はじめに・ご挨拶
皆さんはご存知でしょうか。
広島に大正から昭和初期にかけて存在した宍戸オートバイ社。
残されている資料は少なく知る人ぞ知る、の状態ですが国産オートバイ先駆者の一つで当時はレースでも活躍して名を馳せたメーカーです。
「21歳の時に工場を任された」という木村正人が遺したこの宍戸オートバイの資料があります。
ご挨拶が遅れました、私は孫の木村太一と申します。
祖父の影響なのか乗り物好きが高じ、自動車メーカーへ設計職で勤めた後、電気自動車の研究試作開発や自動車の電磁波研究、大学校で次世代自動車関連技術の講義や文科省事業の委員などをして参りました。
今回クラウドファンディングの対象とする宍戸オートバイ社の資料は現存するものでは最後、二つとない貴重なものなのできれいに修復し歴史資料として役立つようにすることが目標です。
このプロジェクトで実現したいこと
祖父の言葉を借りれば「マツダの社長が毎日のように覗き見に来ていてバイクやオート三輪を作った」ほど影響もあった宍戸オートバイ。
その宍戸オートバイ社SSD号の取扱説明書、新車開発時の走行試験を行っている様子などの写真(手づくりのアルバム)が遺されています。
広島市公文書館に宍戸オートバイ社オーナーだった宍戸健一氏のご子息が寄贈されたガラス乾板があるとのことで同公文書館と交通科学館へ連絡して調べて貰いましたが、その中に同じものは存在しないそうです。
約90年前のもので劣化や損傷が進んでいるため、修復した上で公文書館へ寄贈したいと考えております。
プロジェクトをやろうと思った理由
長年書斎で本棚の肥やしでしたが、宍戸オートバイ時代の話を本人から聞き知っている父がそう長くない状態にあり、背景情報含め資料として確立するには今の内しかないと思い立ちました。
寄贈しても世間に知られないまま所蔵品が一つ増えました~では寂しいもの。
クラウドファンディングを活用することで少しでも多くの人を巻き込み、この機会に 宍戸オートバイの知名度向上を兼ねられればと考えております。
二輪史や三輪史に興味がある方は勿論、広島の方にも郷土史として興味を持っていただきたく思います。
資料当時以降の経緯
ずばりの写真は無いようですが祖父の話では宍戸オートバイ社は東京営業所があり、新車開発の度にそこを経由して箱根へ持ち込み「箱根越え出来るかどうか走行試験をしていた」とか。
宍戸オートバイ社は昭和9年に工場を閉鎖したそうです。
その後何人かは東洋工業(現マツダ)へ、祖父や以前の工場長だった高田清二氏らは蒲田の帝国内燃機株式会社(後のくろがね~日産工機である日本内燃機と同一か不明)に移ったようで同昭和9年9月に撮られたそこでの集合写真も一緒にありました。
祖父はもう一社を経て終戦後に木村ボーリング工場(現KBマシニング)として独立、シリンダー内径のホーニング加工を加工業として確立し、三菱社のエンジン製造を全て請けていたほど。
戦闘機のサスペンションがこの加工をすると動きが良くなるとしていたのを伝え聞いてエンジンシリンダに取り入れた、とのことでしたがもしかしたら宍戸オートバイ当時から実施していたのかもしれません。
資金の使い道
下記費用に充てさせていただきます。
・取扱説明書の修復、デジタルデータ化
・写真の修復、デジタルデータ化
・寄贈費用
リターンについて
・写真(CD-Rにてデータ渡し)
・写真(A4サイズ印刷)
・取扱説明書(CD-Rにてデータ渡し)
・取扱説明書(複製本)
※ゲスト支援の方とのやり取りが機能上制限されてしまうとのことでメール取得設定にしていますが、リターンお渡し方法はメールではなく発送での対応になります。
実施スケジュール
※下記スケジュールはすべて予定です。
2020年8月~9月 クラウドファンディング実施
2020年10月~ 修復作業、デジタルデータ化
2020年11月以降 修復作業完了後に寄贈、リターン発送
最後に
このクラウドファンディングを通して宍戸オートバイの存在が一人でも多くの方の目に触れ、興味を持って貰えるようになればと思います。
広島の郷土史として広島にお住まいの方、広島ご出身の方に「オートバイメーカーが広島にあった」ということをもっと広く知っていただきたい。
ご寄付と合わせ周知のご協力もいただけたらと考えております。
どうぞ皆さま、お支え下さりますようよろしくお願いいたします。
※本プロジェクトはAll-in方式で実施します。
目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
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