はじめまして
日本百名山のひとつ伊吹山頂で山小屋を経営しています伊吹山頂対山館の鈴木です。
朝ドラ「らんまん」楽しみですね!
実は私の祖父である高橋七蔵は、日本の植物学者の牧野富太郎博士と交流深いんです。
伊吹山の登山口である米原市上野
日本百名山のひとつである伊吹山は、薬草の宝庫としても知られ、四季折々の高山植物が咲く山の中でも最西部に位置する山です 。
登山口は、滋賀県米原市上野に位置し、天気の良い日には登山客の方が多く、大変賑わいます。
かつては、伊吹山スキー場があり、夏は登山客、冬はスキー客で賑わいました。
旅館「対山館」は、かつて祖父の高橋七蔵が大正14年に建てたものです。牧野富太郎と高橋七蔵との出会いは明治39年の植物講習会でのこと。この2人は親子ほどの年齢差がありましたが、交友は長く続き、旅館「対山館」を始めた後には定宿としていただきました。
しかし、今から49年前の昭和49年、旅館「対山館」が建った49年後に全焼してしまいました。この火事で貴重な伊吹山高山植物の資料や、私の生まれ育った場所、そして実の弟を亡くしました。
更に様々な数字の偶然が重なります。この火事で亡くなった弟は、享年19歳でした。
奇しくも、遡って、明治39年の牧野富太郎と高橋七蔵の出会った時は、高橋七蔵は19歳、また、さらに遡ること明治14年には、牧野富太郎は19歳に初めて伊吹山を訪れています。
さて、今年、弟の50回忌を迎え、懐かしいアルバムを眺めていると、旅館「対山館」の焼跡の写真が見つかりました。また、旅館の間取りを思い出しながら、牧野富太郎博士がかつて眺めたであろう部屋の位置から見える庭と、灯籠のことを思いだしました。
様々な偶然と、今回の朝ドラ「らんまん」が始まるこの機会に、残していた灯籠をひとつでも組立直し、庭を一部再現できないかと考えました。
旅館の庭に使われていた石はとても重く、また、配置先の庭の位置もしっかりとした土台にしないといけません。
石の移動と設置後の安全のため、灯籠が崩れることのないように組み立てるには、素人だけでは難しいことが分かりました。庭の専門家にも協力をお願いし、進めていくことにしました。
今も残る伊吹山との関わりを示す資料
過去には自宅に残っていた牧野富太郎と高橋七蔵との交流を示す手紙や資料を伊吹山文化資料館に寄贈しました。今でも、貴重な資料として展示していただいています。
高橋七蔵を通して、伊吹山の植物が牧野富太郎の研究に役立てられていたことが、わかります。
近くまでお越しの際は、伊吹山文化資料館にもお立ち寄りください。
資金の使い道・実施スケジュール
ご支援をいただきましたお金は、庭への灯籠の移動費用と植栽、旅館「対山館」の跡地であったことを示す看板の費用の一部と、CAMPFIRE手数料、諸費用などに使わせていただきます。
2023年3月 昔のことを知る方との情報整理、庭の位置確認、石材の現状確認、現場確認
2023年4月 具体的なイメージ、配置決め、材料集め、着工、リターンの準備
2023年5月 完成、説明看板の設置
2023年6月 リターンのお届け
リターンのご紹介
●お礼のメール 1000円
完成した庭の写真を添付し、感謝の気持ちを込めてお届けいたします。
●伊吹山イヌワシバッジ 2000円
伊吹山頂対山館オリジナルバッジまたはキーホルダーとお礼のメッセージカードを感謝の気持ちを込めてお届けします。
● 伊吹山頂Tシャツとバッジセット 8000円
伊吹山頂オリジナルTシャツ、伊吹山イヌワシバッジとお礼のメッセージカードを感謝の気持ちを込めてお届けします。
最後に
牧野富太郎博士が伊吹山にお越しになり、旅館「対山館」を定宿としてくださったことを誇りに思っています。しかし、時の流れと共に旅館「対山館」のことを知る方は少なくなっています。ここにはね…と語り継がれ、また道行く登山客の方々も牧野富太郎博士との接点を感じていただけるのではないかという想いです。どうぞよろしくお願いします。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
なお、表記のある個人・団体様は本プロジェクトに一切関係ありません。
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