ご覧いただきまして誠にありがとうございます
私は、岩手県・岩泉町にある宿泊施設「ホテル龍泉洞 愛山」のフロント係の 佐々木と申します。
岩手県・岩泉町に当時存在した「JR岩泉線」それは 地域住民の悲願のローカル線
生活に無くてはならないものでした

2010年の3月31日発生した土砂崩落脱線事故以来「JR岩泉線」存続に危機感を
感じていた私達は、JR岩泉線のことをもっと皆様に知っていただき、復活の方向に
向かうことを願いながら、有志の仲間の協力を得てその年の9月から
ホテル龍泉洞 愛山の一角を作業場として「もう一つの岩泉線プロジェクト」と題して
JR岩泉線Nゲージ鉄道ジオラマの制作を始めました








しかし、2014年4月1日 住民の願いは届かず、あの東日本大震災の復興のさなか、三陸鉄道が華々しく再開運転した陰で「JR岩泉線」はひっそりとその歴史の幕を閉じました


この山峡に1本の鉄道が延びはじめたのは1942年のこと、当初は太平洋の小本まで延長する予定で「小本線」と呼ばれ、さらに「岩泉線」が開業したのは1972年のこと。
その始まりは戦時中に岩泉の小本川上流域の岩泉町門付近から産出した耐火粘土を釜石まで運ぶ目的で開通

戦後は地域の豊かな林業資源等を運び
唯一の公共鉄道として、まさしく「生きる道」として沿線住民に親しまれてきました

鉄道ファンや観光客にも密かな人気となり、旧国鉄タイプの
「キハ52形ディーゼルカー」が山里の連なる中を走る景色は多くの人々の郷愁を誘い

日本三大ローカル線の一つと讃えられました、しかしその後、人々の願いは届かず
あの東日本大震災をきっかけに、災害復興さなかの3年後、「JR岩泉線」は
70余年の歴史に終止符が打たれ、地図上からも時刻表からも消え去った
国策で誕生したと思われるこの「小本線」に地域住民が懇願し、しがみ付いて
実現した「岩泉線」の開通も、当初より小本線と同じ運命を背負っていたのです

2022年には生誕80周年を数えました。
岩泉線跡は将来この大自然に、のみ込まれるまれて無くなってしまうでしょう・・・
大きな事は出来ませんが、私は「もう一つの岩泉線プロジェクト」をきっかけに
地元岩泉の魅力、観光の集客などにも微力ながらも力になりたいと思っています
鉄道好きの方はもちろん、お子様連れのご家族にも是非お立ち寄り頂きご覧頂きたいです
そして、岩泉線がどれだけ地域住民に懇願されて誕生してたのか、また、生まれながらにし
て悲しい運命を背負って誕生した路線だったことなど ご理解いただけると私たちの思い
がきっと皆さまにも伝わることと思います。
目を閉じると今でもキハ52の姿が、匂いが、音が、よみがえってきます
JR岩泉線は「もう一つの岩泉線プロジェクト」と共に今も
私たちの心の中で走り続けています

そしてこのJR岩泉線のジオラマがこれからも元気に走り続けるために
皆様からの暖かいご支援を心よりお待ち申し上げております。
ご協力資金の使い方としては下記を予定しております
◎ジオラマの資材調達費用
線路だけは岩泉駅から茂市駅まで線引きを済ませたのですが、景観、民家、田畑などの作込み、線路固定、樹木の植林など、制作途中の鉄道ジオラマの資材調達費用に大変苦労している状況です
今更ながら当初は材料費にここまで苦戦するとは思っていなかったのが正直なところです
◎メンテナンス維持管理費用
全長21メートルの線路を引いているので、機動車、線路は静電気の集塵と通電の際発生するカーボン除去など、毎日の清掃が欠かせません (毎日のことなのでこれが一番大変かも)
専用クリーナー、グリス等での車両、線路メンテナンス、経年劣化による線路の交換、駆動系部品交換、車両入れ替え等も必要です
◎「JR岩泉線」関連品当時物の調達展示費用
できれば、関連書物や当時品などの展示コーナーも併設し、鉄道ジオラマファンの皆様をあっと言わせたい、と思っています
◎工作協力者へのお弁当、お礼
有志で協力いただいている方々への食事、お礼など
◎リターン費用
支援協力者の方への返礼品の準備など
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