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日本ではほとんどない、「障害者向けの居酒屋」を出したい!

私も片麻痺という障害者なのですが、障害者向けの居酒屋を出したいです。バリアフリーの居酒屋はたくさんありますが、障害者向けの居酒屋はほとんど無いのです。障碍者も皆、居酒屋には行きたいけど、行けないのです。そこで、私が出すことにしました。

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目標金額は1,380,000円

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このプロジェクトは、2018/11/27に募集を開始し、 2018/12/10に募集を終了しました

日本ではほとんどない、「障害者向けの居酒屋」を出したい!

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このプロジェクトは、2018/11/27に募集を開始し、 2018/12/10に募集を終了しました

私も片麻痺という障害者なのですが、障害者向けの居酒屋を出したいです。バリアフリーの居酒屋はたくさんありますが、障害者向けの居酒屋はほとんど無いのです。障碍者も皆、居酒屋には行きたいけど、行けないのです。そこで、私が出すことにしました。

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私も2年半前に晴れて障碍者になれました。そして障碍者になって初めて、世間には、思った以上に障碍者がたくさん居る事が分かりました。そしてお酒が大好きな障碍者もたくさんいる事も。ただ、私は酒場で障碍者を見たことがないのです。皆、本当は行きたいのに、健常者が怖いのです。私も健常者の時はそうでしたが、多くの健常者の人も障碍者にはほとんど関心がなく、そんな事は気にも留めていないと思います。そこで、私が障碍者用の居酒屋を作ることにしました。

ひとまずは、私が愛して止まない、南千住「丸千葉」の写真を載せておきます。(掲載の許可は得ていますが一応さわりだけ)

この店の主人(やっちゃん)は、やや斜め上から目線の接客なのに、それが全く嫌味に感じられない凄い接客技術の人だと思います。自然に隣の人とも仲良く話せてしまい、皆が笑顔になれるのです。もちろん、食べ物も旨いです。私も病気になってこの店を知り、月に一度は行ってます。私も、丸千葉のような、皆が自然と仲良くなれる居酒屋を作りたいです。

はじめまして!

南二郎といいます。


私は2年半前に脳出血で3日間自室で倒れ、その後半年間入院し、晴れて?右片麻痺という、右手右足左脳がほとんど機能しない状態になれました。ちなみに、脳は右側を左脳というのだそうです。

それにより、今まで障害者の事など他人事だと思っていましたが、すごく身近に感じられるようになりました。

自分がなったのですから当たり前ですよね。


私はお酒が凄く好きで、今でも体に気をつけながらですが、ちょくちょく色々な酒場に行っては一人で飲んでます。酔っているのですぐに転んでしまい、頭を打って血を出し、気づいたら中野警察病院のベッドにいた、なんていうこともありました。でも、楽しくて嬉しくて仕方がないのです。お酒が飲めることが。そして、生きている事自体が!


今後は日本中の酒場を、吉田類さんの「酒場放浪記」と久住昌之さんの「孤独のグルメ」、そして「酒場ナビ」を頼りにしながら一人で廻りたいと思っています。


同じ片麻痺の知り合いも増えました。

皆お酒が大好きです。

ただ、酒場に行かないのです。

というか、行けないのです。

健常者が怖いのです。

道で転んでしまうのが怖いのです。

酒場で酔って転んでしまうのが怖いのです。

酔って酒場のトイレに行くのが怖いのです。

オムツをすればトイレに行かなくてすむのだから、オムツをすればいいじゃん、と私などは思ってしまいますが、皆、変なプライドがあり、オムツをしないのです。

(かく言う私も、先週キャバクラに一人で行き、オムツにおしっこをたくさんしすぎたせいで、ズボンから漏れ、シートがびしょびしょになり、シートがもう使えなくなってしまったようで、そのキャバクラは出禁になってしまいましたが、、、今度からは尿10回分を吸収するオムツに切り替えようと、心に決めました。収入が増えたらそのキャバに行って弁償する予定です。)

でも皆、行きたい気持ちはある。

私も、皆を行かせてあげたい。


そんな思いから、障碍者中心の居酒屋を出したいと思うようになりました。


本当は、障碍者のみ来れる居酒屋を出したかったのですが、そうなると健常者の方との絡みでいろいろあるみたいなので。

なので、健常者の方は障碍者と一緒に来る場合はOKとしました。


そのためにも、皆、電動大型車椅子で来ると想定して、駅からは大型車椅子に乗ったまま自動で乗り降りできるマイクロバス(2台の大型電動車イスが乗せられるタイプ)を用意したいです。


いま知的障害者施設で月に一度事務のボランティアに行っているのですが、そこの事務局長さんからnissanのNV350の、4台でなく2台の大型電動車イスが乗っかるタイプがいいと思うよと現物を見せられながら教えてもらいました。


また居抜きの居酒屋(というより、レストランくらいの大きさの)を、大型車椅子でも自由に動けるよう、改装してバリアフリーにします。


スタッフの準備もできつつあります。


調理は、私の以前からの友達が、居酒屋でずっと調理を担当しておりましたが、辞めたので、ウチの店ができたら調理を担当したいと言ってくれています。


また、いま家に来てくれているヘルパーさんのリーダーの人が店長をやりたいと言ってくれてます。

というか、この方が最初に障害者の居酒屋を出したい、と言ったのです。


また、そこで働くサブリーダーの方も社員として働きたいと言ってくれてます。


私は感銘を受けました。

何も好き好んで酔った障害者の介抱などする人はいません。

それなのに、その人たちは自らやりたいと、、、


〈費用〉

その辺を含めると、まずは当面の3ヶ月分の費用として、


・居酒屋(またはレストランくらいの大きさの)物件の家賃10万(~50万)くらいとして(大型電動車イスの人達が自由に動けるようなスペースが欲しいので、駅からはかなり離れていてもいいので、かなり広目の場所を借りたいので)

※ちなみに、柏市で、駅からは遠いのですが、40坪で家賃10万くらいの物件が出ており、問い合わせをしたところ、まだ空いて入りとの事だったので、クラウドファンディングのお金が下り次第、すぐに押さえようと思っています。

⇒その敷金礼金10万(~50万)×6=60万円(~300万)

・家賃10万(~50万)×3か月=30万円(~150万)

・駐車場5台分(知的障碍者の方などは、親御さんが自家用車で連れてくる場合があると思うので。)=10万円

・従業員さんの給料30万(~40万)×4人(~6人)×3ヶ月=360万円(~720万)(酔っている障害者さんの面倒を見るので、お給料も人数も多目に)

・運転手さんの給料=25万×3か月=75万円

・バリアフリーへの改築費400万円(~1000万円)

(とにかく大型車イスが入れるトイレを2つと、ウォッシュレットのボタンを左右の壁に付けたいので。便器の横でなく、壁に付けるのが肝要なのです。私も右手が使えないので、駅やコンビニのトイレで苦労してます。こないだ、巣鴨のルノアールでは、トイレにウォッシュレットは付いていたのですが、ボタンがかなり右後ろの方にあり、諦めました。ただ、ルノアール自体はとても好きですが。JR神田の障碍者用トイレは空いていたし、ウォッシュレットも右手前に付いており良かったのですが、トイレ用紙が切れており、、、だから、常に水に流せるティッシュは必携です。また、障碍者の付き添いで来る健常者のトイレも女性用1つと男女兼用を1つずつ取り付けたいです。)(スロープもお店の入り口に付けたいです。)

・居抜きの居酒屋(またはレストラン)を借りるので、その造作(流しや冷蔵冷凍庫など)分=200万(~600万円)

ちなみに私が一度見に行った門前仲町の物件は造作を430万円で買い取るのが物件を借りるための条件と言われました。


・nissanNV350の中古車=200万円

・食材・備品・光熱費など15万円×3か月=45万円


合計=1380万円(~3100万円)が当面の予算です。

なので、campfireで頂いたお金の不足分を自分で出せたらと思っています。

自分の給料も今はまだ2万円ほどですが、来年3月辺りからは200万くらいにはなると思うので。

酒場での値段は、さすがに上野の立ち飲みのような、ほとんどの食べ物が200円程度の安さという風にはできませんが、飲み物は200円程度~、つまみは300円~600円くらいを考えてます。


また、いずれは手話のできる店員さんも雇えたらと思っています。

(私も、少しでも喋るのが不自由な人とコミュニケーションを図りたく、手話教室に通ってます。片手でできる手話もたくさんあるので。)

さらには、知的障碍者の方を中心に、身体障碍者の方や、精神障害者の方も居酒屋の従業員として働いてもらえるようにしていきたいです。


食材は少なくとも野菜は、国立ファームという、マネーの虎に出ていた高橋がなりさんのところから取り寄せられたらと思っています。

あの方の考えに共感しました。

『生産者、仲介者、消費者の三者が全て幸せになって初めてビジネスは成功したと言えるんだ。』と。


また私は利益は要りません。というか、一番最後でいいです。

だから、ギリギリ廻せる感じとかなら、全く給料も要りません。

というか持ち出しになっても、全然構いません。


私は自営でオークション関係の仕事をやっており、今は毎月1~2万の売り上げですが、かつて健常者の時のように、また200万くらいいくと思います。

そしたら、居酒屋にそこから毎月9割くらい廻せるかと。


お客さんは、当面、席の3分の2を予約制、残り3分の1を当日自由にこれる席にしようと思っています。


そういった障害者中心の居酒屋を作ることにより、障害者の方が堂々と居酒屋に来れるようになると思うのです。

もちろん、世間ではバリアフリーの居酒屋さんも増えてきているようですね。

雑誌「大人の週末」でも特集されてたことがありました。

でも、それだけじゃダメなんです。

障碍者中心の居酒屋でないと行かないのです。



店名は「たまりば」にしようかと考えています。

障碍者が気軽によれる「たまりば」


更に言えば、この障害者の居酒屋ができたら、次は障害者中心のライブハウスを浅草に出そうかと。これは知り合いが、浅草の、かつてライブをやっていたスナックが空いているから、そこでどうか?と言われております。


次に、障害者中心の漫画喫茶をチェーン展開していけたら。

障碍者も漫画を読みたいのですが、車椅子では入りにくいところばかりです。

かと言って、ほとんどの人が傷害保険や生活保護でもらえるお金では、漫画を自分ではそれ程は買えず、、、

皆さんは、かつてNHKで放送していた「男たちの旅路」という、山田太一脚本のドラマをご存じでしょうか?

そのドラマに「車輪の一歩」という回があり、車いすで生きていく人々の苦悶が描かれており、当時(1976年頃)凄く反響がありました。(今でも動画がアップされていますので、興味のある方はご覧になってくださいね。)そのころの事を思うと、隔世の感があります。でも、やはり今でも、こんなに障碍者が過ごしやすくなった昨今でも、障碍者は様々な不自由な中で暮らしています。

 

障碍者向けの漫画喫茶にある程度目途が立ったら、健常者の人向けの居酒屋を柏と上野に一軒ずつ。


青山か麻布辺りに、普通の健常者の方が来るクラブ(踊る方の)を一軒。

かつて、表参道に伝説のクラブ「MIX」というところがあり、そこのDJのHEYTAさんという人のプレイに魅了されていました。今もその30年前のプレイを聞きながら、この文章を書いています。


さらには台湾かカンボジア辺りに居酒屋を一軒。


ニューヨークにクラブを一軒。


なので、皆様にはそのいずれかで何らかの形で関わってもらえたら嬉しいです。


以上をあと10年後(60歳)までに次々と出したいです。

かつ、上記いずれも私の所得・給料は無しか一番最後でいいです。

自分のオークションの所得が入ってくると思いますし、この病気になり、お金自体にあまり興味がなくなりました。

(入院前はお金にしか興味は無かったです。いま私を見てくれているケアマネさんが言ってました。なかなか価値観が変わるという事はないんだよ、と。だから、変わることができて本当に良かった。障碍者になって本当に良かった。)

 


-------


すみません、ここからは私事で恐縮なのですが、、、


私は2年半前に脳出血で意識不明の状態で倒れ、4日目に友人に発見され、病院に搬送されました。


その後は半年ほど入院し、発見が遅かったこともあり、一生直ることの無い右片麻痺(身体の右手右足左脳がほとんど機能しなくなってしまう状態)となり、歩くことはもう難しいだろうと病院の先生に言われ、病院ではほぼずっと車椅子で生活していました。

また、病院の作業療法士の方から、「再入院の可能性がある」といわれ、何度か大号泣したりもしました。


しかし懸命なリハビリを経て、何とか一般の人の6倍から8倍の時間は掛かりますが、歩けるようになりました。


今も、駅まで健常者が5分で着けるところを、40分の時間を掛けて歩いています。


風の凄く強い日など、片麻痺になってからは直ぐに転びそうになるので、本当は私も電動車椅子に乗りたいと思う時も多々あるのですが、色々ありまして、今は市から借りることも、乗ることもできないのです。

手動車いすは市から借りられるのですが、片手という事もあり、ちょっとした坂でも全く登れないのです。


去年の年末には私の住んでいる南柏から金町まで、一人で1泊2日で16時間ほど歩いて行ってきました。((本当は上野まで2泊3日で行く予定だったのですが、金町であまりに風が強く、諦めました。)

江戸川を徒歩で渡る時が来るなんて、、、

来年1月ごろには、南柏から横浜まで歩いて行ってみようと思います。

(10泊くらい、漫画喫茶やairbnbに泊まりながら)

片手なので傘はさせませんが、大雨でも、大雪でもポンチョさえあれば、どこまででも歩いていけます。(強風と酷暑はダメですが)


とにかくこの2年間本当に色々ありました。

健常者の時の20年分くらいに感じます。

たぶん、生活自体が全く変わってしまったので、また0歳から始めている気分なので、1日がとても長く感じられるようになったのかと。

いま思えば楽しかった事ばかりです。

というか、本当だったら辛いこと、嫌なことも、すべて前向きに考えられるようになってしまいました。

脳が半分壊れているので、高次脳障害という症状があり、平衡感覚が失われ、よく机の上の物を落としてしまいます。例えば、セロテープがケースごと足の指の上に落ちることがよくあり、すごく痛いのです。そんな時は声を出して「生きてる!」というのです。生きているからこそ痛いと感じられるんだよ、と。

もちろん酔っているときも、酔っていない時でもよく転びます。何かちかくに掴むものがあればいいのですが、掴むものがない時は立ち上がれません。そんな時は、道路の端によって、誰かが助けに来てくれるまで待っていればいいのです。なあに、人間3,4日、口に何も入れなくても死にません。

また、道路に「いつもいつも俺たちを乗せてくれてありがとう」と小声でお礼を言うようになりました。でもだからと言って、すべての物事に感謝するなどという、嘘くさい事はいいませんが。

また、こういう身体になったこともあり、タクシーをよく使います。今はほとんどのタクシーの運転手さんは、良い人ばかりなのですが、個人タクシーの運転手さんは自分の車が、杖で汚されるのを凄く嫌がるのです。

この前も乗ったら、行き先を聞かれる事も無く、ずっと無視されたまま動かないので、私は「何だよ。」と心の中で毒づきながら、車を降りました。その時は、心の中で毒づきましたが、「あの運転手さんも、ただ心が狭いんだよ。気にするな。」とおもったら、怒りもすっと消えていきました。

また、銀座8丁目の有名な立ち飲み屋で女性と2人で飲み、飲み終えた後、私だけタクシーで新橋2丁目まで行って漫画喫茶で泊まろうと思い、その女性がタクシーを止めてくれました。行きも新橋からその立ち飲み屋まで410円で行ったので、帰りも深夜料金でもないので、410円か480円くらいな筈です。ところが、深夜料金の時間でもないのに、800円しました。

私は、「さっきもここから立ち飲み屋まで410円か480円で行ったんだよ!800円の訳ねえだろ!」と。

すると、タクシーの運ちゃんは、「じゃあいらねえよ」と。

(こういう人間は、わざと遠回りして、酔っ払いや障碍者からお金を余分にとるのだろうと思ったので)「これからは、人を見てやれよ!」と、1000円札をだしながら、言って降りました。ただ、降ろされたのは、新橋2丁目でなく、浜松町2丁目でした。私も新橋と浜松町を言い間違える事はありません。酔いながらも、「アイツもこういう悲しい事をしないと生きていけないほど、疲れてるんだろ。」「もし俺が金持ちだったら1000円でなく、1万円やってたのに」と思いながら。

皆さんは、「Life is Beautiful」という映画を、ご存じでしょうか?今から20年くらい前の映画です。アウシュビッツで暮らし最後は殺される話なのですが、主人公は、常に明るく振舞い、自分の子供にも「何てことはないよ」と、様々な苦役も、まるでイベントのようにして、子供を笑わせます。最後にガス室に行くときも、子供には遊びに行くようなふりをして向かって行くのです。(ちょっと記憶が曖昧ですみません。)

私は、まさに「これだ!」と思うのです。あの、アウシュビッツの中ですらも、楽しく過ごす。ガス室に送られると分かっていても。

この病気になって本当に良かった!と心から思います。(マジです)所詮は身体の一部が動かなくなったに過ぎないから、悲しむ事なんて何もないと思うのです。

福田尚武さんという、歌舞伎役者を撮影する写真家をご存知でしょうか?糖尿病で50歳くらいの時に目がほとんど見えなくなり、両足を切断し、、、

でも全く落ち込む事などなく、今も明るく、坂東玉三郎の写真家として活躍されてます。心の目を使って。(ちょっと記憶が曖昧ですみません。良かったらググってみてくださいね。)

私も本当にそうおもいます。私の右腕右足左脳も、福田さんの目や足も、すべて器官に過ぎないのです。だから、そんな小さなことを気にしている暇はないのです。

こないだも松戸を歩いていたら、60歳くらいの男の人に声を掛けられました。

曰く、その人は私のような障害者のケアをしているらしく、訓練次第で私のこの動かない右手右足も前のようにスムーズに動かせるというのです。

私は『とんでもない!』と言いました。『治したくなんかないっ』とも。

この病気になったから、いろいろな人と出会え、いろいろな事をやっていこうと思ったのですから。

またその人は『西城秀樹も私のところの別のグループでやっていたんだ。ただ、失敗したんだよ。』と。『私の所なら失敗しなかった』とも。

以下の事はその人には言ってはいません。心の声です。『違うんですよ。根本的にあなた間違ってる。頑張っちゃダメなんです。悪いほうの手や足をリハビリでよくしようとすると必然的に頑張ってしまいます。その『頑張る』がダメなんです。『頑張る』がストレスの元なんです。だから西城秀樹さんも頑張ったから死んでしまったんだと思います。』と。

とにかく、頑張らないで、たのしく過ごし、あるがままを受け入れる。更に言えば、自由に、鳥のように自由に。

これがストレスをためず、死なないための方法だと思います。(これは、健常者の方にもあてはまると思います。仕事を会社などでしている方は、人間関係もあり、なかなか上手くはいかないでしょうが、そのなかで少しでもストレスを減らす方法が考えられたらいいですが。)

障碍者になるまでは、こんなに夢を持っていませんでした。

ただ、ネットオークションをやって死んでいくんだなあ、と。

本当に人生は面白い。

障碍者になって、逆に、日本中・世界中を廻ろうと思ったのですから。

パソコンも両手打ちができなくなってしまったのに、左の中指1本だけなのに、どんどん書き進めていけます。

スマホもほとんどラインくらいしか使ってなかったのに、今は左手だけでパソコンよりもネット検索などで使っています。

まだまだ話したい事がありますが、一度話し出すと止まらなくなるので、この辺でやめておきますね。

また、お店ができたら、来て頂いた時に、お話できたら。

(ただ、私ばかり話すわけではないのでご安心を。人の話を聞くのも大好きなので)


長々と失礼しました。


それではよろしくお願いいたします。


※本来、健常者の方は障碍者の方と一緒でないと来れないのですが、お礼としてお越し頂けたら嬉しく思います。ですので、いきなり来るというのでなく、予約していただき、お互いに日程を調整できたらと思います。

※今回はお金がなく、出資していただく事ができなかったとしても、またライブハウスやクラブなどで参加くださったらと思います。

※各プランが成功しましたら、もしよければスタッフさんとして又はボランティアさんとして関わっていただけたら嬉しく思います。

 

 

 

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