このプロジェクトで実現したいこと

~「平和を求める被爆者の思い」を風化させることなく伝え残したい~

1945年8月6日朝8時15分、広島に原爆が投下され、続く8月9日朝11時2分、長崎にも原爆が投下されました。原爆は熱線、爆風、放射線によってとてつもない破壊と凄惨な死をもたらしました。生き残った被爆者は原爆の後遺症や生活苦、差別や偏見など困難に耐えて「からだ」「くらし」「こころ」に大きな傷を抱えながら生きてきました。

今年は被爆78年、被爆者の平均年齢は85歳を超えました。絵本『ようすけ君の夢~平和への思いをこめて被爆者と学生たちがつくった絵本~』(以後、絵本『ようすけ君の夢』)は佛教大学社会福祉学部の学生が製作しました。絵本の挿絵は京都精華大学の卒業生が描いてくれました。2008年に「クリエイツかもがわ」から初版を発行していました。現在、ロシアのウクライナに対する戦争で核兵器の使用が懸念される状況があり、多くの方から再版の要望をいただいています。絵本『ようすけ君の夢』を通して「平和を求める被爆者の思い」を伝えたいと思います。

「絵本」のモデルは長崎で被爆した眞柳タケ子さんの長男「ようすけ君」です。1歳半で被爆した眞柳さんが大人になって結婚し「ようすけ君」が生まれました。しかし「ようすけ君」の心臓には心室と心房がそれぞれひとつしかなく、生まれても長く生きることができませんでした。眞柳さんは自分が被爆していたからではないかと苦しみ何度も自殺を考えました。証言を聴いた学生たちは「ようすけ君」に生きていてほしかったと願わずにはいられませんでした。こんな子ども時代を過ごさせてあげたかったと思い絵本製作に挑みました。

「絵本」の中の「ようすけ君」は原爆で亡くなった子どもや生まれても生きることができなかった子どもの一人です。そして、世界各地の戦争や紛争で傷つき亡くなった子どもたちでもあります。「ようすけ君の夢」は原爆や戦争がない世界です。「絵本」には翻訳冊子(英語・仏語)が付いています。英訳者には眞柳さんの次女・美紀さんも参加しています。平和を願う「ようすけ君の夢」を急ぎ世界に向け発信したいと考えています。


「非核平和」への歩みを進めたい

佛教大学社会福祉学部では被爆60年の2005年から学生が中心になって「原爆展」を開催してきました。眞柳タケ子さんも「原爆展」で証言を続けてくださったひとりです。毎年、被爆者の体験を聴いた学生たちが絵本や紙芝居、詩集や画集などを製作してきました。広島で被爆した花垣ルミさんの体験をもとにした紙芝居『おばあちゃんの人形』は、2009年「長崎から伝える平和の紙芝居コンクール」で最優秀賞(一般の部)を受賞しました。2010年には、花垣さんがNPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれたニューヨークに持参し、国連本部や地域の教会、路上などでボランティアが紙芝居を上演しました。佛教大学の「原爆展」や被爆の継承活動は京都の一つの大学のささやかな取り組みですが、この「絵本」を通して被爆の実相を伝え「非核平和」の歩みを少しでも前に進めたいと思います。

ここで本プロジェクト代表(黒岩晴子)を紹介します。1978年の第1回国連軍縮特別総会に向けた被爆者訪問調査に参加しました。その全国的な実態調査は国連NGO主催の「被爆の実相とその後遺・被爆者の実情に関する国際シンポジュウム」を開催するための貴重な資料となりました。調査によって被爆者の健康状態や生活実態、戦後の生活史が明らかになりました。若い頃は医療機関の事務職やソーシャルワーカーとして被爆者相談や生活相談に関わってきました。教育機関に移ってからは介護福祉士や社会福祉士など社会福祉専門職の教育に従事してきました。2000年から勤務した佛教大学社会福祉学部での研究教育活動の基軸は被爆者のソーシャルワークと原爆被害の記録と継承です。在職中は学生たちに原爆投下の事実と被爆者の実態、支援の重要性を伝えてきました。そして学生と一緒に「原爆展」を開催し絵本作りなどの継承活動を行ってきました。定年後も「原爆被害者相談員の会」の一員として活動しています。

プロジェクトを実施したいと思った理由 
 ~核兵器をなくしたい~

原爆投下により激甚な被害を受けた被爆者が、その体験を語ることは当時を思い出すことであり大きな苦痛を伴います。それでも被爆者は苦しみを乗り越えて「世界中のどこにも私たちのような被爆者をつくりたくない」と証言を続けてきました。そして少しでも早く、日本が「核兵器禁止条約」を批准するように求めています。被爆者の「平和への思い」を実現することは、私たちが「平和な未来」を生きることにつながります。

本プロジェクトを成功させ絵本『ようすけ君の夢』を1,000冊、再版したいと思います。初版でも大勢の方々から支援をいただき、ヒロシマピースグラント(公益財団法人ヒロシマ平和創造基金)の助成も受けました。このプロジェクトでもぜひ多くの方々のご支援、ご協力を心からお願い申し上げます。

これまでの平和活動  
~ No War Know War ~ 

「原爆展」の開催

世界で初めて「原爆展」が開かれたのは1951年7月14日から10日間、まだ米軍の占領下にあった京都でした。京都大学の学生や教官が公職追放の危険も覚悟して取り組みました。しかし戦後、各地の大学の「原爆展」は大きく広がる状況にはなりませんでした。それは被爆者の存在や実態が隠されてきたからであり、被爆者と関わること事態が困難な時代が続いたからです。

しかし、そのような状況でも「日本原水爆被害者団体協議会」などの当事者団体や「原爆被害者相談員の会」など大勢の支援者が被爆者の救済を求めて活動してきました。今も救済されていない被爆者の支援を続けています。佛教大学の「原爆展」は、「京都原水爆被災者懇談会」や「京都府原爆被災者の会」など被爆者団体の協力のもとに開催してきました。被爆体験だけでなく戦争を体験した市民や旧日本軍の元兵士が証言し戦争の惨禍を語りました。

国際絵本展「ハロー・ディア・エネミー展」の開催

「原爆展」と平行して、平和と寛容の国際絵本展「ハロー・デイア・エネミー」展も開催しました。

「こんにちは敵さん!さようなら戦争!」という意味で「平和な社会を築くためには、他人を理解し認め合う寛容な心が必要」という訴えが込められています。学生たちは保育所や幼稚園の子どもたちに絵本の読み語りや紙芝居の上演を行いました。「原爆展」や「絵本展」には学内だけでなく地域からも多くの人々が参加し、「戦争を起こさない」ことや「平和を考える」ために「戦争」とは何かを知る機会となっています。

「原爆展」のポスター

2005年の第1回原爆展
~60年前の広島・長崎で何があったか
あなたは知っていますか?~


2006年の絵本『ようすけ君の夢』の原画展
(in ギャラリーかもがわ)

2007年の原爆展
~NO WAR KNOW WAR~

2008年の原爆展
~被爆者と戦争体験者の証言~


2013年の原爆展
ヒロシマを世界に伝えたロベルト・ユンク生誕100年記念展

2014年の原爆展
考えよう!ヒバクシャと共に「生きる」について・・・


応援メッセージ

私達が平和を願い、絵本『ようすけ君の夢』を制作してから十数年が経ちました。戦争はまだまだこの世界から消えていません。今だからこそ伝えたい想いがあります。私達がこの絵本で伝えたかったことは、自分の大切な人が、ひとりでも目の前からいなくなってしまうことが、こんなにも悲しいこと。それが、何千、何万回も起こるのが戦争だということです。

この「絵本」は子どもに読みやすいように心がけて作ったこともあり、当時は小学校に読み聞かせに行ったり学校や施設などに寄贈していました。そのような私達の活動を伝えるための記録としてアフターゼミで「つながってひろがって」というブックレットの出版もしました。今ではそんな私達も親の世代となりました。戦争や原爆の話を昔話としてではなく『今』大切な話として子ども達に伝えたいと思っています。「絵本」が再版されより多くの子どもや大人に読んでいただけることを願っています。(黒岩アフターゼミ生)


戦争を知らない私たちから子どもまで心動かされる絵本です。(佛教大学眞砂ゼミ一同)


必要資金

再版の出版費用:90万円

リターン送料・手数料:20万円

クラウドファウンンディング手数料:10万円

合計 120万円

*設定額を超えた場合

再版する絵本『ようすけ君の夢』を増刷し被爆者の「平和への思い」を大勢の人に伝えたいと思います。また「原爆展」での証言者の体験記(絵本・詩集・画集)を正式に出版したいと考えています。


リターンについて

募集方式について

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。

支援金が目標に満たない場合もプロジェクトを実行しリターンをお届けします。

2023年10月17日よりリターンを開始します。


心を込めてお礼をお送りします

返礼品は被爆体験記や被爆者問題などの書籍を予定しております。

書籍は本プロジェクト代表が著者・編著者として関わっており著作権等の問題はありません。

10,000円コースの返礼品で『58年後の原爆』が不足した場合は『ソーシャルワーカーは平和とともに』をお送りします。

※返礼品の発送はそれぞれの出版社からです。








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