.co.jp/%e7%ac%a0%e5%8e%9f%e7%99%bd%e7%bf%81%e3%80%80%e5%bb%9f%e6%89%80%e6%94%b9%e4%bf%ae%e5%b7%a5%e4%ba%8b/笠原 健 拝 もっと見る
  • 皆様当プロジェクトについて、読売新聞に掲載されました。記者の内田様暑い中取材して下さり、本当にありがとうございました。感謝申し上げます。笠原 健 拝 もっと見る

コメント

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