なぜ今映画館、それもミニシアターなのでしょうか?
1980年代、東京を中心に全国でミニシアターが盛り上がりを見せました。かつてそこで私たちは既存の邦画系映画館でも洋画のかかる古びた大きな映画館でも見られない、アート系と分類される映画を観ることが出来ました。アメリカ(ハリウッド映画)だけではない、ヨーロッパやアジアの流行や文化やファッションをそこから感じ取ることができました。
あれから40年、東京でもミニシアターは衰退し、地方では郊外型ショッピングモールがどんどん出現し、それに合わせて、さらに映画のデジタル化(現在フィルムで映画を観る機会はほとんど無くなりました)も相俟って「映画はシネコンで観るもの」になりました。勿論シネコンの効用はたくさんあります。何より映画館が綺麗で映写や音響設備も格段に良くなりました。一箇所でたくさんの人気映画のラインアップの中から何を観ようかという選択肢も増えました。
しかし僕らに「こんな(埋もれているけど)面白い映画があるよ」「これ観たことありますか?」と教えてくれたりする映画館が、そういう「映画への道」を開いてくれる映画館が今現在どれだけあるでしょう?或いは「ネットで見かけたこの映画が観たいんだけど、大都市ではやってるんだけど、近所のシネコンではやってくれないんだよな…」という悔しい機会もまた地方では増えています。
そう、ミニシアターは僕らに「世界」を見せてくれる、小さな窓だけど、その窓からは遥か遠くのものまでよく見える大きな窓だったのだと今改めて実感しています。
そして世界は日々混沌としています。そんな今だからこそ、TVでもネットでも見られない「世界の今」が観られる感じられる場所、そんなミニシアターをこの山口県の街で再生させたいと思いました。
映画の持つ力を信じたい
ミニシアターは正しく「世界」を感じられる場所です。映画にはその力があります。例えば、メインランド中国の若手の映画(娯楽大作も増えましたが、私たちが取り扱うべき小さな良質のアート作品も増えています)を観ると、中国の若者やふつうの人たちの「今」や「ふつうの生活」が手に取るようによく分かります。大手メディアやネットが伝える[社会主義・習近平の共産党の一党独裁政権・経済の急激な発展]的イメージとは違う、私たちとなんら変わらない人々の本当の「悩みや喜び」があることを確認することが出来ます。
映画というのは「虚構の作り物(フィクション)だけど、その『嘘をつく技術が』高まるほどに人間の真実、本当の姿」を映し出してくれるものです。良質な映画にはそんな「映画のチカラ」があります。
私たちはこの「人間の真実」をそれこそ「映画の力」を、ここに集うひとたちと分かち合いたい、一緒に映画を観るという同じ時間と空間を共有したい、そういう「映画の持つ力が信じられる」映画館を作りたかったのです。
さらに、これまでにない「映画館」にしたい!〜クラウドファンディングの支援金でやりたいこと〜
このようなミニシアターというのは、まだ全国に微かですが頑張って存在しています。しかしその経営状態は決していいものではありません。私たちも「普通のやり方」をしていたらあっというまに潰れちゃうと危機感を持っています。そこで私たちは、かつてまちの元気を支えてきた映画館の役割を復活させるとともに、最近のシネコンにはない手づくりの「既存の映画館とは違う映画館」を目指します。具体的には、映画の上映は勿論のこと、皆さんの御支援を得て、以下のことに取り組みます。
■映画館発信のオリジナル映画の製作
これはすでに発起人のひとりである映画監督の長澤雅彦が、山口県在住の若き女優・望月ちなつさん(ホリプロ所属)を主演に相手役にも山口県内在住の小学生・松田千紘さんを起用。地元のスタッフ・周南公立大学生の有志と共に映画作りを始めています。今後も皆さまのご支援を得たら続々、ワークショップなどを通じて作品を発信していきたいと思っています!
■演技・演劇ワークショップを開き、作品を舞台化・映像化してシネマヌーヴェルで上演!
シネマ・ヌーヴェルの舞台はミニシアターでは珍しい広さ。それを活かしてプロの映画監督・演劇演出家によるワークショップを開催。ここから未来の映画スター・映画クリエイターを生み出していくことをめざします!ご支援よろしくお願いします!
■被災地のピアノを生かして音楽ライブや落語会・講演会など、映画館を新しいコミュニティの場に!
シネマ・ヌーヴェルでは石川県能登半島で被災し保持出来なくなったグランドピアノを預かっています。
そのピアノを生かした音楽会や、時に落語・講演会などのイベントを開催して、人が集まる場を創り出して行きます!
■独自のプログラム上映だけでなく、一般の方も特集上映企画が出来る「自分映画祭」開催をバックアップ
自分が観たい映画だけを映画館のスクリーンを独占したり、或いは友人と分かち合ったりして上映会を開いたり、そんなことも出来る映画館にしたいと思っています。詳しくはリターンをご参照ください!
「シネマ・ヌーヴェル」は唯一無二の映画館なのです!
私たちの活動拠点となる映画館「シネマ・ヌーヴェル」が入る銀座毎日興業ビルは、2つの映画館を擁する商業ビルとして、1961年・昭和36年にオープンしました。
このビル、実はレトロなモダン建築の傑作を多く生んだ昭和の世界的建築家、村野藤吾さんの設計によるものです。
改装や名前の変更を繰り返しながらも、このビル内にはずっと映画館があり、その存在は街の活況を創り出し、数え切れない程の人たちがそこで涙し、笑い、生きる希望を得ました。
しかし、映画館人口が減り、シネコンの台頭や商店街の衰退もあって、シネマ・ヌーヴェルは2005年に休館して貸しホールとなりました。
その後は唯一営業していた周南市内の映画館が2012年に休館し、残されたシネマ・ヌーヴェルは35ミリの映写機はあっても老朽化等で使用は難しく、デジタル映写機の購入も難しいため、「映画館」としての復活は難しかったのです。
今が、再生へのラストチャンスなのです!
休館して以来、シネマ・ヌーヴェルは、イベントホールや映画館としてではなく、全く違うスペースとして活用できないか、という検討が具体的にされたこともあったようです。
それでも私たちは「周南の街から映画館の灯を消すな!」を合言葉に、シネマ・ヌーヴェルで映画祭の開催などに取り組んできました。
その結果、映画館をメインとした商業ビルの歴史の重みと、私たちの熱意と、例え映写機は無くても「映画上映」を続けてきた私たちの熱意汲んでくださったオーナーの毎日興業によって、デジタル映写機の常設が決まったのです!
そこで私たちは、この映画館を再生していくため、今回のプロジェクトに取り組む決意をしました。
正直、徳山の商店街は人の賑わいが少し戻ってきたとは言え、かつての「賑わい」にはまだまだ及んでいません。
かつて「映画館」を中心に栄えた街を元気にしていくには、再び「映画館」が復活する「今」が街そりものの再生へのラストチャンスとも思っています!
支援してくださる皆様と一緒に、街の映画館を再生し「映画」で街を、人の心を元気にしたい!----それが私たちの切なる願いです。
皆様の熱いご支援をお待ちしています!
賛同者からのメッセージ
シネマ・ヌーヴェル再生プロジェクトには多くの映画関係者からの賛同をいただいています!その一部をご紹介させていただきます。
私たちのこと、私たちの思い
私たちは、12年ぶりに山口県周南市に復活する映画館「シネマ・ヌーヴェル」を拠点として山口県周南エリアに「映画」の灯を絶やしたくない!映画好きと繋がりたい!ひとが集まる場所を作りたい!さびれかけた商店街も一緒に活性化したい!と取り組んでいます。
■シネマ・ヌーヴェル スタッフ 山門 功 の思い
私は幼い頃から映画が大好きで、近所にある街の映画館に、学校が無い日はもちろん、学校がある日でも学校帰りには通い詰めていました。
銀幕に映し出される魅力的な物語と、それを食い入るように見つめ、笑い、泣く観客の姿に、私は「いつか自分も観る側ではなく、銀幕の側にいたい」と思うようになりました。
そして成人し、通い詰めた映画館を所有する毎日興業に入社し、街の映画館でスタッフとなって夢を叶え、看板貼りから映写の担当、チケットのモギリ、作品の選定や配給会社との交渉など、県内各地の映画館であらゆる仕事をしてきました。
1986年にはシネマ・ヌーヴェルの前身の映画館で念願の支配人となり、大好きな映画を多くのお客様に届ける日々に、何とも言えない充実感を感じる日々を送りました。しかし、シネコンの台頭などもあって私が担当していた単館の映画館は休館。私も映画以外の仕事が多くなり、いつしか映画の業務からは完全に離れてしまいました。
その後シネマ・ヌーヴェルは市民有志の映画上映中心の貸しホールとして機能してきましたが、私の願いはやはり「徳山での常設映画館の復活」でした。そしてこの度、デジタル映写機(DCP)の確保にも奔走し、熱意が実って導入することができました、トイレもリニューアルし(笑・これ大事ですよね)映画館が復活することになり、再びスタッフとして、映画館の復活に携わることとなりました。
私ももう65歳。これが私を育ててくれた映画、そして映画館への最後の恩返しであり、残りの人生の最後の大きなご奉公と思って全身全霊で頑張ります。
どうか皆さまのご支援を宜しくお願いいたします。
■周南絆映画祭実行委員長/ライター/映画伝導師/シネマ・ヌーヴェル応援団長 大橋広宣 の思い
私は幼い頃から「計算が苦手」「人と合わせられない」などの所謂発達障害と呼ばれている特性があって、学校ではいじめの対象でした。
そんな時、父親に連れられて行った山口県山口市にあった街の映画館で夢のような時間を過ごします。
「映画って、何て面白いんだろう」満員の観客席で観た映画の奥深さに、すっかり魅了されました。
それからは映画館に通いつめることで「映画」に救われ、「映画」を通して友人関係もできるようになり、生きる力となって「いつか映画に恩返しを」と思うようになりました。仕事でも映画と関わるようになった私は、周南地域に移り住み、普段から通っていた映画館シネマ・ヌーヴェルが休館すると聞いて「何か自分たちでできることはないか」と、仲間たちと周南「絆」映画祭を立ち上げました。映画祭は毎年開催して現在も続き、そこからは『百円の恋』という全国公開の劇場用映画も生まれ、それらの地道な活動が今回の映画館復活の一助になっていると思っています。
今回、デジタル映写機の常設が決まり、映画館が復活すると聞き、「これ以上、地域から映画館の灯を消したくない!地方の映画館から、映画と映画館の魅力を全国に発信したい!」……そんな想いで、このプロジェクトに参加しています。
■映画監督/周南公立大学教授 長澤雅彦 の思い
僕がこの街にやってきたのは2010年4月のことでした。徳山大学(現・周南公立大学)に職を得たから、というより東京での映画作りの生活に疲れと諦めを感じ始めていたがゆえの逃避というのが真実でした。でも飽きっぽい自分の性格から3年、いや1年ももつだろうか…?という周南市(住居は光市ですが)での生活は、今年でなんと15年目になります。なぜこんなに「もった」のか?それは大橋さんや山門さんを始めとするこの地域の映画を愛する人たちとの出会いがあったが故だと今では確かに言えます。
その大橋さんの紹介で、下松市の井川前市長(残念ながら故人となってしまいましたが)の知己を得て、2013年に『恋』(足立紳さん脚本)という映画を作ることが出来ました。その後2022年公開の映画『凪の島』までたくさんの映画・映像を地元の皆さんと作ることが出来ました。
一度は離れようとしていた映画作りというものを再び好きになれたのは、この周南エリアでの様々な出会いのおかげでした。
勿論このエリアにはMOVIX周南というとても素敵なシネコンがあり、僕自身も色んな形でお世話になってきました。しかし、長らく、僕も時々関わらせていただいた「周南絆映画祭」のメインスクリーンであるシネマ・ヌーヴェルがついに常設映画館として復活すると聞き、いてもたってもいられなくて、「なんとかしたい、少しでもご恩返しをしたい」という思いでいっぱいになりました。そしてかなり前のめりになってしまい、この映画館で上映したいがためだけに一本の(短編)映画を先んじて製作中でもあります。
そんな思いだけで空回りしそうな僕たちに、クラウドファンディングという場で、支援金でしっかり支えていただけたら本当に幸せます。何卒宜しくお願いいたします!!
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