はじめに

はじめまして。私は、石川県小松市にある合同会社ニュートラル環境工房の滝ヶ浦良成といいます。起業して3年が経過しましたが、竹と木を使った天然材料によるもの作りを行なっています。

私は、2020年6月に従業員のいない私だけの”一人会社”として起業し、この3年間、コロナウイルスという荒波に揉まれながら航海を続けてきました。

起業前は、会社員として33年間地元の繊維染色会社で働いていましたが、退職後60歳で起業して、現在は63歳になりました。

キャンプファイヤーでのクラウドファンディングは初めてとなりますが、3年前に他のクラウドファンディングでご支援を頂いた商品があり、今回はその第2弾として、改良した商品で挑戦したいと思います。
商品は竹製マットで、バスマット用途で開発しましたが、洗面台マット・キッチンマット・玄関マットとしても使用できます。

商品の性能面での特徴は、3年前の商品と同様に、竹表面の細かい切れ目から水を吸収することができるのですが、今回はそれに加えて、竹表面をバーナーで竹炭ブラック色になるまで焼くことで、竹表面の乾きを速めることができ、足裏の爽快感が初期品以上に向上しています。

そしてデザイン面では、黒地に切れ目のベージュ色のラインがストライプ模様を作り出し、また竹の配置や構造を見直すことで、スタイリッシュなイメージを与える、インテリア性の高い商品になりました。

手間を惜しまず掛けて作っているので、一般的なバスマットと比較して価格は高いのですが、竹製マットを自宅で開発当初から使ってきた実感として、市販されているバスマットにはない良さをお届けできるものと思っています。

先日、3年以上使って頂いている方から、一部割竹が外れたということで修理依頼があったのですが、使い捨てのこの時代でありながら、修理しても使い続けたいと思って頂けていることを知りました。またある方は購入後に気に入って頂けたようで、親族へのプレゼントとして2回・3回と購入頂きましたが、一般的なバスマットとは違うこのようなタイプのものも、世の中に必要とされていることを再認識させて頂きました。

現状は、ご使用頂いている方はまだわずかであり、もっと多くの人にお届けする必要を感じています。今回のクラウドファンディングを通して、竹マットの良さを広めて行けたらと思います。

上の写真は、ネットで見つけた部屋に置かれたバスタブの写真ですが、海外の映画に出てくるようなイメージのお風呂です。今回の竹製マットは、インテリア性を重視していますが、このようなお風呂で使って頂けると最高だなと思いました。

ちなみに海外のお風呂は、日本とは考え方が違っているようで、髪や体を洗うのはシャワー室で行ない、バスルームはリラックスするための部屋ということのようです。

それでバスタブが普通の部屋の中にあったりするわけで、お風呂につかりながら本を読んだり音楽を聴いたりして、くつろぎの時間を過ごすのです。

日本では、このようなお風呂は少ないでしょうが、リゾート地のおしゃれな旅館やホテルのお風呂に、竹製マットが合うのではないかと思います。そして今回のクラウドファンディングをきっかけにして、是非とも海外に販売できたらと思っています。


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プロダクトのご紹介

それでは具体的に、今回の商品「吸水する竹炭マットBambriaⅡ」をご紹介します。

1.吸水性・速乾性について

竹炭マットをバスマットとして使用した場合、繊維マットや珪藻土マットのように水を瞬間吸収できる訳ではないのですが、体をバスタオルで拭いて服を着ている間に、体からマット上に流れ落ちた水を竹表面の切れ目を通して内部に吸収できます。そして、しばらくの時間で濡れたマット表面が乾いてきます。

繊維バスマットの場合、何人もお風呂に入るとマットは濡れてきて、後から入る人は冷たく不快に感じるのですが、竹炭マットでは、家族みんながほぼ乾いた状態で快適に使用できます。

洗面台マットやキッチンマットとして使用した場合、飛び散った水を吸収できます。

そして玄関マットとして使用した場合には、雨の日にサンダル履きで足が濡れた状態で帰宅した時、マットの上で足裏を軽く擦るように動かすと、足裏の水を拭き取ることが出来ます。また、足裏が砂埃などで汚れた状態でも、切り目の凹凸で擦って足裏の汚れを落とすこともできると思います。


【切り目加工について】

竹表面の切り目は、長年を掛けて考案した作業機械を使用して、精度よく効率的に加工を行なうことができるようになりました。

巾約4㎝の割竹に切り目を入れていますが、切り目厚みは約1.5㎜で、切り目と切り目の間隔は約7㎜、長さ10㎝当り15個の切り目を入れています。

竹の表面には、防水性の表皮があり、その内部は孔が開いた構造(維管束)になっていて、水を吸収することが出来ます。


【竹表面の炭化について】

竹表面は耐熱性があり、バーナーで焼いても簡単に燃えることはなく、焼き続けることで徐々に竹表面がベージュ色から茶色、ごげ茶色と変化し、そして光沢のない竹炭ブラック色に仕上げています。

本来竹表面は水を弾く性質があるのですが、竹炭ブラック色まで焼くと表面が水で濡れるようになります。

竹表面は水を弾いた方が切れ目に水が入りやすいのですが、一部切れ目に入らない水が水滴状になってしまい、そのため乾きにくくなっていることに今回気付きました。また、竹表面上の水滴は、足裏に付着しやすくなることも分かりました。

今回、竹炭ブラック色まで焼いて表面を水に濡れやすい状態にすることで、足裏の濡れ感が少なくなり、竹表面の乾きを速めることが出来ました。

2.保水力について

以前に、温泉旅館で露天風呂が付いた部屋に泊まったことがあり、外の露天風呂から部屋に入るところに繊維バスマットが置いてありましたが、そのマットを横にずらすと、下のフローリングの板がカビで変色していました。

繊維マットの場合は水分を含んでくると裏まで水が通ってしまい、床が濡れてしまいます。床が無垢板の場合には、そのまま放置するとカビが生えて変色することがあるといえます。

竹製マットでは保水力が十分にあり、また竹と床は接触しない構造となっているので、床が濡れることはほとんどありません。割竹の繋ぎ目から水が下に漏れることを心配されるかもしれませんが、意外と床まで水が落ちることはありません。

次の動画は、竹マットに水をこぼしても、裏漏れしないことを確認した動画です。

3.足裏感触について

竹マットに乗った足裏感触は、細かい切り目の凹凸で足裏全体が竹表面に接触しないので、水でべた付いた感触が少なくなります。また、竹の湾曲した表面や節部そして細かい切り目は、足裏を刺激して気持ちの良い足裏感触があります。

キッチンマットとして料理や洗い物のあいだ立ち続けていても、足裏に心地よい刺激があり、足の疲れを軽減できると思います。

4.お手入れについて(手間いらず、毎日の洗いは不要)

毎日の洗いによるお手入れは必要なく、使用後は立て掛けて乾かすだけで、次の日も使用できます。

繊維バスマットは、洗濯することが面倒と感じられる方も多いと思いますが、竹製マットは毎日洗う必要はなく、必要と感じられるときに以下のように行なって頂くだけです。

※ マット表面に汚れがある場合は、濡れたタオルで拭き取って下さい。また、切り目に入ったゴミなどは、掃除機で吸い取るか、ハケなどを使用して払い落してください。 
※ 洗剤とハケを使用して、洗うことができます。高圧洗浄機を使用すると、短時間で切り目の内部も洗うことが出来て便利です。(できれば1~2週間に一回は、洗うことをお勧めします。)
※ 洗い後は、日陰の風通しの良い場所で、立て掛けて乾かして下さい。数時間で乾くと思います。 
※ キッチン用の漂白剤を使用して、除菌することも可能です。

5.安全性(滑り防止)

竹表面の細かい切り目は吸水だけではなく、足裏との滑りを防止する役目もあります。

普通、濡れた足で歩くと滑って転倒する危険性がありますが、細かい切り目がある竹炭マットでは、切り目の凹凸と足裏とに摩擦が生じて滑りにくくなり、安全に使用できます。


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プロダクト誕生までのお話

次に、今回のプロダクト誕生までのお話を、ずっと遡って私が生まれる前の時代のことからはじめ、私の子供時代、会社員時代のこと、そして起業後の激動の3年間の経過も含めてお話ししたいと思います。

1.私が生まれる前、私の子供時代のお話

私は現在、妻と私の母、そして下の娘と生活しています。上の娘は昨年東京の方へ嫁いでいます。
私の父は2012年に80歳で亡くなっていますが、その父の話から始めたいと思います。

父は1931年(昭和6年)に小松市で、小さな駄菓子・雑貨商の家に生まれました。
父は中学卒業後、戦時中は軍事工場の鉄工所で1年半ほど働き、終戦後1年程は郵便局で働きました。
そのあと実家近くの建具屋に弟子入りし、10年ほど雇われて建具の修行を行ないました。

そして1957年に独立して建具作りを一人ではじめますが、最初は実家の玄関横で、こじんまりと建具を作っていたようです。
その1年後に、実家からほど近い今いる場所に、作業場付きの家を建て始め、1959年春に家が完成して、その完成を待って母と結婚し入居しました。そして、「建具 滝ヶ浦」の看板を掲げて、本格的に建具の仕事を始めました。

それから1年後に私が生まれ、妹は私と5歳違いで生まれています。

私が小さかった頃は、父が働く作業場で、よく父の様子を見ていたように思います。そして父が切った小さな木で積み木をして遊んでいたと思います。当時子供だった私は、父が単なる木材から建具という形あるものに作り上げていく姿を見て、建具職人に憧れていたようにも思い出されます。

私が小学校の高学年になり物心がついてくると、父の建具の仕事があまりない状況であることが分かってきました。

当時、家の外回りの窓やドアは木製からアルミサッシになってきて、建具職人が窓などを作ることが減りました。また徐々に家の内部についても、既製品の大量生産された建具が使われるようになってきました。現在では、全国的に見ても建具店は少なくなってしまい、建具職人の高度な技能は残念ながら継承されない状況となっています。

経済的には大変な状況の中でしたが、それでも父は建具用の各種機械を購入したり、1969年には作業場を自宅横に建て直しています。

《その後の状況》

私は1980年に大学に入り福井へ行きましたが、その頃から建具の仕事状況に変化がありました。

小松市には航空自衛隊の飛行場があり、民間住宅への防音工事がその頃から始まりました。そのため防音建具へ入れ替える仕事が次々に入ってきて、国の仕事なので利益も多かったようです。そのような忙しい状況が、20年近く続くことになりました。

父は70歳前後になり、なぜか握力がなくなり、重いドアなど持てない状態になってきました。後にパーキンソン病であることが分かるのですが、仕事の注文自体も少なくなってきて、その頃から仕事をすることはほとんどなくなりました。

丁度その当時、自宅を増築したのですが、その建具を作ったのが父の最後の仕事になりました。

2.私の会社員時代のお話

私は大学・大学院と6年間、福井で下宿しながら学校に通っていましたが、就職は石川県に戻り、繊維染色の会社で33年間働きました。

就職するときに、建具の仕事を継ぐことは、全く考えることはありませんでしたし、将来このように木工の仕事をすることなど、当時は予想だに出来ない事でした。

私は25歳で会社に入社しましたが、1年間の現場研修の後に研究開発部門に配属されました。結局それから20年ほど、新商品の研究開発担当として働くことになりました。

研究開発では一つ困難な問題を解決すると、また次の困難な問題が現れるという繰り返しでした。

20年間にいくつもの開発に関わったと思いますが、うまくいかず消えていった開発テーマは多く、量産まで行ったものはわずかであったと思います。しかし、量産化されても流行の流れにより消えていく商品もあり、開発の難しさを実感した20年間でした。

研究開発の部署には、新たな若い人が次々と入ってきましたが、数年で他の部署へと移っていき、人の入れ替わりが激しかったと思います。研究開発担当として残るには、絶えず困難な問題を解決していくことしかなく、開発の能力だけでなく、開発を着実に前に進める根気強さが必要で、さらに協力関係を築けることも大切でした。

開発の基本は、繰り返しトライすることであると思います。一歩一歩でも絶えず前進すること、同じ失敗をしないことを、当時心掛けていたと思います。

長年開発を行ない経験が増えてくると、ある程度見通しが効くようになってきます。実際に試験を行なわなくても、頭の中だけで分かってきたり、少ない試験で最適な条件を絞り込めるようになってきます。

20年程経験を積んだ40代後半のころ、私としては商品開発というものがやっと分かってきた時期であったと思うのですが、丁度そんな時に、各種事情により私は研究開発担当から外れることになりました。

その後、私は開発部隊の後方支援ともいうべき開発品の測定・分析・評価を行なう仕事に変わり、10人ほどのグループ員を指導・監督することになりました。自分で測定・分析を行なうこともありました。

その部署では、研究開発では経験できなかったような多く業務を経験することができ、測定の精度アップや新しい測定方法を考えたり、また測定データの管理システムを作ったり、更に何十台とある測定機・試験機の管理や修理対応、そしてグループ員をどうやってまとめるかということも経験することができました。

しかし徐々に商品開発の仕事への未練のようなものを感じてきました。そして50代半ば頃から、あることを計画しました。

その当時、すでに父は亡くなっていましたが、残された建具の作業場と機械・道具を使って、木工でのもの作りを行なうことを計画しました。

当時、珪藻土バスマットが注目されるようになった頃でしたが、私は、天然材料で吸水性がある竹は使えないだろうかと思い、吸水する竹製バスマットの開発を、休日を利用して進めていきました。

そして、ある程度見通しが付いてきたと思い、59歳で退職しました。定年まであと1年でしたが、待つことができず、このタイミングで退職することを決断しました。

退職後に更に準備を進め、2020年夏に東京オリンピックがあるので、それに合わせて竹製マットの販売で起業することを考えていました。

3.起業後のお話

ご存じのように2020年の春先から新型コロナウイルスが世界的に広まり、東京オリンピックも1年延期となってしまいましたが、当時私は、コロナは少なくとも1年以内には終息するだろうと考え、ほぼ予定通り2020年6月に起業しました。

開発した竹製マットは、インバウンド向けや、温泉旅館など宿泊施設向けにと思っていたのですが、コロナの影響で外国人が姿を消し、観光業に大きな打撃がある中では、起業したはいいものの、何をすればいいのかも分からず途方に暮れてしまいました。

「吸水する竹製マット」でクラウドファンディング実施 (2020年夏~12月)

そんな状況の中で、どんなことでもやるしかないという思いで、当時販売手段として注目されだしていたクラウドファンディングに可能性を求めました。

初めての経験で訳も分からず準備を進め、8月末にクラウドファンディングをスタートできたのですが、結果は、販売単価がマットとしては高額であったにも拘わらず、予想を上回るご支援を頂けました。本当に有り難いことでした。

生産については、一部建具屋さんや竹材店さんに協力して頂きましたが、その他は自分一人で制作し、12月にはすべてのリターン品を発送することができました。

https://www.makuake.com/project/bambria/

これでひと安心したのですが、しかしその後もコロナの影響は続き、クラウドファンディングの実績はあっても、一般販売するようなルートを見つけることができませんでした。

仕方なく、次の商品作りに力を注ぐことになりました。

竹製花台の開発 (2021年1月~春)

次に開発したのは、竹製の花台でした。
きっかけは、2020年の年末に、たまたま妻の友人から竹で花台を作って欲しいというリクエストがあったことからでした。

妻は華道の指導免許を持っていて、年に数回、しめ縄飾りやクリスマスリース、母の日のフラワーアレンジメントなどで身近な友人・知人を集めてお花教室をおこなっていました。その生徒さんからのリクエストだったのですが、その後も妻から花台について色々と聞きながら、また竹は華道では良く使われるようなので、竹での花台の試作をいくつも行なっていきました。

試作した竹製花台を、小松・金沢などの雑貨店で販売して頂けないか足を運びましたが、コロナの影響で雑貨店に来られるお客も少ない状況であり、新規商品として採用して頂けるところはありませんでした。しかし、いろんなお店を回っている中で、貴重なご意見を頂けるところもあり、そんな中で竹でのお皿のアイディアが生まれました。

竹皿の開発 (2021年夏~12月)

最初、割竹を連結した真竹プレートを試作したのですが、知り合いの紹介もあり、金沢の近江町市場近くの地域名産品売り場で、展示販売して頂けました。

しかし当時は、近江町市場でも観光客がほとんどいない状況であり、残念ながら売り上げとなることはありませんでした。

次に日本料理店でご評価をお願いしようと思い、地元の懐石料理の超一流店に思い切ってご連絡したのですが、有難いことにお会いして頂けることになりました。

ご対応頂きました店主の料理職人の方は、先の真竹プレートに対してそれ程ご興味がないようでしたが、そのプレートの裏側の雰囲気が面白いということになり、改めて表裏を逆にして試作したものを見て頂きました。更にお皿のサイズや形などについても細かくご助言頂き、何度か改良を繰り返し、日本料理の世界では「八寸」と呼ばれる竹のお皿が出来上がりました。

その後、地元の日本料理店・寿司店さんでも、多くの店主さんがお会いして頂け、サイズを変えてなどでご購入いただけました。2021年の年末は一時的にコロナが下火になり、飲食店にお客が戻ってきた時期であり、タイミング的にはよかったと言えます。

しかし、年が明け2022年に入ると、オミクロン株によりまたしても飲食店は打撃を受け、竹皿を購入して頂くには厳しい状況となりました。

健康器具”竹踏み”でクラウドファンディング実施 (2022年1月~春)

そんな折、お世話になっていた知り合いの方から、健康器具の”竹踏み”を作れないかとのお話がありました。それも、竹を半分に割ったような形のものではなく、細い竹で作って欲しいとのことでした。

竹皿の販売が難しい状況でもあったので、そこから竹踏みの商品化を考えはじめました。材料面では地元の建具家具製造会社にご協力いただくことができ、2022年春にクラウドファンディング実施に繋がりました。

結果は、有難いことに目標を上回るご支援がありました。

https://www.makuake.com/project/neutral-kankyo/

クラウドファンディング後に、ネット販売サイトを運営している会社の担当者からご連絡があり、取引させてほしいという嬉しい申し出がありました。

※ 現在、以下のサイトで販売させて頂いています。

https://item.rakuten.co.jp/offer1999/doi0216/?scid=s_kwa_pla_unpaid_214829

竹皿でクラウドファンディング実施 (2022年夏)

引き続き2022年の夏には、すでに開発していた竹皿でクラウドファンディングを実施しました。

https://www.makuake.com/project/showchiku/?fbclid=IwAR0EKsTd9oCDJpwuqc4LuXTHfI33gYAvcEyH2tnnlJOeEgj3CjAneqxqenk

かなりの準備を行なってクラウドファンディングに臨んだのですが、結果は残念ながら目標に達しない結果に終わりました。
竹皿は日本料理店などの業者には興味を持ってもらえたのですが、一般家庭向けには難しかったのかもしれません。

一時ストップ

ここまで売上げはクラウドファンディングがメインで、定まった販売ルートがない状況であり、資金は底をついていました。

その後も、販売ルートを求めて動いたり、新たな開発の検討もしていたのですが結果が出ず、2022年12月から副業として会社勤めを始めることにしました。

しかし2023年に入ると、腰を痛めるなど体調を崩してしまい、木工の仕事ができる状況ではなくなり、会社勤めも3月末で退職となりました。

再スタート

4月以降は、体調を整えると同時に、会社を継続するかを考えていたのですが、どうしても継続したいという思いが強いことを改めて感じ、再起を掛けて再スタートすることにしました。

そして振り出しに戻り、竹製マットの改良に取り組み、今回のクラウドファンディングに臨んでいます。

3年前のクラウドファンディング実施の竹製マットは、自分的には十分に納得できるものではなく、これまで絶えず改良を考えて取り組んでいたのですが、今回の改良により思った以上にいい方向に改善され、自信をもって送り出すことが出来る商品になったと思っています。

《今後について思うこと》

父のことも含めて私の人生を振り返ることで、現在の状況について気付くことがありました。

父は私が子供だった頃の10年以上の期間、仕事がなくても耐え忍んで、時期が来るのを待ちました。私も現在、その当時の父と同じような状況にあるといえますが、父と比べればまだわずか3年です。時期が来るまで、耐え忍ぶ覚悟を持たないといけないと感じます。

これまで父から建具の作り方を全く教わっていなく、木工の仕事にもほとんど興味がなかったのですが、起業してからは、自分でも不思議なくらいもの作りができていることに驚いています。死んだ父が近くで見守って、助言してくれているかもしれないと思えてきます。

私は建具を作れませんが、父が立ち上げた「滝ヶ浦建具店」を引き継いだと言えるかもしれません。今後は、2代目として仕事を継続できるように、取り組んでいく必要があると感じています。


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会社の紹介

 合同会社ニュートラル環境工房では、「天然材料の良さの再認識・再発見」をコンセプトとして、環境・SDGsに配慮した”新しいもの作り”に挑んでいます。当社として注目している天然材料は、現在はほとんど使われなくなった「竹」です。

竹については、日本では昔からいろいろと生活の中で使われてきましたが、戦後の高度経済成長期の中でプラスチック製品に取って変わられてしまいました。しかし今、プラスチックによる環境汚染問題も深刻化していることもあり、もう一度竹の良さを再評価し、新たな切り口で竹製品を作り出す必要があると思っています。

今回の開発品は竹の吸水能力に着目した商品ですが、天然材料の「竹」は、吸水能力以外にも柔軟性や耐熱性など魅力的な性質を多く持っています。私は、竹を材料として扱うようになってから、何故かその不思議な魅力に捉えられて、竹を使った新規開発しか考えられなくなってしまいました。

また竹は、木材とは桁違いな成長力により数年で材料として使用できるまで成長するので、材料資源としても有望であるといえます。一番成長が速いときには、竹は1日で1m以上成長する場合があり、1~2年で20mにも達するようです。樹木の中で成長が速いと言われている杉でも、10年で6mほどの成長スピードといわれているので、竹の成長力が驚異的であることが分かります。

竹はイネ科の植物ですが、お米が実る稲は日本人・東洋人の食生活を長く支えてきています。同じイネ科の竹は、何百年・何千年に渡って生活道具や建築材料として日本人・東洋人に寄り添って生きてきたといえます。しかし、50年ほど前からその関係が途絶えてしまいました。イネ科の植物は、日本人・東洋人と縁の深い植物であり、今改めて竹との関係を取り戻していくことが必要なのではないかと感じます。

放置竹林問題の解決に向けて

日本人がここ50年ほど竹を使わなくなってきたことで、皮肉なことにある環境問題が生じています。それは放置竹林問題です。

放置竹林問題に関して、「石川県の竹林の現状」と題して、新聞に掲載された内容をご紹介します。

「昨年(2022年)11月の森林関連の会合での県報告によると、県内の竹林は約3200ヘクタール、うち放置竹林は8割に近い2500ヘクタールと推定される。安価な輸入タケノコ、竹材に代わる化学製品の普及などで竹の需要が減り、利用、管理されない放置竹林は増加傾向。放置竹林は広葉樹林や人工林、耕作地に侵入し、森林機能の低下、景観悪化、農作物の食害を生む野生鳥獣侵入の要因になる。県は県民らから徴収する森林環境税を活用し、森林整備などと合わせ放置竹林の除去をしている。」(2023年7月2日北陸中日新聞より)

戦後、収益の高いタケノコを取るために、竹(孟宗竹)が積極的に植えられてきましたが、高度経済成長期に入ると輸入タケノコの増加や、日用品にプラスチックが使われるようになり、竹の利用が減少しました。さらに竹林管理の担い手の減少もあり、放置される竹林が増えました。

放置竹林の竹の根は周囲へと侵出し、そこに生育する樹木などの植物は竹より背が低いために太陽光を遮られ、健全な成長を阻害されます。また、竹は根を浅く横に広げるため、土砂災害が起こりやすくなり、更に人間が立ち入らなくなると、イノシシやシカなどの獣が住み着き、農作物の被害に繋がります。

現在、放置竹林の拡大を防止すること、そして伐採した竹を資源として有効活用することが重要な課題となっています。

建具職人に竹を扱ってほしい

伐採した竹を資源として有効活用する上で、大きな問題があります。

現在、竹を切る職人がいなくなっていて、また竹でカゴやザルなどを作る竹細工職人もいなくなっています。昔は、小松市にも竹細工屋さんがあったようですが、今はありません。全国的に見ても、ほんの一部の地域で、わずかに残っている程度だといえます。

先に建具職人が減少していることをお話しましたが、竹職人の減少は更に深刻で、回復不能なところまで来ているかもしれません。

私は、この竹職人不足の問題を解決するために、建具職人が竹を扱うことはできないだろうかと考えます。竹細工職人はナタなどの道具を使用して、ほぼ手作業で作り上げますが、建具職人は建具用の機械や道具を使って作業し、細かい加工を得意としています。

建具職人はこれまで積極的に竹を使うことはなかったと思います。それは、竹は硬くて、反ったり曲がったりして形状が均一ではないので、扱いにくい材料であるということからかもしれませんが、建具用機械を使い、建具職人の技能をもってすれば、私が作ったような竹商品であれば、私よりもっと効率的に生産することができると思います。

現状、建具職人の方は数少なくなってきていますが、建具職人の復活のためにも、竹でのもの作りを考えて頂けたらと思います。


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竹でのもの作りの将来像

私は、竹でのもの作りを拡大していくための道筋として、次のような将来像(シナリオ)を段階的に考えます。

【第1ステージ】魅力的な竹製品の開発

まずは、今までにないような魅力的な竹製品を生み出す必要があります。広く売れる可能性のある新しい竹製品がなければ、次の段階へ進むことが出来ないと思います。

今回のプロジェクトを通して、注目されるような竹製品を作り出したいと思っています。また、これまで開発してきた竹商品についても改良を行ないながら、再発進していきたいと思っています。

【第2ステージ】建具職人による竹製品の制作

魅力的な竹製品が出来て初めて、建具職人の方に竹を扱ってもらうことが可能になると思います。
建具職人であれば、先にも触れたように、私よりも高い技能により大量に速く作ることができ、今よりもかなり価格ダウンが可能になり、竹製品を広く普及させることが出来ると思います。

【第3ステージ】海外への竹製品の販売

竹製品は、国内では古臭いように思われてしまう傾向がありますが、逆に外国人の方には興味を持たれるのではないかと思います。京都の竹林を見るために欧米の観光客が多く来られていることからも、東洋的な雰囲気を持つ竹製品が注目される可能性は高いと思います。

竹細工は大分県別府が有名ですが、別府竹細工につて調べると、これまでフランス、ドイツ、イタリア、ニューヨークなどで展示会を開催したことがあるようですが、とても盛況であったようです。
https://www.city.beppu.oita.jp/sangyou/sangyousinkou/bambooinnovation/jigyo_h30.html

国内では、バブル経済崩壊後、品質が良くても価格が高いと売れないような消費マインドになっています。伝統工芸作家の作品であっても、手間に合うような価格設定にすると売れないようです。

現状、欧米では日本と比較して物価が高く、また為替面で円安であることから、国内よりも海外へ販売した方が有利であるといえます。竹製品の海外販売についてご協力頂ける方がおられましたら、是非ともご連絡いただきたいです。

【第4ステージ】他の伝統工芸技術を取り入れた商品作り

石川県には、漆や金箔などの伝統工芸技術がありますが、それらと竹を融合して、新たな商品作りも行なって行けたらと思います。

一例ですが、昨年末に竹でネクタイピンを作ったのですが、漆と箔で装飾してみました。

現状、竹に漆塗りしたものや金箔加工したものはほとんどないようで、今後トライする価値があると思っています。

【第5ステージ】石川県小松の地を、竹製品を生み出す拠点に

将来、石川県の小松の地で、管理された竹林を造成し、竹製品を生み出す拠点にできればと思います。また、竹と木を扱う建具職人・竹職人を育成できればと思います。

先日、障害者支援施設で職業訓練指導をされている方が訪ねてこられたのですが、門松や竹灯りなど、竹でのもの作りを行なっていて、当社のホームページで竹皿などを見られて、作り方を教えてほしいということでした。

色々とお話をお聞きすると、通常の学校教育には馴染めず不登校になっている生徒に対して、竹でのもの作りを教えると、とても能力を発揮して、生き生きとしてきたそうです。現状の学校教育は知識偏重となっているように思いますが、もの作りを通しての教育も重要であり、更に若者が伝統的もの作りを職業として選択できるようにする必要性も感じました。

そのためにも、もの作り職人が十分な収入を得られる仕組みを考える必要があり、そして、もの作り職人になりたいというように、子供に夢を与えられる職業にしなければならないと思います。

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ここからは、私の個人的な趣味の世界・夢の世界になりますが、宜しければご覧ください。

加賀文化の再興に向けて

石川県には、日本三霊山の一つ「白山」があります。そして小松の地からは、この白山がとてもきれいに見えます。自宅近くの田んぼ道からも白山を見ることができ、空と山と田んぼの昔と変わらない景色にいつも目を奪われます。

特に日の出は、何とも言えない感動を与えてくれます。

そして自宅にほど近い場所に”小松天満宮”という神社があり、そこは子供のころによく遊んだ神社なのですが、先日久しぶりに立ち寄った時に、神社の歴史を記した案内板などを改めて見て、小松の歴史に興味が湧いてきました。

そしてその後、色々と調べている中で、とても気になる歴史上の人物ができました。その人物とは、前田利常、加賀前田家三代当主です。初代当主の前田利家は金沢の百万石祭りでも主役として有名ですが、利常は加賀文化を創り上げた重要な人物です。

利常は小松に縁の深い人であり、47歳で家督を嫡子の光高に譲り、隠居の地を小松に定め48歳で金沢から小松城に入城しました。小松は利常が子供時代に、人質として過ごした場所でもありました。

その後、光高が31歳で死去してしまい、孫の3歳の綱紀が当主となったことで、利常が66歳で亡くなるまでの13年間、綱紀の後見役として小松城から藩を取り仕切っていました。

どうして後見役になった後も小松の地に居を定めたのか、金沢に戻ってもいい様なものですが、私が思うに、小松城の天守閣から見える白山連峰がよほど気に入っていたのではないかと思います。

小松城は、梯(かけはし)川の水を引き入れた巨大な堀と7つの島からなり、「浮城」と呼ばれる水に浮かぶ城を利常は創り上げました。

お堀越しに見る白山連峰は、さぞ想像を絶する景色であったと思います。おそらく利常は、この雄大な景色を眺めながら、加賀の政治・経済・文化のことを思い巡らせていたのではないかと思います。

その成果は、「政治は一加賀、二土佐」と江戸でささやかれるほどで、茶の湯を愛し、能が好きで、神仏を敬い、那谷寺や小松天満宮などの寺社の造営を行ない、絹織物・瓦産業・製茶業・畳表などのもの作りの振興を行ないました。

小松城は、今ではお堀はすべて埋め立てられ、本丸やぐら台石垣がひっそりと残されているだけです。近くの芦城公園が当時の雰囲気を残していますが、芦城公園は私が小学校時代に良く遊んだ場所でした。

利常は才覚溢れる人であったといえますが、江戸幕府からは前田家は最大の外様大名として何かと警戒されていたので、利常は鼻毛を伸ばし愚鈍を装い、また軍事的に歯向かうつもりはないことを示すために、文化事業で湯水のようにお金を使ったとも言われています。文化的には、天下一とも言われていたようです。

説明が長くなってしまいましたが、利常が作り上げた小松の文化は、現在では色あせてきているように感じます。

当時と現在では、小松市の産業構造はまるで違っていると言えますが、今の時代に合ったやり方で、持続可能な社会を実現できるような個性的な製品やシステムを、ここ小松から発信できないものかと考えることがあります。例えば、私が小さかったころ木製テレビがあったように、電化製品の外回りを竹や木で作るようなことを考えられないでしょうか。

そして小松での竹でのもの作りを足掛かりにして、石川、北陸へと地域を広め、先端産業と伝統工芸が融合した製品を、世界に向けて発信できる時代が来ることを夢見ます。


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リターンのご紹介(製品情報)

吸水する竹炭マット

★ サイズ: 縦 40㎝ × 横 51.5㎝ ×高さ 2㎝
★重さ: 1.6kg
★材質:
〇 おもて材: 国内産孟宗竹(割竹)
〇 裏材: ヒバ材
★色: 竹炭ブラック色(焼き色)


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今回、以下のリターンもご用意しました。

竹プレート(大)

★ サイズ: 縦11.5㎝ × 横 21㎝
★材質:
〇 おもて材: 国内産孟宗竹(割竹)
〇 脚材: ヒバ材
★色: こげ茶(焼き色)
(他の色になる可能性がありますが、ご了承ください。)


竹プレート(小)

★ サイズ: 縦11.5㎝ × 横 16㎝
★材質:
〇 おもて材: 国内産孟宗竹(割竹)
〇 脚材: ヒバ材
★色: 茶色(焼き色)
(他の色になる可能性がありますが、ご了承ください。)


お礼の葉書き

白山連峰の写真などを入れた、手書きのお礼の葉書きを郵送させて頂きます。


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<募集方式について>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。


  • 2023/08/08 14:32

    先日、地元の建具店で組子細工の制作を体験しました。熊本県人吉地方の木製玩具「きじ馬」の後ろに、制作した組子細工を屏風のように立てて飾りました。組子細工は建具職人の技を代表するものです。ちなみに「きじ馬」の台は竹皿です。

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