わびさびの紅葉(もみじ)寺として知られる。教林坊。
滋賀県近江八幡市安土町に佇む『石の寺 教林坊』
白洲正子の「かくれ里 石の寺」で知られますが、寺名の『教林』とは聖徳太子が林の中で教えを説かれたことに由来します。推古13(605)年に聖徳太子によって創建されました。
ご本尊の観音さまは同じく聖徳太子作で、赤川観音と呼ばれ、困難な願いも二度参れば叶う「再度参りの観音」と信仰を集めてきました。
また境内に広がる庭園は小堀遠州作と伝わり、苔むした巨石が連なる豪快な桃山時代の名勝庭園は、茅葺きの書院(江戸初期、市指定文化財)とあわせて、侘びさびの隠れ里の風情を醸し出しています。
紅葉シーズン(11月1日~12月15日頃まで)には紅葉の絶景スポットとして注目されます。約2000坪の境内を埋める約300本の紅葉の古木が真っ赤に染まり、周りを囲む数千本の竹林とのコントラストは拝観者を魅了します。
荒れ寺復興に人生を投じた僧侶の決意
はじめまして。この度は当プロジェクトをご覧いただき誠にありがとうございます。
石の寺 教林坊住職の廣部光信(ヒロベコウシン)と申します。
教林坊の住職に就任し、約31年の月日が過ぎようとしております。今では訪れた皆さまから「来て良かった」と喜ばれ、見る者の心を奪う紅葉の絶景スポット「わびさびの紅葉(もみじ)寺」として、県内外問わず海外からのお客様にも楽しんでいただけるまでとなりましたが、この絶景を作り上げるまでには相当な時間と努力が必要でした。
かつてはお化け寺だった。
私が就任する以前の住職は50年ほど前に亡くなって、以来約20年間その夫人が一人で守って来られました。やがてその夫人も他界され、昭和50年頃からは住職不在の期間が長く続き、寺全体が山林に埋もれ、次第に朽ちていき、荒れ寺と化してしまいました。
1995年(平成7年)。当時24歳。天台宗務庁に勤め始め僧侶になる決意を固めた私は初めて地元近所にあるこの教林坊を訪れました。
人の行く手を阻む荒れ果てた竹藪を上っていったその先に突然まばゆい緑の空間が現れました。朽ちた廃屋と人の手が入っていない庭園を包み込むように空を覆うもみじの新緑が、青いセロハンとなり苔むした地上をより一層輝かせ、鳥たちの鳴き声も響き渡り、まさに観音浄土ともいうべき優雅な空間が目の前に広がったのです。
また同時に、今のような寺の復興後の姿が鮮明に浮かんだのを覚えております。これは私がこの教林坊の住職になると決意を固めたきっかけにもなりました。
その年の11月には、まさに仏さまに導かれるように住職の任命を受けることとなりました。
しかし、若干24歳の青年僧にとって、この荒れ果てた廃屋寺の復興はそうたやすいものではありませんでした。
何からどう手をつけていいのかわからない状態が続く中、寺の役員と相談してまず行ったのが、廃屋の建物と庭園の文化財的な調査を依頼することからでした。
調査の結果、庭園は桃山様式の名庭として名勝に指定され、庫裏は江戸時代前期の貴重な里坊建築として町の文化財にもなりました。
これにより、本堂の修理に先立って庫裏の保存修理を優先して行うこととなりましたが、修理費用の総額は4千万円。その半分は行政からの補助などが受けられる事になりましたが、残りは自ら負担しなければならない状態に。地元の家々を一軒一軒回りましたが、「自分の家も直せないのに何で関係のない寺を直さないといけないんだ」といった批判や時には罵声を浴びせかけられ塩をまかれることもありました。
しかし、それでも多くの人が私の熱意を受け止めてくれ、貴重な浄財を寄せてくれました。
長く続く修繕と資金調達
私財も投じてなんとか資金を工面し、平成11年から4年の歳月をかけて庫裏の修復を成し遂げました。
その後、さらに多くの方の助力により、自らも先頭に立って本堂の仮修復、駐車場整備、山門移築等の境内整備を進めてきましたが、いよいよ本堂が限界となってまいりました。
屋根は傾き雨漏りもひどく、本堂の屋根裏に上がってみると、屋根を支えているはずの柱上部が20センチほど腐って無くなっていました。業者に相談したところ、「屋根をすべて取り払って柱を入れ替えるしか方法はない」と。しかも、全体的に朽ちているだろうから、建て直した方が賢明だとも言われてましたが、資金はすでに底をつき、蓄えを取り崩しながら生活している中で、もはや建て替えるなどということは不可能な話でした。
そこで再び自らの手で本堂の修理を始めることに。
第一期工事として濡れ縁等の基礎まわりは修復しましたが、今回、第二期として大仕事となる屋根の改修を発願いたしました。
総予算額が2000万円と高額なため、より多くの方にご支援ご縁をいただきたく、今回のクラウドファンディングに挑戦することにいたしました。修復は集まった支援額に応じて作業を進める所存です。
2000万の費用は瓦をすべて降ろし、柱や骨組みの修理後に新しい瓦に葺きかえる見積額です。仮に目標額に達しなくても支援金額に応じて修復してまいります。
■リターンの紹介
【3,000円】
●寺院発行の本 三冊セット(人に教えてあげたい仏教語 1/ 2/心のごちそう)
【5,000円】
●鶴亀の庭園をあしらった刺繍特別ご朱印 ●寺院発行の本 三冊セット(人に教えてあげたい仏教語 1/ 2/心のごちそう)
【10,000円】
●鶴亀の庭園をあしらった刺繍特別ご朱印 ●住職の直筆色紙 ●寺院発行の本 三冊セット(人に教えてあげたい仏教語 1/ 2/心のごちそう) ●絵葉書三枚セット
【10,000円】
●鶴亀の庭園をあしらった刺繍特別ご朱印 ●教林坊書院デザインの限定エコバック ●寺院発行の本 三冊セット(人に教えてあげたい仏教語 1/ 2/心のごちそう) ●絵葉書三枚セット
【30,000円】
●教林坊書院デザインの限定エコバック ●鶴亀の庭園をあしらった刺繍特別ご朱印 ●もみじと掛軸庭園をデザインした特別ご朱印帳 ●寺院発行の本 三冊セット(人に教えてあげたい仏教語 1/ 2/心のごちそう) ●絵葉書三枚セット
【100,000円】
●もみじと掛軸庭園をデザインした特別ご朱印帳 ●教林坊書院デザインの限定エコバック ●鶴亀の庭園をあしらった刺繍特別ご朱印 ●住職の直筆色紙 ●寺院発行の本 三冊セット(人に教えてあげたい仏教語 1/ 2/心のごちそう) ●絵葉書三枚セット
【500,000円】
●教林坊非公開時に支援者限定貸し切り特別拝観(※住職の法話、おもてなしなど) (日時・(人数10名程度まで)要相談) ●もみじと掛軸庭園をデザインした特別ご朱印帳 ●教林坊書院デザインの限定エコバック ●鶴亀の庭園をあしらった刺繍特別ご朱印 ●住職の直筆色紙 ●寺院発行の本 三冊セット(人に教えてあげたい仏教語 1/ 2/心のごちそう) ●絵葉書三枚セット
【1,000,000円】
●教林坊非公開時に支援者限定貸し切り特別拝観(※住職の法話、おもてなしなど) (日時・(人数20名程度まで)要相談) ●もみじと掛軸庭園をデザインした特別ご朱印帳 ●教林坊書院デザインの限定エコバック ●鶴亀の庭園をあしらった刺繍特別ご朱印 ●住職の直筆色紙 ●寺院発行の本 三冊セット(人に教えてあげたい仏教語 1/ 2/心のごちそう) ●絵葉書三枚セット
スケジュール
2024年12月31日 クラウドファンディング終了
2025年1月頃 リターン発送開始
最後に
私は31年前、大学卒業時にこの教林坊を訪れたことをきっかけに本格的に僧侶として歩む決意をし、荒れ寺の復興に人生を賭けて今日まで精進してまいりました。
木造建築は、一定の耐用年数を超えると大きな修復が必要となります。本堂は江戸時代の建物を明治時代に移転再生したもので、移転以来120年近く大きな修理がなされていません。
経年の劣化と、住職不在の無人期間の雨漏れにより屋根が傾くほど、骨組みに大きなダメージがあります。これまで応急的な補修で何とかしのいでいるのが現状ですが、昨今の度重なる雨風の影響により、以前にも増して朽ちる部分が年々酷くなり、近いうちに取り返しのつかない状況になるのが目に見えている状況です。
はるか1400年余りもの昔より、この地に佇んで来たこのわびさびの紅葉寺を
令和の時代。さらにこの先、何十年何百年と残していきたい。
私の師匠でもある父が私に残してくれた言葉
「動くとは力を重ねていくこと」
「本気で荒れ寺を復興するならば常に動く必要がある。住職自身の行動力が必要だが、それだけではダメだ。住職自身の力ではなく周りの多くの人の力を重ねてこそ初めて復興できる」ということだ。
この言葉を常に信じながら今日までやってまいりました。
この言葉に秘められた本意や形は時代とともに変われど、根幹は今も昔も同じだと思っております。
「いつもなにかに見守られている、導いてもらっているという安心感」を常に感じながら日々活動をしている所存であります。どうぞこの良きご縁をきっかけにご支援賜りますよう宜しく御願い申し上げます。
廣部光信 拝
合掌
コメント
もっと見る