はじめに・ご挨拶

ご回覧頂きありがとうございます。
北海道を拠点に、被災した思い出の修復活動を実施しているボランティア団体「Omoidori project」の西村と申します。
2016年台風10災害で被災した北海道南富良野町災害ボランティアセンタ-にて活動を開始
「Omoidori」という機器を使用してデジタルにて修復をした経緯より「Omoidori project」と称して活動中です。
以下のプロジェクトでは、H30年北海道胆振東部地震にて被災した厚真町吉野地区の歴史的資料の修復、保全について
知って頂けますと幸いです。


このプロジェクトで実現したいこと

古くから厚真町吉野地区で「暮らしていた証を遺したい」です。
H30年北海道胆振東部地震により被災して5年、
緑豊かな樹木が生い茂り集落があった田園風景は、復旧復興工事にて整地され新たな植林がされ再び緑化が進んでます。
しかし、集落があった以前の面影は少なくなりました。
ここでは、住民が協力しあって、、、
「吉野」という地区の名称にも至った吉野桜を見守って来た歴史
代々、農作業や道路補修、神社清掃、倶楽部(町内会館)で行事をしてきた当たり前の日常風景
昔から平成に至るまで変わらず役割分担されてきた青年団や女子分団の自治会活動
大正から昭和、戦時を経て終戦後、平成に至るまで吉野地区で「何が起きて誰が何をしたか」
ローカルな出来事ですが災害を理由に「思い出と言う名の記憶や歴史、文化を消失する事はあってはならない」と思ってます。

資料が被災したことも含めて、未来へ吉野地区の歴史を恒久的に遺すことを目標に
今後の伝承にも役立てて頂いたり防災意識の向上に繋げて頂けたらと感じております。


厚真町吉野地区のご紹介 【昔の地名(西老軽舞)・アイヌ語の地名(オィカロマイ)

2023年9月6日にて、5年となるH30年北海道胆振東部地震にて44名の尊い命が失われました。
厚真町では37名の犠牲になられた方々、吉野地区でも多くの犠牲者が出ました。
吉野地区は、1891年(明治24年)に小樽市から入植。古くよりアイヌの方々も住まわれており、ともに協力しながら生活を歩んで来た歴史があります。


プロジェクトを立ち上げた背景

活動資金の枯渇により継続が危なくなっております。
現在の活動資金は、これまで応援頂いた皆さまからの支援金の他、私の障害年金を主とした生活費で活動中です。
世の中の物価高騰や燃料費高騰により生活費から活動費に捻出できる財源が厳しい状況が続いてます。

プロジェクト開始直後よりコロナが流行りだした影響もあり、周知を実施してのボランティア活動が困難となったり
継続しての人材確保も厳しい状態が続いてます。
感染対策上、活動人数に制限を設けて実施の為 大幅な遅延が生じました。

これまでの活動と現在進行の活動

H30年北海道胆振東部地震にて被災した厚真町にて個人の思い出の品の修復作業を同年の「2018年10月」より開始、
「2023年9月1日」時点で延べ7500点の修復を終え返却に向けて動いております。
その過程により2021年8月に対象者さんへ返却に伺った際、保管されていた該当資料を預かり今日に至るまで
修復作業を実施して参りました。
被災した資料の修復は、約1500点となります。

2023年9月7日 北海道新聞(北海道版)に活動を掲載して頂きました!



被災した写真の様子

被災した写真(土砂の重みで数十枚が重なりあってました)

 

被災して資料の修復と復元の過程の様子

【被災した歴史資料の修復は、土砂とカビの除去から始まりました】




【乾燥と洗浄】

(1回目)→洗浄(土砂、汚れの除去)、除菌(1回目)→スキャンにてデータ化

     →乾燥後(汚れの除去を3回から5回繰り返し)都度スキャンにてデータ化



大まかな土砂を落とした状態の被災した資料


濡れてカビが繁殖して異臭を放っていた被災した資料です。(粘土や小粒の土砂を取り除いてます)
ページ毎に剥がして裏表の両面の洗浄と除菌を繰り返しては乾燥作業を実施。数ケ月の月日を要しました。

洗浄後・乾燥作業の様子













【スキャンしてデータ化】
土砂や汚れの除去を施しながらスキャンにてデータ化の様子
筆やピンセットを用いて破かない様に汚れを取り除きながらスキャンを実施しました。










【文字の復元と明文化】
解読困難な資料は、デジタル上で文字を復元する作業を施しました。
資料によっては、数時間から数日要するモノもございました。
またスキャン毎に取りこんだ同ページを複数のレイヤ-として重ねて復元する手法など



劣化が激しい資料については、スキャンしたデータを用いりデジタル上で明文化作業を行ってます。
上記動画で、文字を復元した画像と照らし合わせながら明文化する事もありました。

昭和15年1月~3月

文字がある程度読み取れる資料については、町民有志の方々に拡大コピ-を施した別紙にて明文化作業をして頂いてます。

明文化に対しての決めごと
・旧漢字(旧字体)は現代常用漢字へ修正変更
・カタカナ表記、語尾の言い回し、敵性語(戦時中の言葉)は原文のまま
・解読困難な文字、一文字につき1?(1ハテナ)・解読困難な文字数不明に対しては【解読困難】と明記を赤文字にて
を実施しております。

【明文化後word化】

明文化したデータを再度整理後、word入力対応で終了となります。
入力の一部を「厚真町の歴史や文化を知って頂ければとの思い」に快諾して頂き。
地元の厚真高等学校ボランティア部の皆さんにお手伝い頂いてます。
入力して頂いたデータは恒久的に残るため「いつかの思い出」として保存名の後にそれぞれの氏名や好きな言葉を添えて
保存してます。


中には、お預かり当初より資料が全て解読困難なモノ、ページが消失していたりバラバラになっているモノも多く
解読や明文化したデータと原本を紐づけにながら年代別に並び替える作業も併行して行っております。

【終了へ恒久保存】
・原本は再度除菌を経て、葉用紙と厚紙を重ねて日付順に並べて収納箱にて保存
・データは、セキュリティ対策を行った上、厚真町内で管理保存して頂く方針です。

【その先へ】
ボランティアとして一緒に活動して頂いてる方々の中には、
被災時助けて頂いた恩送りとして参加され、「活動を通じてより厚真町の歴史文化に興味を抱きました」と仰っている町民さん
活動を通じて、地元厚真町に興味を抱いて、厚真町に就職したいと希望を抱いてる学生さん
災害直後より生活相談員として被災者支援に従事後、現在は吉野地区も含まれる被害が大きかった北部地区の集落アドバイザ-をされている方
住民さんとの繋がりも強い厚真町社会福祉協議会の職員さんにお手伝い頂いてる中で
語り部や文化継承としての担い手や人材育成に繋げて頂きたいなと感じております。


資金の使い道・実施スケジュール

集めた支援金用途  
厚真町への交通費、宿泊費(宿泊を必要とする際は経費削減の為、車中泊)
協力ボランティアの活動費
保存データ用の媒体機器や消耗品等資材等
活動周知に要する広告費等、人材育成に伴う費用等
資金用途にはCAMPFIRE手数料含みます。

今後のスケジュ-ル(2023年9月1日以降にて)
・毎週水曜日、厚真町内の公共施設にて町民有志ボランティアさん、厚真町社会福祉協議会職員さんとの共同作業を実施
・不定期、厚真高等学校ボランティア部協力にてword入力を実施(昭和8年~14年分)
・2023年9月末日終了目標  現1500枚分随時進行中の資料 word入力を終了予定(残100~150枚程度)
・2023年11月末日終了目標  ナンバリング、整理 / 未対応資料の対応 
・2023年12月末日終了目標  最終除菌、保全収納作業 ・ データは厚真町にて保存


最後に

最後まで読んで頂き感謝申し上げます。
私事となりますが、私には成人発症の一型糖尿病、脊髄空洞症、染色体異常の他、複数の病気を有しています。
その関係も御座いまして、日常生活においても出来る事に制限も有り、限られた時間の中で仕事との両立が厳しいです。
上記項目のプロジェクトを立ち上げた背景との重複もございますが、身体上の理由により治療費への負担も大きく
生命維持の為に活動費を捻出する事が困難となっている一因でもあります。
それでも尚、これまで多くの方々の協力やご支援、応援を頂き歩めてます。
災害により突然大切なモノが奪われそのまま失われていくのを、自身の人生にどこか重ねているかも知れません。
ボランティアとして自己完結出来ない宜しくないパタ-ンかもです。
出来る限り後悔しない人生を歩みたくプロジェクトの作成に至った次第です。
誰かの為ではなく自己満足の活動と想い活動中です。
私の想いを応援してくださると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。


<募集方式について>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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