皆様から頂くご支援を、これから紹介していく被災農業法人11社に届ける為、各社の状況とこれからを記事としてアップしていきます。【有限会社 川原農産(かわらのうさん)】■発災前どんな取り組みをしていましたか?1681年天和元年から続く農家の9代目が代表をしており、正社員1名とパートアルバイト4名の5名を雇用し、水田は33ha、果樹園12ha、東京ドーム約11個半の農地を経営管理しておりました。(有)川原農産は、2001年に法人化して設立しました。10年前から無肥料によるお米作りに取り組んできていました。作物と土壌のファスティングをイメージした農業なので、「ファスティング農業」と勝手に造語を作り、自社オリジナルの栽培体系をくみ上げていました。また、農業の弱点ともいえる部分は、収益構造にあると考え、収益構造を変える「Farm sharing」という仕組みも作り、経営の安定化と持続可能な農業経営、持続的な雇用を生み出す仕組みを考え実践してきておりました。少子過疎高齢の最先端地域と揶揄される輪島市の東部で、無肥料栽培のファスティング農業やFarm sharingで収穫量を減らしてもJA出荷で利益が残る構造が出来上がり、社員間のチームワークも最高に良くなってきており、これから!と言うのが令和5年でした。■発災後の状況を教えてください。令和6年1月1日16時10分、代表の私は妻の実家のある奈良県へ、5人の子ども達と共に里帰りをする為、金沢市内を走行中に被災しました。けたたましく鳴るスマホのアラート、津波の警報に金沢市内も混乱一斉に高台に向けて人々が移動を始め渋滞に挟まれました。その間も、子ども達と一緒に震源が能登であることを掴み、情報を集めながら地元に残っている両親の安否、従業員の安否、親類の安否、とにかく情報を集める事に必死でした。自宅は中規模半壊。裏山が崩れ土砂で押し出された家にはもう住める状況ではなく、妻子はそのまま奈良県へ避難し移住転校することになりました。当時高校受験を控えていた娘がおり、そこも何とかしなければと、右往左往していたため、事業の事が中々手につかなかったのが現状です。私の家だけでなく、従業員の家もまた住める状況にない為、雪降る中寒くお風呂も入れない、トイレもまともにできない避難所生活をするよりかは、いったん外に出て体を休める方が良いと、2次避難を促しました。しかし、「避難した先で新しい仕事を見つけるかもしれません」と言われてしまいました。この先いつ職場が復帰して、立て直せるのか全く見通しが立たない状況と、自分たちの生活を考えれば当然の選択です。従業員の足枷になってはいけないと、全員解雇を通達し雇用保険をもらいながら次の仕事を見つけてもらう選択をしました。結果、春になって逆単身赴任のようにして農作業を再開させようと動き出した時には、スタッフがいない状況でした。今でも、現場スタッフがいません。70を過ぎた両親と膝を故障している私だけでは、とてもじゃないですが、東京ドーム11個半の農地を維持管理することはできず、昨年はボランティアさんの力を借りて約28haくらい種をまいたり田植えしたりしましたが、雑草に負けて大半が収穫不能な状況になりました。そこに追い打ちをかけたのが9月21日の能登豪雨災害です。刈り取り前のせっかく収穫できそうな田んぼが、洪水で飲み込まれ土砂・瓦礫・流木・倒木・ゴミ、目も当てられない惨状と化し、「もうここに住むな」と自然界から言われているかのように感じ、農業経営をあきらめる選択が出てきました。しかし、そこを支えてくれたのがボランティアさんです。石ころ一つ、土砂をバケツ一杯、ゴミ一つ、どんな小さなことであっても、気力を失ってしまった私たちに変わって、泥だらけになりながら原状復帰を手伝ってくれたボランティアさんの力に支えられ、今一度立ち上がって恩返ししなければと思うようになりました。しかし、二重災害となってしまった私の地域では、地割れをおこした田んぼはそのままで、そこに土砂や瓦礫に流木やゴミがのしかかり、いったいいつ田んぼとして復活するのかが不透明なままです。いまだに明確な復旧スケジュールが示されません。■これからの展望をお聞かせください。地震により、集落の家々も壊れ解体が進んでいます。私たちが耕作させていただいていた、田んぼは集落の中にあります。共有財産として用水や農道は集落が維持管理してくれておりました。その集落が崩壊してしまっている現状です。つまりは耕作者である我々に、今まで無かった負担がのしかかろうとしています。従業員も失っている今の弊社ではとてもじゃないですが、発災前のように人員を割いていく事も出来ません。そこで、弊社は農地の復旧に合わせて、農村集落の再興に取り組むため活動をしています。オンラインで、趣味の村を作り。そのオンラインの村とリアルの集落をマッチングさせ、人がいる事で機能していた集落に、外から力を借りて再度興していこうと考えています。新しい、「村創り・國創り」です。第1号として、ビール好きが集まる「ビール村」が立ち上がりました。ビール村では、ビールの最強のおつまみは枝豆だよね!と枝豆を自分たちで作ろう!と言う話が盛り上がり、弊社の水田にはならないくなっている田んぼを使って、令和7年に枝豆を植えよう!と計画が進んでいます。地元の人だけではもう維持管理できなくなってしまったのであれば、外部の人を巻き込んで面白おかしく自分たちの好きな状況を生み出していければ、お互いにメリットがある。これが私の考えです。乱暴な言い方かもしれませんが、私の地域は2度の激甚災害によってコテンパに破壊されました。だからこそ、新しく創る事ができます。壊れていない中では新しいものを生み出そうとしても、反対意見が絶対出てきます。今だからこそ、新しいものを作ったとしても、反対意見が出たとしても、何もしないよりは動く方が良いよね!と言える格好のタイミングとも考えれるようになりました。失うものが無くなるという事は、人は強く生きれるチャンスなのかもしれません。少子過疎高齢が進み、地域が機能しなくなる事はこの先の日本各地で起きうる可能性があります。そこに先じて能登が加速化した舞台となったと仮定するならば、ここから生み出す新しい未来が、これからの日本を切り開くチャンスへと変わるかもしれません。そんな、バカげた構想を膨らませながら、また今一度無肥料栽培のファスティング農業で、お客様に喜んでいただける農産物を、環境に配慮しながら自然と共に生み出し続けたいと思っています。そして未来を生きる子ども達が、より豊かに暮らせる社会を作りたい。それが、(有)川原農産の目指すところです。■川原農産の活動内容はSNS等で確認もできます。Facebook、Instagram、X、TikTok、YouTube皆様からお預かりしたお気持ちを受け、被災農業法人11社は今一度立ち上がり、「あの時、俺たちが私たちが支援したから、奥能登の農業法人が今を羽ばたいているんだ」と言っていただけるような形にして恩返ししていきます。クラウドファンディング終了まで、なにとぞ応援・ご支援を引き続きお願いいたします。





