親子でスタートし、夢を叶える為、親友も会社の仲間に!!
今では100名もの家族になりました。
取引先とも信頼関係を築き、志を同じくする仲間の輪を広げました。
まさに観光立国・道頓堀から世界を盛り上げる大所帯です!

【はじめに】

軒下1坪の土地で母が始めたたこ焼き屋。その小さな店舗を息子が手伝い、くれおーるは生まれました。凝り性だった母と息子が、何百、何千回と試作を重ねた『たこ焼』。

「旨いなぁ…」と真っ先にほおばり、行列ができはじめた時に手伝ったのは、息子の親友たちでした。

「大阪のソウルフードが、ほんまに旨いもんやと知ってほしい」。仲間と夢を語って、道頓堀商店街に進出。想いを同じくしてくれる家族は一人増え、二人増え、今は全国11店舗、総勢100名以上になりました。

お客様も多数。北は北海道、南は沖縄からお越しくださり、「このカリッ、とろ~がやみつき」とおっしゃってくださいます。世界中の国々、例えばテキサスからコンゴからも「TAKOYAKIが食べたい」と訪れてくださいます。

私たちは焼き姿の華やかさ、カリッとした薄皮と粘りのある生地を目指して、多くの職人を育ててきました。焼きは花型、1人前になるのに数年かかります。

【たこ焼・お好み焼『くれおーる』とは】

道頓堀の食文化にあこがれ、この地で行列ができる店舗になったことに、誇りと感謝を持ち続けてきました。代表取締役の加西は、道頓堀商店街の副会長を4期務め、万博誘致にも貢献してきました。カザフスタンまで出向き、粉もんをプレゼンテーション。日本食を広める活動なども行っています。

何より私たちには「食い倒れの街・大阪の名に恥じない“ほんまもん”を提供しよう」との決意があります。創業よりソウルフードを現代にアレンジ。ふわりとした香りが魅力の『トリュフたこ焼き』や和のハーモニーが絶妙の『梅しそたこ焼』など、ここでしか味わえない唯一無二のクリエイティブ・メニューを完成させてきました。たこ焼きの新たな味わいは、市場を広げ、世界に「大阪の粉もん」の価値を高めてきたと自負しています。我々にチャンスをください。そして、これからも皆様に“旨いもん”を届けさせてください。

持ち運びの多い「たこ焼き」をいつまでもおいしく召し上がっていただきたい、そんな思いで生地を開発。くれおーるのたこ焼きは、7種の粉を絶妙にブレンドしており、冷めてもおいしい、という不思議な魅力を持っています。

ヒルトンホテルや帝国ホテルなどの宴会にも「くれおーる」と指名が入るほど、たこ焼のブランド力を高めてきました。

【プロジェクトを立ち上げた理由】

 2月コロナウイルスが脅威になり、道頓堀の街からアジアの観光客の姿が消えました。3月、臨時休校要請があってからは「これが天下のグルメ聖地か」と思うほどに寂しくなりました。道頓堀本店の売上は3割に激減……。全国11店舗もあるじゃないか?と思われるかもしれません。しかし、今はどの店舗も苦しい状況で、家賃など大きな固定費を抱える本店の窮地を救うことはできません。道頓堀本店は、まさにくれおーるそのもの。これが続けば、本体ごと倒れてしまいます。そんな中でも、想いから集まってくれた従業員を切り捨てるようなことはできません。くれおーるは、アルバイトも家族。彼らの生活をできるだけ守ろうと、相当な無理をしています。「来てくれたら絶対に満足してもらえるのに、なんでコロナなんかに…」と、悔しさはあります。しかし、今は世界が手を取り合って、ウイルスに勝たなければならない時です。私たちは常に“焼き姿の華やかさ”にこだわり「食はエンターテインメント」と謳ってきました。泣くのではなく、こんな時こそ「元気にふんばること」を使命と信じています。

※若者の夢と道頓堀の文化を応援しようと旗上げた劇団員も働いています。劇団も窮地に立たされています。

代表の加西は道頓堀商店街の副会長として、先陣を切り、様々なイベントを成功させてきました。世界に冠たる観光地『食い倒れの街・道頓堀』を盛り上げるため、昼夜駆け回ってきました。


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