▽はじめに

プロジェクト代表の藤村 貴敏(フジムラ タカトシ)と申します。

私は1995年1月に宮城県塩釜市に生まれ、幼少期から高校卒業まで

七ヶ浜町という海に囲まれた小さな町で育ちました。

地元の高校を卒業後は東京にある明星大学へ進学し、卒業後は地元の金融機関へ就職。

現在は親族の経営していた造船業の会社を継承し、地元七ヶ浜町で暮らしています!


▽このプロジェクトで建設予定のコートについて

施設名称 「East Coast Park」

多種多様な人たちがここで交流し東海岸を象徴する公園を目指し

East Coast Park (イーストコーストパーク)と命名しました。 

この施設には屋外バスケットコートが2コートと駐車場

管理棟となるクラブハウスが整備されます。

クラブハウス内には1階にカフェとプライベートトレーニングルーム

2階にはテラス席と、多様な目的に利用できるフリースペース(屋内)を予定しています。

海水浴期には1シーズンで約50,000人近くの来場者が訪れる仙台市深沼海水浴場まで

徒歩5分の場所に位置し今後、海水浴場へ繋がる道に接する運河沿いにはサイクリングロードや

桜の木の植樹などが計画がされており、来年には当施設隣に2.8ヘクタールの広大な土地に

バーベキュー場が開設予定となっており魅力的な地域になると期待されています。

(コート建設予定地↓)


どうしてここまでこの施設を作りたいのか

私の人生で経験した2つの大きな出来事があります。


▽東日本大震災による被災

高校1年生の春休みに東日本大震災を経験し、私の住む町も大きな被害を受けました。

海に囲まれた町に住む我が家は、親戚の家に避難させてもらいました。

吹雪の中余震が続き、近くの石油基地からは大きな音が鳴り続け家の窓が何度も

割れそうになるのを真っ暗な部屋で怯えながら一夜明けるのを待ちました。

翌日、通っていた小中学校隣の田んぼは瓦礫の山となっており、家族が働く会社にも

船が打ち上げられていたり、それを見て涙が浮かび、見ていられずにすぐに家に戻った無力さを今でも覚えています。

あれから10年以上が経ち、毎年復興という言葉をよく耳にしますが津波の被害を

受けた沿岸部は瓦礫が撤去され、更地となったまま何もされていない地域もまだまだあります。

震災前の姿に戻ることは不可能だと分かっていても、大人になった今、生まれ育った場所で

何か自分なりのアクションを起こしたいと考える日々が続いていました。


▽ストリートバスケとの出会い

私は小学1年生から兄の影響で地域のスポーツ少年団に入りました。

中学校、高校とバスケ部でバスケを続けるものの、県大会に出る為の予選ですら大差で

負けてしまうような弱小校でした。その後東京にある大学へ入学し、無名の弱小校出身

でしたが、兄がいたこともありなんとか入部させて貰えました。

大学1年目が終わりまだBチームだった頃、部活の監督にストリートバスケSOMECITYのスタッフに

何名か手伝いに来れないか?と誘われ手伝いに行った時に目の前で見たストリートバスケに心打たれました。

今までバスケをただの競技としか考えていなかった私にとって、たった1プレーで立ち上がって

鳥肌が立ってしまうようなバスケに衝撃を受けそれからはいつかあの舞台に立ち

ストリートボーラーになって自分が受けた衝撃を与える側になりたい!と思うようになりました。

その後は一人でストリートバスケの本場とも言われるニューヨークにも行く程

生活の中心はストリートバスケとなってしまいました笑


ニューヨークはあんな大都会なのに5分歩けば隣のストリートコートが見えてきます。

セントラルパークの中にある木々に囲まれたコートやマンハッタンの摩天楼が一望できるコートなど

一つ一つのコートでロケーションや毎日来るメンバーなどの違いでそれぞれの魅力があります。

中国には20コートくらい並ぶストリートコートもあったりと

海外で感じたストリートコートの魅力にどっぷりとハマり

いつか日本にもこんな場所を創りたいと思うようになりました。


そして現在も地元のストリートボールチームに所属し日々奮闘しているところ

仙台市集団移転跡地利活用という仙台市の被災した沿岸部で現在も更地のまま

人が住むことができず建物を建てることも特別な許可が必要となっている地域で

事業者を募集しているという話を耳にしました。

今このチャンスで動き出さなかったらもう今後何もしないだろうなと感じました。


私がニューヨークや中国、香港のストリートコートに訪れたように

ストリートコートには毎日色々な場所から多くの人が訪れます。

バスケをプレーする為にはコミュニケーションが絶対に必要となり

初心者もプロも、日本人も外国人も、子供も大人も、勝つ為にコミュニケーションを取って

必死に戦い、試合が終わればその日初めて会ったはずのチームメイトと

SNSのアカウントを教え合ったり、また明日!なんて約束して友達になります!

遠くから来た人にも、元々ここに住んでいた人にも、震災を知らない子供たちにも

みんなに、被災したこの地域だってこんなにも魅力的な場所なんだぞって感じて欲しいです!


銀行の方々や知り合いの税理士さん、ストリートバスケで出会った方々などから頂いた

知恵と新卒で2年間働いていた金融機関での経験を活かして、事業計画書を作成していざ応募。

約3ヶ月の選考期間を待ち、令和3年6月に競合他社3社の中、見事この計画が採択され

本格的にこの計画が動き出すことになりました!


しかし、この施設は被災地にあるということで近隣避難施設の収容人数

を考慮して割り当てられた人数は最大約77人です。

同時に77人までの集客しかできないという問題が生じました

それでもこのようなチャンスを逃したくないし、諦めたくもないし今後周辺に

大きな避難施設が完成する可能性もあります。

観客を何百人も入れるイベントはできませんが、

日常的なバスケを楽しむにはその数字は十分です!


そして私はこのコートを無料で開放したいです!


施設を無料で開放してより多くの人にこの地域に訪れて欲しいです。

有料化にすれば運営が楽になる事は当たり前ですが、私がこれまで遊んできた

ストリートコートは全て無料で、誰でも自由に使えます。

だからこそ多くの人が遊びに来るし、実力も経歴も関係ない

平等なバスケが生まれると思っています。


ここに足を運べば、この地域について知る事も出来ます。

隣には建物の中が被災した当時のまま記録されている

震災遺構仙台市立荒浜小学校もあります。

震災を知らない子供達や、遠方からこのコートに訪れる人にも、この地域で何が起こったか

現在どうなっているのかを感じ、多くの方が犠牲となった東日本大震災を忘れないで欲しいです。


私の大好きなこの地域へ沢山の人に足を運んで貰う機会を

私の大好きなバスケで創り出せたらなと思っております。


コートを作るのにも、運営するのにも大きな資金が必要となります。

SNS等でこのプロジェクトを拡散して頂くことも支援の一つです。

皆様のご支援、ご協力お願い致します!!


施設の状況や、今後のイベントなどの情報は常時パークInstagramアカウント

にてお知らせしますので、是非フォローお願いいたします。

Instagram


▽施設完成予定

令和5年 8月 予定


▽資金の使い道

設備費(コート建設費、クラブハウス建設費) 約5,000万円

CAMPFIRE 掲載手数料・決済手数料


▽施設予定地
〒984-0033 宮城県仙台市若林区荒浜新堀端1-3

<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2023/08/01 14:36

    クラウドファンディング「東日本大震災で被災した当時の高校生が12年の時を経てバスケットコートを作ります!」をご支援頂き誠にありがとうございます。皆様からのご支援によりプロジェクト支援額は現在50%を超えました。▽施設について当初8月中のオープンを目指しておりましたが、建築中の建物について施工が...

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