
今日は少し、私と釣り映像の歴史についてお話させていただきます。
子供時代の鮎釣りとの出会い私が鮎釣りを始めたのは小学校5年生の頃。
今回のプロジェクトの清原さんは私の一つ上で、初めて出会ったのは中学生の頃だったと思います。夏休みのこの時期は、太田川で毎日のように釣りをしては、近所に鮎を卸していました。釣り人が魚を卸すことには色々と言われることがありますが、内水面の鮎に関してはそれが地元に深く根付き、食文化を支えるために機能していました。
お小遣い稼ぎですから、放っておいても上手くなります。そこからトーナメントを目指すようになり、清原さんと京都や静岡へと鮎釣り遠征を重ねたのが高校生の頃。この頃私たちはまだまだ子供。しかし多くの大人の人たちが応援してくれ、今回の支援者の中にもいてくださいます。いつまで経っても若手で、お世話になりっぱなしです。
当時、釣りのビデオが盛んに発売され、村田満さんの満友記シリーズには何度も笑わせてもらい、学ばせてもらいました。村田さんが広島に訪れた時は、学校を休んで一日中その釣りを見せていただきました。この時代は世の中も好景気で、鮎釣りに限らずメーカー各社がこぞってビデオを発売していた時代です。
大学で魚を学ぶために、私は北里大学の水産学部に。岩手県では渓流魚に魅せられ、あまり鮎釣りに行くことはなくなりました。
大学生になり、少しは世の中を俯瞰してみられるようになりました。そしてこれまで見てきたテレビやビデオの釣り映像は主役の釣り人だけではなく、裏側に”作っている人”がいることを意識するようになりました。そして私はパーフェクトフィッシング株式会社(元株式会社釣りビジョン)に入社することになります。
映像制作の道へ
釣りに関しては鮎釣りだけではなく、磯釣り、ルアー、フライとなんでも人並みにこなせる自信がありました。それもThe Fishingという釣り番組のキャスターだった西山徹さんの影響です。ADとして番組制作のスキルを積めば、絶対に楽しい仕事になると必死に様々なことを覚えていきました。
そして初めてディレクターとして番組制作を担当できるチャンスが巡り、最初に企画したのは村田満さんの番組でした。自らが子供の頃から憧れた名手と仕事ができる。これはこの上ない幸せでした。

(村田 満さんとの仕事風景。その名もズバリ”村田満載”という番組でした)
VHSからDVD、そしてYouTubeへ
2000年代前半はVHSこそ下火でしたが、DVDという形でまだセルビデオという文化がありました。釣りビジョンでは数々のDVDも作らせていただき、その中でも高橋祐次さんとのYujiStyleEXTRAはシリーズも続き、多くの方に応援していただけました。

翻って現代。
セルビデオという文化は、希少なものになりました。仕事の部分から見ると、セルビデオは”物体”があるがゆえ、商売としてはある程度計算のできるものです。制作会社が複数人のスタッフを雇っても、ビジネスとしてペイできるだけの環境がありました。
YouTubeという”無料”でみられる動画メディアが一般的になり、これらの釣り映像を作る人たちの環境は大きく変わり、釣り以外の映像制作へと移って行った方も少なくありません。
クラウドファンディングへの挑戦
今回のクラウドファンディングは、これから先の一つのビジネスとしてテストしてみたいという思いもあります。ファンが見たい映像をプロが作る。DVDを購入するよりもプランによっては安く見ることができますし、応援していただいた皆さんのお気持ちは様々なのだと、ここまでを見ていて実感しています。
正直なところ、初めての挑戦ゆえ準備が行き届かない部分もあり、サポートが伸び悩んでいる場面もあります。ですが、それも無理はありません。私も初めてですし、皆さんも初めて。
支援したところでどんな作品が出来上がるのか想像できない方も多いと思います。まずは今回の作品を一つのモデルケースとして作り上げ、今後に活かしていけば、新たなムーブが起きるのではないかと思っています。
しばらくは鮎とフライのプロジェクトが続くと思いますが、サポートいただければ幸いです。






