2年前、東京ビッグサイト。
ステージに立つ吉藤オリィさんが手に持つ、
黄色くて今より少しだけ大きいOriHimeが動き出し、そして、声が。
皆は前を向き、OriHimeと黒い白衣のオリィさんに夢中。
私はそっと振り返りました、その声の主はきっと、少し後ろのほう、
あのベッド型の車椅子に居る方なのではないかと感じ、何度も振り返りました。
この日、はじめて番田雄太さんとお逢いしました。
* * *
みなさま、映画あまのがわ、プロデューサーの松本沙織です。
ここから2回にわけ、OriHimeエースパイロット、
【一歩を踏み出すこと】の大切さを教えてくれた大事な友人、
番田雄太くんのことを、書きたいと思います。
私たちは2014年、雄太くんの存在を知るより前に、まず、
早稲田大学の大先輩のご紹介で、吉藤オリィさんにお会いする機会を頂きました。
オリィさんとお話し、OriHimeのことをもっと知りたい
と訪れたのが前述のビッグサイト、福祉関係の展示会でした。
プレゼンが終わりブースへ。
ここで、番田雄太さんとはじめて逢いました。
「昨夜、作ったばかりの名刺」、といただいたのがこちら。
彼は、岩手から分身ロボットのOriHimeを操作することで、
オリィさんとともに全国で講演活動を行っていました。
その出逢いから数ヶ月後、私たちが主催するパーティーに、
雄太君がどうしても参加したい、住まいの岩手から、OriHimeを介してではなく、
実際に東京に来たい、とメッセージをくれました。
そのの強い気持ちに先導され、いつしか、どうしても逢いたい、
会場に呼びたいと思うようになりました。
仲間で名前をなんて呼び合おうか、ということもメッセージで会話をして、
雄太くん、と呼ばせてもらうことにしたのもこのときです^^
行きたい気持ちと、呼びたい気持ち、それが一致した、
私たちが本当の友達になれた瞬間だったのではと思っています。
そして、雄太くんはベッド型車いすを使い、新幹線に乗り、
早稲田にあるパーティー会場へ来てくれました。嬉しかったです。
このパーティーには子どもたちも大勢参加していて、
雄太くんの話をじっと聞いていました。雄太君は一生懸命話をしてくれました。
このとき、いろいろなことを知りました。
車椅子が会場に入れるよう、事前に、ドア幅を調べたり、
スロープの場所を確認したり、階段の段数を数えたり。
また、呼吸器のこと、身体を冷やす氷をどれくらい用意しておけばよいかということ。
雄太くんが到着したとき、私は会場につながるスロープで待っていました。
お母様が車椅子を押してこちらへ近づき、そして、会えた。
会場で場所を移動するとき、帰りに出口まで行くときは、
車椅子の操作をさせていただき、友達の重みを感じました。
その後もときどき、雄太くんから「松本さん、東京へ行くので、
どこかにでかけませんか?」と誘っていただき、
都内をめぐったり、水族館にも行きました^^
いくつものパーティーでもご一緒しました。
幹事を一緒に行ったときには、パーティーの後一緒に会計報告をしたり、
反省会をしたこともあります。
岩手にも逢いに行きました。
こうして、OriHimeが繋いでくれたご縁、少しずつやりとりを重ね、
場所が離れているときにはOriHimeで、ときにリアルに逢えるようになりました。
雄太くんがいまこうして、『東京に逢いに来てくれる』ことや、
『岩手に来て下さいと誘ってくれる』こと、
つまり、
【リアルに逢える】ようになるまでには、
いくつもの、彼の、「踏み出す勇気」があったことを、
私達は少しずつ、知るようになります。
(後編へつづく)