
おかげさまで、先ほどなんと公開日から早くも50%達成いたしました。
これもひとえに皆様方のおかげと感謝いたしております。そしてこの輪がどんどん広がっていっているというのを実感しています。
さて、ボクといえば⋯昔話に付き合っていただき、また第1回の続きをしたいと思っていましたが重要なことをお話しなければいけませんでした。
藤原秀旺はどうやってプロレスの門をノッキンしたのか?という肝心なことが抜けていましたのでこの回を第0回とさせていただきます。
2005年2月27日の花巻市大迫町での試合、これ実はなんと当時ボクが所属する北都プロレス本州初上陸大会として開催されたんです。
北都プロレスデビュー第一号レスラーはボクだったんですね。北都プロレスといえば、お馴染みクレイン中條代表。この方との出会いがなかったら藤原秀旺というプロレスラーはいなかったと思います。
記憶では2001年か2002年頃だったとおもいます。プロレスファンというかマニアだったボクはいろんな団体のグッズを収集していました。
当時中條さんが所属していたアジアンスポーツプロモーションに問い合わせの電話をしたんです。
その電話に出たのがそう、中條さんでした。中條さんはサービス精神が旺盛な方なので突然電話したいちファンにもいろんなエピソードをお話していただました。岩手に住んでいるという話をしたら化粧品の仕事で東北はよく行くとのこと、タイミングを合わせて会おうということになりました。それからすぐに中條さんが寄せ書きのサイン色紙とポスターを送っていただきました。それは今だに部屋に飾っていますよ。
その数カ月後、たしか記憶でとなり町の石鳥谷町の道の駅で会い数時間お話したのを覚えています。それが中條さんとの出会いでした。
その後2003年末に突然、自宅に電話がありアジアンプロレスを退団するという連絡がきました。
新団体を旗揚げしようと思ってるんだけど⋯その「新団体」というキーワードにワクワクしたのを覚えていますね。当時ボクは普通に社会人として働いていてアマチュアプロレスをやっていました。
このままアマチュアのままでプロレス終わっていくのは絶対後悔するなと日々強く思っていたので、その話を聞いてもらったと記憶しています。
「新団体では練習生は募集していますか?プロレスラーとしてデビューしたいです。」その言葉に中條さんは「なら、フェリーで北海道来て、巡業参加できるなら、一度やってみたら?」その言葉に、ボクはプロレスラーになるぞ!と決意し、北都プロレスの練習生となったのです。
つづくのかい?



