地域で消えてしまいそうな文化・島原木綿の魅力を広く伝えたい。
皆さんは日々の生活の中で、地域の歴史や文化にふれることはありますか。
特に私たちと同年代の方の中には、
「歴史や文化って勉強みたいでちょっと苦手」
「なんだか古くてよく分からない」
といったイメージがある方もいらっしゃるかもしれません。
でも、私たちが生きている「今」も、やがて歴史や文化になっていきます。
私たちが偶然にも出逢うことができ、後世に伝えていきたいと思った島原木綿は、深く美しい藍染め糸を地に、縦縞が特長です。
一目一目丁寧に織り込まれ、その織り模様には織り手の個性が表れる美しい木綿です。
文化は、人から人へとバトンタッチして形作られていくものだと、私たちは考えています。
生産性が低く、ほとんど市場に出回ることのない島原木綿、その歴史と文化をを次の世代へとつなげたい、、、。
バトンタッチのはじめの一歩として、まずは皆さんに島原木綿の存在を知って頂きたい気持ちで今回この企画を立ち上げました。
(右から二番目が島原ブランディングデザイン事務所代表の鹿田雄也です。)
改めましてこんにちは。
私たちは長崎県島原半島を中心に活動しているデザイン事務所です。
島原の良いものを、デザインを通して世界に発信していくお手伝いをしています。
私たちが活動する島原半島は、海も山も近い自然豊かな土地です。
大学や専門学校がないので、ほとんどの子どもたちは高校を卒業すると他の地域へと出て行ってしまいます。
島原へ戻ってくる人もなかなか少ないのが現状です。
人口は毎年どんどん減っていっています。
せっかく素敵な伝統や特産品があっても、次の世代へ繋いでいくことが厳しくなっています。
島原木綿もその1つです。
島原木綿は生産性が低くなかなか市場に出回らないので、島原に住む私たちも昨年初めて知りました。
島原木綿の歴史や伝統的な織りの技術、そしてそれを継承していくには厳しい現状を知る中で、私たち若い世代も地域のことをもっと知っていかなければいけない、島原の文化のために何かできないか、との思いに至りました。
そこで私たちは考えました。
「どうすれば今の世代、そして次の世代に島原木綿の存在を知ってもらえるのか、
どうすれば文化を継承し、新しい文化を創っていけるのか」を。
時には保存会や地域の方々の意見を交え、チーム一丸となって考えました。
そうして生まれたのが“島原木綿の蝶ネクタイ”です。
江戸時代にうまれ、世界で評価された島原木綿。
(島原市の歴史に詳しい郷土史家・松尾卓次先生にお話を伺いました)
島原木綿は400年より昔、江戸時代に誕生したと伝えられています。
万国年表によると「慶長年間諸国に木綿織り流行す」とあります。元々は農作業用に丈夫な着物が必要だったため、農家の奥様方が自前でこしらえていました。宝永4(1707年)島原藩群方・団竹右衛門が領内村民の実態を報告した記録によると、現在の島原市北部にあたる地域に住んでいた女性の副業は全て木綿織りであったと記録されています。その後、丈夫で質が良いこの木綿は明治・大正時代に貿易品として繁栄しました。家内工業から工場生産へと移行し、九州一円はもとより関西、さらには朝鮮へも輸出されていました。
明治36(1903)年には、第5回内国勤業博覧会で良さが認められ、総裁から賞を受けました。明治43(1910)年の年間生産量は122,729反でしたが、大正8(1919)年には年間生産量170,872反と飛躍的な発展を遂げています。絣(かすり)・縞の柄は80余種にも及び、最盛期を迎えました。
時代とともに途絶えてしまった“幻の反物”
明治・大正期には栄えていた島原木綿も、時代の流れと共に力を失ってしまいます。昭和16(1941)年の第二次世界大戦開始により錦糸不足となり、合わせて金属の強制供出で1,100台以上あった織り機が180台ほどを残すのみとなってしまいました。機械不足と織り手不足により操業が困難になり、島原木綿の文化はついに途絶えてしまいました。
再生のきっかけは、二人の女性の戦前の記憶。
(島原木綿保存会の皆さん)
昭和62(1987)年、「有明町歴史民俗資料館」落成により、有明町民の家に保管されていた手織機が寄せられました。これを機に「有明の歴史を語る会」を中心に島原木綿織り復活の気運が町全体にみなぎりました。とうの昔に潰えてしまったはずの機織り技術でしたが、「戦ん前に織っちょった」(島原弁で、“戦前に織っていた”)という2人の女性が現れました。2人の織りの経験者の記憶をもとに、17工程もある複雑な技術が復活し、ついに島原木綿織りが再生しました。平成22(2010)年2月26日、島原市無形民族文化財に指定され、現在は島原木綿保存会によって「平成の島原木綿」として、保存・継承されています。
(島原木綿保存会様資料より一部抜粋)
島原木綿織りの17工程。
島原木綿織りの工程は、大きく分けて17工程あります。
1.紡績糸(チーズ白糸)
2.綛糸(かせいと)作り
3.綛糸のアク抜き
4.藍染め・色糸手染め
5.縞のデザイン(どのような縞模様にするかをこの段階で決定)
6.経糸(たていと)の必要量を糊付け
7.経糸巻き「大管」
8.経糸の延え(はえ)
9.縞の割り込み
10.仮筬(かりおさ)差し
11.木綿引き(マクタに巻く)
12.あぜ糸かけ(綜絖通し)
13.本筬(ほんおさ)差し
14.うっ付け(機上げ)
15.緯糸(ぬきいと)巻き「小管」
16.機織り
17.織り上げ布の湯のし
このように、糸づくりから機で織るまでの全工程を“手しごと”で行います。現在は保存会の方々が一目一目丁寧に織っており、一反(約14m)織るのに長くて3年ほどかかることもあります。
なぜ、蝶ネクタイ?
丈夫で上質、更には伝統的な文化がある島原木綿ですが、その知名度はあまり高くありません。
複雑な作業工程のため製作するのに時間がかかり、文化財という特質のためどうしても高価になります。
例えば、ワンピース一着をつくるのに生地代のみで18万円ほどです。
現在では保存会でのみ製造されており、希少性も高いため、なかなか一般の方の目に触れ、手で触れる機会はありませんでした。
島原木綿の再生に力を注いできた保存会の方々も高齢になり、島原の文化が再度途絶えてしまいかねない状況であります。
文化を継承していくためには、もう一度「木綿」としての機能である「身に付ける」ことに着目し、自分のものにでき、日常的に目に触れてもらえるような商品をつくること。手に取りやすい大きさ・金額の商品を創ることが必要だと考えました。
そこで、考えついたのが蝶ネクタイです。
かつてはフォーマルなイメージが強かった蝶ネクタイですが、最近ではファッションの幅を広げる小物として若者に人気を得ています。
蝶ネクタイの場合、必要な生地面積が小さく、生地にかける金額を抑えることができるため、ワンピースなどに比べて、手が届きやすい価格帯にすることができます。
個人の趣味が多様化している昨今では、演奏会や発表会、パーティーなどに参加する機会も増えており、気軽に着用するシーンが多いことも利点です。
さらには、オシャレで目を引きやすく、意外性も持ち合わせている蝶ネクタイは、島原木綿の文化の新しいカタチとして最適と考えました。
“島原木綿の蝶ネクタイ”ができるまで。
蝶ネクタイ制作が決まりましたが、一朝一夕にはかないませんでした。
というのも、保存会の皆さんは、島原木綿を伝統の保存・継承が目的で活動されており、大切に織り上げた木綿にハサミを入れることはタブーとも言え、はじめはご了承いただけませんでした。
何度も足を運び、実際に織りの体験をするなどして大変さを理解し、それでも「伝統を広く紹介したい」との思いで、切り売りを許可していただき、試作販売を行うことが決定しました。
縫製は、地元島原で60年以上オーダーメイド洋服を仕立てている美乃本店様にお願いしました。
島原木綿は鮮やかな藍色と縦縞模様が特徴ですが、この蝶ネクタイではバイアス(折り目に対し て斜めに切ること)で仕上げ、厚い生地の風合いが生きるやわらかい質感にしました。木綿は滑りにくいため、ネクタイには不向きとされていましたが、手結び式ではなくワンタッチ式にすることで簡単に着脱できるようにしました。また、ベルトの長さ調節の部分にはシルクを入れ、大事な木綿が傷つかな いよう配慮しています。
文化を“結ぶ”
こうしてついに“島原木綿の蝶ネクタイ”を試作販売いたしました。
販売開始後、私たちの活動に共感してくださる方の口コミから、各メディア様より取材をいただきました。
(NHKニュース内で島原木綿の蝶ネクタイ特集)
(地元ローカル紙 島原新聞新年号にて特集記事)
(島原市特産品認定制度 “島原スペシャルクオリティ”に認定)
(島原城にて島原木綿展への展示参加)
(有明町公民館まつりでの展示。中央は島原ブランディングデザイン事務所の岩永です。)
注目を集めることができ、試作販売していた蝶ネクタイは全て完売。多くの方の目に触れてもらうこともできました。
その中で、蝶ネクタイを買ってくださったお客様をお一人紹介します。
島原で活動されている和楽器演奏の如月会で尺八を演奏される林田様は、島原木綿の蝶ネクタイを最初に購入して下さったお客様です。
林田様は昨年までガン治療のため、尺八の演奏はおろか日常の生活を送ることも困難だったそうです。
会の中心人物だった林田様が治療のために如月会へ参加出来なくなったために、自然と活動停止してしまいました。その後、5年の闘病の末ガンを克服。メンバーに呼びかけ、念願だった如月会の活動を再開し、市民音楽祭に出場することを目的に練習されてきました。
音楽祭への出場時にはいつも袴を着ていましたが、体調的に袴を着ることが難しく、演奏はスーツスタイルに蝶ネクタイというスタイルで行うことに決まりました。
そんなある日、林田様が奥様と一緒にテレビを見ていると、放送されていたNHKの“島原木綿の蝶ネクタイ”特集。
「あなた、これよ!」と奥様からの後押しがあり、私たちにご連絡をいただきました。
一度途絶えた文化が復活し、再現された“島原木綿”。闘病ののち見事に復活された林田様。
奇しくも2つの「再生」の物語が蝶ネクタイによって結ばれたことを大変うれしく思います。
今後もたくさんの人の想いを結んでいくお手伝いができたらと思います。
“幻の蝶ネクタイ”にならないために。
こうして始まった“島原木綿の蝶ネクタイ”プロジェクトは、大きな反響がありました。
私たちも、この蝶ネクタイは島原木綿を広く伝えていく良き媒体になる!と確信を得ることができました。
試作販売終了後も、
「私も欲しい」
「島原木綿についてもっと知りたい」
「この蝶ネクタイはどこで買えるの?」
「追加で作ってほしい」
「次の活動は?」
など、ありがたいことに多くの声を頂いています。
しかし、残念ながら試作販売終了時点では数に限りがありました。
私たちも出来るだけ多くの方の手にとって触れてもらいたいとの思いはありましたが、島原木綿の希少性のため増産や周知活動のためには、どうしても金銭面での壁を越えることが必要でした。
そこで今回、クラウドファンディングに挑戦し、島原の方のみならず全国の方へも島原木綿の魅力を伝えていきたいと考えご支援を募集いたしました!
お礼の品のご紹介
<ポストカード>
ポストカードサイズの島原木綿のリーフレットになっています。
表は職人さん達の手と島原木綿の可愛い「手しごと(handwork)」写真、裏は島原木綿の説明とこのプロジェクトのメンバーの紹介となっています。
<島原木綿の生地ブローチ(丸・楕円)>
島原木綿の生地ブローチは丸と楕円の2種類ご用意しています。
バッグや帽子、お洋服にぴったりな素敵なブローチです。
丸のサイズは直径約4cmです。
楕円のサイズは約4.5×3.5cmです。
↓留め部分はブローチピンとなっています。
<カブトピンブローチ>
島原木綿の生地を使ったカブトピンのブローチです。
ストール留めやバッグに付けたり、ブローチよりも少しカジュアルに使って頂けるカブトピンブローチです。
<缶バッジ>
島原木綿の缶バッジのデザインはいくつかデザインパターンを製作中です。
何が届くかは楽しみにお待ち下さい。
こちらも、バッグや帽子、Tシャツなどに付けて楽しんで頂けたらと思います。
<mini bag>
ミニバッグはオーダー服を作り続けて60余年の美乃本店の縫製職人が1点ずつ製作しています。
形は上から下に少し広がった台形で(上辺19cm、底辺23cm、高さ23cm)、カラーはお洋服にも合わせやすいネイビーです。
表部分にポケット付きで、ちょっとそこまでのお出かけやお散歩バッグにオススメです。
ポケットのサイドには島原木綿のタグが付いています。
↓可愛いミニタグ付きです。
<big bag>
ショルダーとしてもトートバッグとしてもお使い頂けるバッグです。
持ち手部分を除いた高さ約34cm、幅約30cm、ショルダーの長さ85cmのサイズです。
ビッグバッグもミニバッグ同様、オーダー服を作り続けて60余年の美乃本店の縫製職人が1点ずつ製作しています。
カラーはお洋服にも合わせやすいネイビーです。
表部分と中にポケット付きで、底部分は楕円のマチ付き(最大マチ幅約11cm)ですのでたっぷり入ります。
持ち手部分も重いものを入れても持ちやすいように折り曲げて縫っています。
ショルダーの片側部分の根元には島原木綿の正方形の生地が縫い付けられています。
<蝶ネクタイ>
島原木綿の蝶ネクタイを限定で20個ご用意します。
島原木綿の生地は高価で希少な生地で大量生産出来ない為、今回は限定20個となっています。
貼箱は親子で1つ1つ丁寧に貼箱製作をされている松手紙器の松手さんに依頼して製作しました。
何度も打ち合わせを重ね、重量感のある蝶ネクタイの為の箱が出来上がりました。
蝶ネクタイはオーダー服を作り続けて60余年の美乃本店さんが製作しています。
1点1点丁寧に縫製職人の皆さんが製作したMADE IN JAPANです。
資金の使いみち
ご支援頂いた資金の使いみちは以下を予定しています。
・生地の購入費
・蝶ネクタイ製作費
・パッケージ製作費
・宣伝広告費
など、島原木綿を蝶ネクタイとして復活させる費用及び周知する為の費用に使用させていただく予定です。
最後に。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
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皆さまのご協力とご支援を何とぞよろしくお願いいたします。