私たち岩之入集落について
新潟県柏崎市最西部北条地区に属し、信越本線長鳥駅がある集落です。山間豪雪地、36世帯90名が暮らす寒村です。しかし、団結力はあり集落の共同財産である公民館、弘法大師堂、神社などは、昔から協力して維持管理してきました。春の神社祭り、春夏の道路補修、弘法大師堂祭など昔から集落総出で行っています。

春の神社祭り

春夏の道路補修

賽の神

弘法大師堂参道のキャンドルロード

弘法大師堂祭(霊園水井戸屋根倒壊前)
私たちは、先祖代々この土地で暮らし、棚田を守り続けてきました。近年は地域おこし協力隊の受入れや、棚田オーナー制度など活用して、都市部の方々に米づくりを通じた地域交流を提供してきました。毎年、田植えや稲刈りの時期には多くの参加者にお越しいただき、私たちの暮らしや文化を知っていただく機会を作っています。
『2026年5月14日 柏崎日報社 紙面掲載 記事 写真』
柏崎市岩之入で棚田オーナー 田植えにぎやかに
柏崎市西長鳥、岩之入地区で10日、棚田オーナーらがコシヒカリの苗を植えた。今年で22年目。岩之入集落協定(池田司史代表)のメンバーが手伝い、秋の実りに大きな期待を込めた。

棚田オーナーさんと田植え

ランタンを灯しホタル観賞会

棚田オーナーさんと稲刈り
このプロジェクトについて(なぜ今このプロジェクトが必要なのか)
過去にも危機を乗り越えてきました。2023年初雪豪雪で集落の市道、農道の両脇に植えられた杉が何キロにも渡って倒れた時も集落の共同の力で復旧しました。今回は集落の文化的な財産である弘法大師井戸屋根が2月の大雪と強風で倒壊してしまいました。この屋根は昭和30年代に集落の大工さんたちが手弁当で建てたものです。私たちはこの歴史遺産が集落を象徴するものとして次世代に引き継ぐ決意です。そのために多額の資金が必要ですので、このプロジェクトを立ち上げました。

市道、農道の倒木撤去

弘法大師堂祭での御詠歌行列(2017年)

屋根が倒壊した直後の霊園水井戸

屋根が倒壊し、雨ざらしの霊園水井戸
プロジェクトが目指す未来
集落には岩之入を「将来の消滅集落」と考える風潮もあります。塩水井戸屋根もお金をかけないで小さな小屋で済ませたらどうか、という意見があることも事実です。しかし、ここは小学生が地域学習として毎年訪れる柏崎市を代表する文化遺産です。地域に資金がないということで、あきらめるわけにいきません。もしこれが実現しなかったなら精神的打撃は計り知れません。バックボーンを失った集落の誇りはどうなるでしょうか。
私たちは未来に希望を持ちたいのです。そのために活性化組織を立ち上げ、ボランティアとして環境美化や買い物・通院支援なども行っています。農業では都市住民とつながりを持つために20年以上にわたって「棚田オーナー制度」を頑張っています。寒村ですが、子供たちが自分の故郷に誇りを持てるそんな地域を目指しています。

集落の環境整備に協力いただいている方たち

棚田オーナーさんとの交流

弘法大師堂祭の準備をする男性群

数日前から弘法大師堂祭の準備をする女性群

弘法大師堂祭 弘法大師堂
弘法大師について
真言密教を始められた方であることは広く知られるところです。しかしその生涯の苦難と栄光の連続を深く知っている方はどれほどいるでしょうか。31歳で遣唐船に便乗して、入唐求法の旅に出発されたのであるが、この入唐求法ということがいかに困難であったか考えれば弘法大師の人となりが見えてきます。
遣唐使に選ばれること自体大変なことですが、政府援助のない留学僧である弘法大師がその費用の工面や語学等習得に7年間も要しています。ですから入唐してからわずか2年の間に密教の授受に留まらず、誌や書道、医学、天文学、自然科学、 弘法大師が帰国後、諸国を行脚したのは真言宗の布教と新知識を多くの人に伝えるためでありましたが、一つには自身の入唐準備に協力された地方の人々への報恩行だったのです。(朱鷺書房 新居祐政 著 「弘法大師物語」より)
弘法大師堂と霊塩水井戸について
- 霊塩水井戸は長鳥川支流の岩之入大川の川淵に位置し、大師堂は霊塩水井戸の右上、階段数段上にある。
①弘法大師
-
往時は毎年井戸に降りて井戸の掃除をした。塩水井戸の屋根建築は昭和30~40年頃。四本柱は寄付された電柱の古材でまかない、村の大工職人総出で建てたとの話である。
霊塩水井戸が蓋でなく屋根にするのは「霊塩水の井戸に蓋をすると真水になる」との言い伝えがある。
② 弘法大師堂
弘法大師堂の建立は不明であるが後年掲額されたと思われるお堂内の板額の「附記」には明治二十四年頃の建立と記されている。尚、堂内に吊るされた最も古い絵馬は「明治十四年」の年号である。
③ お堂内掲示の板額
お堂内の正面右側に「弘法大師御遺跡―霊塩水由来」、正面左側に「附記」が掲額されている。

「弘法大師御遺跡―霊塩水由来」と「附 記」
(2) 弘法大師霊塩水祭・百八灯祭弘法大師霊塩水祭礼・百八灯祭は毎年二月の第二土曜日に集落全体行事として開催される。かつての弘法大師霊塩水祭礼・百八灯祭は二月二十日と決まっていた。その時代の二月は寒さが厳しく豪雪が当たり前だった。そんな厳しい冬、真っ最中の祭礼だったが小学生の子供たちは百八の雪洞づくりと雪洞に灯すローソク集めを恒例の役割としていた。それが、少子高齢化社会の到来とともに、子供たちの役割は老人会が荷い、集落の戸数が半減した昨今は集落全体が、かつての子供たちの役割を荷っている。近年の冬は降雪が少なく、年によっては弘法大師堂への百八灯の雪洞を造る雪不足で苦労している。百八灯祭というように、お堂と霊塩水井戸への道の両側に百八の雪洞を造り蝋燭を灯す。かつては集落婦人部の方々が公会堂で白装束の身支度をし、隊列を組み、数珠を下げ御詠歌を歌いながら行列してお坊さんのお供をした。集落に勢いのあった昭和30~40年代の頃のことである。 その時代から祭礼の灯ともる頃、お堂近くの川べりにテントのお店がオープンする。村人たちの店である。参拝者には伝説に因み「小豆粥・甘酒・おでん」を無償で勧める。温暖化したとはいえ真冬の夕方、暖かい「小豆粥・甘酒・おでん」は身が温まる。店には特性の明治饅頭、豆腐・・・などが安く売られている。にわか飲食店だが赤字にはなったことがない由、やはり弘法さんのお陰かもしれない。

- 弘法大師堂祭 百八灯祭

- 弘法大師堂祭 百八灯祭(夜店の様子)

- 弘法さんを訪れる団体

- 弘法大師堂祭 (百八灯の雪洞)
プロジェクトの社会的価値
このプロジェクトへの支援は、単なる建物の修繕にとどまりません。日本の農村部で失われつつある伝統的な文化遺産を守ることで、私たちの国の歴史や信仰の多様性を未来に残すことができます。
また、小規模集落が抱える課題に対して、地域外からの支援によって解決の道筋を示すことで、他の類似地域にとっても希望となるプロジェクトです。皆様の温かいご支援が、地域の人々の心の支えとなり、文化継承への意欲をさらに高めることになります。

【倒壊前の霊塩水井戸】
リターンについて
ご支援いただいた皆様には、感謝の気持ちを込めて、岩之入集落ならではのお礼の品をご用意させていただきます。私たちが丹精込めて作った新米や、弘法大師の御朱印など、そして完成した覆い屋根のお披露目にお招きする権利など、集落との絆を深めていただけるようなリターンを考えています。
特に、『棚田オーナー体験』や『冬の弘法大師堂百八灯祭のご案内』なども含め、単なる物品にとどまらない、心のこもった交流の機会を大切にしたリターンを準備いたします。
『持ち塩お守り』について
戦後の混乱期くらいまで、食用に利用するのでしょうか、霊塩水を汲みに来る人もいたそうです。地域の人は霊塩を懐中に忍ばせ旅に出るとも聞きました。旅先での調味料や峠越えの一服に利用したのでしょうか。塩が災いを退け幸運を招くと日本に伝えられたのは奈良時代、1250年前(奈良後期)に誕生した弘法大師は平安時代の初期に全国行脚の途中当地岩之入に立ち寄り錫杖の先で霊塩水井戸を授けてくれました。懐中に霊塩を忍ばせ旅立つのも塩の持つ霊験を知っていたのでしょうか。
プロジェクトのリターンはこの霊塩を『持ち塩守り』としてお届け致します。大事なビジネスの場や、心配ごとがあるときに手を当てて邪気を払い、幸運を招き入れて下さい。(弘法さんの霊塩は30日以上持ち続けることをお勧めしておりません。30日以内に水に戻し新しいものと変えて頂くことをお勧めしております。)
スケジュール
クラウドファンディング終了後、速やかに工事業者との調整を開始し、雪解け後の春から本格的な再建工事に着手する予定です。夏頃までには覆い屋根の再建を完了し、秋には完成のお披露目をさせていただきたいと考えています。

【完成予想図 CG協力 工学院大学】

【完成予想図 CG協力 工学院大学】
※CG(コンピュータグラフィック)の作成や事業概要の設計などに、工学院大学の建築学部の学生さんにボランティアで参加して頂いております。
最後に
小さな集落からの呼びかけですが、私たちの真摯な思いをお伝えできれば幸いです。弘法大師堂・霊塩水井戸は、岩之入集落の宝物であり、同時に日本の大切な文化遺産でもあります。皆様のご支援により、この貴重な遺産を未来に繋いでいきたいと心から願っています。
どうぞ温かいご支援をよろしくお願いいたします。




コメント
もっと見る