みなさまからの大きな後ろ盾をいただいてから1ヶ月。資金調達は相変わらず難航してはいるものの、自立援助ホームのホーム提供者が現れましたので、自立援助ホームは、そちらのホームが利用可能になるまで約3年、見送ることにしました。そうなると、リフォーム費用が1/3に抑えられます。そこに、拠点予定地だった古民家の持ち主さんが、「おりばの趣旨には賛同しています。こんなに頑張っているアナタに、この家は提供しましょう!」とおっしゃってくださり、先ずは育成支援拠点の部分だけ、開始する運びとなりました。現在は、4月採用の初動スタッフ6名と、拠点整備と受け入れ準備を開始しているところです。育成支援の指導員に応募してくださったスタッフなのに、いやな顔ひとつせず、古民家の清掃や整備、買い出しや拠点準備(本来業務とは違うのに)を、いろんな話しをしながら(ベクトル合わせ)ワイワイと進めており、私はとっても恵まれていると日々感謝して過ごせています。5月の開所に向けて、今月半ばには利用者募集を広く周知します。農園も無事に確保することができ、5月下旬には最初の植え付けが始まります。農園スタッフも集まりつつあるところですが、植え付けスタッフには少々人手不足なので、近隣の(就労継続支援)B型事業所にお手伝いをお願いして、最初は自然薯と白ナスビを植えていきます。それと同時に、こんなに頑張ってくれるスタッフの雇用を守らなきゃという思いと、自身の準備不足、知識不足を痛感し、反省すべき点がたくさん浮き彫りになって来て、今更ながらに「気持ちだけでは突っ走れない」ことを改めて実感しました。そこで、私がいつも伝えている、壁に突き当たったときこそ「じゃあどうするか」を考えるという視点に立って、たくさん考えました。制度が無い子どもたちの支援に拘りすぎてしまっていないか?自問自答を繰り返した結果、今月新たに「合同会社alias(エイリアス)」を設立することにしました。このaliasでは、障害者の就労移行支援と、就労継続支援A型事業所を展開します。制度が無い子どもたちを「おりば」で支えて、育て、障害者手帳があった方が生きやすい人には、手帳を取得させる。18歳で、障害者になった人の中で更に支援が必要な人は、aliasの就労移行支援を使って、社会に出てもらう。18歳で、障害者にならなかった人は、当初の予定通り、個人事業のuntiled(アンタイトル)を介して社会へ巣立つ。どうしても、どうしても、ある一定の配慮が必要で、一般で働くにはちょっとまだ届かない障害者には、aliasの就労継続支援A型で、更に力をつけるような支援をする。そこで、社会に出ていくために必要な力が付いたら、aliasの就労移行支援から一般社会へ。一般社会で定年まで頑張った人、定年退職後もまだ活躍できる、活躍したいと思ったら、おりばに戻って来ておりば農園の作業員として働く。言ってしまえば、「代打オレ!」です。当初からの私の思いの通り、障害があってもなくても、それはただの個性でしかないよねというのを見て分かるように実践していく。15歳でおりばに入って来て、農業活動から始めて、社会性を身に着けたら、実習をして、一般就労を目指す→(人によってはaliasの障害者支援も可)→一般就労で定年を迎えたら、65歳?で、おりばに戻って次世代を育成する。実際には、お金が無いと、いくら良い仕組みを思いついても遂行できない。だからみんなで農作物を育てて、みんなで少しずつ豊かになりたい。それでも足りないかもしれないから、使える制度は使う。気持ちだけで突っ走っている私の背中を押してくれた、91人の皆様のご期待をしっかり背負い、今後も真っすぐ進みます。拠点となる古民家を譲り受けた日(4月7日)は、晴れで、庭の桜がきれいに咲いて、私たちを歓迎してくれているようでした。以上、第1回目の活動報告をさせていただきます。みなさま、大きな力を与えてくださり、ありがとうございました。私はこれからも、働きたいと願う様々な人たちに寄り添い、納税者を増やす活動を続けていきます。そして数年後には、近所の候補地で自立援助ホームを開始し、育成支援拠点隣の古民家を購入して、子ども食堂ならぬ、誰でも食堂を開店します。更に数年後、私は、誰もが豊かな心で過ごせる「おりば村」の村長になっていたい。またご報告させていただきます。おりばの取り組みを見守ってください。何度も言います。みなさま、ありがとうございました。





