はじめに・ご挨拶

みなさま、はじめまして。私はズィンチェンコハンナと申します。私はウクライナから20年前に初めて日本に来ました。いま私は、現在進行中のロシアとの紛争や政府内の政治的混乱に在日ウクライナ人として、祖国を思い、心を痛めています。この状況は、祖国の国民に計り知れない苦しみと悲しみを与えています。日本で見るニュースで、涙を流さない日はありませんが、この過激で終わりが無い侵略に、必死に防戦をしている祖国の人たちを見て、逆に勇気づけられます。私はウクライナの将来と国民の安全がとても心配ですが、祖国が直面している問題の解決と、ウクライナ人の団結による克服を願っています。祖国に住んでいる、避難できないままの父と母や家族、友人に愛と私が今できる精一杯の支援を届けたいと思います。そして、日本に感謝と祖国と避難してくる人たちにのために、私はウクライナスタイルのレストランオープンという形で支援していきます。

お店が作られた背景

私はパートナーシップで輸入会社を経営しています。昨年、2021年9月に設立した会社です。創業して間もない、2022年2月にロシアのウクライナ侵攻が始まりました。私は祖国の悲劇的な状況を目の当たりにし、それを無視するわけにはいかず、しばらくは手の震えが止まらなかったり、食事もまともにできない状態が続きました。毎日、毎朝、昼も夜もSNSを通じて、家族や知人から、祖国の状況と情報を集め、何か支援できることはないか考え、本業をそっちのけでウクライナからの避難の手段を支援してきました。そのような中、日本の避難民受入れ支援のおかげで、妹家族やその友人など5人の避難民を日本で受け入れることができました。それら多くの日本政府のご支援に心から感謝しています。物事は常に普遍的なものではありません。起業してすぐに壁ができるなんて思ってもみなかったし、自分一人ではどうにもならない悔しさに苦しみました。そんな壁や悲壮感を打ち砕いたのは、共同経営者の五十嵐千賀子さんから「私たちに大切なことは、考えることではなく、やりたいことを実行すること」という励ましの言葉を聞いたときでした。次のステップに進むことができたのは、たとえ形は違っても、人のためになる仕事なら障害を乗り越えてやっていけるという気持ちに切り替われたからです。共同経営者の千賀子さんと、それをどのように実現するか、考えて出た答えが、母国ウクライナ流の『Cafe dining UKRAINE』です。実は支援の一方で、感じたこともあります。支援の裏側では、避難民の受け入れ経験の浅い日本では受け入れ体制が万全ではなく、受け入れ側の体制に問題が隠れているというのが、この支援活動に対する私の印象です。制度に完全なものはないと思いますが、私達を窮地から救ってくれたこの日本で、ウクライナから避難してきた人達の心の拠り所になり、ここから新しい夢と希望を手にしてもらうことと、この日本に感謝を込めて、ウクライナの心温まるお料理の提供という形でお礼していきたいと思います。支援者の皆様、どうか、皆様の力を分けてください。私の思いを実現すために、お力をお貸しください。心からお願い致します。


私たちのお店へのおもい

侵攻から1週間で、避難民を受け入れるという迅速な表明があった日本を心強く感じます。でも、ご存知でしょうか、「難民」と「避難民」は違うこと。日本が受けいれているウクライナから逃れてきた方々は「避難民」です。それは特例措置としての一時的な受け入れであり、難民条約や入管法に基づく「正規の難民」ではありません。日本に入国後は90日の滞在ビザから1年間の特定活動ビザに切り替えられますが、更新については確定した保証はありません。移住先の地方行政では住居の提供はあるものの、提供期間1年間です。ウクライナから逃れてきた方々にとっては、しっかりとした安定保証がない状況の中、移住先の日本で自立をすることを求められることに、不安を感じている方は多いと思います。もちろん、避難者の方々それぞれは自立はする気持ちは強くあります。でも、母国で停戦が成立しても、あれほど壊滅した場所に戻るのは容易ではないと思います。ウクライナから逃れてきた方達が中長期的に自立した生活ができるか、そのための支援が得られるかを考えるのは、当然だと思います。仮に受け入れられたとしても、言語や文化の違いに慣れ、仕事をして生計を立てるのは非常に難しい道のりです。 この前提に立って、安定支援方策として日本で自立していける就業支援策が「私たちの出来ること」と考えました。その就業計画が「Restaurant Ukraine」です。私たちのプロジェクトのこだわりは、2022年11月現在、ウクライナから逃れてきた2,150人以上の方々に夢と希望を持ってもらうことです。母国に帰れなくても、感じることができる食べ物であれば、実現可能だと思います。不安を承知で来日を決意してきた人たちの、心の拠り所を作ることが私たちのこだわりです。


シェフの手作り料理(来日前のためシェフ自身がこれまで作った料理の一例です)

『ボルシチとスメタナ 』


『ロブスターのテルミドールソース、トビコキャビア添え』



『タルタルセット:海老、サーモン、マグロ、ホタテ』



『パイナップルにご飯と魚介類を詰めて焼いたもので、トムヤムスタイルのソース』



シェフとの出会い

ウクライナ人のシェフ・ヴィクトールとの出会いは私たちにとって奇跡でした。というのも、彼はウクライナ軍に入隊できないと医師に診断されたため、仕事を探すため母国から避難した経緯があるからです。通常ウクライナでは18歳から60歳までの男性は出国制限があり、ウクライナから離れることができません。でも兵役除外の理由から、出国ができる状態であったことが出会いの奇跡だったのです。シェフ・ヴィクトールは、学歴も国外での職歴もあったのに、滞在先での就職はこの数か月で環境が変わっていたことや、7カ月以上にわたる就職活動で悩んでいるところに、私たちは、奇跡的なタイミングでSNSを通じて繋がったのです。ヴィクトールとは、以前、学生時代に知り合った友人ですが、このタイミングで知り合うことができるとは想像していませんでした。ヴィクトールのシェフとしての腕前は、私たちが取り組んでいる新潟市での専門店開業というプロジェクトにぴったりだとわかり、二人とも信じられない気持ちでいっぱいでした。この出会いは、ヴィクトールにとって大きなチャンスであり、長期的に安定した生活を送るための機会になることと、私たちのプロジェクトの継続性を高めてくれる機会の両面で意味があるもだと確信しています。

シェフの経歴

シェフ:Колотов Виктор Владимирович(ヴィクトール・コロトフ)

階級:ブランドシェフ、シェフ・ド・キュイジーヌ

プライベート:既婚、子ども2人

実績

●2004年、スコットランドの(5つ星) 小型クルーズ船「ヘブリディーン・スピリット」でプロとしてのキャリアをスタートさせた。コック助手からシェフへと昇進した。ハイライトは、英国女王の非公式訪問に仕えたことです。世界43カ国を訪問し、味やスパイスの基本を学ぶとともに、さまざまな料理を作る技術的な経験も積んできました。

●2010年から2012年まで、ブリストルホテル(5つ星)に勤務し、オデッサのバンケットやカクテルレセプションを成功させました。

●2012年、ウクライナのNovy Channelで放送された料理番組「First cook on the village」に、アマチュアシェフのコンテストの指導者兼審査員として参加しました。

●2013年から2017年までパレス・デル・マールホテルでシェフを務める (5つ星)(オデッサ)。ウクライナや海外の著名人のプライベートな訪問や公式行事のケータリングを担当し、特にバンド「スコーピオンズ」のウクライナ・ツアー中のレセプションやミハイル・サークシヴィリ大統領のレセプションを担当しました。

●2014年よりウクライナ料理人協会会員。

●2015年から2016年にかけて、fフランスのマルキ・ラカレイン(ワイン醸造家、調香師)との緊密なコラボレーションと友情のおかげで、特別な料理とのペアリングを伴うワインのマスタークラスが開発、開催されました。

●2018年はルネッサンス・バンケットハウス(オデッサ)で大規模イベント(最大2,000人)の特別ゲストシェフを務めた。また、Public Beach Clubとのコラボレーションで、芸能人向けのVIPビュッフェを企画しました。

●2021年には自身のカフェ「5th Floor」(サンシティビジネスセンター)をオープンし、在ウクライナスロベニア名誉領事のレセプションを企画しました。

●2022年、グルジアに招かれ、ウクライナ料理の店やカフェをオープンさせる。この活動の一環として、グルジアのウクライナ大使館でのロードショー、在グルジア・ノルウェー大使のディナーパーティー、ウクライナ大使館が主催する公式行事(ウクライナ・ボルシチの日、ウクライナからの難民のための子供向けマスタークラス開催)に数回参加しました。

過去8年間、ハーモニートレーニングセンターでのトレーニングコースや、雇用センターでのトレーニングプログラムの一環として、200人以上のコックを育成してきました。

シェフ 日本へ向かう 2022年11月26日 現在

日本大使館があるポーランドワルシャワへ向かう空港より撮影

私たちチームは、レストランの軸となる、シェフの到着を心待ちにしています。日常生活を奪われたシェフとともに、日本で夢の実現に向かいます。


プロジェクトで実現したいこと

このプロジェクトの目的は、ウクライナで続く紛争により故郷を追われたウクライナ人難民を支援することです。日本には本格的なウクライナ料理店がないため、避難民の心の拠り所となるようなレストランを目指します。国際文化交流につなげ、新しい文化を創造するとともに、新潟市の中心市街地を活性化させたいと考えています。

さらに、ウクライナ難民をスタッフとして雇用することで、彼らに仕事の機会を提供し、コミュニティ意識を高めていきたいと考えています。また、現地の団体と連携し、語学教室などの支援サービスも提供する予定です。

このプロジェクトを通じて、美味しい料理と温かい雰囲気を提供するだけでなく、日本にいるウクライナ難民の生活再建に貢献したいと考えています。

現在進行中のウクライナの危機に目を向け、支援すると同時に、地域の文化理解や多様性を促進することを目指します。皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

資金の使い道・スケジュール

ご協力いただいた資金は店舗の内装工事、備品購入、ウクライナから避難してくるシェフの渡航費に使わせていただきます。費用の内訳は、内装工事費に1000万円、設備費200万円、備品購入費100万円、賃貸契約に200万円、店舗シェフの避難費用に50万円を見積もっており、他の費用を合わせてオープンにかかる費用は1800万円程度見込んでおります。ご協力いただいた支援金を必要経費の一部に充てる予定です。また、支援金の一部はプロジェクト達成時に総支援額からその17%+税がCAMPFIREの手数料として使用されます。総費用の捻出は銀行からの借入や自己資金でやりくりする予定ですが、皆様のご理解とご支援があれば、大変心強いものとなります。何卒、ご理解とご支援のご検討を宜しくお願いいたします。

具体的なスケジュール

2022年12月 クラウドファンディング終了

2022年12月上旬 HP開設

2023年1月中旬 物件契約完了

2023年2月下旬より順次 リターン発送 

2023年4月初旬 新店舗オープン

2023年4月上旬 イベント開催

最後に

ウクライナ料理には、いつも満足感と安らぎを与えてくれる何かがあります。ボルシチや肉たっぷりのピエロギなど、ウクライナのレストランでは誰もが満足する料理が味わえます。

母国の味をこよなく愛するウクライナ人の文化をこの日本で実現したいと思っています。帰りたくとも母国には戻ることができない人のために、心温まるウクライナ料理を日本の人に知っていただくために、このレストランのオープンを実現したいと思います。

皆様が何度も足を運びたくなるのは、おいしい料理だけではありません。それは、心温まる ウクライナ料理のレストランで食事をすることは、他のレストランでは味わえない体験です。

私は幸運にもウクライナに行き、本場の料理を直接味わうことができました。しかし、私の住むこの街でも、ウクライナの味を提供してくれるレストランを見つけることができるのです。                                        皆様の温かい応援のもとに、どうかこの思いを一緒に実現させてください。どうか、見様の熱い力をお貸しください。


店舗情報

●店舗予定地



●店舗間取


●店舗内管イメージ(現在検討中)

開業地:新潟市中央区古町6番町982-1ロンドベル古町1階C室

オープン予定:2023年4月

<募集方式について>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2023/03/17 08:06

    こちらの活動報告は支援者限定の公開です。

  • 2022/12/23 07:28

    早いもので残り8日となりました。私たちの思いに賛同頂き、県内外からの沢山のご支援ご協力、本当にありがとうございます。日本の方たちは、とても温かく皆様からの温かいメッセージが心に響いてとても力になります。皆様からのメッセージを見るたびに、頑張ろう!という気持ちにさせていただいております。現在は、...

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