▼はじめに
突然ですが、庭劇団ペニノは寺を建てたいと考えています。
舞台美術をつくる、というよりも、寺を建てる。
劇場かと思って入ったら、「え!寺!?」。
劇場ということを忘れてしまう、そのまま丸々入り込める寺がある。
観客参加型というより、一体・没入型。
精緻な異世界に、全身で入り込んでいく。
そんな新しい演劇体験を生み出したいと思っています。
▼庭劇団ペニノとは?
次回作の構想をご説明する前に、まず簡単に自己紹介をします。
庭劇団ペニノは2000年に活動を開始し、18年ほど活動を続けている劇団です。
最近では、ドイツやスイスなど、ヨーロッパを中心に国内外の演劇祭に呼んでいただくことも多くなりました。
また、主宰のタニノクロウは2016年『地獄谷温泉 無明ノ宿』で第60回岸田國士戯曲賞を受賞。この作品は同年に、北日本新聞芸術選奨、第71回文化庁芸術祭優秀賞も受賞しました。
2018年にはパリで開催される「ジャポニスム2018」に二作品の参加が決まっています。
さて、私たちの一番のこだわりといえば、とにかく作り込んだ舞台美術です。
舞台を見た瞬間、驚く。唖然とする。見とれてしまう。終演後は近づいて隅々まで眺めたくなる。そんな舞台美術づくりを、常に目指しています。
かつては、とにかく自由に舞台美術をつくりこめる環境がほしくて、主宰の自室のマンションの壁を取り払って、劇場に改造したこともありました。
撮影:杉能信介
新宿の空き地に奥行き50mのテントを建てた、野外劇をつくったこともあります。
撮影:田中亜紀
温泉宿を丸々ひとつ舞台装置としてつくり、それを回転盆の上に乗せて、舞台装置ごとぐるぐる回して芝居を見せる、なんてこともしました(この作品でいくつか賞をいただきました)。
撮影:杉能信介
舞台美術をいくつものオブジェとしてつくり、ドワーフの俳優たちが次々に観客を巻き込んでいく、参加型の演劇をつくったこともあります。
なんでこんなに舞台美術を作り込んでいるかというと、それが演劇にしかできないことだからです。
映画や動画配信サービス、コンテンツに触れる体験がどんどん多様化する中で、私たちはもっともっと演劇ならではの体験を突き詰め、演劇の可能性を広げていきたいと考えています。
※過去作品はホームページ(http://niwagekidan.org/)でも写真でご覧いただけます。
▼このプロジェクトで実現したいこと
そして次回作です。
2018年6月28日から東京・森下スタジオで上演予定の新作。タイトルは『蛸入道 忘却ノ儀』。
冒頭でお話ししたとおり、この森下スタジオの中に、ひとつの寺を建てたいと考えています。
観客は、仏堂にあがるように靴を脱いで入り、この仏堂をぐるっと囲むように座ります。もはや観客というより立会人です。
そしてこの仏堂で、八名の俳優たちが喉を震わせ楽器を演奏し、すべてを忘れてしまうような熱狂をつくりだしていきます。
それはきっと、演劇にしかできない、そして演劇史を振り返っても類を見ない「一体・没入型」の演劇体験になるはずです。
さらに、観客にはお札が手渡され、好きなことを書いて舞台美術に貼ることができます。
その体験が、一度きりのものであったこと、たしかにそこに立ち会ったことの印であるかのように。
舞台美術には俳優だけでなく観客の存在までもが刻印され、蓄積されていく。舞台美術は魂を帯び、巨大な生き物になっていく。通常、舞台美術は公演が終わると燃やしてしまいますが、どうしても燃やしたくない、燃やせない、むしろいつまでも生き続けてほしい。そんなふうに思える舞台美術にできればと考えています。
そしてそのためには、舞台装置だと分かっているにもかかわらず「本当に仏堂に来てしまった感覚」がとても重要になります。だから費用をかけて、壮大な装置をつくり、舞台美術を精緻に作り込んでいくことがどうしても必要になるのです。
▼このプロジェクトをやろうと思った理由
なぜこんなことをしたいかというと、
演劇のクリエイションにまつわる「ジレンマ」を解消して、新しい演劇体験を創造したいからです。
精緻に舞台美術をつくりこんだ作品は、実は客席と舞台を隔てがち。
観客参加型の演劇は、舞台美術への驚きが薄れがち。
庭劇団ペニノは、そんなジレンマを解消する、まったく新しいタイプの一体型・没入型の演劇体験を生み出したいと思っています。
ちなみに、舞台はお寺で俳優は僧侶として登場しますが、
特定の宗教色を打ち出すわけではありません。
いまの私たちのあり方をすごく大きな視点で捉えるときに、
仏教の要素がひとつの参照軸になると考えたからです。
加えて、「仏堂に集まる」という行為自体が、
ただ見聞きするだけではなく、参加する・一つになるという感覚も
含んだ行為のように思えたからでもあります。
また、新しい参加型の演劇をつくる、という視点で考えたときに、
クリエイション段階から観客の皆様といっしょになって創っていく、
というクラウドファンディングの考え方が、とても合致しているように思え、
今回のプロジェクトを立ち上げました。
▼資金の使い道
ご支援いただいたお金は、3年ぶりの新作『蛸入道 忘却ノ儀』の舞台美術製作費として使用させていただきます。
▼リターンについて
ご支援いただいた皆様には、まず舞台美術にその証を刻印させていただきます。
また、次回作タイトルに「忘却ノ儀」とあるように、次を生み出すために、庭劇団ペニノとしても過去を忘却する意気込みでいます。
そこで、一定金額支援いただいた方には、過去のオリジナル小道具を進呈させていただきます。
◉5000円
・舞台美術の一部に木札に書いたお名前を入れさせて頂きます。
◉10,000円
・舞台美術の一部に木札に書いたお名前を入れさせて頂きます。
・オリジナルの特製上演台本を進呈いたします。
◉15,000円
・舞台美術の一部に木札に書いたお名前を入れさせて頂きます。
・オリジナルの特製上演台本を進呈いたします。
・オリジナル楽曲CDをプレゼントいたします。
◉30,000円
・舞台美術の一部に木札に書いたお名前を入れさせて頂きます。
・オリジナルの特製上演台本を進呈いたします。
・オリジナル楽曲CDをプレゼントいたします。
・ご招待券1枚プレゼントいたします。
◉50,000円(限定5名)
・舞台美術の一部に木札に書いたお名前を入れさせて頂きます。
・オリジナルの特製上演台本を進呈いたします。
・オリジナル楽曲CDをプレゼントいたします。
・ご招待券1枚プレゼントいたします。
・庭劇団ペニノ過去作品小道具をプレゼントいたします。
◉200,000円(限定1名)
・舞台美術の一部に木札に書いたお名前を入れさせて頂きます。
・オリジナルの特製上演台本を進呈いたします。
・オリジナル楽曲CDをプレゼントいたします。
・ご招待券1枚プレゼントいたします。
・庭劇団ペニノ過去作品小道具をプレゼントいたします。
・『誰も知らない貴方の部屋』で使用したペニス型オリジナルチェスをプレゼントいたします。
▼最後に
ここでしか味わえない、一生忘れられない演劇体験。
全身を振動させ、心を置いてけぼりにする、そんな感覚。
演劇という最もアナログな芸術形式だからこそ生み出せること。
そんな新しい創造にチャレンジしてみたいと、私たちは考えています。
ここまでご覧いただき本当にありがとうございました。
この壮大な舞台事物のために、皆様のお力をぜひお借りできればと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
▼庭劇団ペニノ活動詳細
2000年1月、昭和大学演劇部メンバー有志にて「庭劇団ペニノ」を結成。自宅マンションを改造した劇場スペース「はこぶね」や野外、盆舞台を使用した四面舞台での公演など、徹底的に作り込んだ舞台美術、精緻に構成された上演空間で知られる。「フェスティバル/トーキョー」や「ふじのくに⇄せかい演劇祭」、「KYOTO EXPERIMENT」など国内の主要な国際舞台芸術祭に多数招聘。『苛々する大人の絵本』は09年にベルリン(独)、10年にチューリッヒ(スイス)、グロニゲン(オランダ)などで上演され、スイスの著名な演劇賞ZKB Patronage Prize 2010 にノミネートされた。また『誰も知らない貴方の部屋』のアメリカ5都市ツアーを行い好評を得た(2014年)。2015年『大きなトランクの中の箱』がウィーン芸術週間、世界演劇祭にて招聘され、ウィーン地元紙で五つ星の評価を得た。2016年『地獄谷温泉 無明ノ宿』ではヨーロッパ4カ国ツアーを行ない、高い評価を得た。 2015年3月ドイツにて新作「Käfig aus Wasser(水の檻)」を発表。2016年『地獄谷温泉 無明ノ宿』にてタニノクロウが、第60回岸田國士戯曲賞受賞。2016年北日本新聞芸術選奨受賞、第71回文化庁芸術祭優秀賞受賞。
最新の活動報告
もっと見る【タニノクロウ インタビュー】これまでの作品全部、そして自我をも焼却する作品を
2018/06/09 11:156月28日に開幕する、庭劇団ペニノの3年ぶりの新作「蛸入道 忘却ノ儀」。肌感覚に迫るリアルな演出を目指し、精緻かつダイナミックな舞台美術でこれまでもさまざまな新しい“演劇体験”を提示してきたペニノが、今回はスタジオに寺を建立し、そこに“釈迦と同じ、自我を焼却した存在”として、俳優8人を据え置く。観客も没入・一体化して行う「忘却ノ儀」を通して、タニノクロウが描き出すものとは? これまでの作品を全部燃やすような作品を作ってみたい ——今作「蛸入道 忘却ノ儀」は、お堂のような空間で蛸入道8人が行う「忘却ノ儀」を、観客も一緒に体感する作品です。創作のきっかけには、どのようなことがあったのでしょうか? 大きくあるのは、今年でペニノが旗揚げ18年を迎えたということです。ペニノが東京で本公演を作るペースは、現在2、3年に1本です。なので、今年3年ぶりに新作を作ると、この次に作るのは2020年になるだろうと思い、それが1つの区切りになるのかなっていう感覚が漠然とあって。最近は「これが最後」と思って作ってる感覚がずっとあったんですけど、それがどんどん強くなっているし、オリンピックもあり、元号も変わり、自分の年齢とかプライベートな環境とかも含めて、自分が今まで作ってきたものが2020年で1つ終わりを迎えるだろうと思ったんです。ただそう思った時点では、今回の新作をどういう作品にするかというアイデアは、まだなかったんですよ。でもいろいろ考える中で、「今まで作った作品を、全部焼却炉で燃やすような作品を作ってみたい」と思い始めて。2016年に初演した「地獄谷温泉 無明ノ宿」の、2階建ての温泉宿の舞台美術が、今年9・10月のフランス公演後に燃やされるってことも、少なからず影響があったと思います。それと、僕はこの18年の活動の中で何を大切にし、何を大切にせずに演劇をやってきたのかということを考えたときに、大事にしてきたのは舞台美術や小道具、あとやっぱり体感という部分だなと気づいたんです。例えば「ダークマスター」や「地獄谷温泉」がそうかもしれないけど、観た人が忘れられない体験にしたいと思って匂いとか聴覚、視覚、触覚といった、物語とは別の効果みたいなものを観る人が体感できるお芝居を作りたいと思ってきたなと。その一方で、何を大切にしてこなかったかというと、きっと役者のことだろうなと思ったんです。俳優そのものに興味がなかったわけじゃなくて、物語を担う俳優という存在に興味がなかったんですよね。個人的な感覚ですけど物語を作るのってどんどん惨めになるんですよ(笑)。 ——どういうことですか? 物語って、すでに何かしらのヒエラルキーとか忖度を生む構造になっていると思うんです。例えばアメリカンフットボールは、陣地を取り合う、合法的に戦争するような構造になっていて、すべてがトップダウンで進んでいきますよね。物語ってそれと近いんじゃないかなって僕は思ってて。「ダークマスター」再演(06年)のときに、一番古い玉置潤一郎という劇団員に「もしこういう作品を作り続けることになるんだったら、自分の精神が崩壊する」って話をしたんです(笑)。ドラマをずっと書き続けていると、本当にバカになるんじゃないかと思った。でも物語を観て感情が動くというのはやっぱり素晴らしいことだし、重要なことだとも思ってもいて、ただ作り手としてそれだけでいいのかという思いもあって……というようなことを考えつつ、そのあとも作品を書き続けていたんですね。すると、言葉って書けば書くほどうまくなるんですよ。だから暴走しやすくて、暴走を極めたのが「地獄谷温泉」だった(笑)。元原稿は、今出版されている分量の3倍くらいあって、暴走の限りを尽くしてるんです。 ——それはすごいですね(笑)。 そのころ、Mプロジェクト(タニノと舞台美術家のカスパー・ピヒナーが2015年に立ち上げたユニット)が始まって。Mプロジェクトを通じて、それまで自分がやってこなかった、「お客さんとのつながり」という目線も入り込んできました。それと、未来のテクノロジーの形がはっきり見え始めてきて、物を作ることが人間からコンピューターに取って代わられるようになり、いずれ芸術もそういう問題に直面するだろうってことを実感できるようになってきたんですね。そうなったら、じゃあ我々にとって何が希望かというと、作り手はさておき、お客さんが人間であり続けることだけなんじゃないかと思うようになって。そこで、物語を作っていたときにはなかったお客さんとのつながり、あるいは俳優やスタッフとの関係性みたいなものが生まれるような作品を作りたいなと思いました。 蛸はあまりにハイスペックな生き物 ——今のお話から「蛸入道 忘却ノ儀」には、どのように結びついていったのでしょうか? 個人的に、蛸と釈迦に興味があって。蛸に興味を持ったのは、今回この作品のドラマトゥルクとして関わってくれているドイツ人のマックス・フィリップ・アッシェンブレナーが、2、3年前に城崎国際アートセンターで一緒に滞在制作したときに、「蛸って面白いんだよ」って話をしていたからなんです。蛸はとてもユニークな生物で、どういう進化の過程を経て生まれたのか、よく分からない。心臓が3つあって脳みそが9つあって高い知能を持っているし、人間よりはるかに精巧な盲点のない目を持っていて、また夢を見ると言われている。海洋生物って、例えば知能が高いイルカでも右脳と左脳を交互に使いながら常に起きた状態で寝るので夢を見ないんですけど、蛸はレム睡眠とノンレム睡眠を繰り返すんです。何より、ゲノムの数がすごくて、たんぱく質遺伝子の種類が人間より豊富だし、体の90パーセント以上が筋肉で、しかも交尾は生涯1度だけ。それで絶命しちゃう蛸もいるくらいなんですよね。というように、あまりに蛸がハイスペックなので、「蛸は宇宙から来た生物だ」って言う研究者も多いんですよ。 ——へー! まったく知りませんでした(笑)。 蛸のことと同時に、「地獄谷温泉」のときに特に強く感じ興味を持っていたのは、釈迦が何を見つめ、何を見えたのかということでした。「地獄谷温泉」でも釈迦について言ってるところが一箇所だけあるんですが、“無明から始まって、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、そして老死に至るまで、関係性の中に人は成り立っている”という、「十二縁起」のくだりがあって。まあそんなふうに、釈迦が何を考え、どういう人間だったのかを調べていたんです。すると、釈迦が最終的には自我のない存在になったという記述を読んで。その「自我のない存在」がどういう状態か、よく分からなかったんですよね。自我がないって、例えば物事に対する重要度を持ってないってことなんです。じゃあ何も重要じゃないかっていうとそうじゃなくて、釈迦は全部が重要なんです。例えば、飼ってる猫が死にそうで、自分の母親も死にそうだったら、普通は猫より母親を優先するけれど釈迦はそこで悩む。自分にとってどちらが重要かは考えない。それが自我がないということなんですよね。じゃあどうやって自我をなくしていくかというと、動物より人間が重要という視点から一個抽象度を上げて「動物が好き」という状態にすれば、どちらも大事ということになる。石と動物なら「地球上にある万物が好き」、地球上にあるものと地球以外の惑星にあるものなら「太陽系が好き」……という感じでどんどん概念の抽象度を上げていくと森羅万象が大事ということになるわけです。しかもそこには関係性がパンパンに詰まってる……そういうことだと、僕は捉えました。 俳優は自我を焼却された、釈迦のような存在になり得るのではないか そこからさらに2つ、僕の興味は膨らんで、1つは量子論のこと。釈迦のそういう考え方は “空(くう)”って言い方をされていて、この空って概念についてダライ・ラマもまったく同じことを言ってるんですけど、つまり素粒子は観測できれば物質として存在し、観測されなければ波動としてないものとなる。万物はこの、“あるといえばある、ないといえばない”、空の状態で構成されているということがわかったんです。その上で、俳優について考えたとき、いろんな人がいろんな言い方で「いい俳優とは」を語っていますが、例えば平田オリザさんは主体性がないこと、宮城聰さんは霊的な何かに動かされている人、また別の人は神経をずるっと抜かれたような存在とか……表現はいろいろですが、要するに自我のない状態ってことなんじゃないかと思ったんですね。そういう自我のない俳優をいい俳優と呼ぶなら、その俳優は釈迦と同じ境地にあるということだし、俳優ってすごく崇高なものだと思うようになった。それでようやく俳優を尊敬するようになったんです(笑)。なので今作では、僕の過去の作品に出演した人たち、あとゲストの方も交えて、作品の中でその境地を感じてほしいし、その場を俳優たちに与えたいと思いました。それがこの作品の成り立ちですね。 ——なるほど、そうだったんですね。タニノさんが観客について考えていらっしゃることは台本や近作から感じていたのですが、俳優さんに対する思いを、それほど感じていらしたとは。 確かにそのような見せ方をしてますが、僕にとってこれは、100パーセント俳優のために作った作品で、俳優がある種崇高な体感を得る場所を作ってあげたいし、俳優がどういうことを感じるかだけを、今考えています。そのためにお堂を作ったし、自我が触発されるように、360度どこからでも観客が俳優を見られるような空間にしたんです。……まあこんな話、俳優たちにはもちろん言ってませんけれども。 観客の痕跡が残せる舞台美術に ——稽古の前には深川不動堂にも見学に行かれたそうですね。皆さんで行かれたんですか? 全員で行きましたね。 ——そのときの印象がお堂のセットや劇中の儀式のシーンにも生かされるのでしょうか。 そういう部分もありますね。美術に関しては、先ほどお話しした通り、「地獄谷温泉」のセットが今秋のパリ公演後に燃やされるんですが、でもそれって、僕らにするととても寂しいことで。特に僕は舞台美術愛が強いので(笑)、せっかく作った美術が誰にも愛されずに壊されたり燃やされたりするのはかわいそうだなと思ったんです。なので、今回は舞台美術との関係をより濃くするような、そこに観客がいた痕跡が明確に残せるような美術にしたいと思い、お客さんには紙を渡して、そこに名前なりメッセージなりを書いてもらって、どんどん舞台美術に貼って残していってもらおうと思っています。我々のものでもあるけど、お客さんのものでもあるというような、そういう関係性が舞台美術と作れたら、燃やすときに舞台美術もようやく成仏できるのではないかと(笑)。 フィジカルよりメンタルで参加できる作品を ——今のお話にもあった通り、観客はお堂のセットの中に座り、「忘却ノ儀」を“体験”します。タニノ作品ではこれまでも音と光に対するこだわりを強く持ってきましたが、今回はお堂の座り心地やお香の匂いなど、触覚・聴覚・視覚・嗅覚への喚起がさらに強まりそうです。 Mプロジェクトを通して、いかにお客さんに参加してもらうかを試行錯誤してきましたが、これまではお客さんがフィジカルに参加する形だったと思うんです。でも今回はもっとお客さんの脳内というか、フィジカルよりメンタルな部分で参加できる作品にしたいと思っていて。例えばお客さんには1人1冊“経本”を渡すんですが、ここにはお経が書かれていたり、金色や銀色の紙が挟まっていたり、紙に匂いが付いていたり、奇妙な模様が書いてあったりと、これを見るだけでも何かを感じられるようになっていて。そういう多角的な参加の状態を作りたいなと思っています。 ——手術室を舞台に妄想が膨張する、圧倒的なフィクション性を持った「アンダーグラウンド」、人形芝居の親子による儀式的な演し物が異世界へと誘う「地獄谷温泉」、観客の想像力と作品への“参加”が鍵となる「MOON」(17年)など、これまでのタニノ作品が試みたさまざまな挑戦が、「蛸入道 忘却ノ儀」に集約されそうですね。 そうですね。 ——現段階で、タニノさんの手応えはいかがですか? うーん、本当にちょっとわからないですね。僕としてはすごくうまくいってると思っているし、思わなきゃいけないと思ってますけど(笑)。一方で、今回は俳優たちが自主的に作っていくべき作品だとも思っているし、先ほどお話したような、僕が観たい、俳優の自我がない状態が稽古で見えているかと言えば、それはまだゼロだとも思います。お客さんが入って初めて、俳優がどう感じるかで立ち上がってくる作品という気もしますね。 ——そんな俳優さんたちの様子はいかがでしょうか。 みんなすごくチーム感が強いし、バランスがどんどん良くなっているんじゃないかと思います。やっていることはシンプルですが、お互いに高め合ったりしてるところが今回は重要だと思うんです。また、歌や演奏がただうまければいいというものではないし、最終的な境地というのはそういったものも何もない状態だと思うんですね。俳優に限らず誰でも、自己の存在をめぐる闘争の中にいて、自分は何者なのか、自分にどういう価値があるのかという思いと闘っていると思いますが、本作で目指しているのは、それすらもない状態。現段階ではまだそこには至っていませんので、最終的にそういう状態まで行き着けばいいと思いますね。 (取材・文:熊井玲) もっと見る
本番が近づいてきました
2018/06/06 21:49「蛸入道 忘却ノ儀」初日まであと3週間。 「庭劇団ペニノ✖セゾン文化財団 演劇体験拡張講座 庭劇団ペニノ『蛸入道 忘却ノ儀』を10倍楽しむ会」まであと2週間。 本番までの様々な準備に追われる時期となってきました。 今回、ボランティアスタッフとして関わってくれている、Yちゃん。 学校の合間に来て、こつこつ作業をしてくれています。キラキラした瞳に癒されています。 もっと見る
現場から
2018/06/03 19:57今回の公演で、小道具作業などを手伝ってくれているスタッフYさんがコメントを寄せてくれました! 「天井ができていよいよ入口をくぐるとすぐお寺!という感じなので実は毎回入る時に緊張しています。演劇は客席からステージに作られる世界を見るというイメージだったので舞台と客席の境がない事で自分も物語の一部になったような不思議な気分になります。役者さん達が練習をしている所も大道具のスタッフさん達が作っていた窓の下も全部客席だと思うと、本番お客さんが座った時どんな雰囲気が作られるのか楽しみです。」 (Y.S) もっと見る
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