1人の音楽家の半生を貴重な記録として未来につなぎたい。

大分で育った野球少年が明治大学マンドリン倶楽部と出会い、周囲の反対をよそに突き進んだ音楽の道。これまで歩んできた山あり谷ありの音楽人生を貴重な記録として未来につなぎたい。そんな教え子やファンの思いを1冊の半生記(兼 反省記!?)にしたいと思います。

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まもなく本プロジェクト開始から1ヶ月が経とうとしています。お陰様で毎日皆さまからのご支援が積み上がり、ついに目標額の6割を超えることができました。
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 さて、今回の甲斐先生の作品エピソードは、相撲界の隠れたヒット曲「日本相撲協会錬成歌」です。上記画像はYoutubeにアップされている同曲のトップ画像ですが、作曲者は甲斐靖文です・・・でも、よく見ると何かおかしくありませんか?

 そうなんです。名前が「靖文」ではなく「晴文」になっています。
実は発表当時、依頼元の日本相撲協会が名前を誤り、発表からしばらくは晴文になっていました。当時の理事長である春日野親方の現役時代は名横綱「栃錦」。「若ノ花」と繰り広げた名勝負は戦後の相撲人気の黄金時代を築きました。先生も大好きな力士だったので、その春日野理事長から感謝状をいただき大変感激しましたが、名前が晴文だったと笑っていました。その後、甲斐先生が教会に申し入れた結果、訂正された経緯があります。教習所の歌詞が書かれた額もしばらくは誤ったままでしたので、このYoutuberの方もそのまま投稿されていました。現在は概要欄で訂正されています。

 この「日本相撲協会錬成歌」ですが、日本相撲協会の公式ページの解説を引用すると・・・『相撲の伝統と健全な精神、厳しい修行を表現した歌です。相撲部屋に入門した新弟子が通う「相撲教習所」の入所式や卒業式、日々の稽古後などに歌われる校歌のようなものです。昭和53年(1978)11月、当時の春日野理事長(元横綱栃錦)が呼び出し永男(のりお)に作詞を依頼し、作曲家 甲斐靖文が曲をつけて発表されました。ちなみに永男は太鼓の名手としても知られ、かつてNHK大相撲中継が始まる最初のふれ太鼓、終わりの跳ね太鼓は永男によるものを昭和42年より30年に渡り放送していました。
相撲協会錬成歌は、本場所では大阪場所、名古屋場所の序ノ口取組が開始される前に会場で流されています』となっています。

 この歌がすごいのは、1978年以来50年近くに亘って、相撲教習所に通った力士全員に歌い継がれていることです。毎年、10人前後が入所しており、直近の卒業生は405期なので少なくとも4000人を超える力士が歌っていたことになります。まさに相撲界の隠れたヒットナンバーです。

この曲は以下のYoutubeで聴くことができます。ご参考までにリンクを貼っておきます。以下をクリックしてご覧になってください。

相撲協会公式チャンネル「力士が通う学校!?相撲教習所の一日」
〜8分を過ぎたあたりから生徒が歌っています。教習所に掲げられた歌詞の額には甲斐先生の名前が刻まれています。

Dihorin01さんの「日本相撲協会錬成歌」
〜こちらは各部屋に配られたピアノの伴奏による練習用デモ音源です。






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