このページをご覧いただきありがとうございます!「一迫ゆり園おこし協力隊」代表を務める、一迫観光協会 会長の門傳英慈(もんでん えいじ)と申します。
かつて宮城県栗原市一迫地区にあった 「南くりこま高原 一迫ゆり園」 は、観光による地域活性化を目指し、1991年に開園しました。
園内には 約200種類のユリが咲き誇り、年間3万人以上が訪れる 人気の観光地でした。
しかし、30年間運営を続けた「町おこしユリの会」のメンバーの高齢化や、コロナ禍による球根の輸入困難などの影響で 2020年に閉園。
30,000㎡もの広大な跡地 は、現在は活用されずに残っています。
閉園から数年が経った今でも、
「もう一度、あの美しいゆり園を見たい」
「またあの風景を子どもたちにも見せたい」
という声を、多くの方からいただいています。
このプロジェクトでは、 一迫ゆり園の復活に向けた第一歩 として、試験的な植栽を行い、多くの人にこの想いを届ける活動を始めます。
かつての一迫ゆり園|もう一度、この景色を
まずは、 ゆり園跡地の一部にユリを植え、試験園として運営 します。
この取り組みが、再開に向けた大きな一歩になると信じています。
・ゆりを植え、再開のイメージを形にする
・かつてのゆり園を懐かしんでいる方々とつながる
・将来的に継続的な運営ができる仕組みをつくる
ゆり園の復活には、時間と準備が必要です。
だからこそ、まずは 「小さな一歩」から始めること を大切にしたいと考えています。
この取り組みを通じて、一迫ゆり園が再び花開く未来を、皆さんと一緒に描いていけたら嬉しいです。
これまでの経緯
1988年(昭和63年)
旧一迫町の青年有志30人が集まり、「町おこし会」を設立。
農業の厳しい状況を支えるため、観光振興の取り組みが始まる。
1989年(平成元年)
「町おこしユリの会」を発足し、ユリ園構想が具体化。
1990年(平成2年)
面積2,000㎡に31品種13,000株を植栽し、試験園を開園。
1991年(平成3年)
面積10,000㎡に拡大し、 第1回ゆりまつりを開催。
その後、 200品種・20,000㎡・200,000株 まで規模を拡大。
2020年(令和2年)
コロナ禍や関係者の高齢化により、惜しまれながら閉園。
一迫ゆり園おこし協力隊の設立
閉園後も、「もう一度あの美しいゆり園を見たい」という声が多く寄せられました。
また、 宮城大学のフィールドワークでの現地視察 や、複数の法人からの関心も寄せられています。
しかし、当時の運営メンバーの高齢化が進み、「今が再開に向けた最後のチャンスかもしれない」 と考えるようになりました。
そこで、地域の有志とともに 「一迫ゆり園おこし協力隊」 を立ち上げ、
まずは ゆり園跡地の一部にユリを植え、復活への第一歩を踏み出すこと にしました。
かつて行われた 地域の小学生による植え付け実習の様子
多くの人が関われる園に
「一迫ゆり園おこし協力隊」は、かつての「町おこしユリの会」のメンバーを中心に結成された団体です。
さらに、多くの人に関わっていただけるよう、 「一迫ゆり園友の会」 を設立し、ゆるやかに参加できる仕組みを作りました。
・「支援だけでも参加したい」
・「活動には直接参加できないけれど、応援したい」
・「試験園の植栽や管理に関わってみたい」
どんな形でも、このプロジェクトを見守り、支えてくださる方々が増えることが、私たちの力になります。
全てのリターンで
複数のリターンをご用意しましたが、今回のクラウドファンディングでご支援いただいた方々には、すべてのリターンにおいて「一迫ゆり園友の会」の活動についてメール等で報告いたします。
ゆりの球根
ゆりは植えたままでも毎年花を咲かせますが、一迫ゆり園ではより美しい景観を維持するために、球根を毎年掘り起こして管理しています。掘り起こすことで、以下のメリットがあります。
・ 大きく健康な球根を選別できる
病気や傷んだ球根を取り除き、翌年も元気に花を咲かせるための環境を整えます。
・ 球根の密集を防ぎ、適切な間隔で植え直せる
ゆりの球根は年々増えるため、放置すると栄養不足で花が小さくなってしまいます。
・消毒と適切な保管で球根の健康を守る
掘り起こした球根は丁寧に消毒し、適切な環境で保管することで、病気のリスクを減らし、翌年も美しい花を咲かせることができます。
このように、ゆりの球根は適切に管理することで、毎年美しい景色を作り続けることができます。
今回のクラウドファンディングでは、この大切に管理された球根をリターン品としてお届けいたします。ご家庭でもゆりの花を楽しんでいただけるよう、球根の植え方パンフレットも同封しますので、ぜひ育ててみてください。
資金の使いみち
ご支援いただいた資金は、試験園の運営に使わせていただきます。
【1年間の必要資金】
- 球根代:約30万円
- 除草費:約30万円
- 機械借上費:約20万円
- 肥料散布費:約10万円
- その他:約10万円
- 合計 100万円
ゆりを再び咲かせるため、大切に使わせていただきます。
今後のスケジュール
2025年は、1,000㎡の敷地に5,000球の球根を植え付けする試験園から始めます。
2年後の2027年に、かつてと同じ1万5000㎡の敷地に15万球の球根を植え付けし、一迫ゆり園の完全復活を目指します。
株式会社和楽旅行社 代表取締役 阿部素子 様
※動画でご視聴ください。
東日本急行株式会社 代表取締役 馬場晴行 様
旧一迫町は本当に奥深い町だと思う。古くは剣豪・千葉周作を孤雲道場から江戸に送り 出し、近くは名優・菅原文太が中高時代、疎開で野山を駆け巡った町である。 地域の篤農家が20年かけて手造りで仕上げた”日本一のゆり園”は残念ながら高齢化とコ ロナ禍で5年前に閉鎖となった。思いのある人たちの挑戦が始まった。町を走る高速バス 会社のトップとして復活の小さな駒になれればと念じている。役者引退後、農業人となっ た菅原文太も「天国から再開を待ってるぞ!」と野太い声で応援しているような気がする。
一迫青年会 会長 山田 匠 様
一迫地区の地域振興と世界の平和を願い、毎年2月に「春を呼ぶ 裸たるみこし」を主催している一迫青年会の山田です。 今回一迫ゆり園の復活を目指し、当時のユリの会のメンバーの方々など、地域の大先輩方が奮闘されている姿を見て、私たちもさらに頑張らなければと強い刺激をいただいております。 今回のクラウドファンディングはもとより、一迫青年会として、可能な範囲でご協力させていただければと思っております。 市内外の皆様もご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
アクターディレクトライター 高山広 様
「百合」の字の通りに、多くの方々の思いと愛が幾百幾千にも重なり合い、この一迫そして栗原市、宮城県から世界へと、笑顔の花がひろがって行きますように…。思い出深い「一迫ゆり園」の復活を心から祈らせて頂きます。
フリーアナウンサー 菅原美話 様
※動画でご視聴ください。
一迫ゆり園があったこの場所には、多くの思い出が残っています。
「家族で訪れたゆりまつり」
「満開の花の中を歩いたあの日」
「地元の人たちが大切にしていた風景」
この風景を、未来へつなげることができたら。
そう思いながら、少しずつ歩みを進めています。
すぐに大きなゆり園を取り戻すことはできなくても、
小さな一歩を踏み出すことで、少しずつ形にしていけるはずです。
そして、その一歩を、皆さんと一緒に歩めたら嬉しいです。
どうか、一迫ゆり園をもう一度咲かせるために、お力をお貸しください。
最新の活動報告
もっと見るゆり園再開に向けて!球根植えボランティア募集のお知らせ
2025/03/16 09:14こちらの活動報告は支援者限定の公開です。
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