自己紹介
山本遊児(福岡県在住):
水中文化遺産カメラマンとして国内外で活躍中。那須疏水など技術を要する潜水にも定評があります。その撮影した水中文化遺産写真は月刊ダイバー連載されたり、また、九州国立博物館・沖縄県立博物館他で展示され。文化財の資料として保存されています。本名:山本祐司 カメラマンネーム 山本遊児
このプロジェクトで実現したいこと
このプロジェクトでは、幕末時代の激動の中にあった鹿児島県薩摩の、まだ表に出ていない多くの歴史を明らかにし、記録保蔵することを目指しています。鹿児島の海には、これまであまり知られていない歴史的遺産が多く残されていると考えられており、これらの歴史を発掘し、鹿児島の遺産として保存することで、地域の文化と歴史の理解を深めることを実現させます。
大プロジェクト始動!
「黒船来航から薩英戦争の秘密へ」
🚢🌟🌊歴史の波紋を辿る冒険に、あなたの応援参加でかかわってください。
1853年、黒船が浦賀に来航し、日本は大きな転換点を迎えました。この出来事は、鎖国の終わりと日本の近代化の始まりを告げるものでした。そして、その流れは薩英戦争へと続き、歴史の舞台に更なるドラマを加えました。
その薩英戦争で沈んだ伝説の3隻の蒸気船(パドルシップ含む)を探す旅に、出発しましょう!!
💥 プロジェクトの目的このプロジェクトはクラウドファンディングで資金を集め、最先端の技術と専門家チームで挑む歴史的大冒険です。これらの船が最後に沈んだ場所を特定し、そこに沈んだ黒船の実態と謎を解明し実態を調べます。このプロジェクトは、沈められた薩摩の蒸気船3隻の発掘と調査を目的としています。
その黒船の価値とは?
島津藩がグラバーから購入したとされる金額と船は。
天祐丸128000㌦
白鳳丸 95000㌦
青葉丸 85000㌦
合計 308000㌦(当時の支出です。)
↓
現代の価値換算してみます。
江戸末期の1ドルは約1両
→ $308,000 は江戸末期で 308,000両。
現代の1両の価値とは?
高い推定値(労働賃金基準):1両 ≒ 345,000円
→ 308,000両 × 345,000円 = 約 1,063億円
低い推定値(米価基準):1両 ≒ 75,000円
→ 308,000両 × 75,000円 = 約 231億円
結果
308,000ドルは、現代の価値で約 1,063億円~231億円 に相当します。
※これも参考値であり、経済背景の違いにより幅があります。
なんとなんと ジェット旅客機10機分に相当するのです
ボーイング737-800: 約1億610万ドル(約116億6780万円)
すなわちジェット旅客機10機分に相当する価値のある船が沈んでいるのです。
沈んでいる黒船とは?
天祐丸
天祐丸(てんゆうまる)は、薩摩藩が所有していた蒸気船で、薩英戦争(Anglo-Satsuma War)中にイギリス艦隊によって拿捕されました。この船は、1863年にイギリス艦隊が薩摩藩の港を攻撃した際、他の船と共に掠奪され、その後の戦闘で使用されました。
この事件は、西洋の圧力に対する日本の抵抗の一環として記録されています。
天祐丸は、その後の薩摩藩と西洋諸国との関係において重要な役割を果たしました。この船の運命は、日本の開国と近代化への複雑な道のりを象徴しています。この時期、薩摩藩は西洋技術の導入に積極的であり、天祐丸を含む蒸気船の利用はその一環でした。(Wikiwand)。
白鳳丸
白鳳丸(はくほうまる)は、薩摩藩がアメリカから購入した船で、元々は「コンテスト」という名前でした。
この船は薩英戦争の際にイギリス海軍によって拿捕され、焼却されて沈没しました (Wikipedia)。 薩摩藩は江戸時代を通じて日本の強力な外様大名の一つであり、特に薩摩藩はその軍事力と経済力で知られています。
藩の政策として、幕府から特別な許可を得て他の大名よりも多くの城を保有し、自藩内で独自の政治構造を築いていました (Wikipedia)。 白鳳丸の話は、薩摩藩の国際的な取引や外交関係の拡張を象徴するエピソードの一つと言えるでしょう。
船の運命は短く悲劇的なものでしたが、薩摩藩の海外との関わりやその時代の国際情勢を理解する上で興味深い事例です。
青鷹丸(せいようまる)は、幕末期の日本において薩摩藩が所有していた軍艦です。
この船は西洋式の蒸気船で、幕末の日本における近代化と国際化の象徴の一つとされています。
青鷹丸の特徴は、その洋式の建造技術にあり、薩摩藩が外国との交流を深め、技術を取り入れる中で、重要な役割を果たしました。
この船は、西洋の船舶技術を学ぶため、また薩摩藩の力を示すために利用され、多くの海外遠征にも使用されたとされています。
また、青鷹丸は薩英戦争(薩摩藩とイギリスとの間の武力衝突)などの歴史的事件にも関わっており、日本の近代化を象徴する存在としても知られています。
しかし、具体的な運用の詳細や運命については、資料によって異なる情報があるため、詳細な歴史的背景を知るにはさらなる研究が必要です。
どのように地域に貢献するか
この発掘を通じて、幕末の日本の国際関係や技術の進化、さらには日本の近代化にどのような影響を与えたかを探求します。歴史的発見: 沈没した船を発見し、当時の技術や薩摩藩の海軍力を解析します。文化的理解: 幕末期の日本の国際関係とその複雑さを理解し、今日の日本の外交方針につながる歴史的背景を明らかにします。教育的価値: このプロジェクトを通じて得られる知見を教材として活用し、より多くの人々に日本の歴史を学ぶ機会を提供します。また、未知の世界水中にある遺跡として地元の子供や人々と共に探し出し、見つけ出し、調べ上げた情報を共有します。
歴史 生麦事件から薩英戦争へ
🌐 歴史(学校でも習ったあの出来事)黒船来航とは、1853年にアメリカ海軍のマシュー・ペリー提督が率いる艦隊が日本に現れた出来事です。この艦隊は、日本の鎖国政策に挑み、国際交流と通商の開始を求めました。黒船と呼ばれるこれらの船は、蒸気船であり、その革新的な技術と外国の脅威により、日本は近代化と国際化の道を加速させました。
**薩英戦争(1863年)**は、日本の幕末の動乱期における重要な国際紛争です。この戦争は、鹿児島(当時の島津・薩摩藩)とイギリス(英国)との間で発生し、生麦事件という外国人襲撃事件を発端としています。この事件で、薩摩藩士がイギリス人を殺傷し、その結果として発生した国際的な緊張が、薩英戦争の引き金となりました。
プロジェクト大プロジェクト始動!立ち上げの背景
このプロジェクトは、鹿児島で地元のキャラクターを多数生み出し、地域社会に広く愛されている外山雄大氏(チェスト連合代表)の提案から始まりました。外山氏は子供たちに希望と夢を与える様々な活動を行っており、その一環として地元鹿児島の水中遺跡についての話が持ち上がりました。彼のビジョンにより、これまであまり注目されてこなかった鹿児島の水中遺跡を調査し、発掘するプロジェクトが立ち上がることになりました。
このプロジェクトの背景には、地元の子供たちに歴史と地域の重要性を教え、未来に夢を持ってもらうことがあります。水中遺跡の調査と保護を通じて、地元の歴史に光を当て、地域の文化遺産を若い世代に伝える機会を創出することが目的です。
現在の準備状況
このプロジェクトの現在の準備状況について、様々な段階を経て進行中です。まず、大学の専門教授や地元行政機関、各種専門団体との連携を図りながら、必要な事前の打ち合わせを行っています。さらに、地元漁協とも交渉を進めており、プロジェクトが地域の産業や環境に与える影響についても配慮しています。
水中考古学や地質学の分野で豊富な経験を持つ専門家たちがこのプロジェクトに参加しており、彼らの知識と技術は調査の質を高めるために不可欠です。また、探索に使用する機器の選定や操作も専門家の意見を基に行われています。
外山氏の地元に根差した広範なネットワークを通じて、地域社会からの支援と協力を得ながらプロジェクトを進めています。このような地域全体を巻き込んだアプローチは、プロジェクトの成功に向けて非常に重要な要素となっています。全体的に、プロジェクトは計画的かつ段階的に進行しており、各ステークホルダーとの調整を慎重に行いつつ、次のフェーズへと移行している状態です。
リターンについて
このプロジェクトでは、参加者に向けたリターンとして、水中遺跡の発掘体験に直接参加できる機会を提供しています。これにより、支援者は実際に現場で歴史に触れることができる特別な体験を得ることができます。
具体的には、ダイビングができる方には水中での遺跡調査参加の機会を提供し、水中の文化遺産を直接目にすることが可能です。一方で、ダイビングができない方や水中での活動に参加したくない方向けにも、現地で歴史を実感できるリターンを用意しています。これには、遺跡調査の様子を観察できるボートツアーや、専門家による説明を聞くことができるワークショップ、展示された発掘品を見ることができる展示会への招待などが含まれます。
これらのリターンを通じて、支援者は水中遺跡の価値と重要性を学び、地域の文化遺産に対する理解と関心を深めることができます。プロジェクトは、これらの体験を通じて、参加者が鹿児島の歴史とその保存への意識を高めることを目指しています。
スケジュール
このプロジェクトのスケジュールは以下のように計画されています。この計画は自然環境に左右されるため、予定が変更になる可能性も含めて柔軟に日程変更等対応させていただきます。
- 2025年1月末: クラウドファンディングのキャンペーン終了。
- 2025年1月末: ソナーを用いた水中調査の日程を確定。この段階で、具体的な調査計画と必要な設備、人員の手配が行われます。
- 2025年2月: リターンの提供開始。支援者に対して、約束されたリターンの提供がこの時期から開始されます。リターンの提供は2029年3月まで継続される予定です。
- 2025年2月: 潜水および遠隔操作無人潜水機(ROV)を用いた調査の日程が確定。自然条件に左右されるため、予定日の1週間前には日程の再確認が必要となります。
- 2025年2月: ソナーを含む各種調査開始。この段階で実地に調査が開始され、水中の地形や構造物の探索が行われます。
- 2025年3月: 潜水およびROVによる詳細な調査が開始されます。この調査では、具体的な遺跡の位置特定や詳細なデータ収集が行われることになります。
- 2028年3月: すべての調査活動が終了。この時点で得られたデータの分析や報告書の作成が進められます。
- 2029年3月: 全てのリターンの発送が完了。プロジェクトの支援者への最終報告とともに、約束されたリターンが全員に配布される予定です。
最後に
錦江湾に沈む歴史を明らかにするこのプロジェクトは、幕末の激動期に鹿児島で発生した複数の歴史的事件に関連する遺物と遺跡の調査に焦点を当てています。
以下は、このプロジェクトの主要な調査点です:
薩英戦争と黒船蒸気船の調査:生麦事件を発端に始まった薩英戦争では、英国との衝突により多くの薩摩の軍船が沈没しました。これらの船の中には、五代友厚氏が関与したとされる黒船蒸気船も含まれています。これらの船の正確な位置を特定し、水中調査を通じてその歴史的実態を明らかにすることが目標です。
マーラン船の発見:同じくこの時期に沈んだとされる、島津家と琉球(現在の沖縄県)との関係を示すマーラン船を発見し、沖縄と日本の歴史的関係を探求します。
廃刀令による刀の海中投棄の調査:廃刀令により、侍から集められた数多くの刀が海に沈められたとされています。これらの刀を発見し、当時の武士文化、特に示現流の技法を持つ刀に焦点を当てた研究を行います。
海中の鳥居の謎の解明:地元漁師が目撃したという海中の鳥居の起源と意味を探ります。これは地盤沈下の結果なのか、それとも他の歴史的な事象に関連しているのかを解明します。
実施スケジュールとプロセス:
歴史資料の調査: 古文書や記録から沈められた船の位置を特定します。
調査許可の取得: 行政や漁協等との協議を通じて必要な調査許可を取得します。
ソナーによる捜索: 沈没地点の特定を目的としてソナー調査を行います。
水中ロボット・ドローンによる探索: 水中の詳細な調査を行い、可能な限りの情報を収集します。
潜水調査: 実際にダイバーが潜水し、遺物の確認と写真撮影を行います。
磁気探査調査: 鉄製品やその他の金属製品の位置を特定します。ただし、火山灰は鉄分を多く含んでおり調査ができない場合もあります。
海底面の試掘: 大学研究者や専門家の指導のもと、選定された地点で試掘を行います。
調査結果の発表: 支援者、報道機関、行政に対して結果を報告します。
リターンと保護措置:調査結果は、見学可能なリターンとしてサポーターに提供され、地元鹿児島市民や全国、世界の人々に錦江湾の歴史を広く知ってもらうための資料とします。
見つかった遺物は埋蔵文化財保護法に基づき、日本国・鹿児島県・鹿児島市の所有となります。
このように、このプロジェクトは錦江湾に沈む豊かな歴史を発掘し、現代にその価値を再認識させることを目的としています。
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