注目のリターン
自己紹介
ご覧いただきありがとうございます。新潟県三島郡出雲崎町でレトロなオモチャの博物館「出雲崎レトロミュージアム」を営んでおります、館長の「中野 賢一」と申します。
鹿児島県で生まれ、両親の離婚などで母親と共に11歳の時に名古屋へ移住した名古屋育ちです。その後20代半ばで大手家電量販店に入社し、パソコンサポート事業の立ち上げや、中古のパソコン・家電リサイクル事業の立ち上げ、中古専門店を担当してきました。その頃から、おもちゃや昭和の物を集めるようになり徐々に徐々に増やしてきましたが30代後半頃に家電量販店退職し名古屋で会社を設立。IT関連などの仕事を始めました。そして今から10年ほど前に世界的な観光地である、岐阜県高山市にある高山昭和館と言う昭和の博物館の館長さんが急死され、縁もあり高山市へ移住し高山昭和館の運営管理をおこなっておりました。
その後、自分のコレクションや高山で知り合ったコレクターさんのご協力や建設時から加入した従業員と一緒に、若い世代に楽しんで貰える「飛騨高山レトロミュージアム」を2018年11月に作りオープン。スバル360、ミゼットなどの旧車の展示や壁を埋め尽くす数多くの琺瑯看板や昭和のポスター。館内では綿菓子作り体験やレトロな体験などを楽しみながら、蔵の中にできた昭和の街を散策しながら写真撮影など。小学校を再現した教室では、あげぱん・ソフト麺・ミルメーク+牛乳・アジフライ・クジラの竜田揚げなど当時の給食を再現し、たちまち人気の施設となりました。
※飛騨高山レトロミュージアムは現在も運営していますので高山へ観光旅行の際は、ぜひ立ち寄ってみてください。
その後、新型コロナウィルスが始まり2年間ほど休業要請などで「休館」→「開館」→「休館」を繰り返してきましたが、2022年度には年間10万人の入館者まで回復してきました。
がコロナでの苦労や疲労、また冬の高山の極寒に(冬季は市街地でマイナス16度なども)自身の身体が付いていけなくなり、大腸の手術、極度の高血圧、国難病のクローン病を患ってしまいました。
その時、鹿児島の母親が肺がんと心臓病を患って入院。余命8ヶ月と言われた時は言葉が出ませんでした。少しでも1人息子の顔を見せることが最後の親孝行だと思い岐阜県から毎月、鹿児島の病院へ行き母との会話や、1日だけの仮退院が主治医から認められた時は2人で鹿児島の霧島温泉郷へ親子の最後の旅を。
その後、母は亡くなり鹿児島で家族葬を行った後に、遺骨を一緒に連れてきて、母が来たかった岐阜県高山市のお寺に。
そんな病気との戦いや母の死で精神的にも参ってしまい、寝たり起きたりの生活が続き、動くこともままならない状態でしたが、高山市は医療体制が脆弱な事もあり、私の病気は治すことが出来ませんでした。
10名の従業員に負担を掛けていることに申し訳ない気持ちもあり、飛騨高山レトロミュージアムともう1店舗を譲渡することを決め、従業員の雇用現状維持を約束頂いたうえで事業譲渡し、妻の実家がある新潟県柏崎市へ2023年4月に移住。
移住後は身体のケアを優先し、高山市から4トントラックで持ってきた多くの個人コレクションのおもちゃを(飛騨高山レトロミュージアムともう1店舗の建物内の展示品は全て譲渡)柏崎市の自宅で少しずつ開梱やメンテナンスをしながら、体調の復帰をおこなってきました。
ダンボールの中におもちゃを寝かせていてもなぁぁ・・・・と思い、新潟で子供たちが遊べる施設が作れないかと考えていた時、夏ごろに出雲崎町で今の場所が売りに出ているのを知りました。
25年ほど前までスーパーだった建物で、長い間放置されていたため店内は酷い状態で、とても店をやれるような状態ではなかったのですが、出雲崎町は子育て支援に優しい町で、そこに共感されて出雲崎町での新たな博物館建設へ乗り出しました。
地元の大工さんや電気屋さん、看板屋さんなどのご協力を得て、わずか2か月ほどで完成することが出来、2023年12月8日にオープンに至りました。当初はブリキのオモチャ展示がメインで、見るだけでは楽しめない事から、子供にとっては初めて見るようなアナログなオモチャ、大人にとっては自分が子供の頃に買ってもらったり、遊んでいた懐かしいオモチャで遊べるエリアも併設し、見るだけではなく家族で楽しんで貰う事ができるオモチャの博物館としてオープン致しました。
「子供は壊すのが仕事」これは飛騨高山からの私の思いであり、壊れても治せば良いと言う信念もあり子供たちには、アナログなオモチャでたくさん楽しんで頂いていましたが、そんな2024年1月1日の能登半島地震により出雲崎レトロミュージアムも大きな被害を受けました。
オープンから数週間余りで震度5の地震により建物壁面の損壊や館内のおもちゃの多くが破損し一時閉館を余儀なくされましたが多くの皆様のご協力により無事に再開へ。
多くの子供達にオモチャを大事に遊んで頂き、遊んだら元に戻すと言う事を学んでもらう意味もあり、オモチャで遊べるスタイルでしたが、まれに乱雑に扱い、破壊行為をする、それを見てる親が笑っていたり、壊している所を(本人はそんなつもりはないのでしょうが)スマホで撮影していたりなど、ミュージアムの知名度が上がるにつれて、そのようなお客様がだんだんと増えてきました。
そして1年がたった時に調べてみたところ、1年間で約220万円ほどのオモチャが破壊され、部品が無い物は修理すらできず廃棄処分などになっていました。
そんな時の2024年12月のとある平日に、お父さんと息子さんの親子連れが来館。
12月の平日と言う事で親子以外は人がおらず、貸し切り状態での来館でした。
親子はオモチャを叩いたり触ってはいけない物を触ったりしていましたが、
今のところは被害になるような状況ではなかったため静観していた所、
突然子供さんが癇癪を起して大声で暴れだし、
テーブルの上にあったオモチャを片っ端から床に投げつけたりしたため注意に向かいました。
どうもお父さんが帰ると言ったところ子供さんが怒り出したようでしたが、
理由はどうであれ注意が必要でしたので、お父さんに注意をしたところ・・・・
「壊されて困るなら!触れるような状態にしておくな!」と突然逆切れ。
「壊されて文句言うならガラスケースの中に入れとけよ!!」
私は父親に、にらみつけられていました。
たくさんの子供達に楽しんでもらいたい、
家族で楽しんで親子の絆をオモチャでつないで欲しい思いで始めた博物館の仕事に対して、
私はこの件でついに「心が折れてしまいました」
子供のため、レトロが好きな人の為にと思ってやっていたことが、
この一言で飛んでしまい、博物館をやっていく事に対して気持ちが全て飛んでしまいました。
自分たちもそうだったと思います。子供と言うのは何でも興味を持って触ったり壊したり走り回ったりします。そんな子供が壊したことに対して私は子供に責任があると思っていません。今までも子供が壊しても怒ったことはありません。でも「大事に遊ばないとだめだよ?」とは言います。博物館や美術館などのように貴重な展示品があるような場所では、やはり親がきちんと目を離さないようにし、店に迷惑をかけないようにするのが親の務めだと思います。親がオモチャやレトロゲームに夢中になり、子供を放置状態にしてお店が無法地帯のような状況になってしまうと、このような破壊なども起こってしまいます。
今回の件の後からもレトロゲームの椅子を壊されたり、魚釣りゲームを壊されたり、新潟県では当館にしかない、1970年頃のコスモス自販機の返却レバーを盗まれたりなど、数多くの破壊破損がありました。
このような事が多発し、親の方に子供から目を離さないでくださいと入館時にお願いしても、聞いていない人も多く、わずか1年余りの営業でしたが2025年2月3日(月)をもち、出雲崎レトロミュージアムのおもちゃの博物館を閉館することに決めました。
閉館が決まった後からは多くの子供たちが「館長さんへ」と自分で書いてくれた手紙を持参して遊びに来てくれました。この手紙を見た時に、「あぁぁ~もうこの子たちが遊べる施設は無くなるんだ」と思うと涙が止まりませんでした。私は事情があり子供がいません。まるで孫のような世代の子達からこのような手紙を直接貰うことが出来、出雲崎レトロミュージアムを作って良かった、そしてなんて自分は幸せなんだと実感することができました。
閉館する事自体は、お客さまだけの責任では決してなく、館長である私の管理不足も原因だと思っています。しかし飛騨高山レトロミュージアムで培った運営方法やシステムをそのまま導入し、高山市では余りなかった破損や盗難などが出雲崎ではなぜ多発するのかは定かではありません。私は現在もクローン病と高血圧、そして12月からは左脳付近の軽微な脳内出血を患いながら平日は1人、週末は妻に手伝いをもらいながら営業しています。そのため、身体の痛みや頭の痛みを薬で抑えながらやっていることから、なかなか館内まで走ったりなど手が回らない状態でした。もちろんせっかく来ていただいたお客様の前で辛そうな顔をすることは出来ませんので、何事も無いように振る舞い、時には会話をしフォロワーさんと館内で楽しませて頂いていました。
病気と闘いながらでも、子供達に楽しんで欲しい、レトロが大好きな大人の人たちに感動を与えたい。今もその気持ちは変わっていません。そんな中、多くの皆様からの励ましのメールやSNSでのDMを頂き、「なんとか存続できないのでしょうか?」などのご連絡など頂き、何かしらの存続も選択肢に必要なのではないかとの思いもあり、オモチャは99%無くなってしまいますが、飛騨高山時代から私が得意とする昭和レトロな街並みを作った昭和の博物館を残して行こうと思いました。
このプロジェクトで実現したいこと
レトロが好きな大人が癒され楽しんで頂ける昭和の博物館を作りたい。
をテーマに出雲崎レトロミュージアムを存続させるために、昭和の博物館へと変えたいと思います。
昭和を生きた世代の皆さんが見て、触って、感動して癒される
そんなリアルな昭和の街を館内に作りたい。
しかしながら博物館を作るには膨大な費用が必要です。
また今回破損した玩具などで損害も多く出ており、皆様からのご支援をお願いしたく思っております。
昭和の博物館として再開に当たり
大工工事・電気工事・街並みを作るための材料費や工具
保有している昭和の展示品では足りない装飾用等の展示品の補充
など500万円から1000万円の費用がかかってしまいます。
展示してあるオモチャを売却しながら不足分を補っていきますが、それでも大きな建物の館内を全て変えるには多額の費用が必要です。
応援して頂いている皆様からのコメント
今回の事件により本当に多くの皆様からメールやDMで励ましの連絡がありました。
1件1件に今は返答も出来ず申し訳ないと思います。
本当に皆様ありがとうございます。
■閉館するというニュースを見て、心を痛めました。現在、クラウドファンディングや寄付の募りはされておりますでしょうか。また今後する想定はありますでしょうか。少しでもお力添えさせて頂ければと思い、お問い合わせさせて頂きました。
■ニュース拝見しミュージアムのことを知り、非常に残念に思いました。決して、マナーの悪い、モラルがない人々に負けずに頑張ってください。雪のない横浜から陰ながら応援しています*\(^o^)/*
■ニュースを見てとても悲しい気持ちになりました。心お察しします。また新しい形の物は本当の大人が楽しめる物になることを願います。
■初めてお便りいたします。ニュースを見て驚きましたが、出雲崎レトロミュージアムさまの考えを尊重します。ものを大事に出来ない人にはミュージアムに来てほしくありません。大切なものばかりがある素敵な場所をどうかこれからもお守りください。応援しています。
■大変懐かしく拝見。徳島県在住のためすぐに伺う事が出来ませんが、ぜひ訪れたいです。昔の玩具が見つかれば送らせていただきます!。身近でも礼儀知らずの親子らが多くなっています。嘆かわしいことです。どうかこれを力に変えて頑張ってください
スケジュール
2月7日頃 クラウドファンディング開始
3月16日 クラウドファンディング終了
※良い事があるように願いを込めて終了日は私の55歳の誕生日にしました
3月未定 昭和の博物館再開
4月以降 リターン発送
最後に
最後に今回の件で私の心の気持ちは切れてしまいましたが、昭和の物に対する愛情、そしてなによりもそれを楽しみにお越し頂くお客様がいる限り、多くの皆様に楽しんで頂ける施設をと思っております。またいつ倒れるかわからない病気も抱えていますが、病気と闘いながら前に進むことが出来ればと思います。今回の事件を機に、小さな子供さんの入館等に関しましては大きな制限が入ってしまいますが、レトロミュージアムを大好きな子供たちの為にも何か方法を考えて、少しでも子供たちも楽しむことやエリアが出来ればと思っておりますが。
出雲崎レトロミュージアム
〒949-4352 新潟県三島郡出雲崎町大門869-5
Phone:0258-89-7749
E-Mail:info@retromuseum.co.jp
URL:https://retromuseum.co.jp
【営業時間】
月曜日〜金曜日(※火曜日・水曜日定休)
10:00〜15:00
土曜日・日曜日・祝日
10:00〜16:00
(現在は改装工事の為、休館中)
館長:中野賢一
最新の活動報告
もっと見る仙台のタレントでコスモスガチャのカリスマ ワッキー貝山さんが閉館前に遊びに来てくれました
2025/02/07 18:22YouTubeの映像はこちらです以前から来る来ると言ってた 仙台のタレントでコスモスガチャのカリスマでもある、ワッキー貝山さんが突然のアポ無し連絡無し(笑)の 電撃訪問で仙台から4時間半かけて 閉館前にと遊びに来てくれました。 出雲崎レトロミュージアムのコスモス自販機にはワッキー貝山さんプロデュースのコスモス缶バッジや、書籍の販売など ワッキー貝山さんのグッズを販売していました。 ※リニューアル後も販売いたします。 私と同じ年の昭和45年生まれのワッキー貝山さんにはうちの遊ぶものなど懐かしく感じられたと思います。その昭和のおやじが楽しめる施設が出雲崎レトロミュージアムでした。次週はワッキー貝山さんのYouTubeで館内の第2弾も放送されますのでぜひ引き続きチャンネル登録して 見てくださいね。 もっと見る
閉館後に初の出雲崎レトロミュージアムへ
2025/02/06 15:412月6日(木)は閉館後初の出雲崎レトロミュージアムへ行ってきました。留守電の確認や除雪などの他に少し片づけをやっておこうと思い14時頃まで不用になったブリキのおもちゃをダンボールで8箱分詰め込んで回収してきました。車の荷台はいっぱいですが展示台は1ケース分のみなので、大量のおもちゃの片づけにはまだまだ時間がかかりそうです。少しづつ前に進んで行こうと思います。 もっと見る
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