
小谷寺をいつも応援していただき、誠にありがとうございます。
この挑戦も、残すところあと「4日」、支援総額は480万円を超え、目標の500万円まであと一息のところまで来ています。
今日は、 なぜ私たちが、檀家が一軒もないこの小谷寺で、これほど大規模なクラウドファンディングに挑戦しようと思ったのか。そして、今日に至るまでにどんな葛藤があったのか。
綺麗な言葉だけでなく、泥臭い「本音」の部分をお伝えしたいと思います。
■ 「もう、限界かもしれない」
小谷寺の本堂が悲鳴を上げていることは、誰の目にも明らかでした。雨漏りは日に日に酷くなり、天井はたわみ、柱は傾く。いつ倒壊してもおかしくない状況です 。 「なんとかしなければ」という焦りは常にありましたが、現実は残酷でした。
昨今の資材価格の高騰です。これまでの修繕は、地域の有志の方々からの寄付や、賽銭箱のお金でなんとか賄ってきました。
しかし、今回の本堂再建にかかる費用は、私たちの想像を遥かに超えていたのです。地域の方々にこれ以上の負担をお願いすることはできない。かといって、檀家のいない小谷寺には、他に頼れる資金源もありません 。
本堂再建プロジェクトを立ち上げ。皆で話し合うが中々解決策が見えない日々…
■ 暗闇に差した一筋の光
そんな八方塞がりの中で、「クラウドファンディング」という言葉が頭をよぎりました。しかし、私たちはインターネットの専門家でもなければ、広報のプロでもありません。
ましてや、チームのメンバーの多くは年配の方々。「ネットでお金を集めるなんて、本当にできるのか?」そんな不安の声が上がったのも事実です。

それでも、座して崩落を待つわけにはいきませんでした。私たちは必死に勉強を始めました。そんな時、米原市でCAMPFIRE主催のセミナーが開催されることを知ったのです。「これだ!」と思い、私たちは会場へ足を運びました。
そこで講義に耳を傾け、仕組みを深く知るうちに、私たちの不安は少しずつ希望へと変わっていきました。
「小谷寺の歴史と私たちの想いをありのままに伝えれば、きっと共感してくれる人がいる」。そう確信し、目の前の霧が晴れたような気がしました。
さらに、世間では2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』の制作が決まり、戦国時代への注目が集まり始めていました。
安田住職と顔を見合わせ、「今しかない。浅井長政公やお市の方が守り、秀吉公が再建したこの寺を、今度は私たちが守る番だ」と、固い決意を固めたのです。

■ 泥臭く、地道な挑戦の日々
決意してからは、怒涛の日々でした。 「本堂再建」の旗を掲げ、まずは知ってもらうことから始めました。
SNSにも挑戦しました。YouTubeやTikTokで戦国の歴史や小谷寺の魅力を発信する動画を作り始めました。
Tiktokではフォロー1000人を達しました。
ショート動画で分かりやすく、戦国の歴史を発信し、浅井家の歴史などを多くの方に認知してもらうことができたのです。

また、「小谷寺LINEオープンチャット」を開設し、ファンの方々と直接交流できる場も作りました。 画面の向こうに、私たちと同じように歴史を愛し、小谷寺を想ってくれる人がいる。その事実は、孤独な戦いだった私たちにどれだけの勇気をくれたかわかりません。

クラウドファンディングのスタートダッシュを決めるため、なりふり構わず動きました。 チラシを作成し、浅井家ゆかりの地を一つひとつ巡って配りました。
その甲斐あって、公開前にお気に入り登録者数が100名を超えたときは、メンバー全員で手を取り合って喜びました。
浅井三姉妹の「江さん」ゆかりの愛知県常滑市に協力を求めに行き応援メッセージをいただきました!
■ 試練、そして最後の願い

しかし、順風満帆とはいきませんでした。 プロジェクト期間中に開催が予定されていた「小谷城戦国まつり」。ここで多くの来場者の方に直接支援を呼びかける予定でした。チラシも大量に用意し、準備万端でした。
ところが、まさかの悪天候による中止。 「天は我々を見放したのか」と、心が折れそうになりました。
しかし、多くの方の方を応援を励みに支援を増やし続け、残り「10万円少し」まで到達しました!
浅井三代が、秀吉公が、家康公が守ってきたこのバトンを、ここで落とすわけにはいきません。 どうか、最後の最後、目標達成の瞬間を私たちと一緒に迎えてください。






