応援者を代表して~殉国七士廟を未来へつなぐ~

高須クリニック 統括院長の高須克弥です。
私は、一般社団法人 殉国七士奉賛会のクラウドファンディングを応援します!
ぜひ、一般社団法人 殉国七士奉賛会の活動を一緒に応援しましょう!

愛知県の三河湾を臨む三ヶ根山に、大東亜戦争時の国家指導者として戦争責任を問われ極刑に処せられた七名の元指導者――いわゆる「殉国七士」の遺骨の一部が眠る「殉国七士廟」という場所があることをご存じですか?
殉国七士の御遺骨をお迎えして、三ヶ根山上に殉国七士廟が建立されたのは、昭和三十五年八月のことでした。
当時は敗戦による被占領の記憶も生々しい頃とはいえ、私利私欲もなく、ただ国のために身命を犠牲にされた方たちの遺骨が、死してなお宙に迷うという悲惨な状況がありました。そのことを憂い、御遺骨を丁寧に葬り、お祭りをしなければならないという気持ちにかられた、多くの方々の純真な心と、清浄な拠金によって殉国七士廟は建立されたのであります。以来、私たち奉賛会はその志を引継ぎ、ご遺族や熱心な支持者の方々とともに、植樹や整備などに心を尽くし、廟を守り充実させてまいりました。毎年の墓前祭も七十三回を数え、年々盛大にとり行うことができましたことを心から欣ぶものであります。
しかし、歳月を経るごとに世相も世代も変わり、人の記憶も薄れつつあることも事実です。また、殉国七士廟の維持管理費・慰霊祭運営費は年々重くのしかかるようになっております。
このたび、未来の世代へ「記憶」を手渡す場を守るために、クラウドファンディングを立ち上げる決断をいたしました。
■ 殉国七士廟の歴史
東京裁判(極東国際軍事裁判)では、「平和に対する罪」という名目で『A級戦犯』とされた28名が「文明」の名の下に裁かれ、7名の方が処刑されました。マッカーサー司令部は彼らの遺骨や遺体を遺族に引き渡さずに処分する考えであり、なんとか遺骨を取り戻したいと考えた人々の行動により、遺骨は回収され、一時は人目を避けて伊豆の山中に祭ら昭和27年になると、サンフランシスコ平和条約が発効します。日弁連が戦犯保釈特別委員会を立ち上げたことをきっかけに戦犯釈放運動が全国に広がり、政府、関係各国に釈放を働きかけ、昭和31年にA級の最後の一人が、33年にはBC級全員の出所が実現したのです。
戦犯の赦免を受け、昭和33年4月28日に開かれた戦犯保釈特別委員会解散記念会で、三ケ根山を建立地に選び幡豆町当局との話し合いもまとまったと、七士の墓碑建設が正式に発表されました。
以後、殉国七士廟は戦後の歴史を静かに伝える空間として存在しております。訪れる方々にとっては、国の在り方や歴史の継承について考える契機ともなっております。


毎年殉国七士廟で執り行っている慰霊祭には、遠方よりご参列くださる方も多く、静かなる祈りの場として今なお受け継がれております。
今後も、こうした慰霊の機会を絶やすことなく継続していくためには、皆様のご理解とご協力が不可欠です。
これまでも多くの方の善意により支えられてきましたが、近年は以下の課題が深刻化しています。
・建物の老朽化にともなう修繕費の増加
・墓所周辺の清掃・植栽管理・トイレの清掃など、日常管理にかかるコスト
・若い世代への認知と、記憶の風化の進行
多くの方々のご支援とご参加をお願い申し上げます。
■ ご支援の使い道
ご支援いただいた資金は、以下の用途に大切に使用させていただきます:
・建物、道路、水道管等の修繕
・トイレ浄化槽汚泥引抜
・環境整備(草木の剪定・清掃・照明)
・慰霊祭の実施
戦後80年をむかえ、戦争を経験した世代は着々と減少しています。
しかし、戦没者を慰霊し平和を願う心の火は絶やしてはならないものです。
殉国七士廟の保全、慰霊祭の開催を通し、平和の重要性を再認識するとともに後世へ伝えていきたいと考えています。




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