プロジェクトの実行者について
こんにちは、プロテニスプレイヤーの中舘夏美です。幼少の頃から母の影響でテニスをはじめ、 数々の大会で成果を上げてきました。
しかし、予期せぬ怪我により一時的にコートを 離れざるを得なくなりました。
現在はリハビリを経て、再びプロの舞台に立つために準備を進めています。
コートに戻り、テニスを通じて多くの人々に感動を届けたいです。
このプロジェクトで実現したいこと
テニスを始めたきっかけは母のテニススクールについて行った時のことでした。
体験レッスンでテニスをさせてもらい、そこからテニスの楽しさを知りました。
小学生までは楽しくスポンジボールや、グリーンボール等で楽しいをメインでテニスをしていました。

2025年5月頃から大会復帰を目指しています。山あり谷ありの人生、辛い思いもたくさんありましたが、その分幸せな時間、友達や先輩、後輩、監督、コーチ、トレーナさんと素敵な出会いもあり、テニスを始めてよかったと思うこともありたくさんの経験を積むことができました。
多くの人に支えていただき、現在までテニスを続けてこられたことに感謝し、再度テニスコートで活躍する姿をたくさんの人に見ていただきたく、今回初めてのクラウドファンディングを始めました。
プロジェクト立ち上げの背景
中学生になり始めての公式戦で0-6で完敗したのがとても悔しく、選手コースのあるテニススクールに移りました。
しかし、ゆるく楽しくテニスをしてきた私にとっては初めての選手コースでの練習やトレーニングが厳しく、辛く、よく泣きながら練習していました。

中学に入り仲良くなった友人と同じ高校に進学、同じテニススクールに通うことになりました。 2人で切磋琢磨し、全国大会出場、都立大会優勝を目指しました。
学校の授業が終わり、部活動での練習に参加、 その後テニススクールに行き練習という日々を繰り返しました。
そして高校2年生になり、目標としていた、
東京都立高等学校テニス選手権大会で
シングルス・ダブルス共に優勝することができました。
学校の朝会で表彰されるの際の嬉しさが、とても思い出に残っています。

さらに高校3年生になり初めての"全国大会"への出場が決まりました。6年間共に頑張ってきた友達が泣きながら"おめでとう"と言ってくれたあの瞬間は今でも忘れません。

都立高校から全国大会に出るのは30〜40年ぶりの快挙とのことで、家族や親戚、友達、他校の都立高校の先生や、テニススクールのコーチが全国大会現地まで応援に駆けつけてくれました。
また学校でも友人達から全国大会出場を祝って、サプライズ動画をいただきました。
学校の先生達からも応援のメッセージや支援等、していただきました。

このようにたくさんの人に支えてもらい、応援していただきました。その結果、高校3年生最後の年、初めての全国大会では"BEST32"まで勝ち上がることができました。
大学でも《テニスを続けたい》《もっと上を目指したい》言う思いが強く、体育会テニス部のある大学への進学に挑戦しました。
しかし中学、高校、テニススクールではなかった上下関係の厳しさやレベルの高さを目の当たりにしました。

テニスをやめたくなる時期が何度もありましたが、テニス部の同期や、監督、コーチ、トレーナーさんに、"まだテニスを続けて欲しい"と温かい言葉をいただき、体育会テニス部としての活動をやり続け、結果を残すことを目標に再度頑張ると決意しました。

大学テニス部の公式戦では関東大学テニスリーグという団体戦が毎年開催されています。
私の大学は入学当時4部にいました。次の年の上部入れ替え戦で勝利し、"3部昇格"が決まりました。
さらに大学3年生の団体戦での上部入れ替え戦でもチームが勝利し"2部昇格"まで勝ち進むことができました。
2部昇格をかけての入れ替え戦では自身がとても悔しい思いをしたので、大学4年生最後の団体戦では一戦も負けないよう、練習に励みました。
しかしコロナウイルスの影響で毎年行われていた団体戦の中止が発表されました。

今まで以上に練習に励みましたが、
その結果、練習のしすぎの為、左手首を怪我してしまいました。
握力も10kgまで落ち、このままだと力が入らなくなるということで
部活の監督、コーチ、トレーナー、家族と相談し、卒業後もテニスを続けていくなら手術した方がいいという判断になりました。
大学生として最後の1年で、大会出場に間に合わない可能性があることも自覚しながらも左手首の手術を決意しました。

大学の個人戦では毎年、春頃に全国大会に出場する選手を決めるトーナメント戦が行われていましたが、手術のため、その大会には間に合わないと思っていましが、必死にリハビリに励みました。
コロナウイルスが流行り、団体戦の中止は悔しく思いましたが、間に合わないと覚悟していた個人戦の大会が春から秋へと延期になり、なんとか間に合い個人戦に出場することができました。リハビリやトレーニング、練習と励んだ結果、大学生として初めての全国大会に出場が決定しました。

大学生時代は試合経験を積む為、学校側から大学の公式戦以外の大会も、遠征費等、支援していただきました。
その結果、学生時代からたくさんの試合経験を積むことができました。プロのテニス選手や実業団選手、学生と多くの選手が出場している全日本テニス選手権大会への出場が決まり、また私の大学から初出場となりました。

初めての手術を乗り越え、大学の大会、学校外の大会と全て終え、卒業と同時に理事長特別賞をいただきました。

大学卒業後は実業団のある会社に入社しました。その会社の実業団は私の入社と同時に、会社の実業団テニス部一期生として活動が始まりました。しかしフルタイム勤務した後の練習が毎日続き、疲労が溜まっていきました。試合中や勤務中に何度か倒れ、救急搬送されることが増えました。体力的、精神的に参ってしまい仕事を休むようになりました。
仕事とテニスを少し休業し自分と向き合った結果"テニスを続けたい"という強い思いからテニスに専念することを決め、プロテニスプレイヤーになることを決意しました。

今まで中学、高校、大学と監督やコーチ、トレーナーさんがしっかりとしていた環境の中で練習していた私にとっては多くの悩みが一気にのしかかりました。
完全フリーでの活動は初めてとなる為、練習拠点はどこにするのか、コーチ、トレーナーはどうしたらいいのか、どれくらいのペースでやるのか等の様々な思いがいり混ざりました。

なんとか1年プロテニスプレイヤーとして活動しましたが練習中に膝を捻ってしまい、大泣きしながら救急車で運ばれました。少し休めば治るだろうと言う勝手な判断により検査は受けず応急処置のみしていただき、その日は帰宅しました。
ここからが地獄の始まりでした。
しばらく休み、一時的に痛みは無くなったものの、膝の不安定さや、足の力の入らなさ、コートを滑る怖さが残り、まともに動くことができませんでした。しばらくしてから酷い怪我なのかと思い始め、病院に行きました。
その結果「左膝前十字靭帯断裂」「半月板損傷」と診断されました。
担当医からは復帰に一年はかかるだろうと言われ、手術するかとても悩みましたが手術を決意しました。

手術後は痛みがひどく、眠れない日もありました。それ以上に辛かったのは術後、自力で立ちあがろうとした際、足の力の入れ方がわからなくなっていたことでした。早くテニスしたいと言う思いからリハビリも少しアップテンポで行ってしまいました。

そこからウォーキング、ジョギング、ダッシュ、練習と少しずつ体力を戻しながら復帰に向けて練習していましたが、試合復帰直前の練習の際にまた同じ場所を断裂してしまいました。
リハビリは医師から言われた通りで進めないと意味がないことを改めて思い、反省しました...。

正直2度目の手術は精神的に、きついと思い諦めかけていましたが、家族や友人、ファンの方々からのまたテニスコートで活躍する姿を見たいという温かい声援をいただき「前十字靭帯再断裂」の手術を決意いたしました。

テニスを始めてからこんなも長い間テニスをしなかった事はなく、苦しい時期が長く続きました。順調に予定通りのリハビリを終え、定期検診に行きながら次のステップへと向かっています。

〜最後に〜
現在まで多くの方々に支えていただき、現在までテニスを続けてくることができました。
再度テニスコートで活躍する姿をたくさんの人に見ていただきたく今回
現在の目標は全日本テニス選手権大会での優勝です。
とある人から言われて心に留めた言葉なのですが「自分を洗脳すれば叶う」と。
なので、どんな高い目標でも、言い続けることでいつかは叶うと信じています。

テニスをできるだけ多くの人に知ってもらい、沢山の人にテニスの楽しさを知ってもらいたいです。それを伝えられる人間になれるように日々励んでいます。
〜資金の使い道〜
ご支援いただいた資金は下記制作費に充当させていただきます。
◎活動費
大会エントリー費/大会交通費/宿泊費/コート代費/コーチング費
◎クラウドファンディング手数料
◎リターン諸経費
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