支援募集が終了しました

【長野・伊那】解体の危機にあった元料亭「松喜」を残し、小商いが挑戦しやすい施設へ

取り壊しの危機にあった、長野県伊那市の元料亭「松喜(ショウキ)」。明治38年に建てられ、格式の高い料亭・大衆芸能の中心でもありました。解体にはあまりにも惜しく、後を継ぐ決意をしました。この場を若い人がチャレンジしやすい施設として新しい命を吹き込み、“いなまち”の「古き良き」を伝えるランドマークに!

現在の支援総額

3,452,555

138%

目標金額は2,500,000円

支援者数

287

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2025/09/18に募集を開始し、 287人の支援により 3,452,555円の資金を集め、 2025/10/31に募集を終了しました

【長野・伊那】解体の危機にあった元料亭「松喜」を残し、小商いが挑戦しやすい施設へ

現在の支援総額

3,452,555

138%達成

終了

目標金額2,500,000

支援者数287

このプロジェクトは、2025/09/18に募集を開始し、 287人の支援により 3,452,555円の資金を集め、 2025/10/31に募集を終了しました

取り壊しの危機にあった、長野県伊那市の元料亭「松喜(ショウキ)」。明治38年に建てられ、格式の高い料亭・大衆芸能の中心でもありました。解体にはあまりにも惜しく、後を継ぐ決意をしました。この場を若い人がチャレンジしやすい施設として新しい命を吹き込み、“いなまち”の「古き良き」を伝えるランドマークに!

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【ご報告】目標達成の御礼とネクストゴールへの挑戦(2025/10/15追記)

皆様の温かなご支援により、目標金額250万円を無事達成することができました!お一人お一人のメッセージや応援が大変有難く、たくさん力を頂きました。本当に有難うございました。
おかげさまで、9/28日に1階飲食店「日月屋」を中心に全館でオープニングイベントを開催することが出来ました。この松喜に灯りが灯り、お花が飾られ、かつてもそうだっただろうと思わせるほど、人々の話声や笑い声がにぎやかに響きました。


プロジェクトを始めてから、様々なお声掛けを頂きました。なかでも、この元料亭松喜やかつてのにぎやかだった頃のいなまちの思い出を話しに来てくださる方が多く、本当にいい機会を頂きました。
「このまちには見番というところがあって、そこからはいつも三味線の音が聞こえていた」
「長野県の知事と地元の県会議員が政治の話をしていた」
「座敷前にこたつにあたっている芸者さんからお年玉をもらった」
「松喜さんにお茶のお稽古に来ていた」
「おじいちゃんが松喜に通っていたと聞きました」などなど。

にぎやかな頃のこの街と芸者さんが三味線をひいたり踊ったりしているお座敷の様子など、映画のワンシーンのように思い起こされます。

今まだ、この場所の記憶をお持ちの方がお元気なうちに、その時代のこの街や人々の様子を聞き取りしてアーカイブに残したいと強く思うようになりました。

おかげさまで目標は達成できましたが、現状では、1階の飲食店を開店できるようにすることだけで精一杯で、他のところは手付かずのまま、まだまだ資金が足りていません。特に、この街の歴史を伝える場にしたいと思っている2.5階に関しては、何もできていないのが現状です。

そこで、もう一度、皆様にお力添えいただきたく、400万円を目標にネクストゴールに挑戦させていただきます。いなまちと松喜の歴史アーカイブ作成と改装資金の補填に使わせて頂きたいです!

どうぞ引き続き、ご支援をよろしくお願いいたします。

プロジェクト終了まで残り16日、最後までよろしくお願いいたします!

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自己紹介

はじめまして。「松喜(ショウキ)」改装プロジェクトの代表をつとめる、平賀裕子と申します。

今年の初めに、長野県伊那市の中心市街地に建つ、明治38年に建てられた元料亭「松喜」の建物を引き継ぎました。

私は、この「松喜」から徒歩5分の場所で、2013年からミツロウキャンドルの輸入卸事業とオーガニック生活雑貨ショップ「ワイルドツリー」を営んでいます。2002年に東京から伊那市に移住してきた私が、なぜ、この歴史ある建物を引き継ぐことになったのか、まずはご紹介させてください。

解体の危機にあった「松喜」


長野県伊那市は長野県の南部に位置し、南アルプスと中央アルプスの間に広がる伊那谷の中心にあります。人口は約65000人の、自然環境豊かな中核都市です。伊那市の中心市街地は「いなまち」と呼ばれ、伊那市駅前の県道沿いの南北に約1.5kmに広がるエリアです。


どこの地方都市にもあるように、明治から昭和にかけては商業の中心として栄え、満員電車並みの混雑だったそうです。いなまちが栄えるとともに、花街も広がり、芸者さんたちも70人以上おり、昼間でもお稽古中の三味線の音などが街に響いていたと聞きます。

「松喜」も格式の高い料亭として、芸者さんが出入りし、踊りや三味線、鼓、太鼓など、大衆芸能の中心でもありました。若い方の芸の応援も大切にしてきたところだそうです。

昭和後期~平成にさしかかると、商店街の機能は郊外大型ショッピングセンターに移り、空き店舗が目立つようになりました。平成5(1993)年には中心市街地にあった伊那市役所が移転し、郊外型のチェーン店なども増加し、官官接待の場としての料亭は数軒を除いて姿を消していきました。


解体の知らせを聞き、とっさに口をついて出た「なんとかしますから、ちょっと待ってください」


「松喜」の3代目を引き継いだのが、茶道と華道の師匠でもあった大林さんです。大林さんは、茶道と華道を教えながら、予約の時のみ営業する「一見さんお断り」の料亭として、平成初期まで営業を続けていました。その後、料亭をやめてからも、大林さんは、令和2(2020)年6月に亡くなるまでずっと、茶道と華道を教え続けていました。

私は、「松喜」の前を通るたびに、素敵な佇まいの建物だなあ、いつか中を見てみたいなあ……と思っておりました。その年の冬、亡くなった大林さんの姪御さんにあたる方達が、訪ねてきてくださいました。「松喜」を大林さんより相続したので、売却含めた活用の相談ということでした。

その時はじめて、建物の中をみることができ、その作りの美しさや手入れの行き届いているさまに、ほれぼれしました。私が企画する空き店舗見学会などで、建物を見てもらう機会をつくり、よい出会いがあることを心から望みました。

それから、4年たった昨年の秋、相続した姪御さんから告げられたのは、「なかなか売却の話が進まないので、これ以上維持できず、年末までに壊すことにした」ということでした。とっさに口をついて出たのが「なんとかしますから、ちょっと待ってください」でした。


「松喜」に限らず、この町を歩いていると、素敵だなあと思う建物がある日突然壊されて駐車場になっているという光景をよくみます。そのたびに、「なんとかできなかったんだろうか?」「物件を探していたあの方に紹介できなかっただろうか?」などと後悔することもしばしば。この町をつくってきたであろう建物が壊されることが残念でなりませんでした。かといって、自分ではどうすることも出来ず……何とも言えない悔しさを抱えていました。

そんな想いもあり、「松喜」が駐車場になるのは何とか阻止したいという気持ちが湧いてきました。そして、姪御さんたちの残したい思いも十分感じてましたので、なにかしら手立てがないものか、1ヶ月だけ猶予をもらうことにしました。何組か興味のある方に見て頂いたのですが、建物が古すぎて、維持管理に費用が掛かりすぎるのではないか? という点で、なかなか引き受けてくださる方が見つかりませんでした。誰かが引き受けないと、この素晴らしい建物は壊すしか選択肢がありませんでした。

丁度そのタイミングで、私が経営する「ワイルドツリー」のカフェスペースで飲食店をやりたい、と伊那出身の創作料理のシェフ・海老原明君が、愛知県から戻ってきました。実は海老原明君は東京から一緒に引っ越してきた友人家族の長男で、小さい頃から親戚のような付き合いでした。子どもの頃から食のこだわりが強く、高校を卒業してから愛知の専門学校で料理人を目指し、ホテルで中華料理を学んだあと、愛知県西尾市の飲食店「cafe ocean」「pizzeria ocean」「本町オーブン バル部門」で働く傍ら、「日月屋」という屋号で出店や、出張料理人として、活躍していました。以前、期間限定でワイルドツリーのカフェスペースでビーガンランチを提供し、人気を博しました。「松喜」を見せると「是非ここでやりたい!」と言ってくれたことで、私も決心することが出来ました。

【2002年移住の時の写真】 左から海老原明君、私、 明君の弟(セイジ)、私の息子(シン)


料亭「松喜」の建物のすばらしさ、いなまちの歴史を残したい。

3階建ての建物の1階部分は、料亭を閉じてからの生活スペースになっていました。2階は、華道と茶道のお稽古のお部屋。3階は、炉が切ってあり床の間付きのお茶会ができるスペースでした。

形見分けなどをした後でしたが、生活のものはたくさんありました。業者さんへの片づけの依頼は姪御さんたちがしてくれました。

それでも、大切にされていた物の一部は、建物ごと引き継ぎたいと思い、仕分け作業をしました。建物としてのすばらしさを残して次の世代につなげることを使命と思っていましたが、片付けなどをしているうちに、残すのは建物だけではないということに気づきました。料亭を閉じてからの丁寧な暮らしぶりが随所に感じられたからです。美しいお庭で季節を感じ、掛け軸をかえ、お花を生け、季節のお菓子とともに、お茶を頂くこと。古いうちわや扇子、書のたしなみ、お仕立ての洋服、様々な素材と形のたくさんの花器、物を大切にする心……手をいれながら暮らすことで、いつまでも使い続けられる畳、障子、ふすまなど。そのような日本の「古き良き」文化は、建物同様に次世代に伝えるべきものだと思いました。

また、この料亭からみえてくる大衆文化やいなまちの歴史をきちんと残し、継承していくことも使命のように感じています。






このプロジェクトで実現したいこと




「松喜」の建物を残し、飲食店を中心に、雑貨店、ギャラリーなどを複合的に作り、この町の魅力を大勢の方に知ってもらうと同時に、「古き良き」を次世代につなげるランドマークになれるように、頑張ります。

建物を引き継いでから、まずは片付けをし、部屋ごとにテーマを決め、出てきたものをそれぞれのお部屋に飾り、建物見学会を今年の5月に開催しました。

その時の様子はこちらです。

その後、トイレの改修を終え、1階客室の砂壁をはがし、珪藻土を塗ったり、障子を張り替えたりをみんなでやりました。

before

after

1階は、創作料理「日月屋」が飲食店として、9月28日(日)にオープンする予定です。自家製発酵調味料などを使った創作中華で、ビーガンも対応します。

【2階の3部屋】

余白用品店さん準備中

石とアンティーク

2階は小商いのチャレンジの場として、3部屋を貸し出します。料亭「松喜」が若い人の芸を支えてきたように、小商いを始める人のチャレンジを応援する場になれればと思います。


【3階】

3階は、ワイルドツリーが「ギャラリー松喜」として、ギャラリーと手習いワークショップをやりながら、「古き良き」を伝えていきます。お茶会、お花、書、籠編み、裂き織り、着物リメイクなどを予定しております。オープニングイベントとして9/28(日)「松喜×CONTE 日常の花展」を開催します。10/29(水)には、旧暦9月9日の重陽の節句の書の会を予定しております。12月には、かご作りも開催します。


【2.5階】

2.5階は、いなまちの歴史や大衆芸能を伝える資料室にします。


これまでやってきたこと

いなまち朝マルシェ

バラジャズストリート

ファミフェス

12年前に中心市街地に「ワイルドツリー」を開店して、様々なプロジェクトやイベントをスタッフや仲間たちと開催してきました。

「情報が集まる場」「歩いて楽しめる場」になれるよう、農とまちをつなぐ「いなまち朝マルシェ」、里山とまちをつなぐ「KEESプロジェクト」、人とまちをつなぐ「ローカルベンチャーミーティング」などのプロジェクト、「バラジャズストリート」や「ファミフェス」などの歩行者天国イベントなどはすっかり定着しています。

ワイルドツリーカフェスペースで最初に営業してくれていた「cafeたね」さんは、3年後いなまちで独立開業、その後塩尻市で古民家カフェを営業しています。その後の冬草さん、にわとり食堂さんもそれぞれの道で活躍中。最近では、おにぎり屋いつもさんが、2年間営業したのち、同じ町内会の元お惣菜屋さんの物件を購入し、独立開業しています。

ワイルドツリーカフェスペースで最初に営業してくれていた「cafeたね」の加藤さんご夫妻


そんな私が、今回、ワイルドツリーのスタッフをベースに、これまで培ってきたつながりとともに、様々な人を巻き込みながら、「松喜」の運営をしていきたいと思っております。


資金の使い道 現在の準備状況

下水工事とトイレ新設・・150万円

1階の客室リノベーション・・20万円

は、なんとかできたものの、今後の

厨房設備と工事・・250万円

電気工事・・100万円

消防設備工事・・150万円

畳の表替えとふすまの張替え・・50万円

カフェの内装・・30万円

350万ほどは、すでに自己資金を投入して進めているものの、250万円ほどをご支援いただきたい状況です。

2025年2月から、すでに工事は始まっており、DIYなどで土壁をはがして珪藻土を塗ったり、自分達でできるところはやり、工事も最小限に抑えています。内装や什器も元々松喜にあったものをなるべく使うようにして、費用を抑えています。さらに、自分では出来ないところは、飲食店担当の海老原明くんの同級生の大工さんにご協力いただき、進めています。とても大切に守られてきたと感じる建物ですが、築120年以上の古民家ゆえに、思わぬ部分で追加の工事も発生している状態です。

その他にも、いなまちの歴史の聞き取りや、資料やマップの作製などやりたいことはたくさんあります。

スケジュール

9月上旬 飲食店営業の許可取得済み
9月中旬 飲食店プレオープン
9月28日 1階日月屋、2階余白用品店、3階ギャラリーオープン                     10月下旬  クラウドファンディング終了
11月上旬~下旬  リターン発送


最後に

昭和の看板建築や、元芝居小屋だった映画館、人情あふれる金物屋さんや、2年間セルフリノベで開業したコーヒー屋さん、レトロな床屋さん、子どもの居場所をかねた駄菓子屋さん、昭和小物びっしりのおにぎりやさん、着物のレンタル&着付け屋さん…などなどいなまちには魅力的なお店がたくさんあります。なにより、人の温かさは、今ではなくなりつつあるものの筆頭なのかもしれません。

私は、このいなまちが大好きです。

この失われつつある、いなまちの「古き良き」文化と人の温かさがいつまでも続いていくように、元料亭「松喜」に新しい命を吹き込みます。いなまちに点在する、まだ残されている「古き良き」をつなぎ、面として編集することで、訪ねてみたい唯一無二の街へとなっていくのではないかと思います。

この街の魅力を次世代に繋げていくとともに、街を巡ってもらえる拠点になりたいと思っています。そして、この松喜で小商いチャレンジしたひとたちが、独立して開業し、街の魅力をもっと高めていくような循環を生み出す場になれるよう頑張ります。応援よろしくお願い致します。



▼応援メッセージ

cafeたね店主  加藤博 敏江

私の密かな夢を現実に変えてくれた人がこの発起人です。 肩の力を抜き、楽しみながら自分の可能性を広げられるように、人や事、モノや地域を柔らかく繋いでくれるそんな人です。 今回のプロジェクトの場所は、解体寸前だったけれど、歴史と風情のある建物。 大切な記憶が刻まれたその場所に、新たな灯りが灯り、地域の新しい可能性と多くのチャレンジを産み育てる場となって行くと確信しています。 豊かな自然に囲まれたこの街で、魅力あふれる人たちと共に、古き良きものと新しい挑戦が重なり合いながら生まれて行く未来を心から楽しみにしています。 あゝワクワクが止まらない!


人物デザイナー|衣装デザイナー|時代考証学会特別委員  伊那市芸術文化大使|伊那市ミドリナ委員会委員長|伊那市ブランディングアドバイザー  合同会社KOOGEN代表 www.koogen.net
柘植伊佐夫 

『松喜』とは、なんて縁起の良い名前でしょうか。この建物がそのような名称だったとは、この機会がなければ知ることもなかっただろうと思います。  私は地元が伊那市であり、現在は東京で、大河ドラマや映画、舞台などの「人物デザイン」という仕事をしています。  地元では大使職やブランディングのお手伝いをさせていただき、また森を守るための委員会も運営しています。  この企画を進めている平賀ご夫妻とは長らくご縁をいただき、その最中に、この「松喜」のお話をお聞きして、この建物の内外を拝見いたしました。 「なんと素晴らしい建築だろう」と思いました。そして「これは文化財である」とも感じました。これを取り壊すのはいかにも市の損失です。  そのような思いをもとに、「保存と活用」の具体に行動を起こされた平賀さんはとても志高く、またその勇気と責任に深く感じいるものです。  このプロジェクトの素晴らしさは、「松喜」が単なる「古き良き遺産」と扱われるのではなく、「文化の継承と新たな活用」を目的としているところです。 一旦失われてしまったならば、文化遺産は元へは戻りません。 市内外の多くの皆さまが、この瞬間から「松喜」に現れる、「新しい伊那市の価値」を楽しんでいただけますように、微力ながら、私も応援させていただきたいと思います。


AS,inc.代表 坂口淳

地域にはそこに人が集うための「場」が存在していました。それぞれの場に固有の文化や伝統があり、それは少しずつ形を変えながらも脈々と受け継がれてきたはずです。そして、それらの「場」が使われなくなり次々と朽ちていっている残念な現状があります。 このままでいいのか?誰かがそこにもう一度命を吹き込む必要がある。先達の魂がしみ込んだ「場」を新しい視点と文脈で蘇らそうとしているのがこの松喜プロジェクトです。 これまで、長きに渡りいなまちエリアで数々のイベントや事業を仕掛け続けてきた平賀裕子さん。ぼくが4年前、未知の伊那谷移住を検討しているとき、あてずっぽうに入ったカフェたねの加藤さんご夫妻に紹介され、相談に乗ってもらったのが裕子さんでした。松喜プロジェクトは単なる不動産のリノベ/サブリース事業ではなく、地域の歴史的な系譜を未来につなぐ新たな生命を育むチャレンジです。伊那谷の住人としてとても楽しみ。心から応援しています!


エアルームプロダクツ代表  カモクニマサ

白いシャツのブランド、エアルームプロダクツを夫婦で運営しています。 私たちと平賀さんとの出会いは子供の幼稚園が同じだったところから始まります。その頃は東京で暮らしていた平賀さんたちも私たちも今とは違うことをしていました。 そして平賀さんたちが卒園とともに伊那谷に移住したことで私たちも伊那谷とご縁ができ、今では平賀さんのお店(ワイルドツリー)で毎年シャツの展示会も開催して頂いています。 

松喜の話は昨年もちらっと聞いていましたが、今年の展示のときに「私がなんとかします!」と、つい言ってしまったと聞きました。 

夕暮れ時に見たその建物は、本当に素晴らしかったのですが、同時に「これは大変なことになりそうだなぁ…」という印象も受けました。 でも、建物中を案内してもらう内に、単に建物を残すだけではなく、松喜という建物を使って過去から未来へ、心地よい暮らしをどう繋げていくかということ、、、いろんな世代を巻き込んで、「こうなったらいいよねー」と夢を見るようにこころのままにカタチにしている様子は大変そうだけど、ちょっとうらやましく楽しそうだなと感じました。

 損とか得とか、成功とか失敗と言うことではなく。 ただ人として、地域として、心地よい暮らしをつないでいくために、、、これから始めるこのプロジェクトを微力ながら私も応援したいと思います。 最後にこのプロジェクトをきっかけに、あなたの近くにある「松喜」を「なんとかしますので、ちょっと待ってください!」と、つい言ってしまう人がひとりでも増えたらうれしいです。

支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 設備費

  • リターン仕入れ費

  • 手数料 (目標金額を超えた場合) ・2階、3階の追加工事 ・松喜の歴史資料のためのヒアリング・編集 ・館内地図の作成

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

支援に関するよくある質問

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