ご挨拶
西福寺(さいふくじ)副住職の八幡尭文と申します。当山は京都府綴喜郡井手町に建つ真言宗智山派のお寺です。(所在地はこちら)
寺伝によりますと奈良時代、恵隠大徳によって天武天皇除病延命の為に建立されました。後に左大臣橘諸兄によって再建され橘氏の氏寺として興隆し、その後、江戸時代元禄期に再興され、勧修寺宮の末寺となります。また、当時西福寺住職であった活濟上人は真言宗の神道である御流神道を大成し、御流神道玉水派を開きます。以来神様と仏様が共にいらっしゃる神仏習合の寺院として現在に至ります。
西福寺には平安時代に造られたものをはじめ30体を超えるお仏像、100幅のお仏画、奈良時代に書写されたものなど1000点以上の聖教を守り伝えています。令和6年には、皆さまからのご協力を賜り目標であった十三仏・釈迦三尊像・秘密田夫愛染尊・星曼荼羅の修復を完了することができました。お仏画は100年に一度の改装修理、巻子聖教は200年に一度の修理が必要とされています。損傷が激しいものも多く一日も早い修復が必要とされます。この度、令和7年12月に京都の文化財修復工房「光影堂」に4幅のお仏画をお預けいたしました。今後も数十年かけて什物の修復を進めていく所存です。時代を超えて拝み伝えられた仏さまを修復するため、皆さまの温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。

令和6年に修復いたしました御流神道本尊の秘密田夫愛染尊
神仏習合のお寺 西福寺
西福寺は江戸時代中期の住職である第14世活濟上人によって中興されました。上人は真言宗の神道である御流神道を大成し、この地の名(玉水)をとって御流神道玉水流を開きます。西福寺は江戸時代中期に、奈良東大寺大仏殿・東大寺鎮守八幡宮を再建され、その功績によって勧修寺宮の直末寺として再興されました。活濟上人は東大寺周辺で伝えられていた真言宗の神道を復興し、西福寺にて全国の僧150人に伝授をおこないました。その中には京都七条の智積院第23世鑁啓、24世胎通、26世浄光、27世英範がいました。活濟上人は鑁啓を法流の正嫡(後継者)に選びますが、灌頂の儀式を授ける前に亡くなります。その弟子である第15世文濟法印が寛政元年(1789)に西福寺にて鑁啓に神道灌頂を執行、その後は智積院を中心として全国に広がっていきました。時代の流れにより明治38年(1905)に智積院第47世瑜伽教如より西福寺第24世八幡禅我が法を授かった後に法流は途絶えます。しかし、奇跡的に神道灌頂で掛けられた本尊図41幅がそのまま残り、全国的にも極めて珍しい、当時の神仏習合の姿を今に伝えています。副住職として寺務の傍ら、十数年にわたり什物の保存整理を独学でおこなってきました。現在、聖教は桐タンスと中性紙箱に、仏画は専用の桐タンスを用いて保存をおこない、これ以上痛みが進行しないように努めています。
現在、什物の修復を順次進めており、昨年は皆さまのご支援を賜り、4幅のお仏画を無事修復させていただきました。この度も4幅のお仏画を修復いたしますので、ご支援を賜れれば幸いです。
修復された仏さまを中心に、年に2回特別展にて公開しています。真ん中は修復された三種神器図です。今回修復されるお仏画も、完了後は特別展にて公開してまいります。
大切に守り伝えられ、修復を待つお仏画
修復するお仏画(全4幅)
※サイズは表具含む全体
金剛界曼荼羅 (江戸時代 縦193cm×横112cm)
傳法灌頂・神道灌頂にて掛けられた両界曼荼羅の内、金剛界曼荼羅
西福寺では明和4年(1767)に伝法灌頂・神道灌頂、寛政元年(1789)に神道灌頂が執行され、この両界曼荼羅の前で58人の僧侶が入壇、10500人が結縁を結びました。

折れが激しく、割れが発生しています。掛けている時も開く時、巻く時も絵の具がはがれないよう気を付けています。

全体に割れがあり、なんとか絵が残っている状態です。折れているところから絵の具がいまに剥がれてしまいそうです。
胎蔵曼荼羅(江戸時代 縦192cm×横110cm)
傳法灌頂・神道灌頂にて掛けられた両界曼荼羅の内、胎蔵曼荼羅

折れが多く、巻く度に割れが広がっています。

なんとか絵が残っている状態です。
箱書により、宝暦8年(1758)9月21日、活濟上人代に制作されたことがわかります。当時の寄進施主の8人の名前が残っています。
雨宝童子 (江戸時代 縦161cm×横48cm)
御流神道に関わる本尊図の一つ、雨宝童子像です。表装は描表装です。全体的に大小様々に折れや破れがあります。
大きな折れが発生しています。折れている箇所の絵の具が剥がれる心配があります。
下部は紙が落ちてしまっており、巻く度に絵が失われている状態です。
上部も痛みが激しく、掛ける事ができません。
日輪大師 (江戸時代 縦161cm×横56cm)
神道灌頂本尊図の一つである日輪大師像。西福寺第15世文濟法印筆。書表装。
軸書に神道灌頂小旦所に之を用いるとあり、明治38年3月に智山(智積院)にて修復された事がわかっています。しかし、破れている箇所が広がってしまうと墨書まで損なってしまいかねません。
現在は軸の上部が朽ち、掛ける事ができない状態となっています。保存する際も破れが広がらないように気を付けています。
リターンについて
芳名簿にお名前を記載
芳名簿にお名前を記載させていただき、寺院が存続する限りお寺にて保存いたします。芳名帳は仏さまの御宝前に安置させていただき、ご縁をいただきました皆さまのご健勝とご多幸を毎朝の勤行にてお祈りいたします。匿名希望の場合は「某人」と記載させていただきます。
オリジナルチケットファイル

西福寺の神道灌頂本尊を印刷したオリジナルチケットファイルです。サイズ:11cm×21.3cm
表面は左より八大荒神・十一面観音・星曼荼羅より虚空蔵菩薩・雨宝童子、裏面は三種神器です。
オリジナル御朱印
左は不動明王さまの御朱印、右は秘密田夫愛染尊さまの御朱印です。
オリジナル御朱印帳
西福寺オリジナル御朱印帳です。不動明王さまは正面のお姿と後ろからのお姿。髪先がカールされたお姿がわかります。境内に咲き誇る桔梗をあしらっています。秘密田夫愛染尊さまの御朱印帳は表にお姿、裏に愛染明王の梵字(御神体の鏡より)を描いています。
護摩祈祷
毎月28日の不動明王護摩供にて1年間ご祈祷をいたします。護摩札は2体お作りいたします。初めの28日にご祈祷後、1体はお手元にお送りいたします。もう1体は毎月28日、1年間ご祈祷をさせていただき1年後にお手元にお送りいたします。護摩供の日以外は本堂にて不動明王さまの宝前にてご祈念いたします。
特別展示(解説付き)
修復完了後のお仏画を、ご寄進いただいた方限定で解説させていただきながらご覧いただきます。また、他什物も展示解説させていただきます。(通常公開されているお仏像や三種神器図など普段公開されていない什物もご覧いただけます)※日程要相談
スケジュール
令和7年1月 光影堂様にて修復開始
令和7年2月 クラウドファンディング開始
令和7年3月 クラウドファンディング終了
令和7年5月 クラウドファンディングリターンの発送
令和8年7月 光影堂様での修復完了予定
資金の使い道必要資金:1094万円(うち、クラウドファンディングの目標金額300万円)
お仏画4幅の修復金額は10,945,990円の予定です。そのうち皆さまより300万円をご支援いただければと存じます。
最後に
全国の寺社には人知れずに守られ続けた未来の文化財がたくさん眠っています。しかし、それらは適切に保存をおこなわないと失われていくものです。現在は文化財として未指定であっても、地域の人々と共に長い時間を歩んできた失ってはならない大切な宝であり、歴史の一部であります。その時代を生きた人々の心と願いが宿っています。先人達が現代に守り伝えたものを、変わらず未来に伝えることが寺社の責任であると考えています。この挑戦が、全国の寺社が整理保存に務める参考となれれば幸いに存じます。また、皆さまの地域にも未来の文化財になっていくたくさんの歴史があります。是非、気づいていただければありがたく思います。皆さまのご支援よろしくお願い申し上げます。
最新の活動報告
もっと見る護摩祈祷と返礼品の送付について
2025/05/28 16:51本日5月28日、護摩祈祷を修行いたしました。返礼品につきましては、本日より明日29日までに発送いたします。お手元に到着いたしますまで暫くお待ちください。 もっと見る






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