はじめに - ご支援への御礼
お世話になっております。Gather株式会社の高比良ハルカです。
この度は、NY Tech Week 2026への渡航に際し、クラウドファンディングを通じて多大なるご支援を頂き、本当に有難うございました。
CAMPFIREを通じたご支援、そしてクラウドファンディング外で頂いたお力添えを合わせて、約60万円の資金をご支援頂きました。おかげさまで渡航・滞在にかかる費用を賄うことが出来、6月1日から8日までニューヨークに滞在してきました。
今回の渡航は、私にとって、かつて一度は諦めた海外での挑戦を、もう一度考える機会となりました。
現地で何を見て、何を得たのか。そして、当初期待していたもののうち、何を得られなかったのか。
少々長くなりますが、これまでの経緯と、現在の事業の状況も含めて、ご報告したいと思います。
今回の渡航では、CAMPFIREを通じたご支援、そしてクラウドファンディング外で頂いたお力添えを合わせて、約60万円の資金をご支援頂きました。おかげさまで滞在にかかる費用を全額賄うことが出来、6月1日から8日まで、ニューヨークに滞在することが出来ました。
今回の渡航で何を得たのか、何が出来なかったのか。そして、帰国から約4ヶ月が経過した現在、私は何を考え、何に取り組んでいるのか。
少々長くなりますが、お付き合い頂けますと幸いです。
なぜ、もう一度アメリカへ行こうと思ったのか
私が初めて米国のシリコンバレーを訪れたのは、大学3年生の頃でした。
もともと私は、5歳の頃に父親から譲り受けたWindows XPのパソコンをきっかけにコンピューターに親しみ、大学では機械学習を学び、学生エンジニアのコミュニティ運営やソフトウェア開発に没頭しておりました。その憧れから、大学は理工学部へ進学しました。

学生時代に立ち上げたプログラミングサークル、Google Developer Student Clubs Keio
大学時代には、友人たちとプログラミングサークルの活動に励む中、ぼんやりと、人生は日本で暮らし、どこかの大企業で(まったりと)過ごそうと考えていました。そんな中、縁あって、世界でもトップレベルの - それこそスタンフォードやUCバークレー、オックスフォードの友人たちと出会う機会がありました。その際に、自分はぼんやりとガクチカがどうとか、就職偏差値がどうとか考えている自分と、「次のGoogleを作る」と言って、全力で学問や起業に励む彼ら。その姿は、自分の進路に対する考えを変えるのに十分すぎるほど印象的だった。

海外から来た留学生とシェアハウスでアプリを開発していた頃
縁に恵まれ、GoogleのCEOであるSundar Pichai氏と直接お話しする機会にも恵まれた(実は彼のインスタグラムに今も載っている)。その際、進路に悩んでいる話をすると、「もし信じている未来があるなら必ず、スタートアップの挑戦に飛び込むべきだ」と答えました。Pichaiは、かつて安定したキャリアを捨て、創業期のGoogleに飛び込んだ過去があり、それを信じてここまで来たこと、それにひどく感銘を受けたし、また、相手は世界屈指の大企業のボスであり、自分自身はこの小さな島に閉ざされたただの大学生であるのが悔しかった。

Sundar Pichai氏と(同氏のInstagramより)
大学入試の時に一番苦手だったのは英語でした。ただ、それでも世界を見たかった。そこから、大学3年時に初めてシリコンバレーを訪れ、大学4年時にはカリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)に短期留学しました。

ミネルヴァ大学の友人とGoogle本社へ

UCSBにて
現地で何より印象的だったのは、研究や技術開発と、その社会実装との距離の近さでした。
米国では、大学の研究者や学生たちが自らの専門領域に誇りを持ち、その成果を社会に実装すること、あるいは自ら事業を興すことを、ごく自然な選択肢として捉えていました。大学にはY Combinatorを始めとしたスタートアップ支援組織やBig Techとの接点も多く、優秀な技術者が次々と新しい事業に挑戦します。
日本では、技術屋は技術を、経営屋は経営を、という姿勢の方が多いように思いますが、向こうでは、技術を生み出す人間と、事業を生み出す人間との距離が非常に近いのです。
私はもともと、技術そのものに対する関心からこの世界に入った人間ですが、研究成果が社会に実装され、多くの人々の生活を変えていく姿に強く魅力を感じるようになりました。
自分も、そうした事業を作る側になりたい。技術を知り、それを社会に届ける橋渡しをしたい。でも、技術は触れたことがあるけれども、起業がどのようなものかわからない。
そんな思いから、保険として握っていた(そして長期インターンの時から大好きだった会社の)ソフトウェアエンジニアの内定を捨て、在学中に起業する道を選びました。退路を断ちたかった。とにかく、目標に向かってまっすぐ向かいたかった。今でも、内定を捨てるメールを送った時の手が震える感じを忘れません。
もっとも、そこからの道のりは決して順調ではありませんでした。
とにかくグローバルなことがやりたかった私は、大学4年時にはインドネシアや中国の友人たちと、小規模事業者向けのAIアシスタントを開発し、インドネシアでリリースしました。現地の新聞にも掲載して頂きましたが、肝心のアクティブユーザーが伸びず、事業はクローズ。

インドネシアでリリースした、小規模事業者向けのAIアシスタント
米国のスタートアップ支援プログラムであるY Combinatorにも2度応募しましたが、いずれも不採択でした。
技術的に面白いものを作ることと、それを顧客に求められる事業にすることは、全く別の話です。
当時は、そのことを身を以て思い知らされました。
結局、一度は海外での起業を諦め、日本国内で事業に専念することにしました。
それから約2年。
医療AIや脱炭素領域、そして現在のお出かけAI「iino」に至るまで、様々な事業に挑戦してきました。実店舗への飛び込み営業からプロダクトの開発、資金調達まで、あれこれと手を出しながら(そして失敗しながら)、何とか事業を続けてきた次第です。
しかし、そのなかで再び、自分の進むべき方向について考えるようになりました。
日本で事業を伸ばしていくことと、世界で通用する事業を生み出すことは、必ずしも矛盾するものではありません。しかし、コンシューマー向けのソフトウェア市場において、米国は依然として世界有数の市場であり、世界中から資本と人材が集積しています。
そうした環境で事業を立ち上げることに、今の自分はどれほどの可能性を見出せるのか。
そして何より、学生時代に抱いた、世界を相手に挑戦したいという気持ちを、もう一度確かめたかった。
しかし、お金がなかった。何より、かつて失敗して目を逸らした世界に、もう一度目を向けるのが怖かった。やらない理由ばかりが頭に募った。
そんな中、肩を押してくれた方がいた。無一文から渡米し、YouTube共同創業者などから出資を受け、今や世界中でマンスリーマンションを提供する事業を行う、Anyplace創業者の内藤さんだ。AIが短期的に成長し、新しい事業が次々生まれる、恵まれた時代は人生でそう多くは来ない、今すぐにでもアメリカを見てこい。
こうして、今回のニューヨーク渡航を決めました。
ニューヨーク、文化の街
6月1日、ニューヨークに到着した。

着陸前、機内から見たマンハッタン
これまで私は、アメリカといえば西海岸、とりわけサンフランシスコやシリコンバレーにしか足を運んだことがなかった。
私にとってのアメリカは、どこかテクノロジーオタクたちの楽園のような場所だった。
シリコンバレーには、閑静な住宅街と広大な大学のキャンパスがあり、そこにはパーカーを被り、あるいはGoogleのTシャツを着た学生たちが、朝から晩までコンピューターに向かっている。大学の研究室や、友人同士で借りた家に寝泊まりしながら、ひたすらにコードを書き、新しいものを作る。
自分たちが世界を変えると信じ、仲間同士で切磋琢磨している。私が学生時代に訪れた西海岸は、そんな場所だった。
しかし、ニューヨークは一歩足を踏み入れた瞬間から、まるで違っていた。
街には古くから続く石造りの建物が立ち並び、その合間にはファッションブランドの店舗や小さなセレクトショップ、カフェやレストランが軒を連ねる。道を歩けば壁にはストリートアートが描かれ、地下鉄に乗ろうと駅へ降りれば、どこからか楽器の演奏が聞こえてくる。

街角のストリートアート

街そのものが、一つの大きな文化の集積地なのである。
東京にも無論、文化的な街はたくさんある。しかし、ニューヨークでは、建築も、音楽も、ファッションも、食も、様々な国や地域から持ち込まれた文化が、同じ街のなかで入り混じっているように感じた。
そして、何より人が多い。街を歩いているだけで、世界中から人々が集まっていることを実感する。
もっとも、そんなニューヨークの洗礼を最初に受けたのは、文化でも人々でもなく、物価だった。
到着して早々、IHOPに足を運び、いかにもアメリカらしいパンケーキの朝食を食べに行ったのだが、朝食一つを取っても驚くほど高い。飲み物一本に500〜600円、宿泊先もカプセルホテルのようなホステルで一泊一万円ほど。何をするにも、日本で生活しているときとは随分と違う金銭感覚を求められた。
とはいえ、久しぶりに訪れたアメリカの街を歩くのは、それだけでも楽しかった。
かつてシリコンバレーで感じた、技術者たちが未来を作っていく熱気とは異なる、文化と人間の営みが積み重なって出来た都市。
これがニューヨークなのだと思った。
世界中から集まる挑戦者たち - NY Tech Week
そんな街で、到着した初日から朝から晩まで、スタートアップのイベントを回った。
今回参加したNY Tech Weekは、特定の会場で開催される一般的なカンファレンスとは異なり、ニューヨークの街中で、ベンチャーキャピタルやスタートアップ、テクノロジー企業などがそれぞれ独自にイベントを開催する形式になっている。
イベントの会場も様々だった。
オフィスの会議室やコワーキングスペースはもちろん、タイムズスクエアの近くのバーや、音楽の流れる店、ビルの屋上など、街の至るところに起業家たちが集まっていた。

ピッチイベント
イベントに参加していて印象的だったのは、起業に挑戦している人々のバックグラウンドの幅広さである。
名門大学を卒業してそのまま起業した人もいれば、特定の業界で専門的なキャリアを積み、その経験を元に事業を立ち上げた人もいる。創業者だけでなく、エンジニアやデザイナー、マーケターなど、様々な立場でスタートアップに関わる人々が集まっていた。
あるイベントでは、かつてGoogle Pixelの開発に携わり、その後MBAを取得して起業したという女性の創業者と出会った。テクノロジーの知識と事業経験、そして経営の専門性を持ち合わせ、自分の事業について堂々と語るその姿が印象に残っている。そうしたキャリアの女性が少なからずいて(逆に日本では本当に少ない)、いわゆる起業における性差が少ない国だなとも思った。
日本でも無論、様々な経歴の起業家がいる。しかし、少なくとも今回私が参加したイベントでは、日本で普段接するスタートアップコミュニティ以上に、挑戦する人々の経歴や年齢、専門領域が幅広いように感じた。
そして、彼らは文字どおり世界中から集まっていた。

イベントで出会った人たちと


私はというと、久しぶりに使うたどたどしい英語で、自分の事業を説明し、相手の話を聞き、また次のイベントへと向かう日々だった。
英語の会話についていくのも一苦労だったが、せっかく多くの方にご支援頂いてニューヨークまで来たのである。限られた一週間で、何か一つでも多く持ち帰りたい。
そんな思いから、ひたすらに人に話しかけ、イベントからイベントへと足を運んだ。
ブロードウェイ
今回の渡航では、スタートアップのイベントだけでなく、ニューヨークという街の文化そのものにも触れたいと考えていた。
そんななか、同行した方から、せっかくニューヨークに来たのだからブロードウェイのミュージカルを観に行こう、と誘って頂いた。
向かったのは、ニュー・アムステルダム・シアター。演目は、ディズニーの『アラジン』である。


『アラジン』のプレイビル
幸運なことに、最前列のほぼ中央という席を取ることが出来た。
劇場に入って初めて知ったのだが、ミュージカルの舞台と客席の間にはオーケストラピットがあり、そこで演奏家たちが実際に音楽を奏でている。私たちの目の前には指揮者がおり、その向こうには舞台が広がっていた。
幕が上がると、目の前で役者たちが歌い、踊り、オーケストラが音楽を奏で始めた。
舞台上の役者の表情も、息遣いも、そして客席からは普段見えないような細かな動きまで、手に取るように分かる。
何より圧倒されたのは、その場にいる全ての人々が、一つの舞台を作り上げるために注いでいる情熱だった。
役者たちは、何年もかけて磨き上げてきたであろう技術を、目の前のたった一回の舞台に注ぎ込む。指揮者はオーケストラを率い、演奏家たちは舞台上の役者の動きに合わせ、寸分の狂いもない音楽を奏でる。
その一つひとつが重なり合い、目の前に一つの世界が生まれていた。
私はもともとテクノロジーが好きで、技術によって人々の生活を豊かにしたいと考えて起業した人間である。しかし、このときばかりは、普段自分が取り組んでいるテクノロジーというものが、何とも小さなものに思えた。
人間が長い時間をかけて磨き上げた技術と表現、そして一人ひとりの情熱が集まることで、これほどまでに人を感動させることが出来るのか。素晴らしいソフトウェアやプロダクトに触れたときの感動とは、全く異なる種類のものだった。
いま、世の中ではAIによって人間の仕事をどれほど代替出来るのか、どのような作業を自動化出来るのか、という議論が盛んに行われている。無論、それ自体は重要な技術の進歩である。しかし、目の前の舞台を観ながら、私は、人間の営みの価値とは何なのだろうか、と考えていた。
単に上手な歌や演奏を聴くことだけではない。
そこに至るまでに費やされた時間や努力、同じ空間にいる人々の息遣い、舞台の一瞬に全てを注ぎ込む姿勢。そのような人間の営みそのものに、私たちは感動するのではないだろうか。
人間のために技術を作るのであれば、そうした感動や、人間らしい時間をこそ豊かにするべきなのだと思った。
この日の体験は、単なる観光の一ページとして片付けるには、あまりにも大きなものであった。
その後は、以前から好きだった日比谷にあるフレンチレストラン、Buvetteのニューヨークの本店へ足を運んだ。ニューヨークは(飲食向けの事業をやるくらいには)美味しいものが好きな人間には飽きない街である。

Buvette
舞台の余韻が残るなか、ニューヨークの街を歩き、食事を楽しむ。
テクノロジーの未来を見に来たはずのニューヨークで、私はむしろ、人間の文化や創造性の素晴らしさに強く心を動かされていた。
焦り
6月4日になる頃には、参加したイベントは10を超え、30人以上の現地の起業家たちと話していた。
そのなかで、現地の友人を通じて、数週間で世界中に1万人以上のユーザーを獲得したフェムテックのスタートアップの創業者と話す機会があった。
そこで印象に残ったのは、彼らが当たり前のように、最初からグローバル市場を前提として事業を立ち上げていたことだった。日本で起業すると、まず日本国内のユーザーに使ってもらい、その後に海外へ展開するという発想になりがちである。しかし彼らは、最初から英語でプロダクトを作り、RedditやX、LinkedInなどを通じて、国境を越えてユーザーを獲得していた。
グローバルで事業をするということが、何か特別な決断なのではない。
初めから、それが当たり前なのである。
私は、この前提の違いが、挑戦の大きさ、ひいては自分が想像しうる未来の大きさに直結しているのではないかと思った。最初から世界を市場として見ていれば、作るプロダクトも、目指す事業規模も、そのために集める人材や資本も変わってくる。あるいは、そうした環境に身を置くことで、自然と自分の視線も上がっていくのかもしれない。
周囲の起業家たちが、当たり前のように世界中でユーザーを獲得し、事業を成長させていく。その姿を横目に、自分も負けていられないと考える。
日本の外で最初から起業することには、単に市場規模が大きいというだけではない、そうした環境そのものの価値があるのだと感じた。
しかしながら、同時に焦りもあった。
私は、現地の起業家や投資家たちと、十分に議論出来るほどの英語力を持ち合わせていなかった。
彼らのスラング混じりの早口の英語には、完全にはついていけない。自分たちの事業について話すことは出来ても、その戦略や市場の可能性について、相手と対等に議論するには、まだまだ力が足りないのである。
世界で挑戦したいという思いはある。
しかし、そこに飛び込むための準備が、今の自分には十分に出来ていない。
夜9時、日が長いニューヨークで、クライスラービルディングの陰に追われながら歩く帰路で、そんなことが頭を巡っていた。

日の長いニューヨークの夕暮れ

クライスラービルディング
夢より現実を見た
私はニューヨークに夢を見に行った。
まるでドラえもんの秘密道具のような、自分がまだ想像したこともない技術や事業。
かつてのGoogleやNetflix、Spotifyのような、見たこともないようなビジネス。iPhoneが登場した頃のような、みんなの想像に未来を招くようなプロダクト。
そんなものはニューヨークにはなかった。
当時、私は少し事業に疲弊していた。
目の前の顧客や課題に向き合い、それを解決するためにプロダクトを作る。メンバーが離脱したり、資金調達がうまくいかなかったり。そうした苦難と向き合い続け、目の前にいっぱいいっぱいになっていた。
事業を行う以上、そうした営みが重要であることは無論理解している。
しかし、ここまで取り組んできた事業に十分な活路を見出せず、かといって、周囲を見渡しても、今取り組んでいること以上に情熱を注ぎたいと思えるものを見つけられずにいた。
だからこそ、ニューヨークには、何か全く新しいものとの出会いを期待していた。
そんなものを生み出す起業家たちと出会い、もう一度、心の底からワクワクするような未来に触れたいと思っていたのである。
しかし、実際にニューヨークで目にした事業は、必ずしもそうしたものばかりではなかった。
特定の業界に特化した業務ソフトウェアや、特定の消費者の小さな課題を解決するサービス。日本でも見かけるような事業も多く、むしろ日本以上にニッチな領域に取り組んでいる企業もあった。
もちろん、そうした事業の価値を否定するつもりは全く無い。
特定の領域の深い課題に向き合い、それを世界規模の事業へと成長させられることも、米国市場の大きな魅力であろう。ただ、私が漠然と思い描いていた未来とは、少し違っていた。
今回の滞在では、Y CombinatorやAndreessen Horowitzといった著名な投資家から支援を受けている起業家たちと話す機会にも恵まれた。
そうした人々と話していて、改めて感じたことがある。
彼らは、何か特別な魔法を使って事業を成長させているわけではない。
自分の取り組む領域を決め、顧客に向き合い、プロダクトを作り、ユーザーを獲得し、事業を成長させる。
ただひたすらに、それを全力でやっているのである。
違うのは、初めから見ている市場の広さであり、その挑戦を支えるエコシステムの厚みであり、当たり前のように大きな資金が動く環境だった。
無論、それらは決して小さな違いではない。しかし、起業家自身が日々取り組むべきことは、日本であろうとアメリカであろうと、大きく変わるものではないのだと思った。
かつて私は、海外に行けば、自分の知らない特別な世界が待っているのではないかと考えていた。
しかし、そこにあったのは、世界を相手に、当たり前のことを徹底してやり抜く人々の姿だった。
それは、夢ではなく、どこまでも泥臭い、おおきな現実だった。
世界で挑戦するということ
今回の渡航を通して、私のなかで一つの考えが固まった。
それは、今自分がやると決めたことに対して、全力を尽くそうということである。
日本にいるから出来ない、海外に行けば何かが変わる。そうした場所の違いを、自分自身が挑戦しないことの言い訳にしてはならない。ニューヨークで出会った起業家たちは、皆それぞれの領域で、自分が信じる事業を前に進めることにひたすら取り組んでいた。ならば私も、まずは目の前の事業に対して、同じように全力を尽くすべきだという考えに至った。
日本にいようと、世界で通用する水準でプロダクトを作り、顧客に向き合い、事業を成長させる。そのうえで、より大きな市場で挑戦する必要があるなら、迷わず世界へ出れば良い。
そして今回、様々な事業に触れるなかで、もう一つ確認出来たことがある。
それは、今自分が取り組んでいること以上に、情熱を注ぎたいと思える事業には出会わなかったということだった。
私は、AIを始めとした情報通信技術によって、人々の日常生活や、私たちが暮らす街そのものを豊かにしたいと考えている。自分の好みや気分を理解し、まだ知らない場所や体験との出会いを生み出してくれる。そうしたパーソナルAIが生活空間に浸透する未来を、私は信じている。
ニューヨークで様々な事業に触れた結果、むしろ、自分が今見ている未来を実現したいという思いが強くなった。
だから私は、当面は日本で挑戦を続けることにした。
無論、海外で事業を行いたいという思いを捨てたわけではない。むしろ、世界で挑戦したいという気持ちは、以前よりも強くなったと思う。
ただ、そのためにまず必要なのは、自分が信じる事業を、誰にも負けないほど徹底してやり抜くことなのだ。

自由の女神
日本から、ニューヨークへ
滞在の終盤、NECの現地法人でスタートアップアクセラレーションに携わる木原さんや、日本の弁護士事務所を経て、現地のビジネススクールに進学して起業に挑戦されているIzuさんと、お話しする機会があった。

NECx ディレクターの木原さん
お二人とも、長く米国のスタートアップ環境を見てこられた方々である。
米国には日本よりも遥かに大きな市場機会があり、挑戦のアップサイドも大きい。しかし、その分だけ競争は厳しく、現地で成果を出すには、相応の戦略と行動量が必要になる。
今回の渡航で、そうした現実も改めて感じた。
一方で、私の心の片隅には、もう一つ忘れられない場所がある。
インドネシアである。
私は以前、インドネシアで小規模事業者向けのAIアシスタントを立ち上げたことがある。結局、事業は全く上手くいかなかったのだが、今でもジャカルタで感じた街の空気をよく覚えている。
街には若者が溢れ、至るところで新しいビルが建設されていた。生活のなかには、まだまだ不便なことがたくさん残っている。しかし、それでも人々は、これから自分たちの生活がもっと豊かになっていくことを、当たり前のように信じているように見えた。
街が成長し、経済が成長し、自分たちの未来が明るくなっていく。
そうした空気が、街の至るところにあった。

ジャカルタ

クアラルンプール
私は、その熱量に強く惹かれたのである。
果たして、今回のニューヨークに、あのジャカルタで感じたような熱気があったのだろうか。
そんなことを考える自分もいる。
無論、ニューヨークとジャカルタでは、経済の発展段階も、社会の抱える課題も大きく異なる。単純に比較することは出来ないだろう。
しかし、私が本当に惹かれているのは、世界の最先端にあるということだけではなく、人々がより良い未来を信じ、自分たちの手でその未来を作ろうとしている環境なのかもしれない。
そして、今回ニューヨークで出会った起業家たちの姿にも、そうした魅力があった。
シリコンバレーでは、開発者向けのツールや技術そのものを事業にするスタートアップに触れることが多かった。
一方、今回のニューヨークでは、金融や医療、消費者向けのサービスを始め、実に様々な領域に対して、スタートアップという手段で挑戦している人々に出会った。
彼らが取り組む事業の全てに、自分が同じような情熱を持てたわけではない。
しかし、それぞれが異なる専門性や問題意識を持ち、自分の信じる領域で新しい価値を作ろうとしている姿は、大いに刺激になった。
冒頭でお話ししたように、ニューヨークは、テクノロジーだけでなく、文化や芸術、人間の営みそのものが非常に豊かな街だった。
ブロードウェイで感じた、人間が人間を感動させることの素晴らしさ。そして、スタートアップのイベントで見た、世界中の人々が自分の信じる未来に向かって挑戦する姿。
その両方に触れたことが、今回の渡航で得られた大きな財産であったと思う。
そして、私自身もまた、技術によって人々の生活を豊かにするという、かつて自分が信じた未来を追い続けたい。
そのために、今は日本で、自分の事業に全力を尽くそうと思う。
次にニューヨークを訪れるときには、世界の起業家たちに会いに行くだけでなく、自分自身の事業を携えて、彼らと同じ土俵で勝負出来るようになっていたい。
そう強く思った。

ブルックリンから望むマンハッタンの夜景
改めて、私にこうした経験を、24歳で出来る機会をくださった皆さん、本当に有難うございます。
追伸 - プロダクトの現在地について
最後に、現在取り組んでいる事業についても少しだけご報告させて下さい。
現在、私たちは、お出かけAI「お出かけiino(いいの)」を開発しています。人によって好きな店も、心地良いと感じる場所も異なりますし、同じ人であっても、一緒にいる相手やその日の気分によって、行きたい場所は変わるものです。私たちは、そうした言葉にしにくい好みや気分まで汲み取り、一人ひとりに合った飲食店やお出かけ先を見つけられる体験を作ろうとしています。これまで、同じ居酒屋にばかり行っていた人が、ひょんなことからまちの魅力を見つける。新しい世界に飛び込む。そこで新しい思い出が生まれる。私たちが作っているのは、一人ひとりのそんな体験を支える、パーソナライズAIアシスタントです。

現在は1000人前後のユーザーの方々に使って頂きながら、日々改善を進めています。まだ「一度使って面白い」で終わらず、日常のなかで繰り返し使ってもらえるものにするには課題もありますが、だからこそ、ユーザーが本当に出かけ先を探したくなる瞬間はいつなのか、どのような提案であれば心が動くのかを、改めて確かめているところです。
今回ニューヨークでは、世界を相手に事業を作る人々に刺激を受けると同時に、ブロードウェイで、技術だけでは語り尽くせない人間の営みの豊かさに触れました。私たちが作りたいのも、単に便利な検索ツールではなく、誰かが街に出て、まだ知らなかった場所や人、文化に出会うきっかけとなるものです。
まだまだ小さな挑戦ではありますが、まずは日本で、顧客に求められるプロダクトを徹底して作る。そして、いずれは世界中の人々の日常を豊かにするものに育てていきたいと思っています。
引き続き、見守って頂けますと幸いです。




