▍はじめに・ご挨拶
私たちのプロジェクトに興味を持ってくれてありがとう。このページを開いてくれたことを、とても嬉しく思います。
私の名は、片山敬済(かたやま たかずみ)。現在68歳。往年のバイクレースファンの中には、私のことをご存知の方もいるかと思う。
1974年から85年までの約10年間を、WGP(現在のMotoGP)のレーサーとして過ごした。
1977年には日本人初となるワールドチャンピオン(350cc)を獲得した。
ただ、当時の日本はまだ海外のオートバイレースへの関心が薄く、そこまで大きく報道されなかったようだ。
43年前、日本GPも開催されていなかった時代の話だから仕方ないのだろう。
それでも現役当時、たくさんの日本のレースファンから激励の手紙をいただいた。これには今でも感謝している。この場を借りてお礼を申し上げたい。
現在のMotoGPもそうだが、当時のWGPもレースの大半がヨーロッパで開催されていた。
WGPライダーというだけで、ヨーロッパでは英雄と見なされる。チャンピオンなら尚更だ。
私の活動は日本だが、欧米出身のライダー達は、引退後にその知名度やコネクションを使って、様々な社会貢献活動を行っている。
ランディ・マモラは’80年代にHONDA、YAMAHAのワークスチームで活躍したライダー。
彼は現在アフリカで、緊急時に医療機器や医薬品をオートバイで搬送する事業を展開している。
HONDAワークスチームで活躍したレイモン・ロッシュは、安全性に優れたヘルメットブランドを立ち上げた。その経営と並行して、長年に渡り安全なバイクライディングの啓蒙活動を行なっている。
私は、同じサーキットを走ったライダー達を盟友だと思っている。
互いに、100分の1秒を削るため、そして誰よりも早くチェッカーを受けるために、文字通り命を賭けた戦いに臨んできた。
今だに『よく生きて還ってこれたな』と思い返すレースがある。彼らにも必ずあるはずだ。
いま生きていることが奇跡だと思えるからこそ、彼らは世のため人のための活動をするのだと思っている。
そんな彼らを、私はとても誇りに思ってきた。常々、彼らの手助けがしたいと考えていた。
▍ライダーズブランド「SEKITOBA」について
私自身もレース引退後、様々な活動を行ってきた。
レースチームと企業とをマッチングさせる広告代理店の運営。大手テレビ局と提携し、国内初の「視聴者参加型・双方向システム」の導入にも参加した。
何か一つに専念するというより、マルチに活動をしてきたわけだが、私のミッションはオートバイ業界を活性化することだと考えてきた。
ライダーズブランド「SEKITOBA」を立ち上げたのもその一環だ。
「SEKITOBA」のブランド名は、三國志に登場する名馬「赤兎馬」に由来する。強靭なスタミナとスピードを誇る、伝説の名馬だ。
オートバイのライディングにおいては、人馬一体という言葉がよく使われる。
それを実現するライディングスーツやグローブを作ってきたのが「SEKITOBA」だ。
設立は1987年。私自身が「これは!」と思ったアイテムだけを、少量生産で販売してきた。
在庫は極力持たない。品質を保証できる範囲内での製造・販売をモットーとしている。
ユーザーから、次はこれを作って欲しいというリクエストを多々いただくが、本当に良い製品が作れると確信した時しか活動してこなかった。そんなブランドだ。
最近では、ライディンググローブをリリースした。かつて大好評をいただいたモデルの復刻版になるのだが、思いの外このグローブを心待ちにしていたファンが大勢いて驚いた。ありがたい限りだ。
妥協しないもの作りを徹底してきた甲斐があった。
昨年、海外のあるレザージャケットメーカーと知り合った。
紹介してくれた方があまりにも強く薦めるので一つ試作をお願いしてみたのだが、すぐにその理由が分かった。
どんな要望にも“申し分のない品質の高さ”で応えられる職人(マイスター)を揃えている。
思わずワークスチームでWGPを走っていた時の記憶が蘇ったくらいだ。
レーシングマシンは、世界中を転戦している最中にもライダーからのフィードバックを得て改良が加えられる。
そうやって、より速いマシン、より勝てるマシンへと仕上げられていく。
レザージャケットのメーカーではあるが、私がレースで学んだ「より良いモノを創りだす知識とプロセス」をそのまま実現してくれるメーカーだと思っている。
そうして出来たのがこのレザージャケットだ。
もちろん、これまでの「SEKITOBA」商品と同様、私自身が確信を持って薦められる製品に仕上がっている。
ただこれを従来通り販売して終わりでは、私と少数のユーザーの満足にしかならない。
そこで思い立ったのが、「SEKITOBA」のジャケットを介した『三方よし』のこんな構図だ。
我々「SEKITOBA」がチャンピオンモデルのレザージャケットを作る。その収益を盟友ライダーに分配するとともに、購入者とチャンピオンライダーの交流の機会を設ける。
往年のレースファンに、青春時代のワクワクした気持ちを思い起こしてもらえれば、企画した者としてこの上なく嬉しいのだが、いかがだろうか。
そして、チャンピオンモデル第一弾は「フレディ・スペンサー」。
世界中の多くのレースファンを魅了した天才ライダーだ。もしかすると、あなたも彼のライディングに心躍らせた一人ではないだろうか。
▍THE FAST:フレディ・スペンサー
フレディと私は、’82年から’84年までの3年間、HONDAワークスチームでチームメイトだった。
今さら私が言うまでもないが、まさに「天才」という言葉がふさわしいライダーだった。
母国アメリカのダートトラックレースや、スーパーバイクレースで優勝を積み重ね、WGPにフル参戦したのが’82年。この時、彼は若干20歳。すごいヤツが現れたと思った。
そして翌’83年には、『キング』と呼ばれたケニー・ロバーツとの熾烈なポイント争いを制し、参戦わずか2年目にしてチャンピオンを獲得した。
この年のレース優勝者は、フレディとケニーの二人だけ。互いに譲らず、12戦中6勝ずつを分け合った。
私も表彰台に登ったが、彼ら二人のライディングは異次元のものだったと記憶している。
パワースライドでマシンの向きを変えるフレディのライディングは、とにかく豪快。ロディオを彷彿させるような荒々しさがあるのだが、めっぽう速い。
それでいてヘルメットを脱ぐと、端正で甘いマスクの持ち主。
性格もとても穏やかで紳士的。世界中の人々が彼に魅了されるのは必然だったように思う。
‘85年にはWGP250ccと500cc、2つのクラスでチャンピオンに輝き、同じ年にダブルタイトルを獲得した最後のライダーとなった。
私から見ても、まさしくLEGEND RIDERの最高峰の一人。これに異を唱える者はいないはずだ。
‘83年イモラでの最終戦、私は転倒して背骨を圧迫骨折してしまった。翌’84年、完治しないまま復帰したのだが、心配したフレディは自分が使っていた脊椎パッドを私に譲ってくれた。
フレディ・スペンサーの名を聞くと、私はいつもこの時の恩義を思い出す。
「SEKITOBA」チャンピオンモデル・ジャケットの第1弾にフレディを選ばせていただいたのには、私のこんな個人的な想いもあるのだが、どうかご了承いただきたい。
これは昨年の10月、茂木で開催されたMotoGPの時の写真。
来日前から今回のチャンピオンモデルの企画を話していたのだが、あらためて彼は「とても楽しみにしている!」と声をかけてくれた。
フレディは現在、MotoGPでスチュワートという役職に就き、公正なレースを行うための重要な役割を担っている。苦労も多いだろうが、廉直な彼らしい、素晴らしい仕事をしていることと思う。
▍チャンピオンモデル(“ZERO” Edition)について
チャンピオンモデルの企画は先述の『三方よし』に基づいているのだが、最も重視しているのは「往年のレースファンに、青春時代のワクワクした気持ちを思い起こしてもらう」ことだ。
それには、何を置いても届ける製品の確かさが欠かせないと考えている。
そこであらためて【フレディ・スペンサー モデル】のジャケットについてご紹介させていただきたい。
ライダースジャケットらしさを保ちつつ、“貴公子”とも呼ばれたフレディをイメージして、すこし落ち着いた雰囲気のある「ツアラー」スタイルを採用した。
写真のように、ネクタイと合わせても違和感なく着こなせる。ライディングにもタウンユースにも使える、ユーティリティなデザインだ。
素材はカウハイド。生後2年を経過した牝牛の革のことだが、柔らかさと頑丈さを兼ね備えており、ライディングジャケットとして最適な素材だ。
カウハイドの中でも「ナチュラルなシボ感」「しっかりとオイルを吸う生きた繊維質」、そこから生まれる「美しい光沢」など、非の打ち所がない素晴らしいクオリティの革をチョイスした。
実際に着てみると、とにかく暖かい。1月の今の時期でも汗ばむことがあるくらいだ。
レザージャケットは何着も持っているが、これは初めての感覚だった。
縫製がとても丁寧に仕上げられていることは、写真でもお分かりいただけると思う。
頑丈なハトメホックは、無駄に開け閉めしたくなるほど心地よい手ごたえがある。
作り手の職人(マイスター)精神が、素材選びにも、縫製にも表れている。本当に素晴らしいジャケットに仕上がった。
先述の通り、製造は海外のメーカーに依頼した。パキスタンの企業だ。
彼らの、どんな要望にも応えようと努力する姿勢、そして対応のスピードには何度も感服させられた。
北米、EUを中心に15年、革の縫製ビジネスを展開してきたメーカーで、品質は国内メーカーにも引けを取らない。
私はもちろん、目の肥えたフレディも仕上がりには満足している。
蛇足になると思うが、彼らには敬意をもって品質に見合った対価をお支払いしている。フェアトレードを気にされる方もいると聞いたので、申し添えておきたい。
さて、このジャケットに「SEKITOBA」オリジナルワッペンが3点装着される。
左肩のワッペンは、フレディ本人からのリクエストを受けて、現役当時のあだ名“fast”を冠した。
胸のワッペン「ALWAYS BELIEVE」は、フレディからのメッセージ。
いかなる時も勝利を信じる心、不惑の大切さを伝えたいとのことだ。
これらのワッペンは脱着が可能。オートバイに乗る時はフレディのメッセージとともに走り、タウンユースではワッペンを外すといった着こなしもできる。
▍片山敬済モデル
経緯は割愛するが、私もチャンピオンモデルに名を連ねさせていただくことにした。
こちらがその【片山敬済 モデル】。色は黒と赤からお選びいただける。
アグレッシブなライディングにも対応できるレーシーなデザインを採用した。
革はフレディ・モデルと同じカウハイド。使い込むほどに味がでる。
経年変化は、レザージャケットを着る楽しみの一つ。
重厚感のあるカウハイドなので、より一層の面白味があるはずだ。ぜひ自分流に育てる喜びを味わっていただきたい。
フレディに対抗して、左肩のワッペンには私の現役当時のあだ名“zooming”を冠した。
胸のメッセージワッペンは「CONFIDENCE」。意味は“確信”。
私がWGPという世界最高峰レースで勝つには、単純な自信では足りなかった。ひたすら努力を積み重ね、自信が“確信”として心に根付いた時、ようやく勝てるようになった。
それ以来「CONFIDENCE」という言葉は、正しく十分な努力が出来ているかを自分に問い掛ける大切なキーワードとなった。
片山モデルもワッペンの脱着が可能。こちらも新たなデザインのワッペンをリリースする予定でいる。
そして無料オプションとして、バックプリントを入れることが出来る。
フレディと私、それぞれのライディングをモチーフとしたラインアートなのだが、実は私が自分の手で描いた。
様々な意味を込めていて、ビッグファンの方であれば読み取ってくれるだろうと期待しているのが、いかがだろうか。
そして最後に紹介するのが、ジャケットに合わせるレザーパンツ。
【フレディ・スペンサー モデル】【片山敬済 モデル】ともデザインは共通。
後ろにチャンピオンモデルのラベルと、「SEKITOBA」のロゴワッペンを装着している。
ロゴマークをあしらう台座の革、裏ポケットの革の補強処理、細部に至るまで丁寧な職人の技が見て取れる。
ブランドオーナーとして、持つ者の喜びを一生涯に永らえさせる製品に仕上がったことがこの上なく嬉しい。
色は黒のみ。革はジャケットと同じカウハイドで、このパンツもとにかく暖かい。
上質なカウハイドだからこそ、革本来が持つ暖か味があるのだと理解した。
パンツは履いて僅か1時間ほどでカラダになじみ始めるが、本格的になじませるには1~2週間かけてゆっくりと革を伸ばすといい。
胡坐を組める程度になじんだ頃には、オートバイに乗ることが今まで以上に楽しくなっているはずだ。
かなりの自信作なのだが、今回はレザーパンツのみの用意はしなかった。
ぜひジャケットとセットで着こなして欲しい。
▍各種サイズについて
ジャケットのサイズは、S〜3Lの範囲で選んで貰えるようにした。
一般的なレザー製品のように、サイズによる価格の違いは設けていない。
表記のサイズは全て洋服の寸法。裸体寸法ではないので注意して欲しい。
薄手のセーターを中に着た場合、自分の胸囲+7〜10cmを目安として考えると良いだろう。
【ジャケット:フレディ・スペンサー モデル】
【ジャケット:片山敬済 モデル】
【レザーパンツ】パンツもジャケットも、オートバイに乗るなら3シーズン使える。
油分を含んだカウハイドなので、少々の雨に濡れても、革が水分を弾いて雨に負けることはない。
私も3シーズン着るつもりでいる。
カラダにぴったりと馴染むほどに着こなしたいと心底思っているので、春、秋にも、Tシャツに革ジャンパーを羽織るこのスタイルの私を見受けることだろう。
今回のチャンピオンモデル・ジャケットは、それぞれ限定36着。
購入してくれた方には、フレディと私のサインが入った、シリアルナンバー入りの認定証をお付けする。
CAMP FIREに先立ち、facebookコミュニティでの受付を行なったので、ここで提供できる数量は下記の通りだ(1月18日現在)。
・『フレディ・スペンサー』モデル:35着
・『片山敬済』モデル:31着
▍特典:「フレディ・スペンサー」晩餐会へのご招待
チャンピオンライダーとの交流も、このプロジェクトの要諦のひとつ。
支援してくださった方を、フレディと私で主宰する晩餐会に招待させていただく。「フレディ・モデル」「片山モデル」いずれの支援でも構わない。
余談だが、私がオートバイに乗りだしたのは16歳。二輪免許を取ってからだ。
今のレーシングライダーのように「4歳からサーキットを走っていた」というような特別な環境で育ったわけではない。
むしろサーキットは憧れで、レーシングライダーは私にとってヒーローだった。
私も、フレディや私のことに憧れてくれたあなたと同じ思いで青春時代を過ごしていた。
残念ながら、私のヒーローだったライダーの中には、もはやお会いすることも、話すことも叶わない方がおられる。
悔やんでも悔やみ切れないが、フレディや私のファンに同じ思いをさせる必要はない。ぜひファンの皆さんと楽しいひと時を過ごしたい。
計画としては今年の10月、フレディが来日するMotoGP 日本GPの時期に合わせて、東京都内で開催する予定だ。
詳細はプロジェクト完了後、ジャケットを注文してくれた方に個別で連絡をさせていただくことにしたい。
※ジャケット1点の購入につき、お1人様をご招待します。同伴の方のご入場は出来ません。
若さと負けん気の強さで飛び込んだレースの世界で、たくさんの貴重な経験をさせていただいた。
私の人間的な成長を思う時、オートバイとレース、そこに関わる全ての人々に対して、感謝の気持ちが込み上げてくる。
特に、私個人のファン、オートバイレースのファンに、特大の感謝を贈りたい。
あなた達がいなければ、オートバイレースというもの自体があり得ないのだから。
ファンと一緒に勝利を喜ぶことが、どれだけ力になったかは筆舌に尽くし難い。
それはフレディにとっても同じはずだ。だからこそ彼も、今回のプロジェクト参加を快諾してくれたのだと思っている。
あなたと晩餐会でお会いできいることを楽しみにしている。
フレディも、何を聞きかれるのか、どんなことを言われるのかとワクワクしている様子だった。
何か要望があれば、検討する時間は十分にある。こんな会にしたいという意見なども、ぜひお聞かせいただきたい。
それでは、幾分先にはなるが、元気な姿でお会いしましょう!
令和2年 1月17日
最後まで読んでくれてありがとう。片山敬済。
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