はじめまして、 プロピックルボール選手の船水雄太(ふねみず ゆうた)です。
僕は2024年までプロソフトテニス選手として活動し、世界で戦ってきました。
そして今、新たに出会ったスポーツ「ピックルボール」で、再び世界を目指しています。
「世界一のピックルボール選手になる」
誰も通ったことのない道で、日本からの挑戦者なんて、まだほとんどいません。
それでも僕は、自分の人生をこの挑戦に賭けようと決めました。
そんな無謀かもしれない夢に、本気で挑戦しています。
そして今、ようやく世界の舞台で、少しずつ結果を出せるようになってきました。
でも、夢を追うには覚悟だけでは足りません。
アメリカを転戦し、世界と戦い続けるためには、遠征費、滞在費、トレーニング環境…数えきれない現実の壁が立ちはだかっています。
僕ひとりの力では、どうしても越えられない壁があります。
だから、お願いがあります。
この挑戦の一部になってくれませんか?
あなたの想いが、僕の背中を押してくれます。その一歩一歩が、僕を“世界一”へと近づけてくれます。
支えてくれた皆さんに、結果で、姿で、魂で——必ず恩返しをします。
僕が世界一になるその瞬間を、どうか、一緒に見届けてください。
人生のすべてだったソフトテニス

5歳のとき、両親の影響でラケットを握ったのがすべての始まりでした。
そこから、夢中で走り続け、高校時代には、インターハイで団体・個人ともに優勝。
大学では、学校対抗戦・ダブルス・シングルスのすべてで日本一を獲りました。学生競技の頂点を、すべての種目で極めました。
さらに日本代表として世界選手権に出場し、国別対抗戦で金メダル。
この瞬間、「世界で戦うことの意味」と「日の丸を背負う責任」を、初めて自分の肌で感じました。

(世界大会金メダル獲得時の表彰賞式の様子)
社会人では、NTT西日本に所属し、全日本社会人ダブルスで優勝。チームのキャプテンとして日本リーグ10連覇に貢献しました。
その後、安定した環境を手放し、プロソフトテニスプレイヤーとして独立した後は、競技を続けるだけでなく、ソフトテニスの未来を創るためにも動き出しました。
日本初の賞金大会「JAPANGP(ジャパングランプリ)」を立ち上げ、『みるスポーツ』としての可能性を広げる舞台のプロデュースにも力を入れました。
また、ミズノのブランドアンバサダーとしても活動し、競技の魅力をより多くの人に届けるために、普及・発信にも力を注いできました。
ピックルボールとの出会い

(ピックルボールを0から教えてくださったダニエルコーチ)
世界へのさらなる挑戦を望み、新たなスポーツ「ピックルボール」に出会いました。
その瞬間、心が強く惹かれたんです。
急速に拡大する世界的なマーケット、そして、まだ誰も日本から本気で挑んでいない未踏の分野。
「このスポーツで、世界一になりたい。」
そう強く思いました。もう一度、自分の限界に挑戦してみたい。そんな想いが、自然と心の奥から湧き上がってきたのです。
渡米前には、日本にてダニエル・ムーアコーチのもとで準備を重ね、基礎からしっかりと積み上げていきました。

(中央がアメリカで指導をしてくれているスコットコーチ)
そしてアメリカ到着後、伝説的プレーヤーであり、コーチでもあるスコット・ムーア氏のもとで、毎日6時間を超える過酷なトレーニングを2ヶ月間、ひたすら続けました。
技術も、体力も、思考も、まさにすべてを一から鍛え直す覚悟の時間。
その日々が、今の自分の土台を作ってくれています。
アメリカで感じた孤独と、苦難の日々

アメリカでの生活は、想像よりずっと過酷でした。
誰も僕の名前を知らない。
試合に出ても注目されることはない。
言葉も通じず、孤独な夜も何度もありました。
試合で負けた日、宿に戻ってシャワーを浴びながら、悔しさで声を殺して泣いた日もあります。
ペアを組んでくれる選手もなかなか見つからず、孤独な中でエントリーしたシングルスの試合では、まったく勝てませんでした。
「自分は、本当に世界で戦えるのか…?」何度もそう問い続ける毎日が続きました。
それでも僕は挑戦を続けた
全米を飛び回り、選手に声をかけ、パートナーを探し、「まずは顔を覚えてもらうこと」から始めました。
大会運営が紹介してくれた選手と組んでも、結果は出ず、悔しさばかりが募る日々。
でも、ひとつだけ決めていたことがあります。
「絶対に逃げない。挑戦をやめない。」
そして、少しずつ、小さな光が見え始めました。
1日8試合を戦い抜き、全身が痙攣して動けなくなるまで戦った日もありました。それでも、諦めなかった。
初めて予選を突破し、本戦で勝てた時、涙が止まりませんでした。
あの日々が、無駄じゃなかったと初めて思えた瞬間でもあり、誰も知らなかった僕の名前を、試合中に後ろで『Go Yuta!!』と応援してくれるようになりました。
日本人初のJOOLAブランドアンバサダーとして契約
これまでアメリカでの挑戦では、予選突破や本戦での勝利など、少しずつではありますが、確実に成果を積み重ねてきました。しかし、まだ「大きな結果」と言えるようなものは出せておらず、もがき続ける日々が続いていました。
そんな中、僕の存在に目を留めてくださった方がいました。
それが、世界トップクラスのピックルボールブランドである「JOOLA(ヨーラ)」です。
異国の地で、たった一人で挑戦していた僕に、日本人として初めて、JOOLAブランドアンバサダーというチャンスを与えてくださいました。
そして――JOOLAのウェアに袖を通し、アンバサダーとして初めて挑んだ日本初開催の国際大会。
この大会で、僕はついに、キャリア初となる金メダルを獲得することができました。
ずっと応援し続けてくれた日本の皆さん。信じて支えてくれたチームの仲間たち。
そして、どんな時も励ましの言葉をくれたファンの皆さんに、ようやく胸を張って「良い報告ができた」と思えた瞬間でした。
きっかけは1つの大勝利から

予選を突破できるようになってきた頃、迎えたのはPPAマスターズという大きな舞台。
本戦進出をかけた決定戦。その相手は、なんと世界ランキング1位・コリン・ジョンズ選手でした。
初めて世界No.1と向き合うコートに立ったとき、胸の奥に“憧れ”がなかったかと言われれば、それは嘘になります。
でも、それ以上に強く思っていたのは、
「今の自分が、世界の頂点にどこまで届くのかを知りたい」
という気持ちでした。
だから僕は、尊敬の気持ちを胸にしまい、「勝つつもりで」コートに立ちました。
そして、試合はセットカウント2-0で勝利。
この瞬間、ずっと遠くにあると思っていた“世界一”の景色が、ほんの少しだけ、手の届く場所にあるかもしれないと感じたんです。
それは、ただの勝利ではありませんでした。ここまでの努力と、痛みと、悔しさが一つの形として現れた、自分の世界一への可能性がゼロではないことを確信した瞬間でした。
当時の試合映像はこちら:https://youtu.be/HsG-5O3oEAo
世界の扉が開いた。——歴史が動いた瞬間。

(マイアミ・ピックルボール・クラブのチームメンバー)
PPAマスターズでの大勝利。あの世界ランキング1位との試合をきっかけに、僕の名前は少しずつ、アメリカのトッププロたちの間でも知られるようになりました。
そしてこの試合を境に、アメリカでの挑戦が、大きく動き出しました。
それは、日本人として初めてUnited Pickleball Association(UPA)との専属契約。
この契約により、UPAが運営する全米最高峰のプロツアー「PPAツアー」への専属出場が決定。いよいよ本格的に、アメリカのトッププロたちと年間を通して戦うチャンスが巡ってきたのです。
しかし、それだけでは終わりませんでした。
その後、アメリカのプロピックルボールリーグである「メジャーリーグ・ピックルボール(MLP)」でのドラフトにて、「マイアミ・ピックルボール・クラブ(Miami Pickleball Club)」から指名を受け、ついに、日本人として初めてMLP選手に選出されました。
ゼロからの挑戦を始めた僕が、ついにアメリカ最高峰の舞台に立ち、「世界一を目指す権利」を掴み取った瞬間でもありました。
日本を背負う覚悟で挑戦を続ける

今、僕は日本を背負って世界の舞台に立っています。日本人初のMLPプレーヤーとして日本人初の世界チャンピオンを目指して。
世界で活躍する大谷翔平選手や大坂なおみ選手、そして世界に愛されるポケモン、SHOGUN、イチロー選手など、日本が持つ世界的なブランド力や影響力を、ピックルボールにも繋げていきたいと強く思っています。
現在、MLP(メジャーリーグピックルボール)がオーストラリアやインドで新たな市場を開拓し、日本でも初の国際大会が開催されるなど、ピックルボール市場は急成長を見せています。
まだ誰も成し遂げていない道だからこそ挑戦する価値がある。日本人初のMLPプレーヤーとして、世界のトップを掴み取るために、ぜひあなたの力を貸してください。
応援してくれるファンの皆さんと共に、世界チャンピオンを目指します!
応援よろしくお願いします!!
ー 船水雄太
資金の使い道
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皆さまからいただいたご支援は、すべて「世界一を本気で目指すための活動資金」として大切に使わせていただきます。
具体的には、以下のような費用に充てさせていただきます:
① PPAツアー 約25大会分の遠征費・滞在費
現在、アメリカ国内では年間を通じてプロピックルボールの主要ツアー「PPAツアー」が各地で開催されています。僕はこのツアーを年間通して転戦し、世界ランキング上位を目指しています。
そのために必要なのが、大会参加費・航空券・宿泊・レンタカー・食費などの遠征・滞在費用。
1大会あたりおよそ30〜40万円、年間約25大会に出場予定のため、これだけでも合計800万円以上の費用がかかります。
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② トレーニング費用(年間)
世界のトップ選手たちと本気で戦うために、僕はアメリカに拠点を移し、日々プロの環境でトレーニングを行っています。
フィジカルトレーニング・練習コートの確保や使用料など、競技力向上のための年間トレーニング環境の整備にも、継続的な資金が必要です。
ピックルボールは、まだ日本では競技環境や支援体制が整っていないスポーツです。だからこそ、自分自身で資金を工面し、世界の舞台に挑まなければなりません。
あなたの応援が、僕を世界一に近づけてくれます。ご支援いただいた資金は、責任を持って、すべてこの挑戦のために活用させていただきます。







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