石川県金沢市出身、北海道函館市在住の下沢杏奈(しもざわ あんな)と申します。
普段は中高生の居場所づくりや、大学生のプロジェクト活動の支援をする一般社団法人いとのこの代表理事を務めています。ものづくりをすることや表現活動をすることが好きです。
その中で今回は、よく木彫り熊を彫るために通っている木彫り熊工房「熊友工房」の皆様、と一緒にクラウドファンディングに挑戦させていただきます。熊友工房は、八雲町にて木彫り熊体験を行っており、年間300名程度の方が木彫り熊を彫っています。(熊友工房インスタグラム:https://www.instagram.com/yuyukoubou_yakumo/)
2024年1月1日、新年早々に能登半島を襲った大地震。この地震ではたくさんの死傷者を生み、家屋の倒壊、道路の寸断、地域コミュニティの崩壊、さらには石川県が誇る伝統工芸「輪島塗」の存続を揺るがす甚大な被害をもたらしました。
輪島漆器商工業協同組合に加盟する103社のうち、約8割の事業所が全壊または半壊。輪島塗は、木地屋、塗師屋、蒔絵師などの多くの職人が関わり120以上の工程を経て作られます。1つの工程でも欠けると全体の生産に大きな影響があるため、その存続が今まさに危ぶまれています。
その中でも、工房をすぐに再開させ、作業を開始している若手の蒔絵師である大森晴香さんと私は今年の4月に出会いました。大森さんは、元岸田首相からバイデン大統領へ贈答品としてお贈りした輪島塗の漆器の名前も書いており、未来の輪島塗を繋いでいく貴重な方です。
このプロジェクトでは、大森さんをはじめ、輪島塗の本当の復興を目指し、輪島塗と今まで出会うことのなかった木彫り熊をコラボさせることで、新しい価値を創出し、全国4箇所で展示会を行い全国に発信します。
大森さんのところに3月、8月と訪れた際、まだ復興が完全ではないということを目の当たりにしました。
大森さんは笑顔で接してくれて、蒔絵の仕事中も楽しく行っていたのですが、震災前よりも仕事が少ないという悩みやこれからの不安を聞くこともあり、その度に私は大森さんのために何かしないとと何度も思いました。ただ、お金を渡すのではない復興の仕方があるはず、私たちができることは今このプロジェクトを成功させることだと何度も確信を重ねてきました。
私は八雲町の熊友工房の小熊秀雄さんのもとで、木彫り熊制作体験をしていた時、小熊さんから、「能登のために木彫り熊で何かできることはないか」という提案をいただきました。小熊さんは八雲町にて100年つづく木彫り熊の伝統的な技法である「はつり彫」を唯一継承している方です。
いつも優しく周りを思いやる小熊さん、木彫り熊だけではなく、人柄も素敵でつい通ってしまいます。
ちょうど同じ時期に、母から大森さんが掲載された北國新聞の記事が送られてきました。この時、私は二人が一緒に作品を作ったら面白いのではないかと閃きました。
輪島塗には古くから伝わる伝統的な技術があり、八雲の木彫り熊は愛らしい表情とモダンなつくりから海外からも人気が高く、自由に創作できる面白さを感じていました。そこで2人の職人さんが出会い、輪島塗と木彫り熊がコラボレーションしたら、きっと新しい形での復興ができるのではないかと考え、早速私は輪島と八雲に出向き、お話しをすることから始まりました。
また、お互いの伝統工芸品がコラボすることで、全国にはなかったもの、誰も発想してこなかった伝統工芸品が新しく生まれることになります。それが世界中に広まることで、後継者の少ない工芸品の担い手も増えることに繋がると信じています。
二人が持っている木彫りくまは、わじま熊の試作品です。木彫り熊に輪島塗を施すとどのようになるのかを、試作する一歩から私たちは始まりました。大森さんに制作をお願いしてから、想像することのできない熊さんが出来上がりました。小熊さんも私たちも感動しました。
木彫り熊にとっても、輪島塗にとっても、貴重な出会いとなりうると感じています。
最初に話しが始まってから、オンラインで何度も会議を重ね、5ヶ月目にしてやっと大森さんを八雲町にお迎えし、木彫り熊の制作体験を行ってもらったり、八雲を堪能してもらいました。写真は八雲の特産品である鮑貝を使うことができないか打ち合わせをしているところです。鮑貝は今回の木彫り熊制作で作ることができるかどうかはまだわかりませんが挑戦してみたいということです。
現在、小熊さんが制作した木彫り熊は、完成し、輪島に送られています。
そこから大森さんは現在、3体の熊さんの下地として漆を塗っているところです。また、3体の熊さんの設計図も引くことができており、螺鈿(貝殻の真珠層を用いた漆器や木工芸などの加飾技法)を貼っているところです。
三体の作品は、一つ一つコンセプトがあり、中でも、前を向いている熊さんは、震災から復興してこれらかも生きていくという願いが込められた熊さんを真ん中に据えています。
下を向いている熊さんの一つは震災の風景からインスピレーションをうけ、山や星を模した悲しみと綺麗さを繋げるように描いたものです。
それぞれこれからどのような作品ができるのかとっても楽しみです。
今回のリターンでは様々なものを用意し、このクラファン自体が大森さんの制作を支えるものになると嬉しいなと思って設計しました。また、たまたま大森さんが八雲町に滞在中に、八雲町の宿にて出会ったマレーシアのアーティストであるイーティンが今回のプロジェクトに協力したいと言ってくれたおかげで、返礼品のお手伝いやロゴ制作を行なってくれています。イーティンはそれ以外にも様々な場面で大活躍してくれました!!下記はこのために作ってくれたロゴです!最終的には右のデザインとなりました。
- ①2025年2月:八雲でお披露目会、函館で展示開催(1週間)
- ②2025年4月:大阪にて販売開催(1週間程度)
- ③2025年夏:石川県(金沢/輪島市)で開催(1週間程度)
- ④2025年秋:東京にて展示開催(1週間程度)
この展示期間の間で、トークイベントや木彫り熊体験なども同時に行い、全国の方々にわじま熊をみていただく機会を提供します。またこの展示会の間に3体の熊さんの買い手と直接出会い、実際にこの熊さんを購入していただく方を募集させていただきます。完成した作品をお買い求めの方はぜひ会場まで足をお運びください。
これは、作品は制作者ではなく漆器屋さんが売っていた輪島塗の当たり前ではなく、直接制作者の顔が見える形で販売することによって、直接作品の感想が届いたりすることで、勇気につながってほしいという意図があります。
今回の蒔絵を施していただく大森さんよりメッセージをいただきました。
「令和6年元日に起きた能登半島地震で多くのものを失いました。被害状況を目の当たりにしてこれからの生活への不安、しんどさしかありませんでした。
それでも温かい言葉をかけてくださる方、力になりたいと言ってくださる方々のおかげで「頑張ろう!」と少しずつ気持ちが前向きに考えるようになった矢先に、奥能登豪雨にも見舞われ心が折れそうになりました。
そんな時震災後に下沢さんから、北海道の木彫りのクマに漆で装飾して作品を作らないかと連絡をいただきました。震災以降沈みがちだった気持ちが制作するにつれて元気になって前向きになれました。このコラボは自分自身にとっても新しい挑戦、成長につながっていくと確信しています。制作はとても、大変苦しい部分もありますが楽しんでワクワクしながら制作しています、どうぞ楽しみにお待ち下さい!」
最後に、発起人である下沢杏奈からの挨拶です。
能登輪島市の輪島塗がこれからも続いていきますようにと心を込めて、北海道からささやかながら、このクラウドファンディングを挑戦、そして発信させていただきます。
私は必ず大森さんの作品を世の中に出し、発信し、さまざまな人にみてもらい、輪島塗の新しい価値を提案します。これまでの伝統的な模様だけではなく、これからを作っていく大森さんが前例のない蒔絵を施している姿にいつも胸を打たれます。輪島塗の新しい形を見せることによって、これからも輪島塗が続いていって欲しいと思っております。震災があったから消えていくものではなく、震災があったからこそ変化を生み出し、進化していける伝統工芸品であって欲しいと心から願っています。今回のプロジェクトがそのきっかけの一つにでもなると嬉しいです。
応援どうぞよろしくお願いいたします!!
コメント
もっと見る