はじめに・ご挨拶

はじめまして。

私は、自称、アーティストの LALA 

です。ララと読みます。

私は、絵を描くことが大好きな女性です。

私は、小学生の時以来、油彩画を描い

て、油彩画を描く勉強をしてきました。

中学の推薦で、受験は、ほぼ、ないに等

しく、高校は私立の美術科のある高校の

油絵専攻に入学して、卒業しました。

卒業後も、私は油彩画を描いていまし

た。

私が20歳の時に、仲のいい、2歳年上の

兄が、アメリカに移住しました。

兄が移住したのは、ロサンゼルスです。

当時は、私も、兄のようにアメリカに、

移住することを考えていたのですが、20

代の時に、交通事故にあって怪我をした

ことと、甲状腺の病気に、20代の時以

来、何度も病気になっていて、私は、自

分が、海外に移住する位の健康な身体で

はないと、自分で判断した結果、移住す

ることはありませんでした。

20代の当時は、本格的に、

アメリカ移住を、自分が、考えていて、

アメリカ、ロサンゼルスの移住に向けて、

ウエイトレスをはじめ、衣料や、アクセ

サリーの販売の仕事や、沢山のアルバイ

トをして、20代の当時の私は、それ相応

の貯金もしていたのですが、当時は、

お金の面では、全く心配はなく、

アメリカには、アメリカで仕事をする兄

も住んでいて、移住することは可能でし

たが、色々な事情により、結局、私は、

アメリカに移住することは、やめてしま

いました。

アメリカに移住して、アメリカの国籍を

とり、アメリカ人になった兄に、

今も、ロサンゼルスに住んでいる兄に、

アメリカに移住して住むようにと、

何度も、言われていましたが、

自分の持病の身体のことなど、

色々なことで、私は、

アメリカに移住しないことにしました。

でも、私のなかでは、アメリカも、

ロサンゼルスも、大好きなことは、

自分が、20代の時から、全く、同じで、

全く、何も変わっていません。

20代の時に、私は、兄が住む、

アメリカ、ロサンゼルスに、ホームステイをしたり、

何度も、ひとりで、飛行機に乗り、

ロサンゼルスに住んでいる兄を、訪ねた

ことがありました。

いつも、ロサンゼルスには、アメリカの

飛行機で行っていた私は、

1度だけ、ハワイ経由の、アメリカの飛

行機に乗り、

ロサンゼルスに、行ったことがありました。

その時の、飛行機の中から見えた、

ハワイの空からの景色は、今でも、

忘れることはできません。

本当に、きれいだと思いました。

その時は、いつでも、来ることができる

と思っていた私は、

ハワイの空港を、降りることはなく、

空港で、飛行機の時間を待って、

ひとりで、過ごしていました。

ハワイの空港では、日本に帰る時に、

お土産などを買いました。

それから、しばらくして、日本で、

私は、交通事故にあい、1年間、通院す

る、全身打撲という酷い怪我をして、

なかでも、絵を勉強してきた私には、

本当に辛い、苦しい、鉛筆を持てないと

いう状況の、ただ、痛みだけで、感覚が

ないという状況で、自分の、手と、指

を、酷い怪我をしてしまったのです。

3か月で、鉛筆で、少しは、字を書くと

いう状況にはなりましが、

手と、指の、以前の感覚は、完全に失わ

れ、全く、油彩画を、描くことは出来な

いという状況になりました。


そして、それから、1年も、経たないう

ちに、歩いてる時に、片足をひきずるよ

うな歩き方になっていて、当時最初、

私は、打撲して、怪我をした、交通事故

の後遺症と思っていたのです。

でも、1年になるというのに、余りに

も、怪我が長引いていて、足に違和感を

覚えて、それで、

皮膚の細胞をとって精密検査をして、検

査の結果、自分の甲状腺の最初の病気、

自分が、甲状腺機能低下症という病気で

あることを知りました。

甲状腺の力が機能しなくなるという、

内容の病気です。


今思えば、あの時に、ハワイの空港を降

りていたら良かったのにと、自分の行動

が、悔やまれます。

ハワイの景色、美しいハワイの

写真などを見ると、いつも、その美しさ

に心を奪われる自分がいて、

気がついたら、ハワイの絵を描きたいと

いう気持ちが自分のなかに自然に、蓄積

していたのです。


そのあと、当時の30代の私は、ただ、

もう1度、油彩画の絵を描くことが、出

来ること、私は、それだけを考えて、生

きている状況でした。


そして、手と、指の、怪我と、以前の感

覚は、年月と共に徐々に、回復し、

私は、油彩画の絵を、再び、描くこと

が、出来るようになりました。

私は、私が描いた油彩画の絵を見た人間

に、自分の肖像画を、お金を支払うか

ら描いてほしいと、依頼をもらうまで

になりました。

そして、私は、絵を描く依頼をもらい、

収入を得るまでになっていました。


当時、私が30代の時には、アメリカの、

ロサンゼルスに住む兄は、

就労許可のグリーンカードではなく、

アメリカの国籍を、正式に取得し、

アメリカのパスポートを持ち、

英語のアメリカの新しい名前を持ち、

事実上、外見は東洋人ですが、完璧

なアメリカ人になりました。

そして、兄が、アメリカの市民権を持ち、

アメリカに住むアメリカ人だということ

で、自分の身内を、アメリカに呼び出す

ことが出来る制度もあり、

何かと、私には、アメリカに住みやすく

なるという状況になりました。

そして、その頃、20代で、手の怪我と、

甲状腺の病気で、アメリカ移住を、断念

していた私は、兄が、アメリカの市民権

を持ち、アメリカの国籍を持つアメリカ

人だということで、

再び、私は、アメリカ移住を考えるよ

うになりました。


私の母は、私が小学5年生の、私が11歳

の時に、病気で亡くなりました。

母が死んだ後で、解剖で、世界的に珍し

い病気で、母が亡くなったことがわかり

ました。


母が亡くなったことで子供の時から、兄

は頼りになる存在で優しく、私は、兄と

は本当に仲のいい兄妹でした。

10代の時から、兄はアメリカ移住を決め

ていたので、学生の時から、私は、兄と

はアメリカに住む話ばかりをしていまし

た。


ロサンゼルスに住む、子供の時から仲の

いい、2つ年上の兄にも、

アメリカに来て住むようにと、熱心に、

言われていたこともあり、30代後半で、

私は、再び、自分のアメリカ移住を決断

していました。


でも、当時の私は、20代の時とは違い、

30代後半の年齢になっていた私は、

自分が、アメリカに移住する資金を、

もう、持っていませんでした。

また、いちからアルバイトをしたりし

て、アメリカ移住に向けて、その資金の

お金を貯める必要がありました。


そして、飲食店でアルバイトをしてい

て、その仕事に向かう日のことです。

アメリカ移住を、再び、決断して、その

資金を貯めようとして、仕事をしていた

その矢先のことです。


当時は、バブルという景気のいい世の中

も変わっていて、20歳の時とは違い、

20歳の時に容易に決まる仕事も、

30代後半にもなると状況は変わってい

ました。

種類に関わらず、20代の若い人が、

優先的に、条件のいい仕事に選ばれると

いう世の中を、知ることとなり、

30代後半で、何かの免許や、資格を持っ

ている訳でもなく、年齢的にも、容易に

仕事を見つけられないなか、苦戦してい

た私は、自分が思うようには、

予定している自分の考えているだけの資

金は貯められずにいて、

当時、考えていたのは、20代の若い自分

ではなく、余裕を持って、アメリカに移

住することを考えていたので、

どれだけ少なく見積もっても、

当時の私が考えていたのは、100万円単

位のお金でした。

そして、100万円単位のお金を、ひとり

で、独り暮らしの、自分の生活を維持し

ながら、お金を貯めるということは、

30代後半の、女性の私には、容易なこと

ではありませんでした。

アメリカに移住した後で、兄に負担をか

けたくないという自分の気持ちもあり、

アメリカに移住する資金を、なかなか思

うように貯められずにいました。

そして、私は、ある日、倒れたのです。

その日、飲食店のアルバイトに行くの

に、私は、いつものように電車に乗ろう

と、切符を買い、手に、切符を持ち、

歩いていた私は、駅の真ん前で、突然、

息苦しくなり、その場で、たち伏せて、

全く、動けなくなりました。

救急車で、病院に運ばれて、そして、

精密検査の結果、絶対安静の状況で、

最初の甲状腺の病気、甲状腺機能低下症

とは真逆の病気、バセドー病だというこ

とが、わかりました。


そして、それからは、お金の面では、も

う、私は、アメリカ移住に準備してい

た、20代の時に貯めていた貯金は、全部

を、自分の生活などに使い果たしてい

て、経済的にそれなりに力のあった、自

分がお金と生活のことで、困った時に、

頼ることができた父も、高齢で亡くな

り、そして、今、自分の、甲状腺の持病

のこともあり、途中、また、最初の、甲

状腺機能低下症が出てきたり、バセドー

病の病気のことなど、療養を兼ねてい

ているという状況です。

自分の持病の甲状腺の病気は、無理をし

ないで、気をつけている限り、体力的に

も私には、油彩画の絵を描くことはでき

ます。

どうか、私に、油彩画でハワイの絵を

描かせてください!!

お願いします!!


このプロジェクトで実現したいこと

自分の人生の全てを出来るだけ沢山の時

間を、油彩画の絵を描いていたいと、私

は思っています。

そして、その自分が描いた油彩画の絵で、誰かに喜びを与えたり、誰に癒しを

与えたり、油彩画の絵を通して、私は自

分が、世の中と、人々に、貢献したいと

思います。


プロジェクトをやろうと思った理由

自分が、油彩画を描くことが、大好きだ

ということと、20代の時に交通事故で、

怪我をして、鉛筆を持つことが出来なか

った、鉛筆で、字を書くことが出来なか

った、その現実に打ち勝ち、自分が再

び、もう1度、油彩画の絵を描くこと

が、出来るというようになった事実、自

分の、これまでの絵を描くことに対する

努力を、無駄にはしたくないという気持

ちが、本当に、私には何よりも最初にあ

ります。

そして、20代の時に、飛行機の中から見

えた、ハワイの美しい景色を、今でも、

忘れることはできない自分がいて、ハワ

イを、油彩画で描きたいという気持ち

が、自分のなかで頂点に達しているから

です。 

参考までに…

この絵は、私が、手を怪我して、回復し

て描いた油彩画の絵です。

F20号のキャンバスに描きました。

私は、この絵を、油彩画で、2週間で描

き上げました。

F20号のキャンバスのサイズは、

およそ 72 × 60です。




資金の使い道


集められた資金は、全て、ハワイの絵を

油彩画で描くという、このプロジェクト

の費用に、使わせて頂きます。

油彩画の画材の費用など、その他、

リターンのオリジナルポストカード、

オリジナルカレンダーなどを、つくる費

用にあてます。

そして、

ハワイを油彩画で描いた絵をお送りする

送料と、このプロジェクトの手数料など

です。


リターンについて

ハワイを油彩画で絵に描いた、オリジナ

ルポストカードです。

ハワイを絵に描いた、オリジナルカレン

ダーも、リターンに用意します。


そして、私が油彩画で描くハワイの絵

の、キャンバス自体を、額に入れて、リ

ターンとしてお渡し致します。


実施スケジュール

10月から、このプロジェクトを実施した

いと、考えています。

コロナウイルスのことでの影響など、予

定は変動することが、有るかも知れな

いです。


4日間ほど、実際に、自分がハワイに行

って、自分が、自分で、写真をとり、

その写真をもとに、油彩画の絵を描きた

いと、考えています。

そして、すぐに、自分で写真を撮ってき

たそのモチーフの写真を見ながら、油彩

画の絵を描き始めます。


なお、このプロジェクトの資金の集まり

について…

実際に、ハワイに行く資金が調達できな

かった時には、油彩画で描くリターンの

絵は、ハワイの現地で、絵のモチーフの

写真を撮るのではなく、その時は、私自

身のインスピレーションで、ハワイの絵

を油彩画で描くことになりますので、ご

了承をお願い致します。


最後に

大好きな油彩画を思う存分、好きなだ

け油彩画を描くことができる人生を、ど

うか、私に与えてください。

どうか、私に、ハワイを、油彩画の絵で

描かせてください。

お願いします!!


本プロジェクトはAll-in方式で実施しま

す。

目標金額に満たない場合も、計画を実行

し、リターンをお届けします。


このプロジェクトの問題報告やご取材はこちらよりお問い合わせください