【 はじめに 】
こんにちは。私の名前は森岡俊行です。北海道釧路市で「アクティブリンク釧路」という活動を始め、これまでに、7000枚以上のチラシを配布し、3回のおはなし会を開催してきました。私は、この活動をきっかけに、低迷する日本経済の流れを変えるような、新しい社会のあり方を示していけると考えていました。
ところが今年4月、私は家庭の事情で北海道苫小牧市に移住することになり、この活動を苫小牧市でも広げて行くために、クラウドファンディングを実施することにしました。最後に、これまでの活動を振り返り、皆様への感謝の気持ちや、釧路市で実現したかったこと、今まで言えなかった釧路市への思いを、皆様にお伝えしたいと思います。
【 これまでの活動紹介 】
第一回おはなし会は4名で開始しました。
2024年6月2日、第一回おはなし会を開催しました。
普段は土曜日と祝日も仕事があり、休みは日曜日だけなのですが、ゴールデンウィーク期間中は連休になるため、気合を入れてチラシを配布しました。
それ以外の日は、仕事前の早朝や仕事後の時間を活用し、およそ3,500枚のチラシを配布しました。
当日は、チラシを見てご連絡をいただいた2名の方と、Facebookからご連絡をいただいた2名の方、計4名でのスタートとなりました。
(左奥)吉田さんは、火曜日と木曜日の体操教室に参加されており、別の曜日にも体操教室に参加したいというお話をされました。
(左手前)熊谷さんはご近所の方で、同様に別の曜日の体操教室に参加したいというご希望を話されていました。
また、以前は保育士をされていたことや、その後健康麻雀教室を運営されていたこともお話しいただきました。
(右奥)中家さんは、障害者の家族会の活動を再開したいと考えているというお話をされました。
また、娘さんの保育園時代の担任が熊谷さんだったということで、とても盛り上がりました。
(右手前)上田さんは、毎週木曜日の体操教室のチラシを作成し、どのように参加者を集めて教室を開始するか悩まれていたため、今回の会に参加されました。
他の体操教室に参加されている吉田さんや熊谷さんに相談できたことを、とても喜ばれていました。
おはなし会の最後には、次回の開催日程についてみなさんから助言をいただきました。
振り返ると、4名の参加者は皆さんとてもお話が上手で、会を大いに盛り上げていただきました。
第一回の参加者の皆さんには心から感謝しています。
その後、上田さんは吉田さんや熊谷さんに相談し、体操教室を水曜日に変更しました。
また、吉田さんの友人の紹介もあり、予定より早く教室を開始できたそうです。
さらに、おはなし会が行われていた隣の部屋で健康麻雀サークルが活動していることが分かり、熊谷さんともつながりを持つことができました。
第一回おはなし会は大成功でした。
第二回おはなし会は、参加者が大きく増えました。
第二回おはなし会は、7月28日に開催されました。
仕事の繁忙期である9月と10月を避けて、5月、8月、11月、2月の年4回開催を予定していましたが、初回が6月にずれ込み、さらに8月はお祭りなどの影響で開催時期を前倒しすることになりました。
その結果、第一回と第二回の間隔が短くなってしまいました。
短い期間でしたが、熊谷さんのお手伝いもあり、なんとか3,000枚以上のチラシを配布することができました。
この時期には、活動の影響力を広げるため、政治家やマスコミへのPRも開始していました。
第二回おはなし会の開催に先立ち、釧路新聞さんが取材をしてくださることになり、私の仕事後の午後7時に会場となるコア鳥取ロビーにお集まりいただきました。
第一回の参加者から3名に加え、中家さんの息子さん、さらに後の選挙で釧路市長になられた鶴間さん主催の「おしゃべりゴミ拾い」で知り合った藤牧さんと及川さんにも参加していただきました。
特に及川さんには、「アクティブリンク釧路」のネーミングの際を含め、多くのアドバイスをいただき、大変お世話になりました。
後日、釧路新聞の2面の目立つ位置に大きく記事を掲載していただきました。
釧路新聞さん、記者の石川さん、ありがとうございました。
第二回おはなし会には、写真家の今井さんもご参加くださり、ひとりひとりのとても良い表情を撮影してくださいました。
(上段左から2番目)佐藤さんは高齢者劇団の主催者で、私が講演を見に行ったことがきっかけでつながり、おはなし会についてもご相談させていただいていた方です。
(上段左から3番目)柵木(ませき)さんは初参加でしたが、お話が上手で、会を大いに盛り上げてくださいました。
(上段左から4番目)田中さんは、(下段左から4番目)中家さんの職場の同僚で、SNSでの占い活動などについて紹介されていました。
(下段左から3番目)高瀬さんと(下段左から2番目)川端さんは、それぞれ一人暮らしの寂しさなどについて語られました。
高瀬さんは会場からご自宅が近いこともあり、その後も度々交流させていただいています。
川端さんは、50歳という年齢以上に若々しい印象で、今後の様子が気になる方です。
(下段左から1番目)熊谷さんは、第一回おはなし会の良かった点を紹介しながら、会の進行を補佐してくださいました。
この後、藤牧さんと記者の石川さんも顔を出してくださいました。
第二回おはなし会も、参加者に恵まれ、とても良い会となりました。
ただし、人数が多かったため、次回はグループ分けを検討したいという意見をいただきました。
第三回おはなし会では、グループ分けにより、新しい活動の形が見え始めました。
第三回おはなし会は、仕事の繁忙期が終わった11月に入り、チラシ配布を開始しました。
この時期になると、午後5時過ぎにはすでに真っ暗になり、配布が難しくなります。
朝も暗いのですが、新聞配達の方がいるため、夜よりは配りやすい雰囲気です。
しかし、気温が低く、すぐに手が冷たくなるため、非常に辛い作業でした。
そこで妻に相談し、日曜日を一日使って、なんとか1,000枚以上のチラシを配り終えました。
(左端)坂見さんは初参加で、お隣の柵木さんとのお話が大いに盛り上がり、最後には連絡先を交換されていました。
(右端)吉田さんも初参加で、最初は「見学で良い」とおっしゃっていましたが、お隣の高瀬さんに誘われてグループに参加されました。とてもお話が上手な方です。
左から藤牧さん、中家さん、及川さん。
実は及川さんと中家さん、そして前回参加された田中さんは職場の同僚です。
また、第一回から参加している中家さんも、及川さんがきっかけでおはなし会に参加されています。
このグループの3人は全員、SNSで情報発信をされている方々で、とても頼もしい仲間です。
この11月に新しく釧路市長に就任された鶴間さんは、この3名と私の共通の知り合いです。
この日出たアイデアを鶴間さんにもお伝えしたいと私が話すと、「市長に頼るのではなく、市民の力で実現した方が良いのではないか」という意見も飛び出しました。
私としては、自由に意見を言いやすい環境を作り、みんなで楽しいアイデアを膨らませられる、そんな楽しい会や時間を作ることが大切だと考えています。
これまでのおはなし会は、参加者の皆さんに助けられてきましたが、私自身も司会としての腕を磨き、もっと楽しく盛り上げられるような人間になりたいと思っています。
これまでの三回の活動では、写真の使用に関する確認を行ってきましたが、反対される方はおられませんでした。しかし、若い世代の方々も参加しやすい環境を整えるため、SNS上では写真を加工して公開してまいりました。
今回のクラウドファンディングに先立ち、改めて皆さんに確認のご連絡を差し上げました。
活動紹介や写真掲載にご協力いただいた皆様に、心より感謝申し上げます。
この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。
【 アクティブリンク釧路の活動背景 】
釧路から日本を変えたいと考えた理由
ここからは活動の背景を説明するために用意していた資料をもとにお話しします。
アクティブリンク釧路は、もともと「くしろ社会的処方」という活動名で企画されていました。
「社会的処方」はイギリスで生まれた制度であり、これを日本に取り入れようとする西智弘先生の視点に強く共感しました。また、西先生が釧路市出身であることからも、特別な縁を感じました。
活動のポイントは、資料の最後に記載された「楽しいところがあるからおいでよ!」というメッセージ。
私はこれまで長年にわたり社会活動を行ってきましたが、新しい活動を始めても、集まる人々の多くは既に活動的な層(アクティブ層)であることに気付いていました。そこで、政治に関心が薄い人や引きこもりがちな人(非アクティブ層)にもこのメッセージを届け、前向きな気持ちを持ってもらいたいと考えました。
私がチラシを持って住宅街を回ることにこだわっていた理由はここにあります。
この活動は、みんな(アクティブ層)が楽しむためだけではなく、すぐには行動を起こさない人たち(非アクティブ層)に向けて「楽しい場所があるよ」というメッセージを届けるためのものでした。
もうひとつの重要なポイントは、「制度ではなく文化にしていく」ということ。
社会的処方は、先進国に共通する孤独・孤立問題を解消するための取り組みです。
ところが日本の場合は、一度制度化して予算をつけてしまうと、削減することが難しい実情があります。
社会保障費増加の原因は、少子高齢化だけではありません。
国政の場では、問題解決以上に予算確保に熱心な方が多く、この流れを止めることが出来ません。
そこで私は、西先生の社会的処方に感銘を受け、地方から日本を変える、釧路から日本を変えようと考えました。
今こそ日本を変える時!
社会が発展し、公助が充実することで共助が失われると、人々がますます公助に依存するようになり、その結果、共助がさらに失われていく。
このような悪循環の中で、孤独と孤立が社会問題として顕在化しました。
だからこそ、孤独と孤立が社会問題化した今、新しい共助の形を創り出し、公助への過度な依存の流れを変えることが必要だと考えています。
活動のねらい
ここまで、政治家の方々に活動の背景を説明するために作成した資料をもとにお話ししました。上の図は、その資料の最初のスライドです。
私は2004年に大学を卒業し、2005年に最初の社会活動を始めました。労働環境の悪化、子どもの自殺の増加、少子高齢化、そして社会保障費の増加など、これらは予測可能な未来でした。そして、何もしなければ状況はさらに悪化することも明らかでした。
原因は明確であり、この流れを変えるため、これまでさまざまな活動を行ってきました。
アクティブリンク釧路も、その活動の中のひとつです。
「くしろ社会的処方」という活動名でスタートしようとした際には、堅いイメージだとの指摘を受け、大変不評でした。
そこで、さまざまな試行錯誤を重ね、過去のレクリエーション・インストラクターとしての活動経験を活かしながら、笑顔を生み出す活動を広げたいと考えるようになりました。
「アクティブリンク釧路」の活動を開始するまでには、1年以上にわたる試行錯誤がありました。
【 釧路だからできること 】
釧路だからできる活動
アクティブリンク釧路の活動において、重要な要素の一つがチラシ配りです。
私が住宅街でチラシを配り歩いていると、「お疲れ様です」といった温かい言葉を数多くいただきました。
他の地域で行った場合は、もっと冷たい対応を受けたかもしれません。
このことは、釧路市ならではの大きな特徴の一つだと感じています。
釧路だからできる子育て
私が釧路市に移住する以前、初めて釧路市を訪れたときに驚いたことがあります。それは、子どもたちがショッピングセンターの中を元気に走り回っている光景でした。その姿を見て思わず笑顔になり、「釧路は良いところだな」と感じたのを覚えています。
その後、釧路市に移住して結婚し、子育てをするようになってから、私はその良さをさらに実感しました。ある日、子どもが歩き始めた頃のことです。貴重な日曜日に雨が降り、外で遊ばせることができなかったときの話です。
私は、札幌から嫁いできた妻に「釧路の人たちは子どもに寛容だから」と話し、ショッピングセンターで子どもを歩かせることにしました。他の都市では、子どもの存在が他のお客様の迷惑になると考え、肩身の狭い思いをすることがあるかもしれません。しかし、思い切って歩かせてみたのです。
すると、何人もの大人たちが子どもを見て「かわいいね」と声をかけてくれました。このような温かい光景は、釧路の人々なら理解していただけると思います。釧路で子育てができて、本当に良かったと感じています。
釧路だからできる仕事
私にとって釧路は、高校生のころから憧れの地でした。
体を動かすことが好きで活発だった一方で、私は暑さに弱いという欠点がありました。そのため職業選択の幅が限られ、好きな仕事に就けず、とても辛い思いをしてきたのです。
釧路に移住し、物流やものづくりの仕事に就けたことは、私にとって非常に貴重な経験でした。東京とは異なり、体を動かす仕事に就くことができたことで、社会のあり方や子どもたちの未来について改めて深く考える機会を得ました。そして、その経験がアクティブリンク釧路のような活動を実現する原動力にもなりました。
豊かな釧路市を実現するために私たちができること
私は活動の中で、笑顔を生み出すことや新しいアイデアを考え出すことを大切にしてきました。経済と聞くと多くの人が「お金」をイメージするかもしれませんが、私はお金をかけずに楽しむことや、みんなで新しいアイデアを生み出すことを通じて、新しい社会のあり方を表現しようと努めてきました。
大切なのは、子育て、人々の生活を支えるための仕事、そして豊かで楽しい社会を実現するために、みんなで考え、協力し合うことだと考えています。
【 クラウドファンディングを行う理由 】
私が初めて市民活動に挑戦したのは2005年のことです。当時、人材業界の営業職を退職し、持てる力を注いで活動を始めました。一部の方々から大きな反響をいただいたものの、十分な支援を集めることができず、学生時代から貯めていた貯金を使い果たし、やむを得ず活動を終了することになりました。
その後、東京で事務派遣の仕事をしながら生活を安定させ、市民活動やNPO法人を訪問し、新しい活動の形を模索してきました。その過程で、政治の世界や市民団体の中にある課題や問題点を多く学ぶ機会を得ました。
2011年、東日本大震災が発生したことで、社会が大きく変化しました。多くの市民が既存の政治や市民活動の在り方に疑問を抱く中で、これまで学んできた問題点を指摘することで、私自身の役割が注目されるようになりました。その結果、国の方針に影響を与えるような活動にも関わることができました。
そして、私にとってさらに大きな転機となったのが、釧路市への移住です。これまでの活動は、体の問題もありロビー活動が中心でしたが、釧路では地域を回り、住民一人ひとりと直接つながる「草の根活動」を始めることができました。釧路での活動を通じて、地域の可能性や人々の温かさを実感しました。
ところが今年4月、私は家庭の事情で北海道苫小牧市に移住することになりました。
今回のクラウドファンディングは、苫小牧での活動への支援を呼び掛けるものです。そしてもうひとつ、市民の力で釧路市を、より良い社会に変えていこうと呼びかけるためのものです。
私は、このクラウドファンディングを通して多くの市民とつながり、釧路で始めた草の根活動をさらに発展させ、国の方針を大きく変えるような活動に育てていきたいと考えています。
どうか皆さまのお力をお貸しください。
共につながり、共に未来を創りましょう。
【 目標に届かなかった場合 】
苫小牧での最適な活動形態を模索し、活動を開始します。必要に応じて、その他の活動支援も行います。
ご支援いただいた資金は、全てイベント運営費、広報宣伝費、そして皆さまの活動への支援に充てさせていただきます。令和9年3月末までに、資金を有効活用し、その成果を報告いたします。
皆さまからいただいた支援金を最大限有効に活用できるよう、精一杯努力してまいります。
【 成功した場合 】
苫小牧での最適な活動形態を模索し、活動を開始します。
それだけでなく、釧路でのつながりや、このクラウドファンディングを通じて生まれたつながりを活かし、さまざまな活動支援にも積極的に取り組みたいと考えています。
ご支援いただいた資金は、全てイベント運営費、広報宣伝費、そして皆さまの活動への支援に充てさせていただきます。
令和9年3月末までに、資金を有効活用し、その成果を報告いたします。
皆さまからいただいた支援金を最大限有効に活用できるよう、全力を尽くして取り組んでまいります。
【 朝日を見に行こう 】
写真は、北斗展望台から見える朝日と丹頂鶴の群れです。
私は、釧路市が夕日をアピールしていることに、ずっと違和感を抱いていました。
しかし、子どもたちが釧路を「夕日の街」として学び、美しい夕日を釧路らしさとして受け入れ、育っていることを知ると、その違和感を口にするのはためらわれるようになりました。
私だけでなく、多くの日本人は、日本を「日出ずる国」として教わります。
特に、朝日と鶴の組み合わせは最高です。道東、釧路の朝日に期待する気持ちは、私だけではないはずです。
さらに、「日出ずる国」という表現は日本人だけでなく、世界でも知られています。
2022年9月5日、ロシアのプーチン大統領が「真の日出ずる国はロシアだ」と発言し、世界中からひんしゅくを買いました。
「日出ずる国」は、世界に広く知られる日本の美称なのです。
世界三大夕日として知られる釧路の夕日は、とても美しいです。
しかし、釧路にはそれ以上に、人々を惹きつける魅力があると思います。
ぜひ、夕日以上に朝日の魅力をアピールしてみてください。
釧路が日本の中の「日が昇る街」として、さらに輝くことを願っています。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。皆様のご支援、そして皆様とのつながりが、今後の活動の大きな力になります。
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