注目のリターン
☆【製作者自己紹介】
(※画像:寿大 聡)
皆様、初めまして。
「映画「満天の星」製作応援プロジェクトページ」に足を運んで下さりありがとうございます。大変うれしく思います。
今作、映画「満天の星」にて出演兼製作を務めました寿大 聡(じゅだいさとし)でございます。よろしくお願いいたします。
☆【映画「満天の星」について】
今作は、対馬丸元甲板員であり私の祖父中島髙男の足跡を辿りながら、第二次世界大戦中に極秘とされた、
史上最大の学童遭難事件「対馬丸事件」の隠された真相に迫っていくドキュメンタリー映画となっております。
一夜にして約800名もの学童達が海の藻屑と消えたこの事件は、多くの謎を残したまま、当時の日本国による不条理な情報統制の下徹底的に極秘とされ、未だ多くの方々に広く認知されないまま現在に至ります。
(※画像:対馬丸)
1944年8月21日、多くの学童達を乗せ沖縄県那覇港から出港した対馬丸は、翌日22日夜22時頃、疎開先九州へ向かうその道中で米国潜水艦ボーフィン号による攻撃を受け瞬く間に撃沈されました。
更には、この時対馬丸を護衛していたはずの日本軍軍艦2隻は、船から投げ出され真っ暗な夜の海に浮かぶ子供達を救助せぬまま、その場から走り去ってしまいました。
対馬丸が海に沈む直前、対馬丸に甲板員として乗船していた私の祖父中島髙男は、船内で地獄の様な光景を目の当たりにしながらも、必死に甲板から海へ飛び込み、海上で筏を6艘繋ぎ、乳児を含む7名を救助し、3日間にわたり太平洋を漂流した後、 奇跡的に生還致しました。
しかし、その後も国からの苛烈で暴力的な情報統制に苦しめられ・・・。
(※画像:左から中島髙男、寿大 聡)
この話を祖父から初めて聞いたのは私が中学3年生の時でした。当時私が通っていた学校の全生徒数が約800名であったので、一夜にして同じ数の子供たちが亡くなった今事件の悲惨さを大変実感した事を覚えています。
と同時に、私はこの時、今事件における大きな3つの疑問を抱きました。
【3つの疑問】
①米国潜水艦ボーフィン号は、対馬丸が学童疎開船だとわかっていて攻撃したのか?
(当時、疎開船などの非戦闘船への攻撃は国際法で禁じられていた)
②対馬丸を護衛していた軍艦2隻は、なぜ海に浮かぶ子供達を見捨て走り去ってしまったのか?
③当時、なぜ日本国はこの対馬丸事件を徹底的に隠したのか?
今作映画「満天の星」において、私は中学3年生時から感じていたこの3つの疑問を解消すべく、対馬丸と祖父の足跡を辿りながら取材を重ね、事件の真相に迫りました。
☆【ウクライナでの取材】
今作は、未だ戦争や紛争が続く現代社会において、
「戦争の悲惨さや平和の大切さを、より「実感」をもたせながら伝えていく事」
を第一に考え制作しました。
その為には、過去の戦争だけではなく現代の戦争も描かなければならないと考え、ウクライナへの取材を敢行致しました。
①ウクライナ:ブチャ/イルピン/ボロジャンカ
・街が丸ごと破壊された様子
・バンクシーが残した反戦アート
・焼き尽くされた屋内
・ロシア軍が残した、占領が達成されたことを意味する「V」マーク
・火が放たれた住宅地
・破壊されたレストラン
②ウクライナ:首都キーウ市内
・市内中心部にあるバリケード
・攻撃された市内中心部マンション前
・破壊された大型ショッピングモール
③ウクライナ:キーウ近郊 孤児院
・戦渦に巻き込まれた子供達
☆【取材を終えて】
生まれて初めて戦地に足を踏み入れ「戦争」というものを直接肌で感じてきました。
それは私の想像を遥かに超えた、えも言われぬ恐怖と不安と悲しみに支配された凄まじい体験でございました。
私が滞在している間、首都キーウには毎日必ず朝5時から6時の間に大量のミサイルが降り注ぎました。
キーウには優秀な迎撃システムが搭載されているようで、撃ち込まれたロシア軍ミサイルのほとんどを上空で撃ち落としてくれましたが、それでも数発は市内に落ちてきました。
滞在していたホテル室内には、
「シェルターへ避難してください」というけたたましいアナウンス警報と、「ボフ!ボフ!」と上空で迎撃され撃ち落とされるミサイルの音、更には迎撃をかいくぐり市内に落ちたミサイルの凄まじい爆発音が層をなして鳴り響き、
早朝のぼんやりした頭で、室内窓から攻撃を受けているまだうす暗い上空と街並みを覗くと、これは現実なのか夢なのかわからない、現世と黄泉の境目にいるような感覚に陥りました。
(※画像:キーウ市内発電所)
発電所などが頻繁に狙われ一部が破壊されているので、電気供給量が非常に少なく、市内は常に暗く、スーパーやホテル、レストランはそのほとんどが停電状態で、一部の店舗は自家発電機を購入し一部の時間帯のみ電気を使用し必死に営業を続けておりました。
ウクライナ現地で取材を重ねていく中で、その生々しい恐怖と悲惨さ、辛さ、無念さが、フィルターを通さず真っすぐに胸に突き刺さり、報道などで見聞きしたり記事を読んだりするだけでは感じられない、悲しみや怒りやどうしたらいいのかわからない不甲斐なさまでもがぐちゃまぜになった何とも言えぬ感情も生まれました。
(※画像:キーウ近郊孤児院にて)
キーウ近郊にある孤児院に日本からのプレゼントをもって伺わせて頂いた折、
戦争に巻き込まれたこのウクライナの子供達と、夢半ばで海に散っていった対馬丸の子供達の姿が、
過去と現代を超えて私の中で重なりました。
(※画像:キーウ近郊孤児院にて)
(※画像:対馬丸記念館内にて)
大人たちが始めた戦争は、いつも決まって何もしらない子供たちを巻き込み、いつも決まって犠牲にします。
子供は世界の未来を担う宝物であるにも関わらずです。
このウクライナへの取材を通して、改めて今作「満天の星」を全世界の一人でも多くの大人達、そして未来を担う子供達に届けたいと心から思いました。
☆【ナレーション:田中真弓】
今作のナレーションは、
アニメ「ワンピース」ルフィ役/アニメ「ドラゴンボール」クリリン役
などで国内外で知られる国民的大声優・田中真弓さんが務めて下さいました。
田中真弓さんは、1982年に公開されたアニメーション映画『対馬丸 —さようなら沖繩—』にて、主人公・具志堅 清役を務められており、私並びに監督も至極ご縁を感じており、今作「満天の星」のナレーションは田中真弓さんしかいないと考えておりました。ご出演を快諾して下さり物凄く嬉しく思います。
☆【監督:葦澤 恒】
今作にて監督を務める葦澤恒でございます。私の20年来の後輩であり友人でございます。
近年では映画製作会社を設立し、多岐ジャンルにて映画製作をしております。
今企画が始動した際に真っ先に声を掛け、共に製作をする事となりました。
葦澤 恒
映画製作会社 GUM株式会社 代表取締役社長
製作会社としては、インディペンデント規模からメジャー規模、その他、海外との共同製作を行っており、「オシア ウコ」名義で、プロデューサーとして、井浦新、成田凌主演「ニワトリ★スター」や、Netfilxで初週に全世界Grobal Top8を獲得したアニメ映画「神在月のこども」他、数作品をプロデュース。本作が初監督作品となる。
☆【プロジェクト立ち上げの背景】
①【対馬丸事件を知ったキッカケ】
私が祖父中島髙男から対馬丸の話を聞いたのは中学3年生の時でした。
夏休みの国語の宿題で戦争をテーマにした作文を書く事になり、それがキッカケとなり祖父にインタビューをしたのです。
それまでは祖父は私に対馬丸について多くを語った事はなく、祖父が毎年8月になるとなぜかバタバタし沖縄に向かう事を不思議に感じていました。
私も小さい頃、何度か祖父と一緒に沖縄に行きましたが、沖縄入りすると祖父とは別行動となり、祖父が滞在中何をしているのか全く知らず、そして何も知らされないまま合流し帰宅するのです。
中学3年生の時、ようやく祖父が沖縄に足繫く通っていた理由がわかりました。
祖父は対馬丸事件の生存者で、毎年8月22日に行われる対馬丸慰霊祭に参加していたのだと。
(※画像:沖縄県那覇市 対馬丸記念館)
②【北の十文字賞】
祖父へのインタビューを作文にまとめ、「対馬丸と祖父」という題名を付けて国語の先生に提出しました。
数日後先生から、
「今、秋田県十文字町が主催となって「北の十文字賞」という戦後50周年をテーマにした全国文学コンクールの応募が始まっている。審査員は井上ひさしさん、桃井かおりさんだ。君の作文は内容がピッタリだからエントリーしておくよ」
との事でした。
この先生の行動がまさかの展開を生み、私の作文は大賞を頂く事となりました。
これには祖父も大変喜び、その後書籍化され、私としても対馬丸を深く胸に刻む大きな思い出となりました。
(※画像:北の十文字賞書籍「この日本と私」)
③【作品化する決意と挫折】
その後、あわただしく学生生活を過ごしながらも映画世界に憧れ傾倒していった私は、22歳当時、特に俳優の役所広司さんが好きだった事から、役所さんが在籍した仲代達矢さんが主宰する「無名塾」という劇団を受験、入塾し、役者としてのキャリアをスタートさせました。
(※画像:22歳時の寿大 聡)
入塾1年目の時、お師匠がたまたまこんな話をして下さいました。
「役者や表現者は、戦争をテーマにした作品に携わる事は義務だ。後世の為に」
この時、それまでは「こんな役者になりたい」「こんな役を演じたい」「こんな作品に出て有名になりたい」などと自分本位な事ばかり考えていたのですが、
「表現者には社会の為にやるべき事があるんだ。人類が戦争という過ちを二度と起こさぬように、戦争の悲惨さを風化させぬように、我々は作品を通して世の中に発信していかなければならない。ならば、私は私の祖父が体験した対馬丸の話を世に出さなければならない」と、強く感じました。
まだ力不足で何も出来ないかもしれないと思いつつも、この想いを実際に行動に移す事にしました。
(※画像:取材を受ける中島髙男)
祖父はまだこの時点では大変元気で、自ら精力的に各地に赴き、対馬丸を通して平和講演活動を続けておりました。更には自身の体験談を書籍化し「満天の星」というタイトルで刊行致しました。
私は、その後約20年に渡り映画やテレビ、ラジオなど様々な媒体へ対馬丸に関する企画を持ち込み、何度も何度も様々な制作会社や放送局をまわり、沢山の方々にも掛け合い、対馬丸と祖父への思いを伝えてきました。
しかしながら願いは叶わず、全くもって成果はあがらず、企画は一切通らず、足踏みが長く続きました。
「ちょっと話が暗すぎるし地味すぎるんだよね」などと心無い言葉を言われる事も多々ありました。
そして、そうこうしているうちに、祖父は他界する事となりました。91歳でした。
祖父が元気なうちに何とか対馬丸の話を形にしたい、という思いで取り組んできた私は、自分の不甲斐なさを責め、大変気力をなくし、志を失い、作品化への夢を半ば諦めるようになりました。初めから無謀だったのかもしれない、などと考えるようになりました。
④【映画「満天の星」製作に向けて】
2022年2月24日。ロシアがウクライナを侵攻し世界ではまたもや戦争が繰り返される事となりました。
たまたま私が実家に帰省した2022年2月末、家族で夕食をしている時に家に1本の電話が入りました。
祖父と親交が深く、小説「満天の星」を製作、出版して下さった田中健さんという方からの電話でした。
(※画像:小説「満天の星」)
私はこの方とは面識は無く、祖父の長女である私の母は何度かこの方と会って話をしたことがある、そんな程度の関係性でした。
電話に出た母とその田中さんがしばし話をした後、「田中さんがサトシに話があるって」と母から電話を渡され、私は初対面の田中さんと話す事となりました。
何事かと受話器を取り初めましてのご挨拶をした途端、開口一番に、
「君はこのロシアによるウクライナ侵攻をどう思っているんだ。今こそ君がおじいちゃんの想いを作品にするべき時なんじゃないのか。君には小説「満天の星」を映像作品にしなければならない使命がある」
と、𠮟責まではいかないにしても大変に強い気持ちがこもったお言葉を田中さんから突如として頂き、あまりに急な事で言葉が出ず大変驚きつつも、取り急ぎ直接会って話をする約束をしました。
田中さんから、平和や対馬丸、祖父への熱い想いを聞き、色々と議論を重ねていく中で、私の心には再び希望と情熱が沸き上がり、小説「満天の星」をドキュメンタリー映画として作品化する決心を致しました。
その後は、何か見えないものに押されているような推進力で、素晴らしい出会いや共感者の方々に恵まれました。
再び対馬丸における活動を始めた私は、この20年間一歩も進展のない日々が続いていたにも関わらず、田中さんと会ってからたった数か月後の2022年5月には私の後輩であり友である今作監督葦澤 恒とともに制作を始める事となりました。
取材に応じて下さった生存者の方々、多大なる応援をして頂いた対馬丸記念館の皆様、沖縄で支えてくれた皆様、今作に関わって下さったスタッフの皆様、田中健氏、清水国明氏、中川秀彦氏、齋藤ジェームス文護氏に心からの感謝を申し上げます。
制作開始から約2年半という長い時間がかかりましたが、ついに完成となりました。
☆【このプロジェクトで実現したいこと】
2025年は戦後80周年といわれる節目の年を迎えます。
しかしながら世界では未だ争いが絶えず、多くの子供を含む民間人が巻き込まれ犠牲となっております。
子供の未来、夢をテーマにした今作、映画「満天の星」を全世界、全国の大人達、子供達に届けたいと心から思っております。
この映画「満天の星」製作応援プロジェクトを成功させ、
対馬丸事件で亡くなった子供達、戦争により夢半ばで犠牲になった子供達、星になった子供達の想いをのせて、
今作を世界中に羽ばたかせたい。
そして、多くの方々の心に改めて平和の大切さを伝えたい。
そう強く思っております。
☆【現在の準備状況】
2024年/
7月末 映画「満天の星」本編部分が完成
8月11日 【テレビ朝日「徹子の部屋」~戦争を忘れない~】に、寿大 聡が櫻井 翔とともに出演
(https://tver.jp/episodes/epya665vdg)
22日 沖縄県那覇市シネマパレットにて特別慰霊上映会開催
29日 NHK沖縄放送「HOT eye」に寿大 聡が出演
9月17日 東京・銀座TCCにて試写会
18日 NHK全国放送「おはよう日本」に寿大 聡が出演
(対馬丸撃沈の悲劇伝える映画『満天の星』 製作者の思いは|NHK 沖縄県のニュース)
19日 東京・銀座TCCにて試写会
21日 東京・銀座TCCにて試写会
12月13日 東京ドキュメンタリー映画祭にて特別上映
【掲載された記事】
・共同通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed738749b9375dad5a108c0fed97dd927158cf3f
・朝日新聞
対馬丸と祖父の戦争、映画に 撃沈から79年、ドキュメンタリー制作:朝日新聞デジタル (asahi.com)
・東京新聞
「対馬丸」題材の映画を特別上映 今年完成、生存者の孫出演:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
・沖縄タイムズ
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1420495
・西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/image/823223/
・琉球新報
https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3378829.html
・東奥日報社
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1843728
・山陽新聞
https://www.sanyonews.jp/sp/photo/detail/1599319?pid=4890594
・山形新聞
https://www.yamagata-np.jp/news_core/index_pr.php?kate=National&no=2024082201001279
・北海道新聞
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1053315/
・埼玉新聞
https://www.saitama-np.co.jp/index.php/articles/96610
・岐阜新聞
https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/427827
☆【リターンについて】
今回の主なリターンプランでございますが、
①名前入り千羽鶴制作へのご参加 (対馬丸記念館への贈呈)
&
対馬丸記念館への寄付
②前売り鑑賞券&サイン入りパンフレットのお渡し
③映画内エンドロールへお名前又はペンネームのご記載
④出演者・監督が登壇する完成披露試写会へのご参加
⑤寿大 聡・葦澤 恒が参加する懇親会へのご参加
を主軸に構成致しました。
【おすすめポイント】
オススメ①【目指せ千羽!!】
2025年8月22日に対馬丸記念館にて開催される「対馬丸慰霊祭」において、恒久的平和を願い、
皆様と制作した千羽鶴及び寄付金を記念館に贈呈したいと考えております。
ご支援者様のお名前が記載された鶴を一羽づつ折り紙で制作させて頂きます。
又、お名前入り鶴へのご参加と同時に、
寿大 聡と葦澤 恒と一緒に、千羽鶴制作(7月中を予定)をする方(25名限定)の募集もプラン内にて記載しております。
是非この機会に我々と一緒に千羽鶴を制作し対馬丸記念館を応援しましょう!!!
オススメ②【出演者・監督登壇!完成披露試写会】
2025年7月中を予定している映画「満天の星」完成披露試写会への参加権利をお渡しさせて頂きます。
出演者・監督が登壇しトークイベントも開催する予定でございます。
観客の皆様との質疑応答コーナーも設けさせて頂きます。
是非この機会に出演者・監督と交流し作品について語り合いましょう!!!
☆【今後のスケジュール】
※寄付金
株式会社CAMPFIREから寄付を⽬的とする⽀援⾦を受領した⽇から2週間以内に、公益財団法人 対馬丸記念会「対馬丸記念館」へ寄付(支援者様において、本寄付における寄付金控除は受けられるものではない)
※千羽鶴寄贈
2025年8月22日に催される対馬丸慰霊祭時に、公益財団法人 対馬丸記念会「対馬丸記念館」へ寄贈
☆【資金の使い道】
※クラウドファンディング参加人数×2000円を公益財団法人対馬丸記念会「対馬丸記念館」へ寄付
に資金を充てさせて頂きたく思います。
本作公開における初動を考えますと、最も小さな初動展開で約5,000,000円が経費としてかかります。
今回の製作応援プロジェクトではこの内2,000,000円をクラウドファンディング目標額とし、皆様からご支援して頂きたく思います。
精一杯取り組みます。何卒よろしくお願い申し上げます。
☆【最後に】
【監督:葦澤 恒より】
僕が最初に寿大さんから、対馬丸事件、そして、おじいさんのことを聞いたのは、20年近く前になります。当時、俳優として、特攻隊を題材にした舞台に出演し、寿大さんと共演した時でした。
そんな事件があったことなど、全く知らず、
衝撃を受けたことは、今でも褪せることない感覚として残っています。
それから20年近く経ち、僕が本作の製作することになったキッカケは、3年前、寿大さんから、一緒に映画を作らないか?という、お誘いでした。
その時、僕は、俳優業を経て、プロデューサーとなり、10年近く様々なジャンルの作品を製作してきており、次にどんな作品を作ろうかと、考えていていた時で、沸々と、改めて、戦争と向き合って作品を作りたいと思っていたんです。
まさに、必然性を感じるような出来事でした。
2025年は、戦後80年。
戦争当時10歳だった方でも、今では90歳。
あと5年もすれば、戦争の恐ろしさ、愚かさを語れる方々は、少しずついなくなってしまい、直接、その体験談を聞くことはできなくなります。
つまり、体験者の心に触れる機会が無くなっていく、それが如何に、後世を生きる我々にとって、大きな出来事なのか、風化していくことが何を生むのか、その恐怖は、誰でも容易に想像できると思います。
戦争を体験していない世代の人達は、体験者の方々が話をして、伝えてくれたことをどのように、次の世代に伝えていくのか、本作を制作しながら、自分自身も、伝えるべき次の世代である子供を持つ親として、問われていると、感じながら進めていました。
そんな中、本作はどのような役割を担えるのか。
本作は、体験者の方々へのインタビューや、事件の真相に迫ること、そして、今もなお、起きている戦争下の人々への取材など、「百聞は一見にしかず」ということを、大事に制作しています。
頭ではなく、心に記憶すること。
本作が、ご覧になった方にとって、「一見の価値」をあるものにしよう、と、寿大さんと共に、心身ともに注ぎ込みました。
そうなっていることを心より願っています。
そして、今回クラウドファンディングという形で、本作品への応援者さまを募ることで、
1人でも多くの方に、本作をご覧いただけるように、お力をお貸しいただけると大変ありがたいです。
最後に、本プロジェクトは、「民間」の力だけで、運営をされている対馬丸記念館さんへの寄付も含んでおります。「民間」での運営が非常に大変であること、取材をして痛感しております。
本作とともに、記念館さんを応援いただけますと幸いです。
千羽鶴に想いを込め、ぜひ一緒に、届けましょう。
p.s 寿大さんから、まさかの鶴の折り方がわからないと言われ、びっくりしましたが、意外とそういう方もいらっしゃるかもしれませんね。^_^
ですので、鶴を折り方を知らなくても、大丈夫です。安心してください!我々で折りますので!!
(寿大さんは練習します 笑)
【製作兼出演:寿大 聡より】
戦争体験者がますます少なくなる現代において、どうやって戦争の悲惨さと命の大切さを実感をもって後世に伝えていけるのか?
過去からのタスキをしっかり受け取り、二度と戦争という過ちを人類が繰り返さないように、
今を生きている我々が、次を創る子供達に、丁寧に紡いでいかなければならないと思うのです。
私の子供にも孫にもその先の世代にも、もう二度と辛い思いをさせたくはありません。
戦後80周年といわれるこの現代において、世界大戦から80年たった今もなお、世界では戦争が絶えず起こり、
前途有望な若者達は戦地に駆り出され、多くの民間人も、未来を担う子供たちも無力のまま命を落としています。
こんな状況で良いわけがないのです。
私は全くもって立派でもなく聖人君子でもなく、間違いばかりで、誇れる人生を歩んできたとは一切言えない人間ですが、
「戦争」は絶対にいけないという事はわかっています。
映画「満天の星」製作委員会は、未来のために、今作を通じて、対馬丸の子供達を通して、反戦及び世界平和を訴え続けます。
その為には、ご共感して下さった皆様からの応援が何よりも大切でございます。
戦後80周年という節目の年にどうかこのプロジェクトを応援して頂き、映画「満天の星」を全世界、全国の一人でも多くの方々に、我々と一緒に届けましょう!!!
最後まで目を通して頂き誠にありがとうございました。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
コメント
もっと見る