はじめまして、小林まさきと申します。

当ページをご覧いただき誠にありがとうございます。


昨年11月末、

「もともと山好き」「チャレンジ精神」

これら二刀流で臨んだキリマンジャロの登頂に成功(5895m)。


その経験をキッカケに夢や想い、体力への自信が拡大。

が、キリマンジャロ登頂から半年後、父親に喉頭ガンが発覚。


そして9月中旬あたりから容体が急変。


「いっしょに過ごせるのも残りわずかかもしれない...」

「残された時間で何かできることはないか...」

そう思い立ち上げた当プロジェクト。



このプロジェクトで実現したいこと

ヒマラヤ山脈の一角「メラピーク(6476m)」に登って


・雪崩で逝った登山家の叔父超えを果たす

・闘病中の父親に元気とパワーをプレゼントする



これらを達成したいと思い、当プロジェクトを
立ち上げさせていただきました。


・父親
・叔父(父親の実弟)


わたしを含めた3人のストーリー。


以下、読んでいただけたら嬉しく思います。



雪崩で逝った登山家の叔父

1978年9月23日、ヒマラヤ山脈のダウラギリ6000メートル地点。


群馬県の登山チームの一員だった叔父は雪崩に飲まれ
この世を去りました(享年28)。


成田空港が産声をあげ、
キャンディーズが普通の女の子に戻った年。

当時わたしは4歳。
叔父の顔は残念ながら全く覚えていない。


私の実姉(2つ歳上)いわく「そのニュース」が日本のテレビに流れた瞬間、
私の母親はテレビの前で泣き崩れたんだそう。


そんな母親いわく...

「山漢(やまおとこ)らしく小さな事にこだわらないお酒も強い豪傑だったよ」

「お前(わたし)のこともスッゴく可愛がってくれたんだよ」

と。


「コイツ、おもしれぇ顔してんなぁ~」

そう笑いながらプロレスラー顔負け、重戦車のようなガタイと
丸太のような二の腕で抱っこしたり高い高いしてくれたんだとか。


そんな母親の言葉を耳にするたび
遺影を見て想いをはせる私。


叔父の没後当時、
父親は群馬県の登山隊とネパールへ。


が、遺体は見つからず。


叔父は今もヒマラヤ山脈のどこかで
眠っています。




父親に喉頭ガンが発症

叔父が逝ってから44年。


そんな今年5月、
叔父の実兄である父親に喉頭ガンが発症。

病魔はみるみる父の身体を侵食。


9月中旬には飲食もままならない状態に。

追い討ちをかけるように体重も
急な下降線をたどり30kg台まで減少。


10月に入ってからは歩くのがやっと、自宅で点滴を続ける日々。



子どもの頃、小児ぜんそく持ちだったわたしを毎朝、
犬の散歩兼ジョギングに連れ出してくれた父。


野球少年だった私にとって
「人生で初めてのキャッチボール相手」だった父。


デパート勤めで日曜が休めず、小3の時に授業を強制早退?させてくれて
後楽園球場までわたしを連れていき「巨人 VS ヤクルト」戦を観せてくれた父。


後楽園球場の売店でカツカレーを食べさせてくれた父。



そんな父親にとって来年2月が75回目の誕生日。



が、進行し続ける容赦ない現状と病状を目の当たりにし、
「その日」を迎えることができるかどうか微妙な雲行きを察した私は


『「元気出せ」と、”飲めず食えず”の父親に無理難題の言葉をかけるより、
おもしろいこと言って笑わせることもできないなら何か行動して元気を与えよう』


『だったら登山家の甥っ子として負荷のともなった行動をしてみよう』


『それが父親にとっての「元気玉」になるか分からない、でもやってみよう』


『病床で弟(叔父)との想い出にふけってるかもしれないし』


『山頂で撮った写真をネパールから送ろう』


そう思いながら今、このくだりを書いています。

【注釈】本人に掲載の許可を得ています。



登山のド素人ながらキリマンジャロへ挑戦


海より山が好き。

体を動かすのも好き。


が、「登山」はドがつく素人のわたし。


登山らしい登山は2012年、富士山に登った経験だけ。


そんな昨年のある日、知人がキリマンジャロへ登った
経験談を耳にする機会に遭遇。


その経験談に好奇心のセンサーがものの見事に反応。


と同時に


(たしかオジさんは...6000メートル地点で
トランシーバーの交信が途絶えたって言ってたっけなぁ...)


(よし、じゃあ「ほぼ6000メートル」のキリマンジャロへ登ってみよう!)


と、その場でキリマンジャロ登山の敢行を決意。


キリマンジャロがそびえ立つタンザニアへの渡航前、約1ヶ月ほど足腰のトレーニング。

入山後のお守りは叔父の形見である登山用の赤い手袋。



それら2つの手袋が「盾」と「矛」となり無事
キリマンジャロ山頂へ到達。


叔父の温もりが極寒の山頂で
私の両手を守ってくれました。


あまりの嬉しさに雄叫びをあげた当時の写真は右図。


地元の群馬県紙、上毛新聞にも取り上げられる運びとなりました。
(47ニュースで「キリマンジャロ」で検索すると当写真が出てきます)



この登山で体力に自信を深め
次回の登山は叔父が逝ったヒマラヤ山脈、
標高的にも射程圏内の「メラピーク」に設定。


あれから1年、まさかこのような形で
行動するとは当時、夢にも思わず。



父親にとって息子、
叔父にとって甥っ子、

そんな私が登頂することで
たった1ミリでも1グラムでも
父親にエネルギーを与えることが叶うなら...


そんな風に思っています。




資金の使い道

・旅費(60万円くらい)
※航空券15~20万円(往復)/ツアー代金35~40万円
・リターン用の肩たたき棒の送料(15~20万円くらい)
・クラウドファンディングの手数料(10万円くらい)





プロジェクトの安全性や実現性

現地ツアー会社を手配。
荷物を持ってくれるポーターやサポートスタッフが同行。
日々、朝と夜に指先で「酸素濃度」を計測、メインガイドが危険と判断した時点で下山します。
2021年12月、キリマンジャロ登頂時も上記すべてを経験。
一度も高山病ふくむ体調不良はなくスムーズに登頂を達成できました。
キリマンジャロ:5895m
メラピーク:6476m

キリマンジャロに比べると約600m高い山への挑戦。
過去の経験と現在の体調、これらを踏まえ登りきる自信があります。


リターンについて

・お礼のメッセージをお送りします。(2022年10月)
・旅の準備の情報、現地からの報告などをメールでお知らせします。
(2022年10月〜2023年3月)
・わたしが作った肩たたき棒を送ります。(2022年12月)


リターン品のメーカー情報

・メーカーの所在地(国):日本
・メーカー所在地(国)と製造国:日本/中国
・法人名:株式会社Dream Farm



実施スケジュール

→2022年10月末 クラファン終了

→2022年10月末~ お礼のメッセージをお送りします。

→2022年11月〜 旅の準備の情報などメールでお知らせします。

→2022年11月16日頃 ネパールへ渡航(カトマンズ行き)

→2022年11月末あたりで山頂アタック~登頂

→2022年12月入ってすぐ下山

→現地からお礼の絵葉書を送ります。現地からの報告をメールでお送りします。

→2022年12月  10日頃に帰国予定

→2022年12月 帰国後に順次、商品を発送(クリスマスまでに間に合うよう出荷します)



最後に

ここまで読んでいただき心から感謝申し上げます。

当プロジェクトに共感、応援いただけたら嬉しく思います。


小林まさき


<募集方式について>
本プロジェクトはAll-or-Nothing方式で実施します。目標金額に満たない場合、計画の実行及びリターンのお届けはございません。

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