
本プロジェクトの最終日まで残り2日となりました。
お陰様で最終日を待つことなくFINAL GOALのご支援額ならびにご支援者数を達成することができました。皆さまの温かいご支援に心より感謝申し上げます。
最終日まで引き続きよろしくお願い申し上げます。
さて、今回は古賀先生とのお別れの日のエピソードです。

この画像は1978年(昭和53年)8月8日に執り行われた古賀先生の音楽葬の式次第です。
古賀先生はその日から遡ること7月25日、午後1時15分に代々木上原のご自宅で逝去されました。甲斐先生はコロムビアで吹き込みが終わり、ディレクターと談笑している時に訃報を聞きました。早速、古賀邸へ連絡を取り、慌てて駆けつけたそうです。眠っているかのような安らかなお顔であったそうです。
部員は連絡網でその訃報を知りました。通夜が行われた26日に古賀邸に学生服で集合、午後7時より正門から本宅まで続く石畳の道の両脇に整列し、多くの弔問客を出迎えました。夜といっても夏の暑い盛りのこと、学生服が塩を吹くほど汗だくになっていたのを覚えています。
そして、8月8日に葬儀と告別式が青山葬儀所で執り行われました。画像のように甲斐先生の指揮でマンドリン倶楽部が「影を慕いて」を演奏しています。
俳優の森繁久彌さんは「戦後日本は文化国家を標榜しました。その中で国民の隅から隅まで一番の文化を与えられたのは、貴方ではなかったでしょうか。ありがとうございました 古賀政男先生 日本の歌の父 名残はつきませぬが、どうぞお静かにお旅立ちください」と弔辞を述べられました。
マンドリン倶楽部の精神的支柱であった古賀先生を失い、今後の行く末はどうなるのか、甲斐先生、OB、学生の一人ひとりが様々に思いを巡らした「マンクラのいちばん長い日」となりました。
この日を境に甲斐先生の新たな激動の人生が始まりました。



