< 霊峰富士 >


現在、私共は富士山の麓にある静岡県富士市に住んでいます。
       そして・・・
   『富士山』の森林資源「富士ひのき」を活用して
      オリジナル御朱印帳を製作、販売し
『富士山』の自然を護り、地域産業の活性化につなげる事業を行っています。

<富士山で育った「富士ひのき」で造られた『富士ひのき御朱印帳』


私、CAPA-SERVICE(キャパサービス)代表 中野由紀夫と申します。

地元 林業従事者「製材業従事者」の皆さんや、「地域 / 行政」「就労支援施設」などのご協力を頂き、静岡県の県産材である富士山で育った「富士ひのき」を使った御朱印帳を日本中に広め、富士ひのきの認知度を上げ、富士山の自然保護地域産業の活性化!を目指す事業を行っています。

CAPA-SERVICE(キャパサービス)とは、私が住宅業界を定年退職後、2011年に妻と興した「コンサル事業」の名称です。
発足当初は、現役時代(住宅業界)のスキルを活かし、住宅を検討中のお客様へ「失敗しない住まいづくり」のアドバイスや、住宅会社の接客応対、集客方法、事業計画の立案などの業務に関わるアドバイスなどをメインにコンサルを行い、事業は順調にスタートしました。

更に静岡県産業振興(財)の専門家相談員として登録を行い、様々な業種の中小企業様へ営業・経営の分野での相談や、指導も行ってきました。


現役時代の私は、中堅の住宅建築会社に勤務していて、営業⇒営業所長⇒支店長⇒営業部長と、スキルを積み上げ、妻は同企業の設計部門に属し、CADを使い住宅建築に必要な図面を作成したり、お客様と建物の仕様や設備、内装などの打ち合わせを行う業務に就いていました。

住宅は一般的に個人の買い物の中で一番高価な買い物となり、お客様にとっては一生に一度の「一大事業」となります。

営業職時代は数多くのお客様とご縁を頂き、「お客様が何を求めているのかを察知・理解し、素早く正確に対応する」ことが、営業職の仕事と言う思いで業務に取り組んでいましたが、多くのお客様と人間関係が構築されていくにつれ、自分が行っている仕事は、お客様のご家族全員の幸せが掛かっていることに気付き、お客様ご家族全員の幸せのために、どの様な住まいづくりが必要なのか、自分自身何が出来るのかを、お客様視点で考え実行することで、お客様の満足のゆく家造りが叶うようになり、業績は自然と目標を超え「営業受注実績 全国1位」を、複数回獲得することが出来ました。

管理職時代は、特に部下の育成に重きを置き、私が得たスキルは元より「家造りは、お客様の幸せ作りのお手伝い」という理念のもと、企業が一体となって事業に取り組むようになりました。


定年後は、現役時代(住宅建築)のスキルを活かし、様々な企業の「経営支援」「販売促進」「事業計画作成」「社員教育」「講演」など、コンサルタント事業を妻と一緒に立ち上げ 、現在では企業の「社員研修」をメインに活動しています。


<企業様研修風景><少人数社員研修風景>

また社会貢献として、富士山の豊かな自然を護り地域活性の一助として、富士宮市「富士山世界遺産課」の推進員となり

「富士ひのき御朱印帳」の製作・販売を通じて、富士山の林業普及・自然保護、地域活性化に努めています。

<富士山南麗(富士市大渕:富士ひのき 林)><伐採後の 富士ひのき 断面>

更に、現役時代(住宅建築)の経験を活かし、『静岡県ふじの国に住みかえる』プロジェクトの一員として静岡県への移住促進を促す、相談員も行っています。

~移住相談員としての具体的なアドバイス内容~

希望移住先の様々なインフラや地域特性、新築住宅やリフォーム工事などのアドバイス、特に現役の頃の経験・知識を活かし、予定居住地の地盤の強度や災害時のリスクなど、専門的なアドバイスを行なっています。

💡余談ですが、2022年度を含め過去3年間は、静岡県への移住希望者数は全国第一位です💡


◆静岡県産業振興(財)経営支援アドバイザー

◆静岡県商工会連合会 専門家相談員

◆静岡県「ふじの国に住みかえる」 推進本部構成員

◆富士山世界文化遺産 富士宮市行動計画 推進員


☆ 中野 由紀夫 ☆

☆ 中野 詩子 ☆


富士山で育った桧で作る「富士ひのき御朱印帳」を広めて、地域の活性化と富士山の自然を護る !

『富士ひのき御朱印帳』(富士山の桧で作られた日本唯一のご朱印帳)>商標登録証(平成28年2月10日に特許庁より登録された商標登録証)> 

富士山の*間伐材を用いて、日本で唯一の「富士ひのき御朱印帳」を製作・販売を行うことで「富士山の自然保護」「林業の発展」「地域活性」に繋げることが出来ます。

富士山の自然保護として、富士山の森林資源の整備に欠かせない「間伐作業!」それら作業で得られる*間伐材を利用して商品化された「富士ひのき御朱印帳」を1冊でも多く世の中に認知され、購入いただく事で「富士山の自然保護」「林業の発展」「地域活性」に大きく寄与することが出来ます。

更に、山から街、そして海へと急峻な地形の日本では「山」が、治水としての大きな役割を担っています。
山林での下草の処理などが出来ていないと、山林に降った雨などは、地下水として蓄えられることなくそのまま下草の上を通過し、直接河川に流れ込み、大きな水害へと発展していく可能性が高いのです。

富士山に降った雨や雪は地下に浸透し、伏流水として何十年もの歳月を掛けてミネラルを豊富に蓄えた「超軟水」となり、口当たりが良い大変美味しい水へと生まれ変わるのです。

*間伐材とは・・・
森林に自生している樹木が密集すると、太陽光が地面まで届かず、樹木の成長の妨げになるため、密集度に応じて樹木を伐採して、生育環境を整える。
その、伐採した樹木を『間伐材』と言う。


< スピリチュアルな富士山 >

標高3776m 日本最高峰の「富士山」、その優大で瀟洒(しょうしゃ)な姿は国内は元より、海外においても日本の象徴として広く認知されています。
また、山岳信仰の聖地として古来から日本人の心の中に宿る富士山への「畏敬」と「親しみ」そして、そのスピリチュアルな存在自体が人々の心を魅了するのでしょう。

その様な富士山を、私達は、護っていかなければなりません。


※写真は 旧富士ひのき御朱印帳です。現在は文字のデザインが異なります。

私共は約10年前から、富士山で育った桧を使った「御朱印帳」を・立案・企画・製作・販売することで、「地域林業の活性化と富士山の自然を護る」活動を行ってきました。

当事、御朱印帳の表紙は紙か布で出来たものが殆どでしたが、木製で・・しかも富士山で育った桧で作られた表紙を使った御朱印帳は珍しく、現在でも日本で唯一の御朱印帳です。
富士山の世界遺産登録と相まって、順調に認知されはじめました。また新聞やラジオ、旅行雑誌など多くのメディアからも取材を受け、富士山の恵である「富士ひのき御朱印帳」の認知度は着実に上がって行きました。

更には地元富士市の木材関係者の方々からも、富士桧材の供給の支援を頂くなど、多くのご協力を頂きました。


製作・販売に繋げるに当たり、一番大きな壁は 製材⇒研磨⇒焼印⇒研磨⇒仕上げの工程を「誰に」請け負って貰うかが大きな問題でした。

試作品などは、私の知人の建具屋さんに依頼をしていたのですが、問題として「価格」と言う壁が立ちはだかりました。
建具屋の職人さんですから、仕上がりは満足出来る物ですが・・・価格は想定の2倍程だったので商品化して販売価格を設定すると、当初の販売予定価格と大きな差が出てしまいます。

そこで、様々な人に相談をしたりしていたところ、私に富士桧のブランド化の話を持ってきてくれた地元経営支援組織の所長さんから、就労継続支援B型と言う施設を紹介頂きました。

就労継続支援B型事業所とは、一般的な就労が困難な人などに、働く機会が紹介される障がい福祉サービスです。
施設には障がい者の皆さんを指導する、職員さんや施設長さんもいらして、作業などの詳細を障がい者の皆さんに指導して下さいます。

仕事を依頼した当初は、完成して納品された製品の約30%がNG!で、先行き不安にもなった時期がありましたが1年経ち、2年経つと、どんどんNG率が下がって3年を過ぎたあたりから、建具職人さんに、負けずとも劣らない製品が出来るようになりました。

担当の職員さんや、障がい者の皆さんは、毎日、毎日同じ作業を繰り返し繰り返し行うことで、技術を極めるに至ったのだと知り、とても感慨深い気持ちになったことを思い出します。

<♬ 傷がい福祉サービス 就労継続支援B型 施設長さん(左端)>

♡今でも障がい者の皆さんには、黙々と御朱印帳の研磨作業や焼印の押印作業を行って頂いています♡


◇驚き!富士ひのき御朱印帳のリピート率

購入頂いたお客様の所へ商品を発送すると、商品到着後約1週間前後に、同じお名前と同じ住所のお客様から再度、注文が入る場合が多いのも、この商品の特徴です。

ご家族に・お友達に・ご進物に・・・最初に購入した数より、多くのご朱印帳を購入されるパターンが多く、きっと富士ひのき特有の癒し効果抜群の香りと、えも言えぬ桧の白い木肌に満足されてのご購入だと思います。

<「富士ひのき御朱印帳」の新聞掲載記事>


<「御朱印帳袋」の新聞掲載記事>

2015年『霊峰富士ひのき御朱印帳』の人気が高く、地元新聞にも取材頂きました。

※現在は、価格改定・デザインを一部リニューアルしています。

◇驚愕!コロナ禍の影響

「2020年~ 新型コロナウィルス蔓延による売上の減少」

近年、未曽有の世界的な国家危機が訪れ、先ず我々国民は外出を控え、ジッと家の中に閉じこもること丸3年。
御朱印帳を持って、日本各地の神社仏閣に訪れる人々は ほぼ皆無となり、富士ひのき御朱印帳の売上も一年毎に大きく減少していきました。

2019年までは、事業も順調に右肩上がりに伸びていき、富士山で育った「桧」の認知度も上がり、地元の製材業者さん、そして御朱印帳を作成していただく「就労継続支援B型」の施設の方々にも、多くの仕事を提供することが出来ていました。
それが、コロナ禍で最盛期の1/10以下の売上迄落ち込んでしまい、富士山の自然保護・地域の活性化・森林業界の発展には、ほど遠い結果となってしまいました。

何度か事業の継続を諦めようかと思いましたが、2014年に出会って富士山の資源を護ろうと努力をされていた、林業の生産者さん、地域の発展のために私達の事業を様々な視点から応援していただいた地域行政のメンバーの方々、傷がいを持ちながら、富士ひのきの原板を丁寧に丁寧に研磨して下さった、就労支援の方々のご苦労を思うと、安易に諦めることは出来ないと思い、この事業を立ち上げた時代の気持ちに立ち返り、再チャレンジを行う事に決めました。

そこで、支援者の皆様の力をお借りして事業再構築に再びチャレンジして「富士山の自然を護り、林業の発展や地域社会への貢献」を目指して行こうと決心しました。


◇プロジェクト立ち上げの背景

このプロジェクトは、私共の力では到底、なし得なかったプロジェクトでした。
様々な人達との必然の出逢い、運命の出逢い、奇跡の出逢い、など様々なインフルエンサーの方々との出逢いと、ご協力が有ってからこそのプロジェクトです。

以下、様々な方との出逢いの中から、印象深い出逢いに付いて記述したいと思います。


・出逢いその1  「富士宮市役所 富士山世界文化遺産課 Fさんとの出逢い」

先ず最初の出逢いは、2013年6月に富士山が世界文化遺産に登録され、富士山のおひざ元 富士宮市役所、富士山世界遺産課の主任 Fさんとの出合いです。

Fさんは市役所の職員さんですが、物事を考える根拠が、良い意味で「商人的」で、良いと思ったことは、一瞬の無駄なく実行に移し結果を出し続けます。Fさんの行動力のお陰で、多くの構成資産の施設整備が完成したり、私達のような富士山に因んだ商品をプロデュースしている者に、新規販売店を紹介して頂いたりと、とても心強い味方でした。

更にFさんとの出逢いによって、富士山が如何に地域の活性化へ貢献しているか、世界文化遺産としての課題や問題点、富士山の自然整備の必要性など、私は様々な課題や問題点を知る事になりました。

私も、いつしか富士山の自然を護ることが、地域の活性化に繋がるという意識に芽生え、富士宮市世界遺産課 行動計画推進員のメンバーに加わり、のちに富士山の桧の間伐材を利用した、日本で唯一の富士ひのき御朱印帳」を、立案し、地域活性化への道にチャレンジすることへのきっかけとなったのであります。

「富士ひのき御朱印帳」の作製にあたり、下記の様な課題や問題点などの壁に立ち塞がれましたが、Fさんの揺るぎない前進パワーを、自分の心に秘めることで、チャレンジを続けるモチベーションとなりました。

●立案⇒●計画⇒●企画⇒●試作/開発⇒●マーケティング⇒●製作業者開拓⇒●新規販売先開拓など、立案から販売に至るまでには数多くの「人」達とのご縁や出逢い、紹介、協力などが必然であり製作中にも、御朱印帳の桧部分の厚さ・桧の含水率・桧のヤング係数(強度)・デザインetcと、様々な壁を試行錯誤し、関係者の皆様の協力を頂きながら、一つ一つ乗り越える事が出来ました。


・出逢いその2  「地元経営支援団体 所長さんとの出逢い」

私が住宅業界を定年退職後に、コンサルタント業を立ちげた2~3年後に、富士市の経営支援団体の所長さんから、地元 静岡県東部地域で生産される「富士ひのき」のブランド化への依頼がありました。

きっと私が約30年に渡り、住宅業界で実績を積んだ経験を買って、白羽の矢が立ったのだと思います。

「富士ひのき」は、明治35年頃、金原明善翁 指導の下 造林が行われ、人工林として現在に至っており、富士山の南麗で育った桧は、建築資材としては品質・強度・価格など、正にプレミアム感 満載でした。

戦前、戦後、国産材の桧は高級建築資材として全国で普及していましたが、戦後 右肩上がりに経済が続伸すると、住宅業界は価格戦争の様を呈して、低価格な住宅が求められ安価な外国産の資材が主流となる家が建ち始め、「富士ひのき」のような国産の建築資材の需要は大きく落ち込み、林業に携わる業界の高齢化や事業継承問題とも相まって、一次産業である林業は厳しさを増しているのは事実です。

そこで私は、天候が良ければいつでも富士山が望める静岡県で、富士山の桧をブランド化して流通させるのでは無く、首都圏に打って出て、富士ひのきを広める案を軸に戦略を立て準備に入り、地元TV局からニュース番組で取り上げて頂いたり、大手や地元の新聞にも掲載頂きました。

※ニュース番組で、富士ひのきのブランド化への取り組みを取材して頂きました。


・出逢いその3  「地元林業経営者 Nさん(80代)との出逢い」

桧をブランディングするには先ず現場を知ろうと考え、地元富士市で林業を営む方を調べ、私の住まいから約10分程の場所にお住いの「Nさん」が見つかり、早速アポイントを取ってご自宅に伺いました。
高齢の奥様に応接室に通されると、直ぐに現れたのが80代半ばの矍鑠(かくしゃく)とした翁がNさんでした。
私は、富士ひのきのブランディングを手掛けたい旨を熱く語り、是非Nさん所有の桧林を見学させて頂きたいとお願いをすると、後日現場を案内して頂けるお願いを快諾して頂きました。

現場へ出向く前に、Nさんのお宅へ2~3回打ち合わせに伺ったのですが、1度だけ奥様が玄関まで出てこられ「今日、主人は体調が悪く、申し訳ありませんがお引き取り下さい」と言われ、お見舞いの挨拶をして引き上げようとしたその時、Nさんが玄関に現れ、奥様を制し、「いらっしゃい、さあ お上がり下さい」・・と、奥様の言葉をまるっきり無視した対応に、私が戸惑って「Nさん、お加減は如何ですか?」と問うと、「いや~桧の話をしに来たのに帰すわけにはイカン」と、笑顔で答えて頂き、訪問してから約1時間近く、恐縮しながらお話を伺がった事を思い出します。

※伐採した桧の切株による年輪の詰まり具合をTVスタッフに説明中!(手前の高齢の方がNさん)

※職人さんによる桧の伐採風景

Nさんは、当時80代半ばでしたが背筋もピンと伸び、ご自身の持つ桧林や杉林にとても愛着や、誇りをお持ちでした。
特に、Nさんから現場で説明頂いて心に残った事は・・・

富士山は過去、何度も噴火を繰り返し、桧や杉等が育つ土壌は栄養豊富な腐葉土では無く、溶岩の上に火山灰などが積もった樹木などが育つには、厳しい条件の土壌である。
故に、他の地域で育つ桧や杉は、植林をしてから50年前後で伐採(収穫)されるのに、富士山で育った桧は、植林から伐採までは60~70年の歳月を要するとの事。
なので樹木の特徴として、富士ひのきの年輪は他の地域で育った年輪より密度が濃く、強度や耐久性に優れている。
・・・との事でした。
そして私たちの為に林業の職人さんまで動員して頂き、伐採風景まで見せて(撮影させて)下さいました。

目印として伐採予定のテープを巻いた「桧」に、チエーンソーの歯を入れる際、私は60年~70年の歳月を掛けて育った桧が今、まさに伐採されると・・・心の中で哀愁に似た気持ちが湧いてきたのを昨日のように覚えています。
大きな音を立てて倒れてゆく桧の大木の跡には、周囲一面、あの素敵な桧の香りが漂っていました。

色々、お世話になったNさんですが、一昨年の11月に1通のハガキが届き、天寿を全うされたとの、知らせが届きました。
幸いにも、Nさんの事業を継承されたのは体格の良い立派な青年(お孫さん)でした。

2013年登録【世界文化遺産 富士山】富士山の南麗で育った桧『霊峰富士ひのき』のブランディング・プロジェクトを、以前SBSテレビが取材してくださいました。

<2013年10月3日SBSテレビイブニング・アイ放映>

photo: 富士山ヒノキの間伐材で作られた「富士ひのき御朱印帳」

photo:天に向かって真っすぐに伸びる、「富士ひのき」

「神々の宿る山-霊峰富士山」は、日本の山岳信仰の聖地であり、「信仰の対象と芸術の源泉」の観点から、ユネスコより2013年6月22日に世界文化遺産として登録されました。その後、日本は元より海外からも多くの観光客や登山者が訪れ賑わいを呈しています。

明治30年代から始まった一次産業である林業は、現在の社会問題でもある「少子高齢化」による後継者不足から「枝打ち」や「間伐」などの森林を管理する作業が滞り、多くが手付かずの荒廃森林となっています。


◇現在の準備状況

現在はコロナ禍の影響で売り上げが大きく落ち込み、事業を継続していくことが困難となっていますが、様々なアイデアや確かな事業計画も立てていますので、是非皆様の支援を頂き、新商品の開発・既製商品のリニューアル・販売促進に邁進していく所存ですので、是非ご支援をお願い致します。


リターンについては、日本唯一の富士山で育った桧で作られた「富士ひのき御朱印帳」をご用意しました。

更に、ご支援額に応じて、富士山世界遺産登録10周年を記念して作られた、プレミアム限定品『富士山世界遺産登録10周年記念』「限定! 黄金富士ご朱印帳(こがねふじ ごしゅいんちょう)」をご用意。

一般の御朱印帳は、御朱印を頂く紙面は白色の奉書が使われていますが、「黄金富士ご朱印帳」は、奉書の中でも最高級の金紙を使用しています。
(墨で記入しても、滲むことはありません。)

他にも富士山に因んだ商品をピックアップしました。


A ご支援金3,000円のリターン   富士山ペーパークラフト(A4サイズ・3種類)×1セット

「富士山」の他に、「富士山本宮浅間大社」「人馬の滝」のセットです。

「富士山」

「富士山本宮浅間大社」

「人馬の滝」


B ご支援金5,000円のリターン   富士山ペーパークラフト(A4サイズ・3種類)×2セット

 リターンAの「富士山」「富士山本宮浅間大社」「人馬の滝」のセットが、2セットです。

「富士山ペーパークラフトセット(A4サイズ・3種類)」

C ご支援金10,000円のリターン プロジェクトの目玉!「富士ひのき御朱印帳」1冊+専用ビニールカバー1枚

D ご支援金15.000円のリターン  「富士ひのき御朱印帳」1冊+手造り富士山ポーチ(黒・朱・紫)いずれか1袋+専用ビニールカバー1枚

※手造り御朱印帳ポーチは(黒・朱・紫)の中から1色選んで下さい。

E ご支援金20,000円のリターン  「限定品!黄金富士御朱印帳」1冊+専用ビニールカバー1枚



F ご支援金30,000円のリターン 「限定品!黄金富士ご朱印帳」1冊+手造り富士山ポーチ(黒・朱・紫)いずれか1袋+専用ビニールカバー1枚


※手造り富士山ポーチは(黒・朱・紫)の中から1色選んで下さい。

G ご支援金50,000円のリターン 「富士ひのき御朱印帳」1冊+「限定品!黄金富士ご朱印帳」1冊+手造り富士山ポーチ(黒・朱・紫)いずれか2袋+専用ビニールカバー2枚

※限定品!黄金富士ご朱印帳セット(ポーチは黒・朱・紫の中から1点)

※富士ひのき御朱印帳セット(ポーチは黒・朱・紫の中から1点)

※リターンの発送は、クラウドファンディング終了後、1週間後位から随時発送致します。

 (発送方法は、クリックポスト・レターパックなど、リターンの内容により変わります。)


〇 クラウドファンディング告知 2024年2月3日~3月17日

〇 リターン商品の在庫準備   2024年3月~2024年5月

〇 リターンの発送時期     2024年3月17日~随時発送


 設備費:レーザー彫刻機  約155~165万円 

・現在の焼印を併用しながらクオリティーの高いレーザー彫刻を導入し、未開発の神社仏閣などへ オリジナルデザインを提案して、販路を拡充する。

・競合他社に対抗できるクオリティーの高い、デザイン性を持った商品を開発して、差別化を図る。

 ホームページのリニューアル 約35万円

・旧来のホームページを大幅にリニューアルし、富士ヒノキで作られた御朱印帳や、手作り御朱印帳入れ、ビニールカバー、大版御朱印帳、金色の和紙を施した限定品「黄金富士(こがねふじ)御朱印帳」などをアピールして、認知度及び売り上げを上げる。

 YouTube/innsutaguramu 等への投稿のフレームワーク作成 約25万円

 ・情報の開示と、伝達に効果のあるSNSなどを有効に使い 情報発信の基盤とする。

 企画開発費 約50万円

 ・富士ひのきを使用した新製品の開発、試作を行ない新規開拓など、マーケットを拡充する。

 クラウドファンディング手数料+税 約56万円

〇 リターン発送費用 予算10万円


私は元々静岡県で生まれ育ったのではなく、東京都渋谷区で生まれ育ちました。
旅行などで新幹線に乗り、車窓から富士山が見えると、「感動」「喜び」「憧れ」など、様々な思いが巡ります。

私以外でも同じような気持ちになられた方は数多くいらっしゃると思いますが、「富士山」とは、日本人の心の奥底まで浸透しており、誰かがでは無く、私達日本人全員で護っていかなければならないと思います。

静岡県人となって早、40年! 「富士ひのき御朱印帳」を起爆剤にして、富士山の自然を護り、林業の普及に努め、地域社会へ貢献するというプロジェクトは、私共に与えられた使命と考えています。

是非、皆様のご支援を賜り、共に富士山を護って行きたいと存じます。



本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

このプロジェクトの問題報告はこちらよりお問い合わせください