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さて、前回の続きです。
デビュー直前の藤原秀旺と初めて会ったのは一関市か花巻市どちらかのガストでした。
事前情報がクレイン中條さんから全く知らされておらず、「大迫町出身の今度プロレスデビューする青年」としか中條さんからは伝えられていなかったので、どんな人なんだろう?
大迫町?大迫といえば大迫町カントリープラザに毎年プロレス見に行ってるなあ~遠いよ大迫!
それくらいの事しか頭に浮かびませんでした。
かなり緊張したのを覚えていますが、出会って10分もしないうちに私の緊張は完全になくなり、なんならもう意気投合するくらいの感覚でした。
というのも、これまでお互い見てきたものが全く一緒、プロレスに対する思考がほぼ一緒だった、ということです。
プロレスと一言で言っても上から下までピンキリです。プロレスをあまり知らない人たちの為に説明しますと、深夜放送などで地上波で放送されているプロレスがいわゆるメジャー団体と言われるプロレスです。
それ以外のものに関しては一般的にインディー団体と言われています。
「メジャー」の対義語はふつう「マイナー」ですが、プロレス業界では、メジャーとインディーというように分けられます。
更に細分化されれば、メジャー、インディー、どインディーとも言われますが 笑
私と藤原秀旺はいわゆるインディーと位置付けされるプロレスが大好きな人間でした。
プロレスに興味を持った人がいきなりインディーから見始める、好きになる、という事はなかなか無いと思います。まずは教科書のようなメジャー団体から見始めて、他にも興味を持ちはじめて巡り巡ってインディーを追っかけるようになる。
インディー団体を好きになるポイントは人それぞれ理由が異なると思います。非日常的なものが好きな人、胡散臭いものに惹かれる人、選手との距離がメジャーに比べて近いところ、会場でセルフ実況しながらニヤニヤしながら見る人、など多種多様ですが、
私の場合なぜメジャー団体には見向きもせずインディーマニアになったのか。これには生まれ育った場所が「岩手県」というのが大きく関わってきます。
今は無くなりましたが一関文化センター体育館という会場が私の家から最寄りのプロレス会場でした。
1年か2年に一回、二回程度プロレスが開催されました。
9才からプロレスファンだった私は普段テレビや週刊誌でしか見れないプロレスが来るということで、団体問わず一関や近くの街にきたプロレスは全部見に行っていました。
そこである違和感に気付きます。気付くというよりか、そう感じとってしまった少年の自分がいたのです。
これは、あくまで子供の頃の私の感覚なので熱狂的なメジャー団体のファンの方は怒らないでくださいね 笑
テレビ中継で見ている団体が来る!これは絶対行かなきゃ!
そして会場へ行き対戦カード入りのパンフレットを買う。
すると、あれ?
見たことも聞いたこともない知らない選手がメインに名を連ねている。
そして当然のようにその人が負けて終了。普段テレビに出ているスター選手は2分も出てないじゃん。なんだこれ?と。
ピュアな小学生です。テレビに映っている後楽園ホールや都内の大きい会場の試合と同じものを見れると思い会場へ足を運んでいるのです。
なるほど、田舎だと後楽園ホールの一番高いチケットより値段高いクセに箸休めみたいなカードで試合するんだな。本当の試合を見たいなら後楽園に来いってか、と感じたのです。何回も言いますが、これは小学生当時の私ですからね!笑
で、逆にインディーを見に行くと、
えっ!?
後楽園と同じカードじゃん!凄い!インディーは地方でも手を抜かないぞ!とピュアな渚少年は感じてしまったのです。
大人になり、よくよく考えてみれば そもそもメインに出れる器量の選手が限られているわけで そりゃあ首都圏と遜色無いカードになりますわな、と気付いてしまうという 笑
嫌な大人になってしまったもんです。
といった感じで小学生の頃から週刊プロレスを後ろのページから読む(インディーはほとんど後ろのページだから)危険な子供へと成長し、いまだにインディーばかりを追いかける危ない思想を抱いたまま40すぎてしまいました 笑
話しが脱線しすぎたので戻します。
北都プロレス時代の藤原秀旺との関係はあくまで選手とファン。
試合の告知を手伝ったり、会場でグッズをたくさん買って少しでも利益になってくれれば、と そういった関係が何年か続いたある日
なにげない いつもの藤原秀旺からの電話だと思い出てみると
「花巻で新団体を旗揚げする。参加してくれないか。」
実はこの当時、私は神奈川県川崎市で生活していました。
田舎の若者なら一度は抱く夢、都会へ出たい。
現金だけ持ち、なんとかなるだろう、そう思い知人を頼りに川崎へ引っ越してから約3年は経過したでしょうか。
突然の花巻での旗揚げ宣言。
旗揚げ後は東北をサーキットする、と。
しかし自分は今 神奈川県にいる。
神奈川県から毎回東北の試合に参加するのは正直厳しい。
でも藤原秀旺には協力したい。
気持ちは大きく揺れていました。
つづく



