はじめに・ご挨拶
プロジェクト立ち上げの背景
このプロジェクトで実現したいこと
なぜクラウドファンディングなのか
実施スケジュール
これまでの歩みと私の想い
リターンの紹介
応援メッセージ
最後に
はじめまして。「一般社団法人NOTOにじのひかり」代表の竹下あづさと申します。 私は2020年、コロナ禍をきっかけに、関西から石川県珠洲市(すずし)の最先端にある三崎町(みさきまち)へ移住しました。
移住した当初に畑で夫と
珠洲市の禄剛崎(ろっこうさき)灯台
私たちが仲間と一緒に作っている拠点「さだまるビレッジ」は、夫の名前「定均(さだまさ)」と、「人生の軸が定まる」という意味を掛け合わせて名付けました。 海と山に囲まれたこの場所で、自然と調和した暮らしを作ろうとしていた矢先、2024年1月1日、能登半島地震が発生しました。
能登半島のさいはて珠洲の、さらに先端に位置するさだまるビレッジ
発災直後の町の様子
町の多くが被害を受けました
あれから、私の人生は一変しました。 被災者となりながらも、この場所で生きると決め、延べ1,000人以上のボランティアを受け入れ、走り続けてきました。
震災から2年が経とうとしている今、私は新たな挑戦を始めます。 それは、「ただ元に戻す復興」ではなく、「新しい未来を創る復興」です。 能登の豊かな森の中に、大人も子どもも、地元の人も支援者も、みんなが癒やされ、笑い合える地域拠点を作りたいのです。

<背景その1> 突然の地震と、ボランティアハウスの開放
2024年1月1日。あの日、珠洲市は壊滅的な被害を受けました。 しかし不幸中の幸いで、岩盤の上に建っていた我が家「さだまるビレッジ」は倒壊を免れました。
発災直後、道も電波も寸断された中、かろうじて電波の届く市役所に毎日通い、Googleマップが使えず紙の地図を広げていた支援者たちを集落や避難所へと案内し、物資を配りました。
被災数日後に、燃料を避難所に配った時の様子
また、市内の避難先では災害関連死のリスクが高く、物資供給も不安定だったため、高齢者の命を守るため、片道4時間かかる加賀市への「二次避難」を引率し、数ヶ月間毎週通って生活を支え続けました。
二次避難をする地域の方々をサポート
二次避難先で開催したイベントの様子
一方で、「支援に行きたいけど宿がない」という声を聞き、被災した自宅をボランティアの宿泊拠点として開放することを決意。 全国から駆けつけてくれたボランティアや職人さんたちの手で、雨漏りしていた我が家が直され、人が集まり、またその人たちが地域を直していく——。そんな循環が生まれ、いつしかここは1,000人以上の「仲間」が帰ってくる場所になりました。
ボランティアハウスにて老若男女みんなで夕食
NHK「クローズアップ現代」2024年4月1日放送
神戸新聞記事・阪神大震災の経験を能登で生かす
<背景その2>地域の人々が息抜きできる場所が、失われてしまった
震災から時間が経つにつれ、様々な課題が見えてきました。私たちが住む珠洲市三崎町には、現在、商店や飲食店が一軒もありません(スナックはありますが、日常的な食事や買い物の場ではありません)。 地域の寄り合いでこのプロジェクトの話をした時、地元の方々から切実な声があがりました。 「野菜の直売所を作ってほしい」 「朝、モーニングを食べながらお喋りできる場所がほしい」 お店ができることは、単に便利なだけでなく、地域の人々が顔を合わせ、安らげる「居場所」を生み出すこと。そして、それが地域活性化の灯火(ともしび)になると確信しました。
さだまるビレッジの目の前の海。息抜きにぴったりな場所
<背景その3>子どもたちが伸び伸びと遊べる場所がない
学校の校庭や公園には仮設住宅が建ち並び、地元の子どもたちが思いっきり走り回れる場所がなくなってしまいました。
一方で、地域の外に目を向ければ、都会の子どもたちもまた「リアルな体験」に飢えています。自然と触れ合う機会が減り、ゲームやスマホへの依存、不登校など、現代特有の悩みを抱える子どもたち。 さだまるビレッジに来れば、電波も届きにくい森の中で、必然的にデジタルから離れ、土や木に触れることになります。また、震災の爪痕が残る能登の現状を肌で感じることは、教科書では学べない「本当の防災意識」や、有事の際に「生き抜く力」を育む、またとない機会になります。
「遊ぶ場所がないなら、森があるじゃないか」。 地域の枠を超え、未来を担うすべての子どもたちがたくましく育つ場所へ。そうして始まったのが、敷地内の森の開拓でした。
森の開拓をしている様子
<背景その4>復興の鍵となる「関係人口」を受け入れる器がない
復興には、外からの力が不可欠です。しかし、ホテルや民宿の多くが被災し、「支援に行きたくても宿がない」という理由で能登入りを諦める人が後を絶ちません。 一過性のボランティアで終わらせず、何度も通い、地域と深く関わる「関係人口」を築くためには、全国の人を受け入れられる「器(宿・拠点)」がどうしても必要なのです。
被災直後の様子。宿の多くも営業停止となりました
「能登の最先端に、関係人口を生み出す『第2の故郷』を作る」
私たちが目指すのは、単なる施設の建設ではありません。「さだまるビレッジ」というフィールドを、みんなの手で開拓し、育てていくことです。 そして、観光客として一度来るだけでなく、何度も通い、地域と深く関わる「関係人口」が集まる拠点にしたいのです。
2025年秋、少しずつ開拓してきた森で夫と
森のカフェ・森のステイのイメージイラスト
具体的には、以下の機能を持った拠点を作ります。
1. 森のカフェ(地域拠点)
・活気が生まれる「地域拠点」。 地元のお父さんお母さんがコーヒーを飲みながらホッとできたり、採れた野菜を持ち寄れる直売所や商店機能を備えます。
・外から来た人にとっては、能登の自然に触れ、その豊かさに「沼る(ハマる)」入り口。
2. 森のステイ(滞在・宿泊拠点)
・復興に関わりたい人や、能登の自然を感じたい人が滞在できるタイニーハウス(小さな小屋)やキャンプフィールド。
・「宿不足」を解消し、長期滞在やワーケーションを通じて、能登の復興に長く関わってくれる仲間(関係人口)を増やします。
3. 森を遊び、森を守る「循環型フィールド」
• 子どもたちの学びの場: 既製品の遊具ではなく、森そのものを遊び場に。地域の子どもには「日常の遊び場」を、外から来る子どもには、スマホを置いて自然に没頭し、日本の現状や防災を肌で感じる「生きる力の学び舎」を作ります。
・ 自給自足の再建(復興DIY): 地元の林業や製材の担い手が不足し、産業が閉ざされてしまいました。私たちは「自伐型林業」を取り入れ、自分たちで木を切り、製材し、加工して再建する仕組みを作ります。
・ 将来的には、荒廃した山に手を入れ、地域のみんなで森を守り、資源を循環させることを目指します。
子どもたちが森で遊んでいる様子
大人と子どもが一緒になって森を整備している様子
これまで、私たちは多くの個人の皆様の寄付や協力に支えられて活動してきました。 しかし、これから本格的に森を開拓し、宿泊拠点やカフェを建設して運営を持続させていくには、私たちだけの力では限界があります。 もっと多くの「仲間」と出会い、この村づくりに関わってほしい。そう思ってクラウドファンディングに挑戦することにしました。
皆様からいただいたご支援は、まず第一に「森を開拓するための重機の購入費」に充てさせていただきます。業者に頼んで綺麗に整地してもらうのではなく、自分たちの手で森を切り開き、木材を切り出し、道を作ることから始めたいのです。そのために、まずは相棒となる『重機』が必要です。自分たちで作るからこそ、そこはみんなの地域拠点になります。
【第一目標金額:200万円の使い道】
• 用途:小型ユンボ(重機)の購入費用、整地費用。
将来的に自伐型林業で能登の山を守っていくことにも活用します。
ユンボは、開拓に必須の重機です。
(レンタルだと多額の費用がかり、雨で作業が進まないことも多々あります)
【ネクストゴール:200万円を超えた金額の使い道】
400万円集まったらできること
• 用途:カフェのキッチン部分建設費用。
600万円集まったらできること
• 用途:タイニーハウス(滞在用小屋)1棟建設・カフェのキッチン部分建設費用。
1,000万円集まったらできること
• 用途:タイニーハウス(滞在用小屋)2棟建設・カフェ建設費用。
※カフェやタイニーハウス建設には、関東から駆けつけてくれた熱い職人チーム
「LUXEWALL(リュクスウォール)」などが協力してくれています。彼らと共に建設します。
建築チームとボランティアの方々とさだまるの森にて
北國新聞記事・復興DIYとして被災家屋の修繕を行った様子
皆様からのご支援をもとに、以下のスケジュールで「さだまるビレッジ」の開拓と拠点づくりを進めてまいります。 雪解けを待って本格的な開拓をスタートし、来年の秋には皆様をお迎えできる状態を目指します。
• 2025年12月下旬: クラウドファンディング開始
• 2026年2月末: クラウドファンディング終了
• 2026年3月〜4月: 重機(小型ユンボ)購入、森の開拓・整地スタート
春の訪れとともに、鬱蒼とした森に光を入れる作業を始めます。
• 2026年5月〜夏頃: カフェ・タイニーハウス建設、ウッドデッキ整備
職人チームやボランティアの皆様と一緒に、DIYワークショップ形式での建設も予定しています。
• 2026年秋頃: 拠点プレオープン、お披露目
リターンの発送・体験利用の受け入れを順次開始します。
※進捗状況は「活動報告」にて随時お知らせいたします。
※自然災害や工事の進捗により、スケジュールが多少前後する可能性があります。
私はかつて、原付バイクで日本一周の旅をしていました。その時の裏テーマは、「自分の住みたい場所を探すこと」。旅の中で出会った、自分の世界観を暮らしで表現するという生き方に憧れ、2020年、縁あってこの珠洲という土地にたどり着きました。
原付きバイクで日本一周をしたときの写真
路上で書を描いていたときの写真
「定まらない」人生だった私が、珠洲に根を下ろし、「さだまる」と名付けた場所。 震災で多くのものが壊れましたが、ここで生きるという覚悟は揺らぎませんでした。 むしろ、「ここまで壊れたのなら、最先端のクリエイティブな田舎を新しく作れるんじゃないか」。そんな風に、今はワクワクすらしています。
能登には、昔ながらの「あるもので作る」という知恵と、助け合いの精神が生きています。この素晴らしい文化を未来に残しつつ、多くの人が「ただいま」と帰ってこられる「第2の故郷」を、ぜひ一緒に作りませんか?
能登の美しさが感じられる緑と青のコントラスト
私たちが皆様に提供できる価値は、「能登の自然と癒やし、そして創造する喜び」そして「私たちだからできること」。 現地に来て体験していただくものから、遠方からでも想いを感じていただけるものまでご用意しました。一部を紹介させていただきます。
• 【直筆】インスピレーション書(ポストカード・簡易額装・1時間おしゃべり+簡易額装)
かつて路上で書を描いて日本一周した竹下あづさが、あなたやご家族のお名前や写真からインスピレーションを受けて、世界にひとつの書を贈ります。
• 【直筆】さだまるビレッジの仲間たちからお手紙
さだまるビレッジの仲間たちから感謝を込めて直筆のお手紙をお届けします。
• 森の開拓サポーター(小・中・大・VIP)
このプロジェクトを純粋に応援したい人向け。森にあなたや会社などのお名前を刻むことで、私たちや地域の方にとってもみなさんと一緒に作っているという気持ちが生まれます。匿名や無記名、リターンが不要な方も対応可能です。中以上のサポーターには看板ができましたら、写真を撮影してお送りします。VIPは専用の看板を立てれます。
• 珠洲でさだまる穴場案内ツアー(1日・1日+極上のお寿司)
竹下あづさがあなたのご希望に応じて、地元ならではの穴場を6時間程度ご案内します。おいしいお店などもご紹介。(飲食代は別途)極上のお寿司プランは最後に能登のとろけるお寿司で締めくくります。
• さだまるビレッジでプロフィール写真・家族写真撮影
カメラマンとしても活躍していた竹下あづさが珠洲の大自然と共にお写真を撮影します。大切な記念写真やSNSやビジネスのプロフィール写真として、お役に立てれば幸いです。
• 【さだまるの森で癒しを】極上の癒し・至福のホッとケア
被災地ケアでも大活躍した「やちむんぼおる」という陶器を使った特別な温熱ケア。疲れた体と心を芯からほぐし、明日への活力を生みます。極上の癒しプランでは、さだまるの森や珠洲の植物や塩などを使った蒸し・432Hzシンギングボウル音浴・レイキヒーリングなど極上の癒しを味わって頂けます。ここから新しい人生を歩みたい人にもおすすめ。
• オンラインお話会・講演会主催権
2024年秋より講演活動をはじめ、全国で延べ2000人以上にお伝えしている「能登の今 日本の未来」「能登から学ぶこれからの生き方」などのお話会をオンラインで開催できます。(日時・内容は応相談)研修などでもご活用ください。
• あなたの町にさだまるビレッジがやってくる
2024年秋より講演活動をはじめ、全国で延べ2000人以上にお伝えしている「能登の今 日本の未来」「能登から学ぶこれからの生き方」などのお話会の開催や、その他竹下あづさが行くことでできることがあれば4時間程度ご対応します。(日時・内容は応相談)研修などでもご活用ください。交通費・宿泊費は別途。
• 竹下あづさが能登であなたの夢を叶えます
竹下あづさが能登であなたのためにできることを全力でします。(4時間程度) あれもこれもやってみたい方へおすすめのお得プランです。書を描く・写真を撮る・お話をする・珠洲の穴場案内・子どもたちと遊ぶ・一緒に人生やビジネスなどを考えるなど。「こんなこともできませんか?」という相談もお気軽にどうぞ。
さだまるビレッジのこれまでとこれからに、深くかかわってくださる皆様から応援メッセージをいただきました。
LUXEWALL Inc. 代表
【能登復興 × 技術継承 × 地方創生】プロジェクト
平澤 璃玖斗 (東京都)

2024年の七夕、私は初めて珠洲を訪れました。短冊に書かれた子どもたちの夢。そこには「お家がほしい」という言葉がありました。自分の目で現地を見て、生の声を聞いていく中で、あづささんと出逢い、お話を聴いて心が動き「能登の未来にはこの人が必要」だと直感で思いました。
それと同時に私にできることは何か。一つの本質的な課題に行き着きました。
【職人が足りない。】
私は15歳で壁紙職人の世界に入り13年目。叩き上げの職人として、世界へ挑戦しています。日本には世界に誇れる職人技術がありますが、若い職人は姿を消し、AIやロボットでは代えられない「職人の技術」が失われようとしています。
能登の未来に私ができること。
【能登復興 × 技術継承 × 地方創生】
住む家がない問題・空き家問題・滞在先不足の問題の解決。タイニーハウス・古民家リフォーム・森のカフェなどを創る。
その過程で技術を継承し、夢と誇りを持ち、みんなで未来を創ろう。
能登から愛のある技術者を育て、次世代へ。
カフェバー麻心 琴平
森下真司 (香川県)

2011年の東日本大震災では、物資支援や炊き出し・店の再建・イベントなどを約2年間続けました。能登半島地震では、さだまるビレッジと繋がったおかげで四国からも支援できました。
さて、東北では沢山の地域と関わって活動しましたが、復興が早かったり、地域がまとまっているコミュニティには、必ずリーダーがいて、ベースとなる拠点がありました。
継続して繋がる復興に大切なのは、拠点作りです。さだまるビレッジの取り組みこそがその拠点作りであり、次世代のリーダーなのです!
そしていつの日か… さだまるビレッジが被災地の拠点ではなく、みんなにとって田舎の親戚の家みたいに、いつでも「お帰り!」って迎えてくれるコミュニティスペースになると妄想しつつ…
これからも応援していきます!
沖縄生まれの「やちむんぼおる」生み出し人
身体と心の支援ケア team 心結(こころむすび)代表
宮西優美 (石川県野々市市)
震災直後から沖縄生まれの「やちむんぼおる」で身体と心のケアに入り、最初は避難所でケアをしていましたが、さだまるビレッジが自分たちも被災者でありながら、自宅を開放しボランティアの受け入れをしていることを知りました。
毎月能登に足を運ぶうちに、あづささんを支援することが、能登にとって重要だとわかりケアをするようになりました。
関わりの中であづささんを人として尊敬するようになり、応援したいと思いました。あづささんは希望の光。これからはみんなが「さだまるビレッジ」をめがけて来るようになるでしょう。
あづささんの活動を、一人でも多く、日本中の方に知ってほしい!
そして…みんなで応援していきたいと思います。
ぜひ仲間になりましょう!
四国とどけ隊 代表 ・自然療法なかみち
中道靖&玲奈 (徳島県)

震災直後からボランティアで入らせて頂きました。当時から「前を向いて進んでいるのが素晴らしいな」と感じています。徳島から車で10時間以上かかりますが、能登に行こうと思うのは、子供にも見せたいと思ったから。言葉では現地の空気感は伝わりません。
さだまるの森は海も見えて、とても気持ちいい場所。子供もそれを感じているからか、勝手に遊んでいます。いつもだったら「一緒に遊ぼう」「父ちゃん・母ちゃん」と言ってきますが、枝や葉っぱで遊んだり、他の子とも一緒に遊んだり、すごくいい環境で、親も安心して見守れます。
さだまるビレッジは行くと感じること・学べることがあります。子連れでもあたたかく迎え入れてれることもありがたいです。
これからのプロジェクトも応援しています。
うつわと自然食品 -みちいる-
辻 真澄 (石川県輪島市)
令和6年能登半島地震以降、さだまるビレッジの活動をずっと見てきました。たくさんの被災した人を救い、情報をいち早く届け、たくさんの方の心の支えになっているさだまるビレッジ。
能登の人より能登を愛してくれて、本当に感謝しかありません。能登になくてはならない存在の方々が、これからも能登人たちの希望になる「居場所」を作るのを、本当に楽しみにしています。そして同じく能登で頑張るもの同士、心から応援しています。
震災から2年。 世間の関心が薄れていく中で、能登で生きる人々の戦いはまだまだ続きます。 でも、悲壮感だけで語りたくはありません。 大好きな能登で暮らしていくために、私たちは前向きに楽しみながら未来を作っていきたいのです。
「能登の今は30年後の日本の未来」とも言われており、私たちが向き合っている課題は単なる震災復興ではなく、日本中で起こる課題への取り組みでもあります。
この「さだまるビレッジ」が、地元の人にとっては心の拠り所に、そして外から来るみなさんにとっては「第二の故郷」になれるように。
どうか、私たちの「村づくり」の仲間になってください。 応援よろしくお願いいたします!

















