1人の音楽家の半生を貴重な記録として未来につなぎたい。

大分で育った野球少年が明治大学マンドリン倶楽部と出会い、周囲の反対をよそに突き進んだ音楽の道。これまで歩んできた山あり谷ありの音楽人生を貴重な記録として未来につなぎたい。そんな教え子やファンの思いを1冊の半生記(兼 反省記!?)にしたいと思います。

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本クラウドファンディングの最終日である6月30日、甲斐先生の87歳のお誕生日まで、残すところあと19日となり、ご支援者も100名に達しました。

皆さまの温かいご支援のお陰で、ゴールが着々と近づいてきております!本当に心より感謝申し上げます。

 さて今回は、甲斐先生が手がけたヒット曲として、ぴんからトリオの「女のねがい」とその頃のエピソードをご紹介します。

 ぴんからトリオは、1963年(昭和38年)に宮史郎さん、宮五郎さん兄弟と並木ひろしさんによって音曲漫才トリオとして結成されました。その後、1972年(昭和47年)5月に歌手デビューした「女のみち」が有線放送から火がつき、300万枚を超える歴史的大ヒットとなります。その勢いに乗って同年12月に発売された2枚目のシングルレコードが、甲斐先生が編曲を手がけた「女のねがい」です。こちらも80万枚を超える大セールスを記録しました。

 実は、この曲が大ヒットしていた時期こそ、甲斐先生が古賀政男先生からマンドリン倶楽部の後継者としての打診を受けた頃でした。

当時、甲斐先生は30歳でご結婚され、2人のお嬢さんを授かったばかり。まさに一家の大黒柱として働き盛りの時期でした。編曲家としての仕事は多忙を極め、その収入は所属レコード会社の社長を上回るほどだったそうです。

先生ご自身も、偉大すぎる古賀先生の後任を引き受けるのは荷が重すぎること、そして何より仕事が極めて順調であり、1年の半分近くを倶楽部の指導に専念するのは生活面からも厳しいと考え、当初はその申し出を断っていました。

しかし、天下の古賀先生からの熱心な要請に、断り続けるわけにはいきません。ここでも先生の「やっちみらんとわからんでー」の精神に火がつき、マンドリン倶楽部の指導者として歩むことを決意されるのです。

それから作曲家生活60年、常任指揮者として55年――。

これは先生の人生における「2回目のターニングポイント」でしたが、まだ山あり谷ありの人生の、ほんの序章に過ぎませんでした……。

残り19日、甲斐先生の誕生日に最高のプレゼントが届けられるよう、一同全力で走ってまいります。引き続き、ご支援・ご声援のほどよろしくお願い申し上げます!

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