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[物語のある夢プロジェクト]

夢見ることを忘れかけた 年老いたぞうの物語『ぞうのアーシャ』。

亡くなった夫と共に、何回も舞台パフォーマンスにしてきた、好評の作品です。

夫婦ふたりの夢だった『ぞうのアーシャ』を絵本に!

来年の桜が咲く頃までに、夢のかけら舎から出版したい。


その絵本を持って、たくさんの人に出会いたい。60歳になる私の夢!

そのためのご支援をよろしくお願い申し上げます。

~夫の若林こうじが ぞうのアーシャ、
私・若林ちえが アーシャのお母さんと語りをした時の稽古場公演~



『ぞうのアーシャ』の物語は

 「あと、どのくらい生きれるのだろう」

と 月の光の中 満開の桜の花が散ってゆくのを見て

動物園に飼われていた年老いたぞうのアーシャは ぽつりと つぶやきました

 そして、夢の中に・・・・・    

~『ぞうのアーシャ』より
絵:若林千恵~


 グルグル回る夢の道

 夢のかけらの汽車ポッポが アーシャを夢の世界へと誘う

 子どもの頃に戻っていくアーシャ

 いろんな色の夢の扉を開いていくと 最後に開いた扉から懐かしい香りがした

 その扉の中へと

 

 アーシャは いつの間にか お母さんと ぞうの森の道を歩いていました

 

 そして お母さんに昔々から伝わる象の踊りの面白いステップを習い出します

 「エク・ドー・ティーン 耳をパタパタ・・・・」

 (*エク・ドー・ティーンは ヒンディー語で1・2・3のことです)

 大きなお尻のお母さん 小さなお尻のアーシャ

 しっぽをくるりと回します

 「このステップはね・・・・」お母さんが教えてくれました

 「もうすぐ 死にそうだなってわかるときが ぞうにはあるの

その時にこのステップしていけば おじいさんやおばあさんのいるところへいけるのよ」と


 眠りから覚めた 年老いたぞうのアーシャは 母との思い出の踊りのステップで

 希望を胸に歩みだします

 いつの間にかアーシャの体いっぱいに 心の森が広がっていきます

 「エク・ドー・ティーン 耳をパタパタ・・・」


[こんな絵本です!]

・上の3枚の絵の他に、楽しいぞうさん等の絵が23ページあります。

・上の文は、物語が簡単にわかるように書いたものです。絵本の文はもっとあります。

・子どもからおばあさんおじいさんまで楽しめる絵本です。

・生きていくことを想い描くための絵本!!

・ぞうさんの母と子が、ほのぼのと森の散歩道でお話しています。

・昔々から伝わるぞうさんの踊りに、児童劇団で指導していた、夫の若林こうじが振り付けをしてくれています。「エク・ドー・ティーン」のステップ! 機会があればご一緒に!                         

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  絵本の絵は、

 子どもの頃、絵を描くと賞を取っていた私が、その時の感性のままに描いたものです。

  物語は、

 2年前に他界した夫とのパフォーマンスで創作してきた物語です。最初は、東京都品川の学童保育の部屋を舞台にしてのパフォーマンスでした。その2年後、児童館の体育館で。

 その後は、千葉県流山市のふくろうの森で、劇団夢のかけら からりるん版『ぞうのアーシャ』としての公演。埼玉県の人形劇団で。手作り絵本の読み語りパフォーマンス。Instagramにあてた、ものがたり詩。と、その度に創り描いてきました。子どもからおばあさんおじいさんまで、一緒に観ていただけるようにと。

 今回、絵本を出版するにあたって、物語の展開や言葉のリズムを、今までの私の読み語りパフォーマンスでの経験をもとに書き直しました。渾身の作品です。

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夢のかけら舎が あなたにお届けしたい 物語!
絵本の原稿はできあがっております!
あとは、印刷製本するだけ!
ご支援をよろしくお願い申し上げます
夢のかけら舎 代表 若林千恵

*劇団夢のかけら からりるん 立ち上げ以降、創作活動をするときの名前は「若林ちえ」としています。


[初めまして、私は、夢のかけら舎 代表  からりるん  こと  若林千恵です]

今年、うさぎ年の私は、60歳になりました。
東京都三鷹市に生まれ、6歳から千葉県柏市で育ちました。
若林こうじと結婚後、新婚生活を品川区で、今は柏の実家に住んでおります。
ただ今、つぎの拠点を探しているところです。

 
『ぞうのアーシャ』のテーマでもある
子どもからおばあちゃんおじいちゃんまで
最期の日まで希望を持って生きるための
心の森=安らぎの場を創りたくて!
そこから
『ぞうのアーシャ』の絵本を持って
たくさんの人に出会い
60歳になる私の夢! 叶えたい!

*アーシャは、ヒンディー語で〈希望〉という意味です。

 

[60年を振り返ると]

 いろんな事がありました。

 子どもの頃、満州の引き揚げ者だった祖父が、大酒を呑んでは母に暴力をふるっていました。私を可愛がる祖父は、そこにはいませんでした。そんな中でも私は、住んでいた都営住宅の人達と友達になって、その個性豊かな人達が大好きでした。世の中の出来事すべてが面白く、興味津々で見つめていました。祖父のことさえも・・・・。

 三鷹に住んでいた頃の、このキラキラした思い出が、三つ子の魂百までというように、私の胸の奥で、ずっと、「あなたはこうして生きていくことを願っているんだよ」と、言っている気がしていました。

 そして、いつの頃からか、この子ども時代に帰りたくて、[劇団夢のかけら からりるん]での物語創作は進み、舞台パフォーマンス化していきました。

 ~『かくれんぼう』
千葉県流山市にて[劇団夢のかけら からりるん] 若林こうじとちえ~ 

 夕焼けの道からやってきたかくれんぼうが、子どもの頃の遊びをして、
夢を忘れかけた大人の女の人に、夢をみさせてくれる。
民族楽器の音とものがたり詩のパフォーマンス。 作:若林ちえ


[思春期頃の私]

 中学の時にいじめにあった私は、高校の時に足腰が立たなくなってしまいました。原因不明の病と言われたので、なんとか自分で歩けるようにと、手足を使って家の階段を何度も上り下りする訓練をするうちに、いつの間にか、歩けるようになっていました。

 でも、人と話す事は怖くなっていました。外に出ると気持ちが変わることを知り、散歩をするようになってからは、高校にも行かれるようになっていました。

 その間も、母は胆石・肝臓の悪化などで入退院を繰り返していて、私が付き添いをしていました。

 高校の時、演劇部にいて舞台の楽しさを知りだしていた私。短大の初等教育学科の幼稚園実習で、ペープサートや絵本読みをして私らしさを感じて、子ども達に何か自分なりの表現をしていけるものをみつけたくなっていました。19歳の2月に、三越劇場での太地喜和子主演『楡の木陰の欲望』の舞台を一番前の席で観劇し、今までに味わったことのない衝撃を受けました。心が震えました。こんなに、人間の裏と表をあからさまに表現した舞台を観たのは初めてでした。子どもの頃から人間に対する興味があふれていた私は、物語の主人公になって違う人生を味わいたくなり、「女優になりたい」と、夜も眠れぬ時を過ごしたのでした。そして、その年の3月に、文学座研究所入所試験を受けたのですが、最後の面接試験の時、あがり症の私は自分を出せずに落ちてしましました。

 しかし、どうしてもその夢を追いたくなって、両親に大反対されながら、幼稚園の先生の資格をとることが出来た短大を中途退学。それから半年間、朝は新聞配達。昼は歯科衛生士助手。夜は、女優になるためのトレーニングの場に通い深夜に帰ってくる。移動の電車の中で、おにぎりを食べ、シェークスピア等の戯曲を読みあさる。そして、恋もした。寝る間を惜しんで、夢への道を信じてひたすら走り抜けた青春の日々。

 ハードな毎日に体はくたくたで、試験の日、風邪を引いていましたが、龍角散を飲み込んでは、台詞をやっとこさ言い、何とか桐朋学園短期大学演劇科に入学することができました。そこで、自作自演の楽しさを知ることになります。

 そして、子どものお芝居に興味をもっていたので、桐朋学園卒業後は劇団風の子研究所に入りました。ここで、子どもの頃、妹とお芝居ごっこをして母の前で演じていた時の愉しさを思い出し、あるがままの自分の創作方法を学びました。


[28歳で結婚してから]

 その後すぐに、
 舞台を観て憧れていた、
 若林こうじと出逢い、同棲から、結婚。

 夫のこうじが在籍していた、太鼓と芝居もできる劇団に入って1年後、今までしたことのない和太鼓をなんとか打てるようになっていました。でも、もともと軟弱な私の身体。今までの無理に無理を重ねた生活がたたって、床から起き上がれない状態となり、夫を残して劇団を退団せざるを得なくなりました。

 それから2年の間、品川の4畳半一間のアパートで、ダンサーだった夫の指導の下、身体のトレーニングをして、軟弱な身体を鍛え直すことが出来ました。そして、大好きな散歩で心をほぐして、自由気ままな物語創作を新たに始めることができました。それが、後々の創作活動の基となっていきました。

 

 その後、千葉県流山市に引っ越し、柏市に住む肝臓癌になった母を支えながら、
 夫と[劇団夢のかけら からりるん]結成。
 毎回、新しい物語を創り、

  

 舞台パフォーマンス化してゆきました。

 その中で、『ぞうのアーシャ』だけは、私のひとり語り、ものがたり舞台、人形劇、手作り絵本パフォーマンスと、形を変えて創り続けてきました。


[病は気から? 薬から?]

 40代後半、私は3回のマイコプラズマ、インフルエンザにかかりました。その処方として度々服薬した抗生物質により、うつ病を発症してしまいました。この頃はまだ、抗生物質がウイルスに効くとされていました。

 その後、精神科医から処方された抗うつ剤等、多種類の強い薬を飲み続けた私は、心と身体を蝕まれ、夢も希望も浮かばない抜け殻のようになっていきました。

 そして、ある日、家の階段を一段踏み外しただけで極端な落ち込みをして「これはおかしい。私ではない」と気がつき、自分が探した都内の別の病院で診てもらった結果、うつ病でなかったことが判明しました。

 それからは、それまでの多量の薬投与による黄疸、内臓の弱りを、自然食、自然療法にて治す、7年間。無我夢中でした。「このままでは、体も心も自分では無くなってしまうのではないか」との恐怖と戦いながら。

 そして、やっと自分のことを取り戻すことが出来て、それまで私のことを見守り続けてくれた夫に、お礼をと思った矢先、夫が胃癌ステージ4になり、1ヶ月ごとに、危ないだろうと診断されました。私が58歳、夫が70歳になる2021年、桜が散り始めた頃のことです。

 それからのことは、2023年8月にアマゾンから電子書籍にて出版した、『The Gift of Love:詩語りエッセイ あなたの命と共に』(著:若林ちえ)に書いてあります。[ASIN:BOCF4D8RCJ]。ご興味のある方は覗いてみて下さい。


[60歳になって]

 私も、母が癌告知された歳と同じ歳となりました。『ぞうのアーシャ』のパフォーマンスを、母や夫の癌闘病のためにと、創り直して観せてきましたが、これからは、この物語が、私の生きていくための指針となりそうです。

 (若い頃は、60歳になるまで生きられるなんて、思ってもみなかった。)

 中学の時にいじめにあって、10年以上も悪夢を見て眠れなかった夜、私なんて生まれてこなければ良かったのかもしれないと手首にナイフで傷つけていた。何回も、思い描いた夢をこなごなにされたあの日々。うつ病に間違われて、身体と心が自分のものではなくなったような薬漬けのつらい時間の連なりの時。

 そのほかにも、21歳の時、交通事故で、大腿部の筋肉挫傷、顔面腫れ上がり目と目の焦点があわなくなる。24歳の時には、アルバイトをしていた木馬座の舞台から落ちて、顎の骨を骨折。32歳には、半月板損傷したのを、母の看病があったため、手術せずに自分で治すことを選び、1年半程、足を引きずって生活する。まあ!上げればきりが無いほど傷だらけの人生。近くで見ていた家族は、だんだんあきれていきましたが、夫はそんな私のことを、「ちえには飽きないから面白い」と言って、最期の日まで一緒に生きてくれました。

 七転び八起きとは、私のこと。転んでもただでは起きない。そこら辺にある石ころをつかんで起き上がればどうにかなると、どこかでそう思うようになってきました。それを糧に、表現してきたのかもしれません。

 今は数々の思い出が、遠くから響いてくる潮騒の音のように、私を優しく包んでくれる思い出になってきています。そして、ここまで歩いてきた道のりで出逢った、たくさんのしあわせな事が、私をこうして生かしてくれています。私が今、生きていられるのは、舞台創作を大切に生きてきた夫と出逢えて、舞台パフォーマンス活動で私の創作ものがたりを創ってこられたからだと、感謝しています。

 「生きてきて良かった」と、本当に思います。

そして、
いくつもの光と暗闇のエピソードが
ひとりの物語を創っていくんだと
苦しい時は、未来なんて無いのかも知れないと
でも、あきらめずに前へと進んでゆけば
しあわせな光がそこで待っている
60歳になる私が知ったこと
今、苦しんでいる子どもや大人の人達のために
何か出来れば と・・・・・・
それを
ぞうのアーシャ』にこめて
絵本を創って
たくさんの人に届けたい! そして、出会って、生きたい!
と、思い出したのが
今回の
[物語のある夢プロジェクト]の始まりです。


 * からりるん kararirun * 

 からりるんは、私・若林ちえの夢のかけらの音。みんな違う、夢のかけらの音を持っています。
 私たちのそばで、「夢が叶いますように!」と、鳴らして。
 夢のかけら舎のもとになった、私が創ったキャラクターです。

~夢のかけらの汽車ポッポ。
夢のおとぎの国から、夢を無くしてしまった人や動物たちのところにやって来て、
夢を思い出させてくれます。
絵本『ぞうのアーシャ』でも、アーシャに夢を届けにやってきます。~


[夢のかけら舎]

 胃癌ステージ4で病床についた夫が、かつて漫画家を目指していた頃があったことを思い出し、舞台に立つ代わりに絵を描いたら良いのでは?と。そして、私と一緒に個展をしようと、2021年9月に夢のかけら舎を立ち上げました。


~[夢のかけら からりるん  こうじ&ちえ展]より 絵:若林こうじ~


 2021年9月、コロナ禍のため自宅にて、闘病中の夫とインターネット個展[夢のかけら からりるん  こうじ&ちえ展]を開催。 

 その後、2022年6月に、夫が亡くなる数日前まで描いた絵をもとに、音のある絵本『夢のかけら』『風船ぶた』(CD付き)を夢のかけら舎にて出版。初版本200冊完売。

 その年の10月に、[若林こうじ個展]を、千葉県柏市のハックルベリ-ブックスにて開催。

  

 2023年1月から、若林ちえのひとり語り絵本パフォーマンス活動開始する。



[あの『ぐりとぐら』を印刷した精興社で、『ぞうのアーシャ』の絵本を!]

 『ぐりとぐら』は子どもの頃から大好きな絵本で、この絵本は、私の読み語り絵本パフォーマンスで、初めて子ども達と、絵本の世界で自由に遊ぶことを教えてくれたものです。その『ぐりとぐら』を印刷したのが精興社です。

 精興社は、1913年(大正2年)創業以来、印刷製本に徹底したこだわりがあり、その書体の美しさ、刷り上がりの美しさに、多くの作家や出版社からアツイ支持を得ています。絵本の印刷製本も50年以上手がけられていて、作家の思いのこもった色やタッチを高度な技術によって再現し、数々のベストセラーを産みだしてきました。

 この度、その精興社の高い品質による自費出版サービスがあることを知り、印刷製本をお願いすることにしました。

~若林ちえの読み語り絵本パフォーマンスより~


そして、 

 『ぐりとぐら』が創られて、今年で60年だということを知りました。私と同い年!  
 その年に、『ぐりとぐら』が印刷された精興社で、『ぞうのアーシャ』を印刷製本する!
 そしてそれを、私が代表を務める夢のかけら舎で出版する。

 どんな絵本となるのだろう。
 今から、ドキドキが、止まらない。
 皆様にも、このしあわせをお裾分けしたいです。


[これまでの活動と準備状況]

 現在、『ぞうのアーシャ』の絵と文は、仕上がっています。印刷製本を依頼する精興社で見積もりを出していただいたので、あとは編集して原稿を入稿するのみ。絵本が出版できれば、それを持って日本各地を回り、今まで以上にたくさんの人と出逢う場が広がることと思います。そして、いろんな事、お話し出来ること! 楽しみで仕方ありません。そうだ! もしも? 私のひとり語り絵本パフォーマンスをプロデュースして下さるなんて方が出てきて下さったり? と、思いも寄らない展開を夢見ている今日この頃です。

 12月22日(金)13:30から 千葉県流山市おおたかの森にある「ふくろうや」にて、若林ちえの絵本語りパフォーマンスを、CAMPFIREクラウドファンディングへの挑戦の第一歩! としてやりました。

詳しくお知りになりたい方は、夢のかけら舎のHPをご覧下さい
2024年1月にも、どこかでと思っております。決まりましたら、またご報告させていただきます。


[資金の使い道]

 このプロジェクトで集めた資金は、絵本の制作費用に充てられます。具体的には、編集費、印刷費、製本費、出版費などに使用されます。また、絵本の宣伝費用や配布費用にも一部充てられます。

印刷・製本     906,125 円 (精興社見積もり 絵本1,000冊)

編集費       100,000 円

人件費       100,000 円

広報費       130,000 円

CAMPFIRE 手数料  255,000 円

雑費・交通費     8,875  円


[リターンについて]

 支援者の皆さまには、絵本の完成品をリターンとしてお届けします。また、一部のリターンには、限定グッズ、作者 若林千恵からのお礼の言葉〈お裾分けドキドキメール〉なども含まれます。支援金額に応じた特典をご用意しておりますので、ぜひご支援ください。絵本を手にするだけでなく、特別な企画も?


[実施スケジュール]

プロジェクトの実施スケジュールは以下の通りです。

-2023年 12月20日:クラウドファンディングの開始

-2023年12月22日(金)13:30~ 夢のかけら舎企画クリスマスイベント

 千葉県流山市おおたかの森にある「ふくろうや」にて

 CAMPFIREクラウドファンディング挑戦の第一歩!

 手作り絵本『ぞうのアーシャ』若林ちえの絵本語りパフォーマンス 

-2024年1月29日:クラウドファンディングの終了

-2024年2月3月:絵本の印刷・製本開始

-2024年4月16日:絵本の出版・配布開始

スケジュールは予定ですので、変更の可能性もあります。
プロジェクトの進捗については、随時アップデートしていきますので、ご期待ください。


[終わりに~これからの夢の始まりのために~]

 今まで、ひとりで歯を食いしばって生きてきた。

 なんて思っていましたが、壁にぶち当たると、必ず、誰かがそっと私のことを支えてくれておりました。子どもの頃から、突拍子もないことばかりやりたがる私を。

 それは、家族であったり、友達、学校の先生、その時に付き合っていた彼氏や、結婚後は夫であったりと、体と心の弱かった私を皆が心配して助けてくれていました。夫が胃癌ステージ4になった時、亡くなった後も、夫を大切に思って下さっていた舞台関係者の人々に支えていただきました。

 こんなに愛をたくさんもらったので、今度は私の番です。愛を渡せる活動をしよう。

『ぞうのアーシャ』の絵本の物語のように、できるなら世界中の人が、どんなことがあっても希望を持って最期の日まで生きて欲しい。

 その夢のようなプロジェクトを、60歳になる私の第一歩として始めたい。

 [物語のある夢プロジェクト]は、絵本を創ることから始まります。

 その後、今、問題になっている空き家を利用活用して、災害時には避難場所に!

 『ぞうのアーシャ』の絵本で繋がる、物語のある心の森=安らぎの場をひとつずつ作り、ネットワーク化して、ここに災害が起きたときは違う場所にと支援できるまでに広げたい。

 その場所は、普段は、今、苦しんでいる子どもや大人達の憩う場所に。

 または、普通に暮らしていただいて、災害の時には一部の部屋を利用させてもらえるようにする。

 他にも案が出てくることを願って、柔軟性のある災害時の避難場所にできればと思っています。

 災害が来てからでは、遅い。災害になったとき、一番弱いもの達がつらい思いをする。それを、助けたくて。


その為には、たくさんの人の想いが必要になってきます。
そして、私に、災害時の避難場所の案として、
あなたが思い描いたことを教えて下さい。
今の私に出来ることは、『ぞうのアーシャ』の絵本を創り語ること!
たくさんの人に出逢い、[物語のある夢プロジェクト]を広めたい。
私だけでなく、いろんな人に『ぞうのアーシャ』の読み語りをしてもらいたい。
みんながいつまでも楽しく生きていけるようにと!
私が必要ならば、お教えいたします!
もちろん、自由気ままに読んでいただけたらとも!
『ぞうのアーシャ』で、たくさんの人を通して希望と夢を届けたい。
それが、私、そして 夢のかけら舎の願いです!
絵本『ぞうのアーシャ』を創るためのご支援をお願い申し上げます

 夢のかけら舎 代表
  からりるん こと 若林千恵



~みんな! しあわせになあれ! 地球がまあるい希望につつまれますように!~
by からりるん





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