皆さま、いつも温かい応援とご支援をありがとうございます。今日は、制作中の本の中身を、少しお届けしたいと思います。「どんなことが書いてあるんだろう?」「どんな本になるのかな?」そんなふうに気になってくださっている方に、実際の文章を読んでいただけたら嬉しいです。今回ご紹介するのは、第1章「『普通』という名の見えない魔法」から、最初の2つの節です。「普通はこうでしょ」「みんなそうしているよ」何気なく口にしている言葉ですが、その「普通」は、誰にとっての普通なのでしょうか。講演で行っているワークや、私自身の身近な体験を交えながら、子育ての中にある「普通」について書きました。少し長くなりますが、お時間のあるときに、ゆっくり読んでいただけたら嬉しいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第1章:「普通」という名の見えない魔法1-1 「普通」は正解ではなく、数の話「普通はこうでしょ」「みんなそうしてるよ」――子育てをしていると、私たちはこの「普通」という言葉を、驚くほど頻繁に、しかもほとんど無意識に使っています。でも、少し立ち止まって考えてみてほしいのです。「普通」とは、本当に正しいことなのでしょうか。多くの人が選んでいることと、それが正しいかどうかは、別の話です。少数派だからといって、その人の好みや感じ方が間違っているわけではありません。私たちは、身近に多く見られるものを「普通」と感じ、それを基準にして物事を考える傾向があります。けれど、その基準は、集まる人や場所によって変わってしまいます。自分の周りで当たり前でも、別の場所では当たり前とは限らないのです。私は講演会で、よくこんな話をします。あるクラスに、パン派の子とご飯派の子がいたとします。もしそのクラスにパン派の子が多ければ、「朝はパンを食べるのが普通」という空気が、なんとなくその教室の中に生まれます。でも、パン派が多いということと、パン派が「正しい」ということは、まったく別の話です。少数派だったご飯派の子が、間違っているわけでもありません。このことを、講演会では参加者に体感してもらうワークをしています。「推しがいるか推しがいないか」「パン派かご飯派か」「きのこの山派か、たけのこの里派か」――そうやってまず5つの質問に手を挙げてもらいます。そして最後、6問目にこう尋ねます。「ここまでの質問で、全部、多数派だった人?」すると、それまでずっと多数派だった人も、この問いでは手を挙げる人の少ない側になります。「全部、多数派だった」という人たちが、今度は少数派になるのです。それまで「自分はみんなと同じだ」と思っていた人も、最後の質問では「自分と同じ人は少ない」と気づきます。少数派になることは、特別な誰かにだけ起こることではなく、自分にもあるのです。そして、少数派になったからといって、自分の答えが間違いに変わるわけではありません。子育ての中でこの視点を持てるかどうかは、子どもとの関わり方にもつながると、私は感じています。わが子が周りと違う好みや感じ方を口にしたとき、つい「みんなと同じじゃなくていいの?」と聞きたくなる瞬間があるかもしれません。それは、「この子に余計な苦労をしてほしくない」という心配からくる言葉でもあるでしょう。周りと同じかどうかを確かめる前に、「あなたにとってはそうなんだね」と、まずそのまま受け止めてあげることだと思うのです。多数派であることは、便利で心強いことではあっても、それが唯一の正解というわけではありません。子どもが選び取ろうとしているものを、数の大小で測らずに見てみる。そのために、私たち大人も、自分の中にある「普通」を少し問い直してみてほしいのです。多数派であることは、正しさの証明にはなりません。逆に、少数派であることも、間違っている理由にはなりません。「普通」という言葉は、時に子どもを安心させ、時に子どもを縛ります。「みんなはどうしているか」だけでなく、「この子はどう感じているか」にも目を向ける。私は、その関わりを大切にしたいと思っています。1-2 意識を向けたものが、見える世界をつくる私たちは、同じものを見ていても、100人いれば100通りの、それぞれ違った気づきがあります。自分が何に意識を向けているかによって、見える世界は変わってきます。目の前にあっても、意識していなければ、気づかずに通り過ぎてしまうことがあるのです。分かりやすく、私が車を買ったときの体験で説明します。私自身、長年欲しいと思っていたマツダのCX-5をようやく購入することになり、ボディカラーを白にするかカーキにするか、ずいぶん悩みました。そして「カーキ色にしよう」と自分の中で決めてから、不思議なことが起こります。街を歩いていても、信号待ちをしていても、やたらとカーキ色のCX-5が目に飛び込んでくるようになったのです。もちろん、私が色を決めたからといって、道路を走っている車の台数や色の割合が、その日を境に急に変わったわけではありません。変わったのは環境ではなく、私が「何に意識を向けているか」でした。こうしたことは、子育てにおける「普通」や「当たり前」を考えるときにも、重なるところがあります。「家族はこうあるべきだ」「男の子はこう、女の子はこうあるべきだ」という思い込みを強く持っていると、無意識のうちに、それに当てはまる家族や生き方を基準にして、周りを見ることがあります。そして、そこから外れる人や生き方が身近にあっても、その人がどんな思いで暮らしているのかまでは、気づかずにいるかもしれません。私自身も、自分の「当たり前」を通して人を見ていないか、立ち止まって考えたいと思っています。だからこそ意識してほしいのは、「自分がどこに意識を向けるか」によって、今まで気づかなかったことに出会えるということです。自分が当たり前だと思ってきた生き方のほかにも、さまざまな生き方がある。その存在に、少しだけ目を向けてみることから始められるのではないでしょうか。これは、子育ての場面に置き換えられます。「うちの子は普通じゃないかもしれない」と不安になったとき、心配なことばかりが目についてしまうことがあります。そんなとき、「この子らしい生き方がどこかにきっとある」と別の可能性にも意識を向けてみる。そうすることで、これまで気づかなかったヒントや出会いが、少しずつ見えてくるようになるはずです。不安をなかったことにする必要はありません。ただ、その不安だけで、子どもの姿や将来を決めつけずにいたいのです。子どもに新しい選択肢を用意してあげたいと願うなら、まずは親である私たち自身が、意識の向け先を少し変えてみる。それも、今できることの一つなのだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで読んでくださって、ありがとうございます。皆さんは、どんなことを感じましたか?「私も、つい『普通は』と言ってしまうな」「子どもの頃、みんなと違うことが気になっていたな」そんなふうに、ご自身の経験を思い出した方もいらっしゃるかもしれません。私自身も、自分の中にある「当たり前」に、あとから気づくことがあります。だから、この本に書いていることは、私も日々考え続けていることです。子どもの話を聞くときに。自分と違う生き方をしている人に出会ったときに。そして、自分自身が周りと違うことで悩んだときに。この本の言葉を、ふと思い出してもらえたら嬉しいです。読んで感じたことや、心に残った言葉があれば、ぜひコメントで教えてください。皆さんの声も受け取りながら、この一冊をつくっていきたいと思っています。本を楽しみに待ってくださっている皆さま、そして、この挑戦を応援してくださっている皆さま。本当にありがとうございます。「普通」に悩む誰かへ、別の選択肢もあることを届けられるように。引き続き、応援やプロジェクトのシェアで力を貸していただけたら嬉しいです。※今回ご紹介した文章は制作中の原稿です。刊行時には、表現などを調整する場合があります。



